2008/9/9

ニュートラル  日常たわごと君
 
「人生山あり谷あり」とはうまいこと言うたもんです。エエ時もあればアカン時もある。「いつも絶好調です!」と語る前向き教の方々は置いといて、山も谷も波もあるのが人間、そして人生でございます。これは当たり前のこと



だいたい1日の中ですら好不調の波があるのですから、常に絶好調なんてことがあるわけないです。「絶好調でいなければならない」と考えると、逆にそれが自分を束縛してしまい、息苦しさや焦りを覚えるのですな。不調があってもエエやない、でよろしいんやないかと



エエ時には、あらゆるものが楽しく、すべてのものが、まるで自分のために動いてるかのように感じます。好調時にはエエことが重なることも多く、それがさらにエネルギーを増幅してくれるので、より一層の好調へ向けて走ろうとします



一方、アカン時には、あらゆるものがつまらなく、すべてのものが自分のジャマをしてるかのように感じます。不調時にはアカンことが重なりまくりますので、さらにヘコむというケースも多々ありw



わしは「幸福も不幸も、すべては自分が呼び込んでいるのだ」という自分原因論者ではありません。自分がすべて呼んでいるのなら、戦地で窮乏している子供達は何なの?説明できません。なので、この説は矛盾しまくり。却下w



ただ、自分が原因を発することがあるのは、さすがに理解してます。ちょっとした言動や態度が原因でケンカになったり、他のことでイラついてたら別のコトで失敗したりと、そういう例はナンボでもありますもんね



上の例は不調時のものですが、好調時にも「不調の原因」が発せられることがあります。油断であったり、傲慢であったり、そういうものです



それによって、せっかくエエ波に乗ってるのに、足元から崩れていって、いつのまにか不調の波に乗ってしもてる、なんてこともあります。好調なだけに、それが非常に見えづらく、気付いた時には手遅れでしたチャンチャン♪になりがちです。注意注意



そして不調になると、エエ時の姿勢はどこへやら、態度を豹変させたり、勝手にドツボのスパイラルに陥っていくヒトもいてます。エエ時は調子のええこと言うて、アカンようになったら手のひら返すヒトもおります。どっちもどっちですな



結局のところ、好調であろうが不調であろうが、その波に溺れないようにするってことでしょう。「自分は自分」というやつです。しかしこれが難しい。人間は、エエ時はエエことだけを考えたがり、アカン時はアカンことを考えたがるからです。なかなか「常にニュートラル」というのは出来ないねぇ〜



1つ方法があるとすれば、ニュートラルな自分でいられる場所、相手、その他諸々、そういうのを持つことやないかと思います。リセットできるようにする、というか、照らし合わせるようにするというか、そんな感じですかね



そう考えると、本来の宗教というのは、多分にそんな役割があったのでしょう。過去形ですが(笑



まぁ精進ですな。いや、自戒を込めて書いたのですよ、念のため。
 


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