2012/3/23

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!11.寝姿山から見る伊豆三景下田港と開国!  文化財研修記

南伊豆の海の玄関として古くから栄えた下田港は江戸時代には「出船、入船三千艘」云われるほど栄えた。嘉永7年(1854)3月24日に日本最初の開港場となった下田に急遽、下田奉行が復活して、それまで浦賀奉行であった伊沢美作守が任命され、さらに4月22日佐渡奉行であった都築駿河守が任命され二人奉行制となった。その仕事は、治安の維持とペリー提督との折衝であった。薪、水、食料、石炭等の欠乏品を供給するのも下田奉行の役目であった。伊沢美作守が着任する前は浦賀奉行支配組頭の黒川嘉平衛でが応対しており、バンダリア、サザムトン号の2隻が事前調査に入港していた時も、3月18日からペリー艦隊7隻が順次入港して来た時も、ペリー提督やその隊員が上陸した時も又、明治維新の精神的指導者・理論家であった吉田松陰は松下村塾で多くの英才、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎などの子弟を教育した。その吉田松陰は世界の情勢を知るため小船でこのペリー艦隊の旗艦ポーハタン号に乗り込み通訳ウイリアムズを介してペリー提督に必死に交渉を続けたが、断られた。又この下田港では文久3年(1863)坂本竜馬達を引き連れた勝海舟が悪天候を避け入港、当時、第15代土佐藩主山内容堂が同じく避難入港した機会に、勝海舟は土佐藩に働きかけ藩主山内容堂から坂本竜馬の脱藩の許しを得たのもこの下田港であった。

1.下田ロープウエー乗場
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2.ロープウエーと寝姿山(ねすがたやま)山頂駅は胸の部分に当たります。
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3.下田の街
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4.寝姿山散策マップ
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5.伊豆七島と下田港(伊豆三景の一つ)案内板
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6.寝姿山から見る伊豆七島と下田港
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7.黒船見張番所跡
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8.伊豆七島・下田港を下記をクリックして音声付き動画で見て下さい。U−tubeの画面がでたら、更に右下の拡大画面をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/esg44bztJx4

9.吉田松陰が乗船したぺりー艦隊7隻の位置図
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