2012/4/21

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!25.三方ヶ原古戦場犀ヶ崖と犀ヶ崖資料館!  文化財研修記

犀ヶ崖古戦場は、元亀3年(1572)12月22日、徳川家康と武田信玄が三方ヶ原で戦った。徳川家康はこの戦いに負け、浜松城に逃げ帰った。その夜、徳川方が犀ヶ崖付近夜営していた武田方を急襲し、地理に暗い武田方をこの崖に追い落とした。武田方はここで多くの人馬を失ったと伝えられている。当時の犀ヶ崖は、東西約2q、幅約50m、両崖は絶壁で、その深さは約40mに及んでいたと伝えられている。県指定史跡の現況は、長さ約116m、幅約29m〜34m、深さ約13mである。

犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。また、昭和5年(1930)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されてきました。
 浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1982)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。
 この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。
 また、犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷で、三方原古戦場として昭和14年(1939)に、静岡県の史跡に指定されました。(犀ヶ崖資料館資料より)

1.三方原古戦場犀ヶ崖(みかたがはらこぜんじょう、さいががけ)の碑
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2.同上 案内板
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3.大島蓼太の句碑「岩角に兜(かぶと)くだけて椿かな」与謝野蕪村等5銘は天明(1781〜1789)の五俳人と呼ばれています。
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4.夏目吉信顕彰碑(三方原合戦で留守居役を勤めていたが、味方原合戦の旗色が悪いので戦場に駆けつけ、家康の身代わりで討ち死にした。子孫に夏目漱石が輩出されている。
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5.史跡犀ヶ崖説明板
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6.同上 犀ヶ崖を覗き込むと深さ13メートルの深い崖が理解できる。
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7.本多忠真顕彰碑「徳川四天王の一人本多平八郎忠勝の叔父で三方ヶ原合戦時、敗走する徳川軍しんがりを勤め討ち死にした」
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8.昭和6年4月13日宗円堂内にて「三方原合戦360年祭」を施行。徳川16代将軍家達(いえさと)公ご夫妻がご招待され植えられた「記念樹家達公お手植えの楠」駒札
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9.同上 楠木
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10.犀ヶ崖資料館(三方原古戦場犀ヶ崖と遠州大念仏)
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11.三方原合戦及び遠州大念仏の様子がビデオで見れます。
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12.遠州大念仏の仏具
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13.同上 
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14.徳川代16代将軍家達公直筆の軸
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