2011/6/20

奥琵琶湖(余呉湖)周辺の文化財を訪ねて!5(最終回)国史跡・小谷城跡と小谷「江のふるさと館」  文化財研修記

NHK大河ドラマ第50作〜姫たちの戦国〜「江(ごう)浅井三姉妹」の関連もあり、国史跡の小谷城址と「江のふるさと館」を訪れた。この小谷城跡は四つの見所がある1.戦国の山城、攻防を語るなら小谷城は全国を代表する。攻めにくく守りやすい城。2.必要以上に整備されていず、「小石ひとつも文化財」の精神が生きている山城。3.琵琶湖が一望でき,眼下に広がるパノラマは、戦国末期から近世に至る歴史の大絵巻を見ている気持ちになる。4.大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の浅井3姉妹誕生の地。ドラマの原点と云われる舞台が見られる。小谷城を築いた浅井氏は室町時代近江北部の守護京極氏の家臣であったが、浅井亮政(あさいすけまさ)のとき、京極氏の内紛に乗じて台頭して、湖北に覇を唱えようになった。この時期が大永4(1524)年頃といわれ、これを築城年次とする説が有力である。当初は尾根の主要部だけであったが、現在の遺構のように全山に及んだと推定できる。2代久政・3代長政と勢力を拡大し愛知川以北6郡を領有した。永禄4(1561)年長政は岐阜美影寺川の合戦で斉藤氏を破り、織田信長の妹・お市の方を娶り、更に京都二条城の修復に協力するまでになった。しかし、元亀元(1570)年盟友・朝倉義景が信長に攻められたとき、朝倉氏に味方して織田軍を江越国境に挟撃したことから信長との和は破れ、同年6月28日姉川の合戦で浅井・朝倉軍は織田・徳川軍に大敗した。この後、長政は朝倉氏のみならず、湖北一向一揆・比叡山衆徒・武田信玄・六角氏・三好氏らと結び抵抗したが、三年後の天正元(1573)年8月28日織田信長に攻められ落城した。長男万福丸は関ヶ原で磔にされたが、お市の方は3人の娘とともに信長のもとへ送られた。お市の方はのち柴田勝家に再婚し、秀吉に敗れた勝家とともに自刃した。長女・茶々は秀吉の側室となり秀頼を生み、次女・初子は小浜城主・京極高次の室となり、三女・達子(江ごう)は徳川秀忠御台所となり千姫(後、秀頼の室)・家光・忠長・和子(後水尾天皇中宮・明正天皇生母)らを生んだ。浅井氏は滅亡したが、その血脈はわが国近世史に大きな位置を占めた。

1.江のふるさと館バス駐車場。遠方に滋賀県最高峰の伊吹山(標高1377メートル)が見える。
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2.国史跡・小谷城址のある小谷山「最高峰は大嶽(おおずく)標高495メートル」
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3.小谷城に対して秀吉・柴田勝家らが城砦を築いた虎御前山(とらごせんやま、標高218メートル)
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4.小谷城址模型、手前・虎御前山の間に国道365線がある(旧北国街道脇往還)
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5.小谷山登り口(江のふるさと館横)
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6.小谷・江ふるさと館へ
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7.江のふるさと館入口
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8.浅井氏系図を説明する案内人
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9.浅井氏三代とお市の方
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10.野戦の本陣内の大将が座る場
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11.戦場における陣形
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12.槍(最長のものは三軒半約6.3メートルもあった。)
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13.小谷城から琵琶湖方面を見る。竹生島もよく見えた。
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14.小谷城址・本丸跡
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15.小谷山1.
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16.小谷山2.
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17.小谷城址を歩こう!マップ
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