2012/10/4

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第20回国指定史跡と北条時頼のお墓のある名月院!!  文化財研修記

 鎌倉五山第一の建長寺から、室町初代将軍足利尊氏公のお墓のある長寿院をみました。ではその直ぐ側には臨済宗建長寺派の北条相模守時頼(北条時宗の父)が若干37歳で死去し、この寺にお墓があります。
 名月庵は永暦元年(1160)にこの地の住人で平治の乱で戦死した首藤刑部太夫俊道の子の首藤刑部太夫山ノ内經俊が創建。その後、康元元年(1256)北条相模守時頼公によってこの地に「最明寺」を建立。時頼は30歳で出家、僧名を覚了房道崇と称したが、一般的には最明寺入道と呼ばれて恐れられていたが、若干37歳で死亡。寿命を悟り、息子北条時宗を幼少の時から自分自身で薫陶したと云う。
 のちに北条時宗は建長寺開山大覚禅師の五世法孫の密室守厳禅師を開山として、この地に福源山禅興仰聖禅寺を創建。その後、康暦2年(1380)に時の関東公方足利氏満が管領の上杉阿波守憲方に禅興寺を中興を命じ、伽藍を完備、寺域を拡大にして、三代将軍足利義満が大寺院を選ぶにあたって、禅興寺を関東十刹の第一とした。名月庵は「名月院」と改められ支院の首座となった。

1.明月院入口
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2.名月院駒札
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3.総門
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4.橋の上の可愛い兎と亀(思わずパチリ!)
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5.川を越えて左側に行くと若くして亡くなった執権北条時頼の墓の駒札
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6.執権最明寺入道北条時頼のお墓(元寇の乱の時の執権北条時宗の父)
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7.登り参道
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8.山門
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9.更に本堂への参道
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10.本堂
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11.本堂前の枯山水の庭(春は櫻や花が咲き誇り見事です。)
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12.下記をクリックして、「音声付動画」で七夕の準備の庭を見て見ましょう!無料のU-tubeの画面が出たら、その右下の拡大画面をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/PWnah0ellyI

13.鎌倉十井(鎌倉は水が悪く10の井戸を名付ていました。)「瓶の井」の駒札
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15.同上 瓶(つるべ)の井
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16.名月院裏山のやぐらの駒札
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17.名月院やぐらの十六羅漢像の真ん中の宝篋印塔は上杉憲方の墓と言われています。
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18.開山堂
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19.開山堂内
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