昭和38(1963)年「川柳平安」11月号
掘豊次の創作なし
殺人道路ナトリューム灯が発芽す 上田枯粒
パレットにかくれ射ち来る目をかくす
銀行新装アクアラングに錘がある
衛星楕円律影は地を占むる
青海に髪一筋の孤独の標
秋のコーラスに枝の造形をたどる 中西一調
果粒のコーラスに指は孤独を分ける
浮雲が十字架を動かしたコーラスの行くえ
音階からあふれてゆき妻は萎えぬ
Oさん死す
面会謝絶の張紙が「無」になった夜 所ゆきら
西国三十三番へ黒いリボンを供える
焼香や癌細胞もおがまれる
おとむらい烏のまくら紅い昼
扉開かれたままやがて新しい病室になる
壊れた硝子の如く激しくはない 山本 礫
鋭くなるなとドラム缶笑う
鉄骨林立業を煮やしては見ても
吊られると案外な視野だった
無数の偶像にすがり渇きゆくおとな
新撰苑上位
自嘲を塗られて口がきけなくなった地下足袋 服部たかほ
鍬のこぼれ話を聞くと歩けなくなる
或る錯誤時間がコーラ飲んでいる 中村土竜庵
取り巻いた時間へ咳くビールの泡
遊びの企てを除去してソナタは昇華する 山本ひよこ
凝集された要素にソナタの心がある
鉄には鉄の鉄の抒情に黝ずむ 中西一調
鉄鎖のぶらんこに吊す園児等の夢さ
その鏡くだかれてなお思想もつ 定金冬二
その鏡を剥いで消したいものがある
〈新刊紹介〉の欄に
『類題別番傘川柳一万句集』 が取り上げられている。
紹介文の一部を写しておきたい。
「ここに掲げられている一万句、日華事変で挫折した句集の礎稿をもとに、新たな選出委員会を設けて、戦後の番傘誌に掲載された近詠、句会その他あらゆる作品の秀吟佳吟を選出されたもので、大正2年の創刊から昭和37年度作品までを内容としている。ことさら表題に番傘川柳と銘打つ理由はわからないが、普遍性の点では番傘川柳が頂点であろう。川柳を知らない人にもこの書のファンができることが信じられるし、ひいては川柳社会へのいざないの大きな力となることだろう。」
「普遍性」云々の言葉にはちょっと首をかしげてしまう。一般性という程度が妥当だと思われるが、紹介すべきを紹介し、いうべきを言う、背筋の通った好感のもてる紹介文。文末に(寛)とある。ちなみに、私は初心者として指導を受けていたときで、この句集を参考にすべく購入したが、ある程度読んで、番傘より平安がいいなと本気で思った。ただし、近年になってから、いわゆる本格川柳という言葉を耳にした時期の資料として価値の高さを喜んでいる。
編集後記「編集さろん」に次のような言葉がある。
「(前略)われわれの願いは平安を日本一にすることではなく、柳界の一隅でもよいから、自慰的でなく、価値あり、広い階層にわたって親しまれるものでありたいということである。泰典記」
当時の平安川柳社の中核部分に漲っていた認識であり無償に徹したところからの言葉である。一方で、番傘の一万句集があり、一方に「新撰苑」がある。川柳界での平安川柳社の位置と「新撰苑」の位置が明確に読者に見えた時期であったといえる。掘豊次はこれを感じながら「新撰苑」についてどのような思いを持っていたのだろう。結社内で本人が口に出すことではなかったが、川柳界では全方位的な平安の、さらに外側に、河野春三・山村祐・中村冨二・松本芳味らの活動があったことを、どのように思っていたのだろう。上に書いたように、私は番傘より平安の幅の広さと「新撰苑」が自分に合っていると思い、やがて読者として、川柳界の外側の、当時、革新派と呼ばれた川柳に強い関心を向けていた。そして若い数人が平安の同人となったとき、その数人は革新派の魅力が平安誌に載ることを希望し、革新派の句はほとんど載ることはなかったが、論や説に起用されていることをよろこんでいた。そこには、豊次と「新撰苑」を中心とする結社内での豊次のバランスのとり方があり、豊次の身を挺した活動を理解し、同調する意識の働きがあった。革新系統の句は、川柳界の外にあっていいのだという位置のとり方であり、川柳界の向上を少しづつ高めようとする意識があった。これはわれわれ若者に、川柳界では平安と掘豊次の周辺にあって、遊べばいいのだという解放感となった。神戸・尼崎・大阪などで、平安の若手という視線ができ、実際、何度も若手と呼ばれることとなったのである。ここに書くのは自慢でも悔恨でもなく、平安川柳社の活動と合わせて若手の存在は、掘豊次と「新撰苑」を、時代の潮流と見える印象をつくり、数旬を経て、「新撰苑」に拠る作者と句が多彩かつ充実に向かう下支えに資したはずであったのだ。むろん、平安の内部で、これをどのように受けとめるか、認識するかは個々人の差となったが、いまから思い返せば、存外、波風は立たなかったはずである。ただ、読みの能力差と視野の範囲差という、いわば心的卑下や傲慢や具わった器量についての意識がひそかにめぐり始めていたのだが、これも一党一派に偏しないという姿勢のなかのものとして和気藹藹の中で目立つことはなかったのである。

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