2011/6/18

奥琵琶湖(余呉湖)周辺の文化財を訪ねて!3.余呉湖と栃木峠茶屋(昼食)  綾部の文化財

余呉湖は琵琶湖と同じ第3紀の陥没湖で、大岩山と賤ヶ岳が自然の境をなし、わずかに北東の一角に狭い平野が開けるだけである。面積1.97平方キロ、南北の長さ2.3キロ、東西1.2キロ、周囲の長さ6.45キロ、最大深度13.3メートル、平均深度7.4メートル、海抜高度132.8メートルであり、琵琶湖は86メートルであるから、その落差46.8メートル、しかも琵琶湖との距離はわずか1.1キロメートルという近さである。水は山から注ぐのではなく湖底からの湧き水といわれ、涸れることがない。湖水は余呉川と合流して下余呉から南流、湖北町尾上で琵琶湖へ注いでいる。湖魚は鯉、フナ、ウナギ、」ナマズなどの暖水性のものが多く、ほかにワカサギ、ハエもわずかながら生息している。フナは源五郎、楓フナなどと呼ばれ、身が赤いのは賤ヶ岳合戦の血の色だという人もいる。「帝王編年記」の723(養老7)年の条に余呉湖の白鳥伝説が記されている。余呉湖の南に伊香小江(いかのおえ)があり、天の8乙女が白鳥となって水浴した。これを見た伊香刀美(いかとみ、この余呉湖周辺は伊香郡であり、現在は長浜市に合併している。)は白い犬に末娘の天の羽衣を盗ませた。姉7人は飛び帰えったが、末の娘は伊香刀美と夫婦となり、男子2人・女子2人を生んだ。これが伊香連(いかのむらじ)の先祖である。後、母は羽衣を探しだして天に昇ったという。ほかにも北西岸川並の漁夫・桐畑太夫と天女の伝説、天女の子が菅原道真だという管公伝説なども生まれた。謡曲「羽衣」で知られている三保の松原の伝説よりも素朴である。湖畔北辺に「衣掛の柳」と伝える大木がある。三上勉の「湖の琴」の舞台でもある。

1.余呉湖ビジターセンターの案内板
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2.同上 その2.
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3.ビジターセンターか余呉湖を見る!
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4.余呉湖の案内碑
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5.峠茶屋・川並文右衛門の横から見る余呉湖
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6.栃木峠茶屋・川並文右衛門「とちのきとうげちゃや、北国街道は約300年前越前の北の庄の柴田勝家が京へ攻め上る最短距離として勝家の戦略構想の中、その手によって栃の木峠が開かれた。この栃の木峠茶屋は当時建てられ多くの大名・武士・旅人に利用された。以後、北国の北国脇往還と呼ばれ大名の参勤交代にも利用され、今庄、板取、中の郷、柳ヶ瀬に本陣・脇本陣・旅人商人宿が軒を並べ繁盛した。この栃の木茶屋を移築したものです。」屋根の急勾配は豪雪地帯の雪滑りを考慮したものです!
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7.茶屋の軒下の掛札1.
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8.同上 2.
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9.茶屋の若主人より栃木茶屋の説明を受ける!
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10.上記若主人の後ろが控え間
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11.1,575円の団体定食(酢味噌で食べる鯉こくが美味)
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