転載第5回 「太平洋戦争は果たして日本の仕掛けた侵略戦争だったか」
もう一つ忘れてはならないのは、「この男さえ戦争しなければ・・・」などと言った怨嗟の声で、その家族に至るまで苛めぬかれたのは東條さんでした。東京裁判の記録に、キーナン検事は毒々しげに、東條に直立を求め「あなたは侵略戦争をやった張本人として、あなたの両親・真心は痛まないのか」と。
東條さんは演説をするときに片手を後ろの腰に当てる癖のあったことは、ニュースなどでご承知の通りで、彼はいつもの通り腰にソッと手を当てて、「自分の行いました行為は、天皇陛下並びに日本国民に対しては、一言の申し開きのできる行為ではありません。まさに万死に値する行為でありましょう。しかしながら、追い詰められた弱小国が、自らの正義を守るために立ち上がった正当防衛であるという気持ちにおいては、今尚変わりません」と答えたのです。
ここに東京裁判劇場最大の山場と言われる、キーナン&東條の一騎打ちがそこで行われました。二度と裁判史にはありますまい、論告したキーナンが、東條から論破され書類を持って退廷したことは事実でした。論争は明らかに東條の勝ちでした。
皆様方、私が今、東京裁判の話をここらで閉じまするにあたって、もう戦後ではありません。何としてでも日本人が日本人を信ぜず、日本の魂の独立を勝ち取らず、物質文明を如何に謳歌しても、祖国の前途を憂うる気持ちのない青年たちを抱えた国が、いつ迄続くでしょうか。我々戦中派は、何としてでもこの子供たちに太平洋戦争が日本の仕掛けた侵略戦争でなかった、親が子を思い、子が親を思う暖かい日本的なものが、何の侵略の色を持ち、何の一体、不都合を持つことか、もう一度、日本人が日本的なるものに眼を向き変えて見る必要があることを、我々戦中派の役割として伝えていかなきゃならないのです。それ故に敢えてこの話をした次第です。
皆様方、メンソレータムの社長の一柳メレルさんが、マッカーサー並びにリッジュウェイ氏の顧問をしておりました関係で、占領下に於いて、一週間ごとにマッカーサーが本国へ送っておりまする報告文書、どのようにして占領したかという報告文書のコピーが、私の身長の二倍程ございます。若き学者として扱われました私を、一柳メレルさんは男と信じ、きっとアメリカの占領政策がどのような形に於いて行われたものかということを、きっと歴史の証拠が必要になりましょう。それでそのコピーを私が頂戴したわけでした。
日本国憲法を押し付けた内容、六・三・三制というような、いわゆる学校制度を変えた内容、地理・歴史をやめて、社会科というような訳の分からないものにした内容、マッカーサーは丹念に本国へ報告しております。
こうでした、第一次欧州大戦、ドイツを軍事的に解体し、しかも天文学的数字、下手したら百年経っても払えないような賠償金を押し付けました。軍の解体と経済の枠の中で、二度とドイツは立ち上がれまいと考えたのでした。でも、ナチのヒットラーが出るに及んで、この賠償金を蹴飛ばし、良し悪しは別として十年で立ち上がりました。
経済の解体、軍事の解体、政治の解体では真の占領ではない。国性破壊、その国自体のもつ民族の伝統と歴史を破壊し、その国が自らのもつ価値観を破壊しない限り、またぞろ立ち上がる。国性破壊、国の性格の破壊、日本民族の永遠の弱体化の為に、国性破壊なくて何の占領がある。報告文書はこれから始まっているのでした。
皆様方、世の中は皮肉でした。日本はこのようにして全てを占領軍に委ねました。委ねざるを得なかったからではありましょう。でも、ドイツの国は賢明でした。何度も負けているから負け上手であったかも知れませんが、ドイツは如何なることがあっても占領軍に渡してはならんのが二つある。一つは憲法で、もう一つは教育です。ご他聞に漏れず、日本と同じように占領軍は憲法を押し付けたことは事実でした。でもドイツ人は実はそれまで一度もストライキがなかったのでした。労働組合が経営者をいたぶるストライキをやる権利を人権として許されても、それは国力の弱まることだ、一日も早く復興しなきゃならないこの国が、国力を弱める如き行為は、ドイツ人としてすべきでないとして、ドイツは実はストライキがなかったのでした。
でも連合軍から憲法を押し付けられたときには、こぞってストライキに体勢を組んだのでした。一切の占領政策には協力せずと、遂に占領軍は折れました。あんた方、勝手にせい、喧嘩に負けたのだから、つまり占領期間中の暫定基本法なら承知する。ドイツの永久法としての憲法の承認は出来ないのでした。ドイツは基本法として憲法の承認はしませんでした。しかも基本法の最後に「ドイツ人の自由なる意志の表明に基づく、憲法制定のその日をもって、この基本法は効力を失うものである」と。ドイツ人は大人です。
日本は戦後に於いて、子供たちの教育を始め、ポンポンと大学を造りました。ドイツは十六州ですから一州に一つづつ、キリスト教を教える私立が一つ、全部で十七校しかございません。ドイツは大学はリーダーをつくるところ、リーダーとは単に知識の受け売りの場所ではなく、人格・見識の身についた者でなければなりません。
その人格・見識の身についたのを教える大学教授の製造が出来ないのに、どうして大学の数が増やせるのかと、ドイツは大学の数の拡大も蹴飛ばしました。
日本は戦時中、官立・公立・私立を入れて全てで四十七校、内地は四十五校でした。四十五校の間は大学の教授も立派でした。いわゆる大学生も立派でした。数が少なかったから、今のようにまともにロクに字も書けないような大学生、常識も知らなければ何も持たない、そういう馬鹿げた者をつくる教育、占領軍の手に握られてはならない。とくに子供たちに対する歴史教育だけは、占領軍の手に握られてはならない。民族の誇りを教えない歴史があるのか。残念ながら、その出発点において日本の国は全て、この国性破壊の元に置かれました。
日本軍が中国やアジアの各地で、多くの人を殺し迷惑をかけたという記述は一面の事実ですが、戦争は人殺しを伴う喧嘩ですから、巻き添えで双方に死人や怪我人が出るのは、仕方がありません。国際法でもこれを裁くことはできないのです。
東京裁判で日本語の通訳を禁止されたため、ほとんどの日本人に知られることのなかった、ブレークニー弁護人の爆弾質問を記憶の中から呼び覚まし、文明とは何か、真実とは何かを検証してみます。
戦争での殺人は罪にならない。戦争は合法的だからだ。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪として責任を問われることはない。キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も、その国の元首の名前も我々は承知している。彼等は殺人を意識していたか、してはいまい。それは戦争自体が犯罪ではないからだ。
この発言にキーナン検事は沈黙し、検察側は反論しなかった。このくだりは英文の速記録には載っている。
「第一次世界大戦の際、ドイツ軍が使用した毒ガスはその残虐な効果と恐ろしい後遺症のため、国際法で使用が禁止されていました。当時、原子爆弾はまだ研究も製造もされておらず、将来そのような武器が研究開発されるということも予想出来なかったので、原子爆弾は使用禁止兵器にされていなかったのです」。
毒ガスより数十万倍も多くの人間を殺傷し、その後の一生に付きまとう悲惨な後遺症とその影響が次世代の胎児や精子・卵子にまで及ぶ残虐な武器を、予見出来なかったために禁止条項に含まれなかったのを免罪符にして、アメリカは広島・長崎へ悪魔の武器の原子爆弾を投下して数十万人の一般民衆を殺戮し、大勢の人が悲惨な後遺症に苦しんでいます。
原爆投下に関しては、研究に携わった研究者や事情を知った学者らから大統領宛の使用反対の請願書もあったのです。それにも関わらず、アメリカの大統領は原爆投下を命令したのです。数十万人の非戦闘員が住む大都市への無差別爆撃により軍需産業施設だけでなく、民需産業もほとんど壊滅して、戦争を継続することは不可能になり、日ソ不可侵条約を結んでいたソビエトを通じて停戦の打診をしていたのです。
すでに多方面からの情報で日本の戦争継続は不可能であることを知りながら、戦後の発言権の増大と、ボクシングに例えればギブアップ寸前、タオルが投げられるのを待っていたところへ、オモチャを手にした子供がそのオモチャを振り回すように投げられたのが、悪魔の原子爆弾でした。これが彼等の言う文明と称するものの正体なのです。
学童疎開のために赤十字の旗を掲げている日本の船を撃沈し、数百人の死傷者を出したのも国際法で禁止されている計画的な非戦闘員(一般市民)の大量殺戮にあたります。軍事施設攻撃の巻き添えではないのです。
その他、捕虜虐待などでアメリカ・オランダ・イギリス等からの非難や賠償請求などがありますが、物資も輸送も充分な補給も少ない厳しい戦争の中で、相手が満足するような待遇ができないのは当然のことなのです。そのなかで1943年10月10日の万国赤十字社極東捕虜局のキング委員は「日本の捕虜収容所では、いまだかって虐待行為は見られず、捕虜は十分に待遇されている」と報告しています。
連合軍が日本の降伏後の日本軍への処置は、復習と報復をあらわにした酷いものであったのです。とくにいい加減な裁判で死刑にされた1千余名の人達のおとは、かって君臨していた現地住民の前で、敗北した惨めさへの報復劇以外のなにものでもありません。
会田雄二著『アーロン収容所』には、降伏した日本軍兵に劣悪な住居、僅かな食料しか与えないで強制労働させ、多くの日本軍将兵が病死、衰弱死をしたことが書かれています。また本田忠尚著『マレー捕虜記』では、ビルマ、マレーシア、シンガポール地区の強制労働での日本兵の死者は4千名を越えるとあります。
昭和2年、大西洋単独横断飛行をしたチャーリズ・リンドバーク大佐の『リンドバーク第二次大戦記』のなかで、「アメリカ軍は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、その行為が大方から大目に見られている。捕虜にした場合でも一列に並ばせ、英語を話せる者は尋問のために連行し、あとには生存者はいなかった』と書いています。
その他、日本兵の死体あら金歯を漁る、死体の開いた口めがけて小便をしたり、まだ息のある者を煮て頭蓋骨をトロフィにするなど、おぞましい限りのし放題であったのです。いかなる非人間的な行為でも勝者は裁かれず、敗者だけが勝利者の称える正義で裁かれるこの理不尽さを、事実として記載すべきではないだろうか。

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