2012/6/12

綾部人の見た美濃の文化財・史址!8.美濃国一ノ宮・南宮大社!  文化財研修記

 関ヶ原町から国道365号線に従って約6KMを大垣市に向って進むと、南宮山(毛利秀元が2万5千の兵士をこの山置いた陣地)のすぐ下は、不破郡垂井町(たるいちょう)となり、美濃国一宮「南宮大社(なんぐうたいしゃ)」に至る。
 先ず車で巨大な朱塗りの大鳥居を潜り600メートル位いくと、周囲が杉の大木に囲まれた南宮大社となる。
 社伝によると祭神は「金山彦命(かねやまのみこと)」で垂井町府中に祀られていたが崇神天皇の時代に現在地に移され、仲山彦神社と称した。延喜式式内社で、国府から南に位置するところから「南宮大社」と呼ばれるようになった。また次に行く、古来より神宮寺であった真禅院とともに平安時代の「平将門の乱」における戦勝の勅願や「前九年の役(1051〜1062)」における安部貞任(あべのさだとう)の追討祈願などを行い、その存在は大きかった。一時衰退した時もあったが、源氏・北条氏・土岐氏らの有力武将の崇敬を受け美濃国一ノ宮として、又、金属の総本宮として栄えた。
 社殿は関ヶ原の合戦で焼失したが、高須藩主徳永寿昌と竹中半兵衛の従兄弟の竹中伊豆守重隆が再建に尽力を尽くし、慶長16年(1611)に仮社殿が完成し、更に江戸幕府3代将軍徳川家光の天下普請でで、寛永19年(1642)に現在の社殿が造営された。
 この造営には西美濃出身の乳母・春日局の願いもあったという。
 三間一戸の楼門(以下全て重要文化財)を潜ると高舞台、拝殿、幣殿、本殿、摂社樹下社本殿、摂社高山社本殿、摂社隼人社本殿、摂社南大神社本殿、摂社七王子神社本殿、2基の回廊、勅使殿、神輿社、神官廊、石輪橋、下向橋、石鳥居など国重要文化財が多数ある。
又、5月4・5日の御田植神事と蛇山神事(国民俗)や11月8日の金山祭(鞴ふいごまつり)も有名です。

1.美濃国一宮神社・南宮大社の朱塗りの大鳥居
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2.国幣大社南宮神社碑
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3.三間一戸の楼門
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4.境内図
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5.楼門を横から見る!
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6.楼門正面の飾り「兎毛通(うのけとうし)」
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7.楼門右側の阿形の随身
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8.楼門左側の吽形の随身
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9.楼門右後ろの阿形の狛犬
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10.楼門左後ろの吽形の狛犬
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11.高舞殿(こうぶでん)と拝殿
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12.高舞殿は十二支の丸彫がある!
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13.楼門と手水舎を内側より見る!
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14.見事な拝殿です!
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15.拝殿内部
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16.摂社 1.
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17.摂社 2.
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18.回廊と左後方は本殿!
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19.摂社 3.
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20.本殿を横から見る!
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