2018/11/15

京丹波を見る!旧福知山城の移築された城門を山門とする観滝寺!  文化財研修記

京都府福知山市口榎原3354には旧福知山城の城門の一つ薬医門が明治4年(1871)に移築され、山門となっている高野山真言宗の名刹・観滝寺(かんりゅうじ)がある。平成30年3月の福知山市教育委員会の駒札より抜粋。詳細は下記の駒札をクリックすると拡大して読めます。

1.観滝寺の標柱
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2.旧福知山城の城門を移築した「観滝寺山門(福知山市重要資料)」
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3.福知山市教育委員会設置の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
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4.山門をアップで見ます!
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5.薬慰門(脇戸付、冠木(かぶき)は台輪に近く、冠木と水平方向に据える男梁(おばり)は確認出来ますが、女梁(めばり)は省略されています。脇の柱には塀が付属していた痕跡があります。)
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6.山門から本堂を見る!
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7.見事な本堂です!
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8.見事な石塔です!
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9.同上
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2018/11/10

京丹波を見る!福知山市指定の名木・2本の大杉とムクノキを持つ大歳神社!  文化財研修記

京都府福知山市榎原205−4には福知山市指定名木の大杉2本とムクノキの巨木のある大歳神社(おおとしじんじゃ)がある。創建は不明だが丹波地方に良くある大歳之神(おおとしのかみ)を祀っている。本殿の見事な彫刻から柏原の名彫刻師の中井権次一統の彫刻を思い出させるがシンボルの龍の彫刻が無かった。残念!

1.大歳神社の大鳥居
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2.鳥居の右側には福知山の名木のムクノキがある。
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3.幹周4.9メートル、高さ32メートルもある。
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4.拝殿と右側の大杉は幹周5.8メートル樹高は60メートル、左の大杉は幹周4.83メートル樹高は42メートルもある。両木とも推定樹齢は600年です。
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5.吽形の狛犬
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6.巨大な石灯籠と大杉
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7.拝殿をアップで見る!
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8.拝殿後部から本殿を見る!
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9.本殿の見事な彫刻
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10.本殿の象鼻の見事な彫刻
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11.本殿前から参道・鳥居を見る!
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2018/11/6

京丹波を見る!平成の修理を終えて京都府北部唯一の国宝・光明寺の二王門が見事な姿を現した!  綾部の文化財

光明寺二王門(国宝)
 寺伝では白鳳八年(680)の建立としている二王門は昭和25年からの修理によって鎌倉時代の建築であることが確認されました。修理は永年風雪に堪えて来たため大破寸前の状況で解体修理が行われました。その結果、上層背面中央の左柱に「宝治二年戊申」の墨書銘と一重天井板に転用されている棟札を発見し、仁治三年(1242)着工し、建長五年(1253)竣工した様子で、宝治二年(1248)を建立年としています。修理に伴い発見されたものに順礼札があります。これは木札で、納め札とも言いますが、現在では紙札で霊場参拝の印とするものです。この他に中世の「のみ」や仁王像彩色の記録板などがありました。又、門の修理年代を知ることができ、永正十三年(1516)、享保十四年(1729)、安政六年(1859)の三回であることがわかりました。  昭和27年10月竣工をとげた二王門は、三間一戸(柱間三、戸口一)二重門、入母屋造、栩葺(とちぶき)で、昭和29年国宝に指定されました。今回の修理において京都府教育委員会の見解は「建築としての二王門」@「二重」の門は珍しい。二重であることは、建物の格の高さを表す。現在、本山などの大きな門にみられる。光明寺よりも府歩い遺構は、法隆寺中門(飛鳥時代)のみである。A二王像を奥に安置し、前に床が張られている。Bとち葺き屋根=厚板を重ねて葺く屋根・葺き材はクリ材・厚さ2.4cm、長さ75cm。・24cmずつずらしながら葺き重ねている。C建物本体に使われている木材・スギ・非常に上質な材を,木目に沿って割って製材。・建物当初の材がよく残っていある。と、ポイント@からCで表現されています。

1.平成30年11月6日(火)午後1時20分撮影の修復されたニ王門
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2.正面から見た二王門
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3.駒札
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4.阿形の二王像
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5.吽形の二王像
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6.11月6日(水)内覧会で挨拶される光明寺住職の楳林誠雄師
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7.同上  修復工事の経過を説明される京都府教育委員会文化財保護課の担当者
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8.光明寺と京都府北部唯一の国宝・二王門いついてより詳しくは下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1685.html

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2018/11/5

京丹波を見る!建御雷之神を祀る古社・鹿島神社!  文化財研修記

京都府福知山市和久寺507には建御雷之神(たけいかずちのかみ)を祀る古社の鹿島神社(かしまじんじゃ)がある。創建年は不詳であるがこの地は和久寺遺跡の在るところであり、日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神であり、経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功。また、神武東征においても、天皇の危難を救った鹿島神宮の祭神でもあります。


1.10月14日(日)幟の掲げられた鹿島神社
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2.鳥居と境内
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3.和久寺遺跡の駒札
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4.拝殿を見る!
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5.膝に子狛犬を抱く珍しい阿形の狛犬
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6.吽形の狛犬
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7.拝殿をアップで見る!
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8.本殿は拝殿の覆屋の中にある!
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9.本殿の内陣の脇の見事な彫刻
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2018/11/1

京丹波を見る!後醍醐天皇の信任の厚かった藤原行房の扁額のある庵我神社!  文化財研修記

京都府福知山市庵我地区中には後醍醐天皇の信任の厚かった藤原行房の扁額(京都府指定文化財)を持つ庵我神社(あんがじんじゃ)。この社の創建は不明ですが宝亀4年(773)に社殿に泥棒が入ったという記録があるので相当以前にさかのぼるものと思われます。府の指定文化財である木造扁額は、後醍醐天皇の親任があつく歌仁でもあった朝廷の要人藤原行房が表に「正二位聖大明神」と書いたもので、それを三角彫りにした鎌倉時代の格式の高い文化財であります。この種の文化財は極めて稀でこの社と中央とを結びつける重要な文化財であります。
福知山市教育委員会社頭掲示板
庵我神社木造扁額 京都府指定工芸品(福知山市字中)
庵我神社は、旧丹波国天田郡庵我郷に所在する延喜式内社で、古くは「続日本紀』宝亀4年(773年)9月条に庵我社として現れます。中世には庵我郷から庵我荘が成立し、京都三条の青蓮院の支配を受けた鎌倉時代には、荘園鎮守の性格を有していました。木造扁額は、檜材の一枚からなリ、現状では右側3分の1のところで割れたものをつないでいます。裏面は長年の風雨によって檜の素地になっていますが、胡粉を塗った白の下地に彩色を施した痕跡が認められます。長方形の一重枠で囲まれた内区の中央には「正二位聖大明神」と彫られています。「聖明神」とは四祭神のうちに神功皇后を祀っているためといいます。裏面は黒塗りとして「元享3年(1323)」の銘と筆者の「藤原朝臣行房」の名が墨書されています。
筆者の藤原行房は、和様書道の一派である世尊寺流の嫡流であり当時一流の能書家として知られ、後醍醐天皇の側近として蔵人頭・左近衛中将を歴任し、天皇が隠岐に流された際も行動を共にした人物です。
この扁額は保存状態の良好な鎌倉時代の扁額の古例であるばかりでなく、能書家行房の数少ない真筆として、また、世尊寺流の書体の典型としてとても貴重なものです。

1.庵我神社の全景
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2.鳥居
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3.巨大なご神木の楠(福知山市指定)
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4.駒札
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5.拝殿を見る!
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6.阿形の狛犬
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7.吽形の狛犬
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8.見事な拝殿
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9.現在の扁額
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10.拝殿と本殿を見る!
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11.本殿んをアップで横から見る!
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12.本殿右手にある摂社の八幡神社・高良厄神社
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13.京都府指定文化財の藤原行房の扁額!
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14.同上 裏面と藤原行房の墨書

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2018/10/31

京丹波を見る!福知山市の名刹で萩の寺として知られる養泉寺!  文化財研修記

京都府福知山市中375には萩の寺として有名な名刹・養泉寺(ようせんじ)がある。養泉寺は福知山市の北東部、鬼ヶ城山麓にあり、暦応2年(1339)に弧峯覚明(特賜三光国師)の四筵開場の最初道場で、臨済宗南禅寺派の寺院である。絹本着色光明本尊像の福知山市指定文化財もあり、初秋には庭園一面に植えられた萩の花が非常に美しく、「萩の寺」として広く知られている。また、養泉寺には観音堂があるが、この観音堂は中村の山中に大仙寺(真言宗)という七堂伽藍を有する寺であったが、室町時代に廃寺となりこの観音堂のみが残り、元禄4年(1691)に領主の下地により養泉寺に移建されたものである。現在の御堂は嘉永元年(1847)に修築されたもので、本尊は唐草模様透彫の後背の十一面観世音菩薩(木造)である。堂内の格天井は、福知山城舞殿にあったものと伝えられ、81枚の板には百花百鳥が色鮮やかに描かれている。

1.養泉寺の標柱
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2.養泉寺全景
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3.六地蔵様
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4.山門前の標柱
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5.駒札
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6.見事な山門を見上げる!
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7.山門をアップで見る!
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8.山門横の駒札
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9.見事な本堂と萩
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10.本堂右横の鐘楼と観音堂が見える!
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11.本堂横の見事な禅庭
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12.観音堂
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13.観音堂の見事な彫刻(柏原の名彫刻師の中井権次一党の龍の彫刻と思われます!)
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14.同上
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15.見事な裏庭
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2018/10/26

京丹波を見る!足利尊氏公が後醍醐天皇の菩提を弔うため創建した醍醐寺!  文化財研修記

京都府福知山市猪崎1には足利尊氏公が南北朝時代(1340頃)に後醍醐天皇の菩提を弔うため創建した臨済宗南禅寺派の醍醐寺があります。開山は三光国師(覚明月海)で、一説によると足利尊氏公が京での戦いに敗れて三光国師を伴って丹波路を落ち延びる途中、当地にあった地蔵堂に立ち寄り、寺地とすることに決め、のち弟の直義を普請奉行として堂宇を造営したという。又、この醍醐寺には多くの文化財があり、福知山市指定の文化財としては三光国師像図があり、寺伝では室町時代中期の土佐光信の筆と伝えられています。他の二点は木造約し如来坐像で桃山時代の仏師である康正が元亀2年(1571)に作ったものと、第6代将軍・足利義教公が祈願寺と定めた時、自書の「醍醐寺額下書き」です。いずれの文化財も、この醍醐寺が室町幕府と密接な関係を持ち栄えたことを物語る貴重な資料です。福知山市教育委員会の駒札より。

1.醍醐寺の標柱
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2.駐車場から見る醍醐寺
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3.六地蔵様
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4.山門を見上げる!
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5.福知山市教育委員会の駒札
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6.見事な山門
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7.鐘楼門を見る!
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8.山門をアップで見る!
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9.鐘楼門と山門を見る!
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10.見事な本堂です!
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11.丹波半僧坊大権現の駒札
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12.丹波半僧坊大権現を祀る!鳥居!
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13.同上
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14.アップで見る!
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15.見事な裏庭の庭園
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16.見事に福知山市街が見える!
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2018/10/21

京丹波を見る!綾部西国観音霊場第31番札所で吉田元陳の描いた襖絵34面を持つ上林禅寺!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」八津合町(8つの村が合併し、やつあいちょうとなった。)村中には臨済宗南禅寺派の永龍山・上林禅寺(じょうりんぜんじ)がある。綾部西国観音霊場第31番札所であり、山門脇の枝垂れ桜も見事ですが、江戸後期の京都の画家・吉田元陳の描いた本堂の襖絵34面(綾部市指定文化財、合寺前の永勝寺に描いたもの。)が有名です。綾部西国観音霊場31番札所としても知られていますが、地名を寺名としたこの上林禅寺(上林地区の上林)は稀です。永仁元年(1293)の開創以来この地にあった大龍寺と、慶長6年(1601)に混流された永勝寺とが、昭和42年に合寺したのがこの上林禅寺の起こりです。永龍山という今の山号もそれぞれの寺名から一字づつとられたものです。永勝寺は、信長、秀吉に仕え、晩年6千石で上林庄に封じられた藤掛永勝(ふじかけながかつ)の菩提のため建立されたものでした。今のご本尊の聖観世音菩薩像は元、この永勝寺に祀られていたものです。

1.山門の見事な桜
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2.満開の桜
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3.弁財天像
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4.ご本尊の聖観世音菩薩像
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5.江戸時代後期に京都の画家・吉田元陳の描いた襖絵34点(綾部市指定文化財)の一つ。
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6.同上
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7.同上
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8.同上
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9.下記をクリックして「動画」で襖絵を見て下さい!
https://youtu.be/mPjKLcXy1ZU

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2018/10/16

京丹波を見る!臨済宗南禅寺派の一等寺院の梅林山・玉泉寺の文化財!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡いかるがぐん)」武吉町(たけよしちょう)50に臨済宗南禅寺派の1等寺院(1〜3等にわかれている。)の「玉泉寺(ぎょくせんじ)がある、この寺のご本尊は釈迦・文殊・普賢菩薩の三尊像を祀る。梅林山と号し、慶長6年(1601)能登山獄峰禅師の開創といわれています。この三尊もさることながら、如来堂があり、中には昭和63年4月1日に綾部市指定文化財となった素晴らしい「木造大日如来像」像高90.8センチメートルで、この像は元は武吉町の深山にあった薬師寺に祀られていたが、天正の頃、明智光秀が丹波攻めの時、福知山城を築く時寺の建物を壊し運んだため、村人が諸仏を移し庵に祀ったと「丹波誌」に記された像であり、それから今日まで「大日講」より守られてきた。寄木造りで上半身は平安時代末期の様相をもったつくりで、膝が扁平であり、襞の彫の形式化などがみられ、鎌倉後期のものと言われる。又、昭和50年9月11日綾部市指定文化財となり保存の関係上、京都国立博物館に寄宅してある、「紙本淡彩墨画白衣観音図」を綾部市資料館から提供して頂いたので掲載します。白衣観音は「菩薩の心は白処に住す」と云われるように15世紀頃から頭から布をかむりきわめて実人物的に描かれており、観音の中でも、最も女性的な優しさが表現されています。この図は京都の臨済宗東福寺派本山東福寺に住した、画僧明兆の弟子・霊彩の描いたもので、室町時代中頃のものである。粘りのある線で描かれ、人物が画面に対して小さく、周囲に景色がはいり山水画に近い趣がある。


1.玉泉寺の山門と本堂
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2.見事な境内です!
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3.本堂に掲げられた本山・南禅寺の長老の揮毫です!
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4.本堂に祀られたご本尊・釈迦三尊像です。
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5.境内にある大日如来堂の綾部市指定文化財の木造大日如来坐像(鎌倉時代、像高90.8p、昭和63年4月1日指定)
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6.紙本淡彩墨画白衣観音図(室町時代、縦93.1pX横37.7p、昭和50年9月11日綾部市指定文化財、京都国立博物館寄詫中)
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7.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
http://ayabun.net/bunkazai/annai/gyokusen/gyokusem.htm

http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1699.html
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2018/10/11

京丹波を見る!見事な府指定文化財の本殿や名彫刻師・中井権次一統の彫刻のある八津合八幡宮!  綾部の文化財

綾部市(何鹿郡いかるがぐん)八合町西屋64には、京都府指定文化財の「八津合八幡宮」がある。本殿は、文化12年(1815)江戸時代時の城主・藤掛(ふじかけ)永恵が再建した。一間社としは規模が大きく、特に丹波・丹後に多くの建築彫刻を残す、第5代中井丈五郎橘正忠と第6代目中井権次橘正忠貞(この6代目から権次を名乗り、現在その子孫は宮津氏在住です。)作の龍の彫刻ある。本家は徳川家康公召し抱えの京都大工頭の中井正清氏で江戸城、駿府城、名古屋城、二条城、仏閣では日光東照宮、久能山東照宮、知恩院、増上寺などを手掛け、そのお墓は京都市の長香寺に大名をもうわまる巨大なお墓がある。その一族が柏原八幡宮の再建を切っ掛けに柏原に在住したと云う。その「丹波の名彫刻師」として江戸時代の中頃から昭和初期にかけて、丹波、但馬、丹後、播磨などの寺社仏閣に龍や霊獣の等の数々の彫り物の作品を残した。

1.京都府決定文化財平成3年4月19日「八幡宮文化財環境保全地区」
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2.見事な京都府指定文化財の両部鳥居
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3.綾部の文化財を守る会作成の駒札
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4.大鳥居から拝殿方面を見る!
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5.手水舎
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6.二の両部鳥居
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7.拝殿を見る!
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8.二の鳥居前の阿形の狛犬
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9.吽形の狛犬
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10.巨大な石灯籠
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11.拝殿内陣
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12.拝殿後部と本殿を右側から見る!
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13.見事な本殿虹梁の中井一統の彫刻
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14.木鼻の霊獣です!
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15.同上
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16.拝殿後部と本殿
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17.秋祭りの記事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2379.html


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