2011/10/26

備後・安芸の文化財と史址を見る!その5.鞆の商家と鞆城跡・歴史民俗資料館。  文化財研修記

古来から鞆の浦は瀬戸内海きっての港町で、潮待ち・風待ちの港として栄えた鞆は、海に関わる多くの歴史が展開されてきた。大伴旅人や遣新羅史らは、鞆を詠んだ歌を万葉集に8首も残している。「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)あれど見し人ぞなき」(大伴旅人)。中世の鞆は港としての重要性に加えて、政治・文化の中心として栄え、備後安国寺がこの地に定められ、足利尊氏・義昭も鞆に足を留めた。近世になると政治の中心は福山に移ったが、内海の要衝の地として役割は変わらず、全国の廻船が港に出入りし、商業活動が盛んにおこなわれた。町には商家が軒を連ね、町の文化の華さきました。幕末には坂本竜馬や三條実美らの七卿などが鞆に歴史の跡を残しました。また朝鮮通信史・頼山陽をはじめ多くの文人墨客がこの地を訪れ、鞆の風景を絶賛したのです。福山市鞆の浦歴史民俗資料館ではこうした鞆を中心とした瀬戸内海の歴史・文化に関する資料が見聞できます。
 数十年ぶりの2回目の訪問はまたしても曇りと雨で「日本一景勝」とは感じられず残念でした。又三度目の訪問に期待をかけます。鞆の浦の紹介は次回で終わり、尾道の凄い寺を紹介していきます。

1.福禅寺の下にある大伴家人の万葉集の一つ「むろの木歌碑」天平2年(730)大宰府の役人を終えて鞆の浦によった時、亡き妻を偲んで詠んだ歌です。
クリックすると元のサイズで表示します

2.鞆の津の商家の案内板
クリックすると元のサイズで表示します

3.福山市の重要文化財「鞆の津の商家、江戸時代」
クリックすると元のサイズで表示します

4.鞆城跡に建つ福山市鞆の浦歴史民俗資料館
クリックすると元のサイズで表示します

5.鞆城の駒札と石垣
クリックすると元のサイズで表示します

6.鞆城石垣の刻印
クリックすると元のサイズで表示します

7.福山市鞆の浦歴史民俗資料館入口
クリックすると元のサイズで表示します

8.鞆城跡から見る鞆の浦湾、弁天島、皇后島、右手に淀姫神社が見える。この湾を横断する橋を架けるかどうかの論争が起こっているとの友人の話。
クリックすると元のサイズで表示します

9.前方の山の中腹に見えるのは医王寺とその太子堂です。今回は時間が無いので次回鞆に来たら取材します。
クリックすると元のサイズで表示します

10.資料館内から見る鞆の浦湾、左の半島の上には圓福寺・大可島城跡です。
クリックすると元のサイズで表示します

11.資料館内部
クリックすると元のサイズで表示します

12.資料館内にある茅の輪とお祭りに使われる模型の白馬
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して頂ける方は下記のFC2ブログランキングをクリック願います!
fc2トラックバック
ランキングバナー 




コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ