2011/11/7

備後・安芸の文化財と史址を見る!12.真言宗・大願寺と厳島神社宝物館!!  文化財研修記

安芸の宮島には多くのお寺と神社がありますが、今回の旅では全てを見学参拝することは出来ませんでしたが、見学参拝した社寺は全て紹介します。先ずは西廻廊の出口を出た処にある大願寺です。
 亀居山放光院大願寺(ききょざんほうこういんだいがんじ)は、真言宗で、開基は不明で、鎌倉時代の建仁年間(1201〜1203年)に僧了海(りょうかい)により再興されたと伝えられています。
 明治元年(1868)の神仏分離令までは、筥崎宮(はこざきぐう)や宇佐八幡宮など多くの社寺の修理造営を掌っており、また大願寺の僧は、全国を托鉢(たくはつ)できる許可を持っていて、その費用に当てていました。
 亀居山とは、千畳閣・五重塔がある塔の岡一帯の海に突き出たところで、空から観ると亀の姿に似ているところから名が付いたといわれています。
 大願寺は、東側の塔の岡から西側の多宝塔・経の尾付近までが境内地で厳島伽藍(がらん)と呼ばれ多くの堂塔がありました。
 現在の本堂は昔の僧坊で、大経堂である千畳閣が本堂になる予定でした。昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊で休憩、着替えをして嚴島神社に参拝しました。嚴島神社の出口が唐破風造りで、昔は入口であったことがうかがえます。
 また境内の池の中には、弁財天の使いとされる厳島龍神がお祀りしてあります。
大願寺の本尊厳島弁財天は、相模国(さがみのくに)鎌倉の江ノ島、近江国(おうみのくに)琵琶湖の竹生島とともに、日本三大弁財天の一つです。厳島弁財天大祭は毎年6月17日に行われます。年に一度この大祭のときに御開帳され、一般の人も拝観することができます。神仏分離令までは、嚴島神社の御本殿にお祀りしてありましたので、一般の人が拝観する機会は無かったと思われます.

 大願寺山門横の小松内府重盛お手植の松(枯れた松のみです。)
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1.大願寺山門
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2.大願寺山門横から見た大願寺、右手の大きなお堂が不動堂です。
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3.大願寺本堂(中に日本三大弁財天の一つ厳島弁財天が祀られています。)
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4.厳島大仏・不動堂案内板
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5.厳島大仏・巨大な白檀(ビャクダン)の不動明王様です。(インド産約20tの白檀(びゃくだん)で出来た高さ約4mの不動明王)
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6.池の中に祀られているのは弁財天の使いとされる「厳島龍神」、後は九本松
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7.伊藤博文公お手植の九本松
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8.厳島神社宝物館(国宝等主なものを掲載)
平家一門をはじめ、時の権力者たちが奉納した 貴重な美術工芸品の数々を収蔵しています。
■平家納経(へいけのうきょう)《国宝》平家納経は平清盛願文、無量義経(開経)・法華経28巻・観普賢経(結経)・阿弥陀経・般若心経の計33巻から成り、 平清盛をはじめ平家一門の人々が1巻ずつ結縁書写して、嚴島神社に奉納したものです。平安美術の粋を集めた華麗典雅なこの装飾経の制作は、日本美術史における平家一門の偉大な功績といっても過言ではありません。
平家納経
■還城楽舞楽面(げんじょうらくぶがくめん)《重要文化財》宮島の舞楽は平家一門により京都から伝えられ盛んになりました。現在重要文化財に指定されている九面(二舞、抜頭、陵王など)は、木彫りの面に彩色されたもの。都風の洗練された線をよく表し、華やかな歴史のひとコマを物語る貴重な研究資料とされています。
還城楽(舞楽面)
■小桜韋黄返威鎧(こざくらかわきかえしおどしよろい)《国宝・平安時代》 源平の争乱期に発達した大鎧は、豪壮な趣きをもっています。社伝では源為朝所用のものとされ、数少ない平安時代の遺品のひとつ。厳星を打った円鉢の力強い兜です。
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又、宝物館内には奉納された江戸時代初期の画家、狩野探幽の布袋、大黒、寿老人の珍しい三対の掛軸がありました。

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