2006/4/19

差の向こうにあるもの  時事・社会
なんか最近「格差社会」などという言葉を、よく聞きます。20代でも所得格差が拡大→ケコーンしない人が増加→高齢化社会ヤバス!という図式1。ほんで、所得格差拡大→低所得者層の子供達が就学できない→教育レベル低下という図式2。あと、低所得者層の増加→消費の低迷→経済ヤバス、という図式3もありますかね


失業率が改善してるのに、所得格差が拡大している原因の1つに、臨時雇用(パートやバイト)や派遣/契約社員の増加があります。会社にもよると思いますが、これらの雇用形態は実に不安定で、雇用条件もよろしくないところが多いです。いつクビになるかわからんし、昇給なんぞ、あってもスズメの涙。もちろんボーナスもナシ。労基法を無視したような就業時間に、さらには劣悪な労働条件と、ロボのような扱いを受けてる方々もいると聞きます。裏を返せば、雇う側にとっては好都合というワケですが



しかしながら、「格差社会」問題の本質は、単なる所得/待遇格差ではないと思うのです



わしがガキの頃を思い出してみると、格差なんか、あるのが当たり前でした。金持ちの子はバンバンおもちゃを買うてもろてましたが、わしは滅多なことでは買うてもらえませんでした(涙。昨日の日記にも書きましたが、スナック菓子を1袋まるごとなんぞ、夢のまた夢でした(涙


当時は「建て売り2階建て住宅」が出始め、金持ちな子は「自分の部屋」なんぞ与えられてましたが、わしは5人家族で「4.5畳&6畳」という極狭な長屋に住んでました(大泣



それでも、おもちゃが無いなら無いなりに、電柱によじ登って電線に引っかかったゲイラをブン取ったり、木工細工で野球盤を自作したり(なんと消える魔球モード付き!しかし「ガコン」と音がするのでバレバレという情けなさorz)、とにかく手元にあるものは何でも「おもちゃ」化して遊んでました


現在の信条である「無かったら作れ」は、たぶんこの貧な時代に養われたんやと思います。おかげで、想像力だけはたくましくなりました(笑


長屋住まいやったので『長屋』という曲も書けましたし、ヘンに家にこもらず、外で原風景を見ながら育ちました。もしも金持ちの子に生まれてたら、また違った人生になってたんでしょうが、それでもわしは、今の自分が好きですし、今は幸せやと思うています。相変わらず貧ですけどね(涙



ただ、ガキの時代に思ってたのが、「いつかはお菓子1袋まるごと食ってやる!」とか、「大人になったらオモチャ買いまくってやる!」など、少なくともその時点よりは良い方向へ変化する、あるいは変化させるという、期待であり希望でした。それがあったから、貧ながらも楽しく生きてこれたんやと思います



金の差はどうでもええねん。ハートがあれば、それなりに生きてゆけます



さて、現在この「期待や希望」というのを、若い世代が持てる環境なんでしょうかね?いや、若い世代のみならず、その「格差社会」とやらの底辺にいてる方々も含めてです



エエものを売るんではなく、売れるモノを(たとえ子供達から金を巻き上げるような商品でも)売る企業。音楽も然り。なんぼ努力しても、倒産で失職したり使い捨てられるお父さん達。負担はバカデカイが支給は極少な年金。ぜんぜん「痛みをともなって」くれないエライ先生方。and so on



実のところ、それこそが問題の本質やないでしょうか


いや、あのね。ここで「政治がどうのこうの社会がどうのこうの」を書くつもりはないですよ。そういうコメントはいりませんからね。言いたいのは、これから先に希望を持てる、あるいは、持ちやすくするために、「逆転や浮上を可能にする」システムを検討し、「アカンもんはアカン」とする必要があるってコトです。個人レベルにおいても、です


つまり、ちゃんと生きてる人間を「ないがしろ」にすんな、っちゅうことですわ。実にシンプルなんですが、現在は「要領よくやる」のがエラくて、「ちゃんと生きる」のはアホ扱いですからな。これがイカン





そうしたら減ると思うんですけどねぇ…

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