2012/6/13

綾部人の見た美濃の文化財・史址!9.美濃国一ノ宮の神護寺「朝倉山真禅院」  文化財研修記

 不破郡垂井町にある美濃国一ノ宮「南宮大社」脇から西へ1キロメートル行くと、朱塗りの三重塔が見えてきます。地元では朝倉山と呼ばれる天台宗の真禅院(しんぜんいん)で一ノ宮の神護寺です。
 寺伝によると創建は天平11年(739)行基(ぎょうぎ)が開山で、自ら彫刻したとされる阿弥陀如来像が本尊となっている。創建時は象背(ぞうげ)山宮処寺(ぐうしょじ)と呼ばれていた。その後、延暦年間(782〜806)に勅命を受けた最澄により南宮大社と両部合体して、寺号を南宮寺と改めた。この寺は平将門の乱(天慶2年、939)や康平2年(1059)には阿部貞任(あべのさだとう)の追討を祈願するなど尊崇を集めていた。
 文亀元年(1501)火災で焼失したが、美濃国守土岐政房により再建された。関ヶ原の戦いの時、戦火で焼失したが、寛永19年(1642)江戸幕府三代将軍徳川家光の時に再建された。

1.朝倉山真禅院参道(朝倉山南神宮寺碑が建っている)
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2.寺院の案内板
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3.珍しい形の山門
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4.本堂途中のお堂「十王堂」と推定
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5.内部には10体の王像が祀られています。


6.国重文の鐘楼と梵鐘でその右裏の建物の中には北条政子が源頼朝の菩提を弔うため寄進したと言われる「鉄塔」がある。
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7.真禅院の駒札
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8.朱塗りの国重文の入母屋・妻入の建物は本尊を安置する「本地堂(ほんじどう)」
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9.同上 内部
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10.不動明王を祀る「護摩堂」
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11.同上 内部
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12.観音堂
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13.同上 内部
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14.国重文の三重塔(明治の神仏分離令で本地堂やこの塔も南宮大社より移築されたもの)
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15.国重文の鐘楼と保存のため「撞かずの鐘」
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16.北条政子が源頼朝の菩提を弔うため南宮神社に寄進した高さ1.8M、上径0.7M、下径1.0Mの鉄製の二重塔で応永五年(1398)の銘が入っているとの説明だが、
ウイキペヂアでは北条 政子(ほうじょう まさこ、保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))となっており遺言で寄進したのだろうか?
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