2019/11/15

丹後を見る!細川ガラシャ所縁の曹洞宗・盛林寺!  文化財研修記

京都府宮津市喜多696には曹洞宗で上宮津城主、小倉播磨守の菩提寺として天正5年(1577)宮津大久保谷に創建された盛林寺(せいりんじ)がある。開山は趙室宋栢(ちょうしつそうはく)和尚、それをたすけた小倉氏は、丹後守護一色家の重臣で、小倉氏は、天正六年十月、細川氏に敗れて滅んだ。細川氏は天正八年八月、丹後の大名として入国、宮津城をつくり、盛林寺はその庇護をうけ、盛林寺が大久保谷から上宮津に移ったのは慶長八年(1603)で、場所は現在地の南に隣接する「寺谷」で、盛林寺が大久保谷から上宮津に移ったのは、慶長八年(1603)で、場所は南に接する「寺町」です。当時細川氏は九州中津(大分県)に移った後であり、更に現在地に移ったのは、貞享二年(1685)であった。盛林寺は現在越前瑞洞院(福井県武生市)を本寺と称しているのは、開山趙室和尚が瑞洞院四世であったからである。和尚は慶長元年(1596)十二月示寂にこの地に来て、細川氏を迎えたと思われる。以来、細川氏と親しく盛林寺には今に幽斎の子の像を伝えている。平成八年十一月に開山四百年忌が行われました。三界唯一心塔婆があり、長い間、寺谷に伏せったままになっていたが、開山趙室和尚の建立されたものだと判り、移設された。開山趙室和尚の許に学問を求めてきた十三人の諸法師の名が刻まれている。光秀首塚もあり、このあたりの古塔婆群には、盛林寺が移設される以前のものも多く、首塚は大久保谷から移されたのかも知れない。光秀の子玉は、細川忠興の妻でガラシャ夫人として知られており、光秀が山崎合戦に破れて殺されたのち、ここ宮津の地に届けられて、この寺の供養をうけたという。

1.盛林寺
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な標柱
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な山門
クリックすると元のサイズで表示します

4.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

5.山門から本堂を望む!
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な本堂です!
クリックすると元のサイズで表示します

7.三界唯一心塔婆の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

8.三界唯一心塔婆
クリックすると元のサイズで表示します

9.見事な本堂内です!
クリックすると元のサイズで表示します

10.同上
クリックすると元のサイズで表示します

11.同上
クリックすると元のサイズで表示します

12.明智光秀公首塚へ
クリックすると元のサイズで表示します

13.光秀公首塚
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/11/13

京丹波を見る!綾部大本本部の見事な梅松苑の紅葉が始まる!  綾部の文化財

京都府綾部市本宮町1−1には綾部大本本部があり、その梅松苑の見事な紅葉が始まりました。11月13日に見た紅葉です。大本のみろく殿は国登録文化財でもあり、その横の金竜池の紅葉は見事です。夜にはライトアップされ其れは誠に神々しくも見えるでしょう。

1.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
クリックすると元のサイズで表示します


2.みろく殿の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.横から見たみろく殿と紅葉
クリックすると元のサイズで表示します

4.金竜池の紅葉
クリックすると元のサイズで表示します

5.同上
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上
クリックすると元のサイズで表示します

7.同上
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上
クリックすると元のサイズで表示します

10.同上
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/11/10

京丹波を見る!福知山市の古刹・長安寺を見る!  文化財研修記

京都府福知山市奥野部577には聖徳太子の御実弟・麻呂子親王が大江山の鬼退治のおり、祈願して薬師如来像を刻みこみ此の地に奉祀したのが始まりという医王山・長安寺(ちょうあんじ)がある。現在は臨済宗南禅寺派別格地で丹波古刹霊場13番札所、西国薬師霊場第26番札所です。その後、再三の火災に架かり消失したが、福知山二代城主、杉原家次公(豊太閤の正妻寧子の方の伯父)によって再建され、飛鳥時代の名作麻呂子親王御自作薬師如来像を安置しています。この長安寺は丹波の紅葉寺として有名ですが、11月7日の撮影では紅葉はもう一つでした。

1.長安寺公園の11月7日の紅葉
クリックすると元のサイズで表示します

2.長安寺の西国33観音霊場巡り
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上の一つ
クリックすると元のサイズで表示します

4.福知山十景の一つ観音寺
クリックすると元のサイズで表示します

5.観音寺境内全景
クリックすると元のサイズで表示します

6.石段参道
クリックすると元のサイズで表示します

7.福知山指定古木の大イチョウ
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

9.見事な山門と鐘楼を見上げる!
クリックすると元のサイズで表示します

10.登り石段参道の左側の不動滝
クリックすると元のサイズで表示します

11.山門から大方丈を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

12.薬師三尊四十九燈の庭の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

13.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

14.見事な観音堂と仏師方眼 高村晴雲作の聖観世音菩薩が見える!
クリックすると元のサイズで表示します

15.手水舎と紅葉と大方丈を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

16.大方丈(本堂で天明4年(1784)再建)本尊本尊釈迦如来と脇侍仏の文殊・普賢両菩薩を安置)。城主杉原家次の念持仏地蔵菩薩(室町時代)を安置している。
クリックすると元のサイズで表示します

17.大方丈(本堂)の見事な須弥壇
クリックすると元のサイズで表示します

18.大方丈の内部の一部
クリックすると元のサイズで表示します

19.同上
クリックすると元のサイズで表示します

20.薬師三尊四十九燈の庭の一部
クリックすると元のサイズで表示します

21.方丈横の弁財天堂と中腹にある開山堂方面を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

22.薬師堂内の前立薬師如来像(下記の駒札参照)
クリックすると元のサイズで表示します

23.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

26.もうすぐ見事な紅葉になります!
クリックすると元のサイズで表示します

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/11/5

丹後を見る!宮津藩第二代目藩主京極高広が母の追善のため建立した見事な智源寺!  綾部の文化財

京都府宮津市京街道769には宮津初代藩主・京極高知の妻が慶長17年(1612)に亡くなったあと、息子の京極高広が寛永2年(1625)5月、母の追善供養のために当寺を開創。山号(松渓山)と寺号(智源寺)はその戒名「惣持院殿松渓智源大禅定尼」に由来している。寛文元年(1661)大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、中本山として丹後曹洞宗の諸寺を統率した。本堂は文化元年(1804)3月に再建された。本尊は聖観世音菩薩。黄金の立像は飛鳥期末、元興寺の道昭の作。安永元年(1772)4月、宮津吉原の畑より出土した後、40年間宮津城中に祭祀されていたが、文化8年(18111)2月、藩主・松平宗発より賜り、秘仏とされている。本堂の格天井に描かれている花草図は、江戸時代後期円山四條派・土佐派、20人の傑作で、京都府の文化財に指定されている。本堂再建時に作成された障壁画の一部が客殿に再現されている。

1.見事な山門
クリックすると元のサイズで表示します

2.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.黒門(中門)前の見事な禅宗庭園です。
クリックすると元のサイズで表示します

4.黒門
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な山門(赤門)
クリックすると元のサイズで表示します

6.阿形の仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

7.吽形の仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

8.鐘楼(文化元年再建のもので,梵鐘は寛永24年4月京極高広の寄進。第二次大戦中供出されたが、戦後名鐘の故を以て返還された。鋳物師は丹後宮津住木崎善右衛門)
クリックすると元のサイズで表示します

9.本堂
クリックすると元のサイズで表示します

10.専門僧堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

11.本堂をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します

12.同上
クリックすると元のサイズで表示します

13.見事な本堂の須弥壇
クリックすると元のサイズで表示します

14.惣持院殿松渓智源大禅定尼のお墓(本堂裏山墓地の最上段にあり、高さ3メートルもある大五輪塔です.登り道が急斜面でギブアップでした。

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 


2019/11/1

丹後を見る!宮津藩主京極高広の妻・寿光院が父池田輝政追善のため建立した国清寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷486には宮津2代目藩主京極高広の妻・寿光院が父・池田輝政の追善のため建立した臨済宗妙心寺派の国清寺(こくしょうじ)がある。国清寺の創建は寛永2年(1625)、京極高広の正室寿光院が父親である池田輝政(備州岡山藩主・法名:国清院殿泰叟玄高大居士)の冥福を祈る為、別源禅師(文珠智恩寺の僧)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。以来、歴代藩主から庇護され仏涅槃図や龍虎図、文殊菩薩図、白衣観音図、マリア燈籠などの寺宝を所有しています。境内には江戸時代前期に建立された本堂をはじめ庫裏や経蔵、鐘楼、観音堂・地蔵堂、鎮守堂、六地蔵堂などがあり古寺の雰囲気が残されている。

1.国清寺の案内板
クリックすると元のサイズで表示します

2.国清寺への登り参道
クリックすると元のサイズで表示します

3.山門
クリックすると元のサイズで表示します

4.山門から見事な本堂を望む!
クリックすると元のサイズで表示します

5.本堂に向かって左側の経蔵
クリックすると元のサイズで表示します

6.本堂に二向かって右側の六地蔵堂
クリックすると元のサイズで表示します

7.中央に鐘楼・庫裡・観音堂・本堂などを見る!
クリックすると元のサイズで表示します

8.鐘楼をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/30

丹後を」見る!宮津2代目藩主京極高広の娘の香華所の経王寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷886には宮津2代目藩主京極高広の娘の了智院の香華所である日蓮宗の経王寺(きょうおうじ)がある。経王寺は日蓮宗の寺院で慶長7年(1602)に宮津藩主、京極高広の帰依を受け、日依上人により開かれました。御本尊は大曼荼羅です。現在の本堂は弘化2年(1845)に再建されたもの。本堂の中央間の天井に幕末の郷土画家、和田屏山による龍雲図が描かれています。また内陣の天井には見事な天女の飛天図があります。作者は不明です。

1.経王寺の見事な鐘楼と標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な山門です!
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な鐘楼、山門を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な鬼子母神堂です。7月の鬼子母神大祭には多くの参拝者があります。
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な本堂です!
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な本堂をアップで見ます!
クリックすると元のサイズで表示します

7.本堂内の見事な欄間と和田屏山の龍雲図です!
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上
クリックすると元のサイズで表示します

9.作者不明ですが、見事な飛天図です!
クリックすると元のサイズで表示します

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/25

丹後を見る!宮津2代藩主京極高広が妻のため建立した日蓮宗の本妙寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷885には京極高広が妻のため創建した日蓮宗長久山・本妙寺がある。本妙寺は、宮津2代藩主・京極高広の正室・寿光院(岡山藩主池田輝政の娘)が開創している。本妙寺(ほんみょうじ)は寛永2年(1625)徳川秀忠の菩提を弔うために寿光院が本妙寺を開創する。開山は日賢上人、開基は寿光で院でご本尊は十界曼荼羅です。

1.本妙寺標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.山門と標柱
クリックすると元のサイズで表示します

3.今月の聖語
クリックすると元のサイズで表示します

4.宗祖日蓮の像
クリックすると元のサイズで表示します

5.本堂を望む!
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な庭園の一部
クリックすると元のサイズで表示します

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/20

丹後を見る!6代目中井権次橘正貞の彫刻のある櫻山天満宮!  文化財研修記

京都府宮津市万町474には柏原の名彫刻師・6代目中井権次橘正貞の見事な彫刻のある櫻山天満宮がある。御祭神は菅原道真公で、境内社には稲荷神社、櫻山大黒天です。 由緒:古くより天神社・天満宮とも称する、旧村社。もとは社殿うしろの桜山にあったというが、その勧請年代は不詳。寛永年間(1624〜1644)に宮津藩主京極高広が現地に再建したと伝えられる。ここに祀られる菅公神像は、もと豊臣秀吉が身辺に守護神としてもっていたものを、側室松の丸(高広の父高知の妹)に与え、さらに高広に贈られたものと伝えられている。京極高広は境内地の一角に、田辺の円隆寺成就院より宥栄法印を招き成就院密厳寺を建てて天満宮の支配に任じた。境内宝物庫には、天満宮・成就院関係の宝物や、近世万町絵図、祭礼屋台などが収蔵されている。この宝物庫は、地元万町の氏子の人達が昭和34年に文化財委員会を設け昭和47年に建てた貴重な物です。又、この神社の境内に宮津藩最後の藩主本庄宗秀・宗武親子のお墓もあります。

1.櫻山天満宮の鳥居と参道
クリックすると元のサイズで表示します

2.同上 駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

4.拝殿内陣
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な本殿を見ます!
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な本殿の代6代目中井権次橘正貞の彫刻です!
クリックすると元のサイズで表示します

7.本殿横の稲荷神社と宝物庫
クリックすると元のサイズで表示します

8.櫻山大黒天
クリックすると元のサイズで表示します

9.宮津藩最後の藩主であった本庄宗秀・宗武親子の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

10.本庄宗秀・宗武のお墓
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 


2019/10/15

丹後を見る!6代目中井権次橘正貞の彫刻のある仏性寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷879には浄土真宗で御本尊阿弥陀如来を祀る仏性寺(ぶっしょうじ)がある。仏性寺の開基は天正18年(1590)本願寺顕如上人より寺号を授与された。開基は小浜の天ヶ城・城主内藤伊賀の守楠重吾の五男明誓である。明誓は、細川幽斎の田邊城篭城に京都より夜をこめて立ち帰り徒党を催して共に篭城をした功労によって幽斎の妹を妻とし田邊に瑞光寺を宮津に仏性寺を建立してもらい、仏性寺住職として、開基する。

1.見事な山門です。嘉永年間(1848〜1854)に建立されたものです。
クリックすると元のサイズで表示します

2.山門から本堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な山門の梁の上の彫刻は6代目中井権次橘正貞の作です。
クリックすると元のサイズで表示します

4.山門の見事な木鼻です!
クリックすると元のサイズで表示します

5.門扉(見事な細川の紋所「細川九曜」が打たれています。)
クリックすると元のサイズで表示します

6.聖徳太子殿
クリックすると元のサイズで表示します

7.見事な彫刻のある鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

8.見事な彫刻のある本堂です!
クリックすると元のサイズで表示します

9.本堂の彫刻をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します

10.同上
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/10

丹後を見る!宮津の惣産土神で赤ちゃん初土俵で有名な山王宮日吉神社!  文化財研修記

京都府宮津市宮町1408には赤ちゃん初土俵や例大祭の山王祭で有名な山王宮日吉神社(さんのうぐうひよしじんじゃ)がある。宮津城下西部の滝上山山裾の、松ヶ岡と呼ばれる宮津湾を望む丘を神域として鎮座する。境内には他に7社の摂・末社があり、本殿右には式内社であり摂社とされる杉末神社が祀られている。創建は平安時代とも言われているが年代は不明であり、近江国坂本の日吉大社より勧請されたものとされている。神域は元は宮津郷内唯一の古社である杉末神社の境内であり、山王宮日吉神社は平安時代にその境内地に祀られたとされる。やがて旧藩時代歴代の宮津藩主の崇敬の中で主神となり、神域中央に本殿を始めとする社殿が藩主により次々と造られていった。現在の社殿は貞享5年(1688)年)藩主・阿部正盛により再建。廊下は享保元年(1716))に藩主・奥平昌春、続く幣殿は寛延2年(1749)藩主・青山幸道により建立された。本殿は与謝郡一帯に分布する社殿形式の最古例であり、京都府の指定文化財に、また他の摂・末社の多くも文化財として登録されている。神域には巨木が多く点在し、その全域は文化財環境保全地区に定められている。また近年、北前船寄港地として文化庁より日本遺産に認定された宮津市の構成文化財の一つでもある。特に江戸時代には歴代宮津藩主の崇敬を受け、宮津郷の産土神とされた。氏子区域は宮津城と城下を区切る大手川沿いの東堀川、京街道より西全域とされ、春の祭礼である山王祭は城下挙げての大祭であった。宮津祭・国祭とも呼ばれ、宮津藩や宮津城主と深く関わる藩祭として定められた。現在の神輿は幕末の藩主・本庄宗秀が寄進したものである。神仏分離令以前は山王社と称し、現在も宮津ではその呼称で呼ばれ続けられている。境内地は、背後の滝上山と共に宮津屈指の景勝地で、正保4年(1647)に時の宮津藩主であった京極高広が作庭し、次代藩主信濃守永井尚長が延宝年間に拡張、漱玉亭(そうぎょくてい)と名付けて祠堂を構え、庭園も整備した。その名残と言われる大さざんか(根本を囲む「漱玉」と彫った大石が残る)が残る。含紅桜は樹齢400年程と推定され、藩主であった永井尚長が植樹命名した記録が残っている。漱玉亭の大さざんかと共に宮津市の天然記念物に指定されている。山王宮日吉神社より杉末神社のほうが古くから存在する神社であると考えられる。現在の本殿は、寛政6年(1794)に本殿が建てられたという棟札の記載が残る。杉末神社には珍しい神賑行事として赤ちゃんの土俵入りの神事がある。「初土俵入」と呼ばれ近年「体育の日」にあわせて10月第2月曜日の祝日に変更されている。山王祭の発祥は安土桃山時代に宮津城が築城され、城下町が形成されるより以前まで遡る。申の日に行われたのは猿が山王の神の使いである神使であることによる。

1.見事な石段参道
クリックすると元のサイズで表示します

2.山王宮日吉神社の大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な御神木です!
クリックすると元のサイズで表示します

4.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

5.駒札(画像をクリックすると拡大します!)
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な手水舎の龍です!
クリックすると元のサイズで表示します

7.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
クリックすると元のサイズで表示します

8.見事な樹齢400年の「含紅桜(がんこうさくら」
クリックすると元のサイズで表示します

9.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
クリックすると元のサイズで表示します

10.漱玉亭(そうぎょくてい)跡庭園を望む!
クリックすると元のサイズで表示します

11.淑玉亭跡庭園と山茶花
クリックすると元のサイズで表示します

12.山茶花の上部を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

13.此処からは見事な紺碧の宮津湾が見える!
クリックすると元のサイズで表示します

14.見事な京都府指定文化財の拝殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

15.見事な拝殿と本殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

16.見事な拝殿の扁額!
クリックすると元のサイズで表示します

17.本殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

18.本殿の見事な彫刻です!
クリックすると元のサイズで表示します

19.同上  中井権次一党の作と思慮されます!
クリックすると元のサイズで表示します

20.末社の恵比須神社の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

21.恵比須神社
クリックすると元のサイズで表示します

22.末社の杉末神社など
クリックすると元のサイズで表示します

23.赤ちゃん初土俵場
クリックすると元のサイズで表示します

24.赤ちゃん初土俵の動画を見たい方は下記をクリックして見て下さい!
https://www.youtube.com/watch?v=xUF3i3e1LIY

25.山王祭(宮津祭)の動画見たい方は下記をクリックして見て下さい!
https://www.youtube.com/watch?v=5e6VWNi2Hf8
>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ