2005/5/30
勝負ってなんだろね! 前編
みなさんこんにちは
行楽日和だったこの週末はいかがお過ごしでしたか?
私武井はこの週末も野球でした、ゴールデンゴールズは都市対抗野球の
茨城県大会に参加していたのですが、その準決勝、決勝が行われました。
ニュースなどでご存知かと思いますが、準決勝では強豪日立製作所に、
そして3位決定戦ではJR水戸に惜敗し、惜しくも都市対抗野球北関東大会
への出場権を逃しました。。。
武井はこの両試合とも登板はありませんでしたが、やはり負けるというのは
あまり気分の良くないものですねえ。。。 今日は「勝負」に関して少しお話を。。。
私が陸上競技を始めたのは、大学1年のときでした。。
陸上競技という種目では、大学からスタートする選手というのはほとんどいない
のが現状で、大半の選手が中学や高校で陸上競技を経験しているのが普通です。
私も、野球やボクシングなどのスポーツを通してトレーニングはしていましたが、
陸上を始めたばかりのこの頃は、やはりランニングの知識もなく、技術もつたないものでした。。
そのため、試合に出ては負ける、出ては負けるの繰り返しで、とても悔しい思いを
したのを今も思い出します。 それまで、いろんなスポーツで「負ける」なんていう経験は
ほとんどないような、俗に言う「運動神経抜群!」な少年だった私は、陸上競技と出会って
これでもかというくらいに負け続けました。。
私は兵庫県にある神戸学院大学の陸上競技部に所属していたのですが、
当時その陸上部には関西では敵無しと言われるスプリンターだった
河村道彦選手(現岐阜経済大学陸上部ヘッドコーチ)が所属していて、すでに10秒5前後
で100mをマークしていたすごい選手だったんです。と同時に自分に走りを教えてくれる
大先輩でもあり、また最も身近で最も強いライバルでもあったわけです。。
毎日先輩と走っても、一回も勝てずに同じ背中を見て走っていました、
どんなに頑張っても勝てない大きな壁でした。。 また試合に出ても先輩だけでなく、
高校生や同年代の大学生にも負けて、陸上を始めて2年くらいは試合に出るたびに涙がこぼれてきたのを今でもその温度まで覚えているくらいです。
そして、私が大学2年に進学した年の日本選手権がやってきました。
私は先輩の付き添いとして、東京の国立競技場を訪れて、初めて見る陸上の最高峰
の試合を興奮しながら眺めていました。いつも雑誌やテレビで見ている有名選手が目の前
をすごいスピードで駆け抜け、素晴らしい技術で跳躍し、投擲物がとんでもないくらいに
ビュンビュン飛んでいく光景に驚きを隠せませんでした。。
そして迎えた男子200mの決勝。河村先輩は並居る強豪選手や黒人選手に混じって
決勝進出を果たしていたのです! 号砲と共に全選手が飛び出し、恐ろしいスピードで
コーナーを駆け抜けました。 直線に入って、トップに立っていたのはなんと河村先輩です!
そのまま鋭いピッチで後続との距離を保ったままゴールに飛び込む先輩の姿が目に入った
瞬間「優勝だ!!!!優勝だ!!!」と飛び跳ねていた自分がいました。。。。。
いつも追っていた背中。。毎日のトレーニングを共に過ごした最も身近なライバルが
目の前で日本一の座についた瞬間でした。。。今思い出しても涙が出るくらい衝撃的で、
感動的な瞬間でした。 あの日以来、私の心は「日本一になる」ことでいっぱいに
なっていきました。 もう何においても負けたくない、一秒足りとも無駄にしたくない、
と思えるようになったのはあの日本選手権がきっかけだったように思います。
行楽日和だったこの週末はいかがお過ごしでしたか?
私武井はこの週末も野球でした、ゴールデンゴールズは都市対抗野球の
茨城県大会に参加していたのですが、その準決勝、決勝が行われました。
ニュースなどでご存知かと思いますが、準決勝では強豪日立製作所に、
そして3位決定戦ではJR水戸に惜敗し、惜しくも都市対抗野球北関東大会
への出場権を逃しました。。。
武井はこの両試合とも登板はありませんでしたが、やはり負けるというのは
あまり気分の良くないものですねえ。。。 今日は「勝負」に関して少しお話を。。。
私が陸上競技を始めたのは、大学1年のときでした。。
陸上競技という種目では、大学からスタートする選手というのはほとんどいない
のが現状で、大半の選手が中学や高校で陸上競技を経験しているのが普通です。
私も、野球やボクシングなどのスポーツを通してトレーニングはしていましたが、
陸上を始めたばかりのこの頃は、やはりランニングの知識もなく、技術もつたないものでした。。
そのため、試合に出ては負ける、出ては負けるの繰り返しで、とても悔しい思いを
したのを今も思い出します。 それまで、いろんなスポーツで「負ける」なんていう経験は
ほとんどないような、俗に言う「運動神経抜群!」な少年だった私は、陸上競技と出会って
これでもかというくらいに負け続けました。。
私は兵庫県にある神戸学院大学の陸上競技部に所属していたのですが、
当時その陸上部には関西では敵無しと言われるスプリンターだった
河村道彦選手(現岐阜経済大学陸上部ヘッドコーチ)が所属していて、すでに10秒5前後
で100mをマークしていたすごい選手だったんです。と同時に自分に走りを教えてくれる
大先輩でもあり、また最も身近で最も強いライバルでもあったわけです。。
毎日先輩と走っても、一回も勝てずに同じ背中を見て走っていました、
どんなに頑張っても勝てない大きな壁でした。。 また試合に出ても先輩だけでなく、
高校生や同年代の大学生にも負けて、陸上を始めて2年くらいは試合に出るたびに涙がこぼれてきたのを今でもその温度まで覚えているくらいです。
そして、私が大学2年に進学した年の日本選手権がやってきました。
私は先輩の付き添いとして、東京の国立競技場を訪れて、初めて見る陸上の最高峰
の試合を興奮しながら眺めていました。いつも雑誌やテレビで見ている有名選手が目の前
をすごいスピードで駆け抜け、素晴らしい技術で跳躍し、投擲物がとんでもないくらいに
ビュンビュン飛んでいく光景に驚きを隠せませんでした。。
そして迎えた男子200mの決勝。河村先輩は並居る強豪選手や黒人選手に混じって
決勝進出を果たしていたのです! 号砲と共に全選手が飛び出し、恐ろしいスピードで
コーナーを駆け抜けました。 直線に入って、トップに立っていたのはなんと河村先輩です!
そのまま鋭いピッチで後続との距離を保ったままゴールに飛び込む先輩の姿が目に入った
瞬間「優勝だ!!!!優勝だ!!!」と飛び跳ねていた自分がいました。。。。。
いつも追っていた背中。。毎日のトレーニングを共に過ごした最も身近なライバルが
目の前で日本一の座についた瞬間でした。。。今思い出しても涙が出るくらい衝撃的で、
感動的な瞬間でした。 あの日以来、私の心は「日本一になる」ことでいっぱいに
なっていきました。 もう何においても負けたくない、一秒足りとも無駄にしたくない、
と思えるようになったのはあの日本選手権がきっかけだったように思います。