2012/7/8

綾部人の見た美濃の文化財・史址!31.織田信長天下布武第一歩の城・岐阜城1.!  文化財研修記

岐阜市街地の北東、長良川の南にそびえるのが岐阜市のシンボル金華山(標高328M)である。その山頂に立つ鉄筋3階建ての城が岐阜城である。現在ではロープウエーを利用して登るのが便利です。金華山は古くは稲葉山と呼ばれ建仁元年(1201)に二階堂行政によって稲葉城が築かれた。その後、室町時代には川手城を居城とした美濃の守護土岐氏の筆頭家臣斉藤氏が居城した。天文8年(1539)、山城山崎の油売りから身を起こした斉藤道三が入城する。道三は、天文10年(1541)には土岐依頼芸を追放し、美濃一国を手に入れた。しかし、弘治2年(1556)道三は子の義龍と争い討ち死。その義龍も5年後急死。道三の孫龍興が城主となるが、永禄10年(1567)織田信長によって滅ぼされ、信長が尾張小牧城から移り、古代中国・周王朝の発祥の地にちなんで岐阜と改称した。天正4年(1576),安土城を築いた信長はこの岐阜城を嫡男・信忠に譲った。天正10年(1582)の本能寺の変で信長・信忠が倒れた後、信長の3男信孝が入城。更に天正11年(1583)信孝は信長の跡目争いに破れ自刃。その後、岐阜城には池田之助・輝政・羽柴秀勝・織田秀信が城主となったが、慶長5年(1600)の関ヶ原で織田秀信は西軍に付き、東軍に攻められ開城。関ヶ原後、徳川家康は岐阜城を廃城とし、加納城(平城)を築かせ、このとき天守閣も加納城へ移築された。

1.新大手門前の織田信長公騎馬像、背後の金華山頂に岐阜城が見える!
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2.新大手門(岐阜公園入口)
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3.岐阜公園から見る金華山(標高328m)山頂の岐阜城
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4.岐阜公園内のオガタマの木(推定樹齢200年の古木)
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5.山内一豊と千代婚礼の地碑
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6.千代の鏡と一豊の出世案内版
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7.ロープウエー乗場
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8.岐阜公園中心地図
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9.ロープウエーに乗る!
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10.ロープウエーから見た三重塔
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11.ロープウエー山頂駅前
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12.岐阜城歴代城主一覧
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13.岐阜城へ登って行く
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14.中々急な登り道です
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15.二の丸門跡
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16.天主閣への途中にある岐阜市指定文化財の木造閻魔王坐像を祀る閻魔堂
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17.戦国時代の軍用井戸「金銘水」への道
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18.岐阜城(鉄筋、岐阜城資料館)を見る!
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19.岐阜城天主閣入口(岐阜城資料館)
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20.天主閣内1.
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21.同上 2.
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22.中央と左側は斉藤道三、右道三の子・義龍画像
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