2012/9/27

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第17回閻魔王を含む十王を祀る円応寺!!  文化財研修記

 鎌倉市山ノ内には鎌倉五山第一位の建長寺があるが、東門跡から鎌倉方方面に向かうと、山ノ内1543の小高い岡の上に臨済宗建長寺派の閻魔大王を中心に十王を祀る新居山「円応寺」がある。新居閻魔堂(あらいえんまどう)とも呼ばれている。開山は有名な蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の法嗣である桑田道海(くわたどうかい、知覚禅師)が建長2年(1250)開いたと伝えるが、寺蔵の初江王(しょこううおう、国重文)の胎内銘によると建長3年(1251)に禅勧坊が願主となって仏師幸有(こうゆう)が造立したとある。閻魔堂は初め由比ヶ浜にあったと言われるが、江戸時代の元禄16年(1703)に、建長寺の火番給分(ひばんきゅうぶん)の地であったと伝える現在地に移された。堂内には頭部は運慶作と言われた国重用文化財の閻魔王を含めて、冥土を司どる十王が順に祀られていて、秦広王(しんこうおう)、初江王、宗帝王(そうだいおう)、五官王、閻魔王、変成王(へんじょううおう)、泰山王(たいざんおう)、平等王、都市王、五道輪転王(ごどうりんてんおう)とされている。閻魔大王とはインドの最古の神話「リグ・ベーダー」における「ヤマ」のことで、最初人間として生まれて、死後には「楽園」の主となった諭旨です。インドの「ヤマ」が中国に伝わり「エンマ」となり、道教の影響で閻魔大王を中心とした、「十王思想」となりました。
 室町時代には「十三仏信仰」となり日本仏教独自のの宗派を越えた葬儀・法要の元となっています。円応寺の「十王」は鎌倉時代に中国より伝わった「十王思想」を彫像したものです。

1.円応寺への急な参道
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2.円応寺の駒札
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3.見事な茅葺きの鐘楼
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4.本堂と前庭
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5.本堂右前の見事な巨木
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6.本堂
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7.本堂内の右側の十王像の一部
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8.中央が閻魔王の十王像
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9.頭部のみが運慶作と言われる国重文の閻魔大王のアップ
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10.閻魔王に向かって左側に祀られている十王像の一部
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