昨年ある大会で選者を務めた。先日もある大会の席題の選にあたった。地元の句会でも選を指名されることがある。
句会や大会は雑俳の気分を遺しているのか、入選か没かの二者択一であり、スポーツ感覚での入選至上主義の句稿を見ることがある。いわゆる選者へのあてこみだ。
これを見ると、そそっかしい人があるものだなあ、とあきれることがある。
一昨年『バックストロークinきょうと』で、パネラーとして明治以降の近代化志向が文学性を追うことに盛んで、ともすれば川柳らしさを忘れていたとの見解を述べた(その実質は文学性から遠かったが)。ディスカッションのテーマが「悪意」であったことが、かなり偏向して捉えられているらしいことと、今年の『バックストロークin東京』のテーマが「軽薄」であったことも影響しているのだろうか?。選の途中でキョトンとすることがある。柊馬という奴は、川柳らしさを書けば入選にするだろう、との見方があるのだ。作者の個別性を捨てて、日常の表層を川柳らしい旧態の書き方でまとめた句が、ものほしげにある。
いま一つ、渡辺隆夫・石田柊馬の書き方の、川柳らしい臭気を、川柳人として「共感」したとの言辞でビールを奨める人があることだ。
身から出た錆と、選もビールも―――それなりのお付き合いをするのだが。
「思いを書く」川柳を否定しない。「思いを書」いた佳句はこれまで沢山鑑賞している。感動もあった。個人的に仰ぎ見た春三・冨二にも「思いを書」いた川柳があり、それぞれ感動がある。
日記や手紙や綴り方の延長線上で、自我を開陳しているだけの句が、がまんならないのだ。その姿勢を文学と高言されたり「私は私を書いています」とか「私以外に書くものはありません」などと聞かされると蹴飛ばしたくなるのだ。要は、感動本位で読むのだから、これも否定しない。でもそこに川柳らしさが皆無では腹立たしい。私川柳は近現代川柳史から受け継がれて一つのポジションとして確かにある。でも、ときに、「おまえさん、川柳と名乗っている句会に居るのだろう。川柳と名乗っている雑誌に書いているのだろう。自分の意思で」と言いたくなるのだ。まあ、感動があれば、よしとしているけれど。この作者が川柳を曖昧なものにしている、とのイヤな感じのともなうこともある。多くの私川柳が「思いを書く」ものであり、川柳らしさは唯一、かつて庶民の態様を書いていたところを享けて、市井に居る個人の「思いを書」いている、というところにあるようだ。
歴史の事実は否定できないし、もちろん、日記や手紙や綴り方に、感動や文学性を稀に感じることもあるのだが――。
革新川柳という言葉がとても盛り上がっていた頃。社会的情念を主に男性が書き、主体性を求める意識を主に女性が書いて、ともに佳作が多く現われた時期に、「鷹」誌が「私の志向する川柳」というアンケートを三回続けて掲載した(1965年、昭和40年)。回答者45人、計13ページをついやす企画であった。回答者はそれぞれ大なり小なり志向を数行書いていた。そのなかに只一行
俳句でない川柳。
という回答が載っている。(回答者は、山村祐)
大多数が「思いを書く」ことを川柳とも文学とも思っていた時代の醒めた意識から書かれており、いま振りかえれば瞠目に価する回答であった。「思いを書く」志向を、同時代の俳句と川柳にに見ていた人の、貴重な回答であったと位置付けることができる。
(「思いを書く」については、これで一度、退出します。明さん、おつきあいありがとうございました)

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