美術館で感激
「In仙台」の前日、午前中に美術館へ。『ぐりとぐらのなかまたち―山脇百合子絵本原画展』幼児向けの絵本の原画、これが物凄い面白さ。もっと早くこれを見ておけばよかったと反省。なにしろ翌日のシンポで、虚や虚実や虚構について言葉を出す立場。絵本は作品対象が幼児だから、作者の意識や認識や思考や好みと、その幼児への≪表現≫がまざまざと展開されているのだ。作品を漫然と見て行くより、細部まで見て、なお飽きない。つづいて常設展で、林武・高橋由一・カンディンスキー・クレー・安井曾太郎・吉原治良・李禹煥などを観てベンチにベタっと座り込むほど疲れたが、絵本の原画から多くを得たことに大満足。午後の山寺行きにそなえて駅の地下で休息。
山寺に感激
山寺は二度目。数年ぶりに山道の奪衣婆に対面。芭蕉の感じた閑さより、ぞろぞろと行き来するわれら俗物には、この土俗的な色彩に郷愁のごときものもあって感激。「ばあさん久しぶりです」と胸中で話しかける。
披講に感激
題「花子」の選者、添田星人さんの披講のめりはりに感激。初心時代に大会に参加した時に耳にしたような、マイクなしで会場の隅までとどく声、めりはり、リズムのよさ、などが甦ってあやうく涙が出そうなった。郷愁に涙もろくなっていることに慌てたが、声に艶があってけっしてムリな発声ではなく、大声でもない。下五音がきちっと聞こえて、もちろん演技性も演出も無いのがうれしい。堂々と、そして淡々と、作品の言葉が言葉としてのみ伝わるので、句が読者のものとなる。披講は選者の選を経たものとしてのみはっきり読者に伝わればよいという、あたりまえのことがいつのまにか無くなっている現在、見事な披講に感激。閉会後さっそく「いい披講でしたねえ」と、逸星大人に伝えると、盟友のことを我がことのように、にこにこと聞いてくださった。川柳の伝統にも、その大会や句会の形式にも、ある種の演劇性があることは否定できないし、それを楽しむ川柳人が有っても当然だが、時折、選者が句に酔ったり自己陶酔する不様な披講に「おまえだけのものではないぞ」と思うことが有る。小津安二郎の映画で笠知衆がほとんど棒読みに近い発声をして、それにまったく嫌味がなく、言葉を言葉としてのみ観客に伝えることがあるのを思い出した。添田星人さんの発声が、実に実によかった。

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