2012/4/7

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!21.徳川二第将軍秀忠の生土神・五社神社と諏訪神社!  文化財研修記

五社神社と諏訪神社はもともと別の神社であったが、昭和35年(1960)に合祀され、現在は一つの宗教法人になっている。社伝によれば、五社神社は久野越中守が曳馬城〔ひきうまじょう〕(浜松城)内に奉斎したことに始まる。社号は五柱の祭神を祀ることによる。太玉命を祀っていた社に春日四神を合祀したものであろうという。
元亀元年(1570)徳川家康が曳馬城に入り、浜松城と改名した。天正7年(1579)後の二代将軍・徳川秀忠が城内で誕生し、産土神〔うぶすながみ〕として崇敬を受ける。翌8年(1580)常寒山の現社地に社殿を造営して遷座、社領15石を寄進された。慶長15年(1610)には徳川秀忠より100石を寄せられている。寛永11年(1634)徳川家光は上洛の折に参拝し、東照宮(徳川家康)を相殿に祀るとともに、朱印地200石を加えて300石とした。同18年(1641)家光により再建された社殿は豪壮華麗なもので旧国宝に指定されていたが、昭和20年(1945)戦災のために焼失した。
諏訪神社は古くより敷智郡〔ふちぐん〕上中島村に鎮座していた。延暦10年(791)坂上田村麻呂が東征の際に奉斎したものと伝えられる。弘治2年神託により浜松に遷座したという。徳川家康の崇敬を受け、天正7年(1579)社殿を造営された。元和元年(1615)徳川秀忠により杉山に遷される。寛永11年(1634)徳川家光上洛の際、五社神社と同様に東照宮(徳川家康)を勧請し、朱印地300を寄進される。さらに同18年(16411)家光により現社地に遷座、五社神社と並んで社殿が造営された。この社殿も旧国宝に指定されたが、昭和20年(1945)戦災により焼失してしまった。
五社神社は明治6年(1873)、諏訪神社は昭和17年(1942)に県社昇格。戦後、昭和35年(1960)両社を合祀。同47(1972)別表神社に加列。同57年(1982)に竣工した社殿は、本殿(三間社流造)も一つになっている。

1.五社神社・諏訪神社の駒札
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2.同上 朱塗りの鳥居
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3.江戸時代の漢学者・加茂真淵の「光海霊神(うなりのみたま)の碑)
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4.徳川三代将軍家光寄進の見事な手水舎
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5.同上
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6.見事な拝殿
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7.拝殿の扁額
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8.見事な本殿
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