2011/10/27

備後・安芸の文化財と史址を見る!その6.鞆の坂本竜馬と沈没船いろは丸・江戸時代の灯台の常夜燈等。  文化財研修記

古来から鞆の浦は瀬戸内海きっての港町で、潮待ち・風待ちの港として栄えた鞆は、海に関わる多くの歴史が展開されてきた。大伴旅人や遣新羅史らは、鞆を詠んだ歌を万葉集に8首も残している。「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)あれど見し人ぞなき」(大伴旅人)。中世の鞆は港としての重要性に加えて、政治・文化の中心として栄え、備後安国寺がこの地に定められ、足利尊氏・義昭も鞆に足を留めた。近世になると政治の中心は福山に移ったが、内海の要衝の地として役割は変わらず、全国の廻船が港に出入りし、商業活動が盛んにおこなわれた。町には商家が軒を連ね、町の文化が華さきました。幕末には坂本竜馬や三條実美らの七卿などが鞆に歴史の跡を残しました。また朝鮮通信史・頼山陽をはじめ多くの文人墨客がこの地を訪れ、鞆の風景を絶賛したのです。更に今日は徒歩で鞆の昔のままの町並みを歩き、史蹟を見て行きます。有名な「民芸お茶処・深津屋」でのカヘオーレ500円も大変美味しかったですよ!
 数十年ぶりの2回目の訪問はまたしても曇りと雨で「日本一景勝」とは感じられず残念でしたが町並み散策と見学は大変楽しかった。又三度目の訪問に期待をかけます。鞆の浦の紹介は今回で終わり、尾道の凄い寺を紹介していきます。


1.坂本竜馬ブームで若い女性の観光客が多いですね!
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2.民芸お茶処「深津屋」で美人の女性店主が一杯500円のカフェオーレはその場でコーヒー豆を挽き入れてくれました。大変美味でした!
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3.同上 店内
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4.国重要民俗文化財の太田家住宅・鞆七卿落遺跡の案内板
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5.同上 幕末勤皇攘夷の三條実美など七卿が京都を追われ此処に立ち寄った。 
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6.江戸時代の灯台の常夜燈がそのまま残り海中の基礎から宝珠まで11メートルもある「鞆の浦」のシンボルです。
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7.常夜燈の前の坂本竜馬いろは丸展示館
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8.実際に沈没したいろは丸を引き上げ展示しているいろは丸(本物は160トン、蒸気帆船、蒸気エンジン付、幅5.4メートル、全長54メートル、イギリスで建造、大洲藩が購入、海援隊が15日500両で借りた。)紀州藩船の明光丸(887トン)に慶應3年(1867)4月23日霧の深い深夜にいろは丸は追突され大破沈没。1990年2月いろは丸沈没箇所「水中遺跡」に指定、2000年2月いろは丸展示館は登録文化財に指定された。
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9.いろは丸の概要と引き上げ作業
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10.坂本竜馬の隠れ家が発見される!
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11.こんな姿で隠れていたと云う想像・坂本竜馬の蝋人形
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12.江戸時代に船を繋いだ「雁木(がんぎ)」が残っている
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13.福山市指定民俗文化財の鞆の浦の力石の案内板
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14.この港にある小さな神社の祭礼で力持ちを競ったという。神社の左横、燈籠の間に置かれている。
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15.3個の力石
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