2012/8/16

綾部人の見た美濃の文化財・史址!59.明智光秀公の最大の位牌と明智家先祖の墓を守る天竜寺!      文化財研修記

 第48回で滅亡した明智城を掲載してきました。この城址の北麓に曹洞宗の明智家伝来の墓と明智光秀公最大の位牌(184センチメートル)を祀る曹洞宗・天竜寺を紹介します。
 土岐氏は源頼光の攝津源氏の出であり、大本は清和天皇にありますが、初めて武士団を形成したのは、天皇の孫にあたる満仲であったと云われています。
その満仲の長子である源頼光が、父の摂津国多田(兵庫県川西市多田)の地を継ぎ、摂津源氏の祖となりました。そして次男の源頼親が大和源氏の祖となり、三男の源頼信が河内源氏の祖となりました。
 この美濃源氏の土岐氏は鎌倉・室町時代はとても有力であり、大動脈の東山道が通る穀倉地帯の美濃を所領し、その中心地は都に近い西美濃でした。康永元年(1342)鎌倉初期の守護・土岐頼康は弟の頼兼に東美濃方面の統治の要として、可児郡明智荘を治めさせ、長山城を築かせました。この頼兼が「明智氏」を名乗り明智一族が誕生しました。家紋は代々土岐家と同じ「水色桔梗」で土岐家の有事の際にはこの旗を揚げて守護土岐家に忠誠を尽くしました。
 
系統図:
             妻・節  
光継→光綱→明智光秀→女・利三妻→三女・稲葉正盛妻・福・
                    将軍家光乳母
                →女・明智光忠妻
                →女・細川忠興妻・ガラシャ→細川嫡流
                    →現細川家
                →女・織田(津田)信澄
  →光信→女
  →光安→光春→( )→( )→(  )数代末→坂本竜馬
  →光久→光忠→光近
  →光廉 
  →斉藤道三妻→織田信長妻 

1.青雲山天竜寺碑
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2.お寺の駒札
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3.山門
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4.明智一族の墓地への入口(本堂裏)
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5.明智一族のお墓
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6.本堂
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7.本堂内の明智光秀公の大位牌(184センチメートル)横の彫像も桔梗紋も良く見えましたが撮影禁止でした。

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