2011/12/24

東近江の文化財・史址を見る!12.国特別史跡・安土城址と總見寺2.  文化財研修記

安土城は、滋賀県近江八幡市安土町下豊浦にあった標高199メートルにあった山城である。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域である。
天正5年(1576) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、近江守護六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始した。天正7年(157955月、完成した天守に信長が移り住む。同年頃に、落雷により本丸が焼失したと、ルイス・フロイスが著書『日本史』に記している。天正10年(1582) 5月15日には明智光秀が饗応役となった徳川家康の接待が行われている。同29日の京都本能寺に信長が光秀の謀反により横死した本能寺の変の際は蒲生賢秀が留守居役として在城していたが、信長の横死後、蒲生賢秀・氏郷父子は本拠地日野城に信長の妻子などを安土から移動させ退去。山崎の戦いの後、明智秀満率いる明智軍の退却後、天主とその周辺建物(主に本丸)を焼失した。
 本能寺の変以降もしばらく織田氏の居城として、信長の嫡孫秀信が清洲会議の後入城するなどと、主に二の丸を中心に機能していた。しかし、秀吉の養子豊臣秀次の八幡山城築城のため、天正13年(1585)をもって廃城されたと伝わっている。

1.天主台跡へ向かう!
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2.天主台説明板
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3.天主台跡から琵琶湖方面を遠望する!天主跡は背丈ほどの高さの石垣に囲まれ、東西、南北それぞれ約28メートルの台地。今は礎石が1.2メートルおきに整然とならぶだけであるが、天主は五層七階(地上6階地下1階)あり、イエスズ会のルイス・フロイス宣教師によればヨーロッパにもないほど壮大で高さ33メートルの木造高層建築は当時我国初おもので巨匠・狩野永徳達の豪壮な障壁画や表装であったと云う。
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4.天主台より二の丸の「信長公本廟」を見る!
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5.織田信雄四代供養等の案内板
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6.同上 織田信雄四代供養塔
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7.国重文の總見寺の三重塔(山の中腹に見える三重塔は三間三重の塔で屋根は本瓦葺き。室町時代の建物で棟柱に、享徳3年(14549建立、天文24年(1555)修理の墨書きがある。天正3〜4年に織田信長公が甲賀の長寿寺、甲賀市石部町)から移築したものとされている。慶長9年(1604)豊臣秀吉の嫡男・秀頼が一部修理している。
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湖南三山の一つ「長寿寺」は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/324.html

8.三重塔の下から更に下にある二王門(楼門)を見る!
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9.国重文の二王門(楼門)!棟木に「元亀2年(1571)7月甲賀武士・山中俊好建立」とある。屋根は入母屋造り、本瓦葺き。門内に安置されている金剛力士阿形・吽形も門同様国の重要文化財で頭部の内側に応仁元年(1467)因幡院朝作の造像銘が残っており、信長公が天正年間に移したものである。
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10.国重文の仁王阿形像
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11.国重文の仁王吽形像
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12.總見寺発行のパンフレット(安土城は日本100名城の第51番目の判がある。)
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