2012/8/9

綾部人の見た美濃の文化財・史址!55.土岐源氏の故郷・土岐市の八幡神社を見る!  文化財研修記

 岐阜県多治見市から更に北東に行くと土岐市(ときし)に至る。此処は名の如く土岐源氏の故郷である。ここで土岐源氏の源流を抜粋して見ましょう!清和天皇→貞純親王→経基王→源満仲→源頼光(長男・攝津多田源氏の祖)→頼国→国房→光国→光信→土岐光衡→光行→光定
(満仲→三男の系統が河内源氏の源義家です、次男の系統が大和源氏。)
→土岐頼貞第1代美濃守護家→頼清→3代頼清→4代康行 
             →2代頼遠   →5代頼忠→6代頼益→7代持益→8代成頼→
→9代政房→10代頼武→12代頼純(滅亡)
     →11代頼芸(斉藤道三が取り入る)
と以上の様になります。この土岐市の八幡神社には鎌倉時代初期に美濃国守護に源頼朝から美濃守護に任ぜられた土岐土岐光衡が建てた館の跡地付近と言われています。鎌倉時代は建久3年(1192)(いいくに)と公表されていますが、源頼朝は寿永元年(1182)に公文所・門注所を開き、文治元年(1185)に守護・地頭制度を後鳥羽天皇に認められ、実際の政治を寿永元年(1182)から行っているので鎌倉時代は遅くとも文治元年(1185)と訂正しすべきであると思慮します。
 この八幡神社は元応元年(1319)に当時の守護土岐頼貞がが氏神として勧請したとも、土岐頼重(頼貞の孫・明智氏の祖)が妻木城築城の際、城の鎮守社として建立したとも云われています。以来歴代の妻木城主が崇敬した。慶長10年(1605)に社殿が改築され、万治元年(1658)妻木頼次に跡継ぎが無く、妻木旗本家は断絶した、以後周辺部落の産土神として崇敬・維持されてきた。
 特筆すべきことは、毎年10月第二日曜日の「子供の流鏑馬」神事400年続けられてきたことである。毎年7月から子供達は流鏑馬保存会の大人の指導を受け練習して、最初は小型の木曽馬で練習をはじめ、当日はサラブレッドで見事な流鏑馬を披露するとの諭旨であります。一度見て見て見たいものです。

1.八幡神社
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2.広大な神域を登ります
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3.右側の絵馬の案内板
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4.途中の神官の家
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5.神社の駒札
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6.右側の古風な舞台です。戸が閉まっています。
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7.見事な石段参道を登ります
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8.拝殿撮影は逆光で残念でした!
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9.拝殿内部
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10.土岐氏・明智氏の桔梗紋については下記をクリックして見て下さい。

1.http://nbcayabe.exblog.jp/17742730/
2.明智長山城址は後日掲載します。桔梗紋が良く判ります。土岐・明智とも桔梗紋です。

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