2012/6/3

綾部人の見た美濃の文化財・史址!5.関ヶ原合戦地・史蹟「決戦地跡」と「石田三成本陣跡」!  文化財研修記

関ヶ原古戦場は国史跡で岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原にある。慶長5年(1600)9月15日早朝から徳川家康率いる東軍兵力約7万4千人(遅参した徳川秀忠の軍約3万人は含まず。)と石田三成率いる西軍兵力約8万2千人とが戦ったところである。戦いは主に関ヶ原町一帯の比較的狭い山間の一帯で繰り広げられた。戦況は昼過ぎまで一進一退だったが、家康と密約のあった松尾山に陣を置く西軍の小早川秀秋(1万5千名)の内応により、対峙している大谷吉継の陣が先ず破られ松尾山の対峙している天満山の宇喜田秀家1万7千人、小西行長4千名や笹尾山の石田三成本陣約8千人(石田三成に過ぎたるもの二つあり、島左近に佐和山の城、佐和山城登山記録は最後にクリックして見て頂けます。)で大砲も3門所持していたが、勇将の島左近が銃撃で負傷し、東軍の福島正則6千人、藤堂高虎、京極高知、松平忠吉(井伊直政)、細川忠興5千人、黒田長政5,400人の猛攻を受け、午後3時頃東軍の大勝利となった。
今日は「関ヶ原町歴史民俗資料館」前に車を駐車して、徒歩で関ヶ原合戦決戦地跡へ向った。国史跡決戦地と石田三成陣地跡を見てみます。

1.関ヶ原町歴史民俗資料館正面
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2.同上 横の無料駐車場に車を止める
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3.此処から国道365号線に沿って徒歩30分で「国史跡決戦場跡」へ到着
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4.上記の駒札
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5.「国史蹟石田三成本陣跡」を遠望する。石田三成は大砲3門をもち、馬防柵を設け鉄壁の構えであったが、松平忠吉や義父の井伊直政軍、細川、黒田軍の猛攻に向って行き、銃撃で負傷で不明となった。背後の山は笹尾山。左下は馬防柵や竹矢来(たけやらい)などが見える。
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6.同上 石田三成本陣跡
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7.石田三成本陣跡を撮影中、一天にわかに掻き曇り雨が降り出した!
下記をクリックして、音声付動画で、決戦地周辺を見て下さい。U-tubeの画面が出たら、更にその右下の拡大画面をクリックして、大画面で見て下さい。
http://youtu.be/oRxE4xRQl9I

8.国道21号線の「関ヶ原町」看板
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次回は「国史跡徳川家康最後の陣地跡、松平忠吉・井伊直政陣地跡」、続いて「東首塚」と慰霊社などを見て頂けます。

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