2012/9/17

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第12回鎌倉の法華堂跡(源頼朝・北条義時)!  文化財研修記

 寛喜3年(かんぎ、1232)の大火で右大将家法華堂(源頼朝の墓)とそれに治められていた頼朝の遺品の数々は、右京兆法華堂(北条義時)とともに焼失した。法華堂は、元来消失後は再建しないのが普通であったが、特別の例として寺家で再建することにし,貞永元年(1232)に完成している。宝治元年(1247)北条氏の不意打ちで邸を焼かれた三浦泰村・光村兄弟や一行70人以上が、右大将家法華堂に立てこもり総勢500余人が自害した。
 近年の発掘調査の結果、白旗神社境内中央辺の現地表下1.5メートルところに岩を掘って北に登る階段の痕跡が発見された。現在頼朝の墓の前に設けられている法華堂への階段は後世のものであり、当時はもっと西(左)にあった。現地形の源頼朝墓の西にある一段低い平坦地に階段がつき、この広場を堂前広場として、法華堂はこの広場に対して西向きに建てられていたのではないかと推察されている。源頼朝の墓近くから、鎌倉初期の瓦や青白磁香合の破片も多数出土している。法華堂跡(源頼朝墓)として周囲の谷も含めて国史跡に指定された。

1.源頼朝公墓の東側には現在の北条義時の法華堂へ行く石段がある。
クリックすると元のサイズで表示します

2.北条義時の法華堂への上り坂
クリックすると元のサイズで表示します

3.北条義時の法華堂の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

4.洞窟へは草木が邪魔して行くのを中止した!
クリックすると元のサイズで表示します

5.村田清風の詩
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上 句碑
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ