2012/9/21

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第14回日本三天神さんの一つ荏柄天神社!  文化財研修記

   鎌倉市二階堂74(源頼朝公墓から直ぐ近くです。)には九州の大宰府天満宮、京都の北野天満宮、そして、この鎌倉の「荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)」を日本三天満宮と言っている。縁起によれば長治元年(1104)8月25日に雷雨とともに天神画像がくだり、里の人が社殿を建てその画像を納め、イチョウの木を植え、神木としたという。大倉幕府の鬼門の守護神として崇敬されたという。明治の神仏分離までは京都の東寺の末寺であ一乗院(廃寺)が別当として管理していた。巨大なビャクシンの大木が覆っている参道を登って行き、神門を入ると、左右に紅梅、白梅を配した先に、鶴岡八幡宮の仮殿を移した拝殿があり、国重文の本殿は元和8年(1622)鶴岡八幡宮修復のおり、八幡宮の若宮社本殿を移した、鎌倉における最古の木造建築である。本殿は三間社流造の型式で、現在、拝殿・幣殿があらたに加えられている。若宮は正和5年(1316)の再建後、明徳3年(1392)から応永元年(1394)にかけてと、天正20年(1952)に修理を加えた記録があり、14世紀の建築様式をよく残している。江戸時代には鶴岡八幡宮の造営のたびに残木、古木をうけて社殿を造営していた。

1.ビャクシンの大木の下を通る参道
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2.ビャクシンの大木と鳥居
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3.長い石段の参道
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4.神奈川県教育委員会の駒札
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5.楼門
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6.社務所
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7.鶴岡八幡宮に次ぐ大銀杏の木
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8.拝殿
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9.拝殿と後部は国重文の本殿
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10.国史跡指定の駒札
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11.川端康成筆の「かっぱ筆塚」
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