2012/8/6

綾部人の見た美濃の文化財・史址!52.2つの国宝の観音堂と開山堂を持つ永保寺と国名勝庭園2の1.  文化財研修記

 岐阜県多治見市虎渓山町(こけいざんちょう)には土岐川の河畔に鎌倉時代の雰囲気を色濃く残している臨済宗の虎渓山「永保寺(えいほうじ)」がある。多治見市を訪れたのはこの永保寺が見たかったからです。
 正和2年(1313)美濃の守護土岐頼貞は夢窓疎石(むそうそせき、夢窓国師)を招き、疎石は法弟の元翁本元(げんおうほんげん、仏徳禅師)らと長瀬山に入り、土岐川のほとりの深山幽谷の美しさに心をひかれ、庵を建てた。之が永保寺の草建で、その佳境が中国江西省廬山(ろざん)の虎渓に似ていることから虎渓山と号したと云う。その後、元翁本元が後醍醐天皇の勅を受けて開山した。
 延暦2年(1339)、北朝の光明天皇の勅願寺となり、室町時代には守護土岐氏の庇護をうけ、30坊あまりが並び立ち隆盛を極めた。
 しかし、戦国時代には再三の兵火によって大部分を焼失し、現在まで塔頭寺院として残っているのは永保寺の北にある保寿院・続芳院・徳林院のみである。
 観音堂は国宝で、観音閣とも水月場とも云う。「夢窓年譜」には、正和3年(1314)、夢窓国師が40歳のときに建立したと記されている。
 鎌倉時代の折衷様(せっちゅうよう)建築の代表作で、唐様建築の手法に平安時代から続いた和様建築の手法を折衷させた特殊な建築物である。堂内には、岩窟式厨子に聖観世音菩薩(岐阜県文化財)が本尊としてまつられている。
 庭園西北の奥まったところには国宝の開山堂がある。室町時代初期の典型的な唐様建築である。前方の礼拝堂、後方の祠堂(しどう)とこれらをつなぐ相の間が巧に複合され、美しく変化に富んだ一堂を構成している。もたのちの、神社建築(権現造)の原型としても貴重な遺構である。
 国名勝庭園は観音堂の前庭として、寺の創建直後、夢窓国師によって造庭されたといわれる。観音堂横の梵音巌(ぼんおんがん)と名ずけられた岩山、これにかかる梵音の滝、無際橋をかけた臥龍池(がりゅういけ)などの地割り構成は巧であり、視野におさまる広さと大きさの調和も絶妙で、東海一の名園である。平成15年(2003)9月夜、本堂付近から出火して、殆どの建物を焼失したが、観音堂と開山堂も本堂から離れており類焼を免れた。

1.虎渓山風致地区に入る
クリックすると元のサイズで表示します

2.虎渓山西国観音霊場三十三ヶ寺マップ
クリックすると元のサイズで表示します

3.塔頭寺院の東雲峰「続芳院」
クリックすると元のサイズで表示します

4.同上 見事な禅庭の一部
クリックすると元のサイズで表示します

5.本堂玄関の見事な虎図衝立
クリックすると元のサイズで表示します

6.下記をクリックして、音声付動画でこのお庭を見て下さい。U−tubeの画面がでたら更にその右下をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/_XWjA9RGY3Q

7.同上 続芳院の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

8.永保寺の鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

9.勅使門
クリックすると元のサイズで表示します

10.国宝の観音堂
クリックすると元のサイズで表示します

名勝庭園や国宝の開山堂は次回掲載です。

綾部の文化財を応援して頂ける方は下記のFC2ブログランキングをクリック願います!
fc2トラックバック
ランキングバナー 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ