初心の頃、いい指導者いい先輩に恵まれていた。川柳誌を何冊もいただいたなかに「川柳平安」昭和34年(1959年)2月号があり、堀豊次の「番傘秀吟抄に想う」という文章がある。
「三十三年度の番傘秀吟抄が発表された。(中略)選後感もそれぞれの色彩を感じ、個性の強いもの程面白く読めた。ただ遺憾なことには本格川柳礼讃は良いが、詩性川柳、革新川柳、今は昔の新興川柳まで引出されて毒づかれているのには面食らってしまう。場違いということも考えて貰いたい。(中略)最後に本格川柳の秀吟として第三者的なこのような作品を取り上げてみてこの小文を終ることとしたい。」
いうまいとお好み焼きを押さえつけ 三窓
三輪車あっという間に子の育ち 狂雨
広告の一字倒して雪つもる 可明
どの嘘にしよう吊革二つもち 矢人
女店員包みながらに嫉妬する たかし
人の家でも建つ楽しみは通勤路 爪人
銀行が夢という字を使い過ぎ 菊人
―――〇―――
よその子ほどしてやれぬ子をつい叱り 冬二
母さんが他人の毛糸ばかり編む 靜歩
気の毒なお方と好きになりかかり 京糸
国旗出しとけと出勤ひき返し 句沙弥
洗い髪日本中がいい天気 沙英子
記者だけが温かかった村八分 百万両
つづり方金持ちの子は書かぬよう ただ志
「第三者的なこのような作品を」というところが、やや一人合点の表現で分りにくいが、句を読むと、なんとなく、それらしい叙法だと感じられる。
当時の川柳界や堀豊次の立っているところなどが思われる文章で、取り上げられた句が二つに分れているのは、同人と誌友などの違い、あるいはその掲載ヵ所の違いを現わしているのかと思われるのだが――。
本格・革新・詩性などのセクト的な雰囲気と志向の違いを反映しつつ、いいものはいいのだという堀豊次の幅の広い姿勢に教えられるものがあった。
同誌から、初心者の自分にも革新系の川柳と見えた句を引いておきたい。
納采のあらむつかしおんことばかな 所ゆきら
おん「まど」を朗詠する事三返天下泰平
来年「光」鬼よ口を押さえろ
いる事速しいずる事又速し一万円
庶民生けるしるしあり続のんき節
手を放すな妻子脳裏にぶら下げて 堀豊次
妻古りしと妻とエレベーターを下降
銭湯で子の指洗い父恥ずべし
と当時の川柳界の空気が感じられる。
一方が全体を包括的に理解して、他方が全体を理解する気を持たなかった、あるいは読みの能力に欠けながら、それを「本格」のみが川柳で他の書き方は認めないという排他的な姿勢で無視せねばならなかったような状況があり、数年後に川柳に入った自分が、直接、本格派を名乗る人から排他的言辞を浴びせられたことがあった。
堀豊次のなかで、そのパイプになろうとの気が起こりかけていた頃であったのだろう。

0