就職した頃の菓子の製造現場では、倉庫から原料を運ぶのは身体と手押し車だった。砂糖一袋30kg、葡萄糖25kg、粉類20kg。水飴一缶20kg、はじめは30kgの袋を肩に上げられずに抱えてヨロヨロ歩くものだが、やがて二袋担いで運ぶまでになり、時にはその60kgを担いで階段を上がることなどもあった。それが自身にも他人にも一人前を認めさせることでもあり、個々人の力の違いを認め合いつつ、歪みあったり無視しあったり、傷つけあいながらでも、身をもって感じ合うものが、人間関係や人情に幾分かはつながり共感要素になっていた。
近頃は、よくもまあ、これほど筋肉が落ちるものよと呆れるほどで、真夏のTシャツ姿など哀れなものだ。
後年、何人もの学生アルバイトとその親の歳ほどのパートタイマーさん達と働いた状況ではもう、筋肉労働はほとんど無くなり、共通感情にも数字やノルマの混ざる時代になったが、20歳前後のアルバイトの心性の解らなさを眼にすることが度々あった。幼児の一人が大泣きに泣いている横で、別の幼児がにこにこと笑いながら遊んでいるような、一人一人に状況との繋がりを感じる神経が無い感じで、それがごく自然に身に具わっているのだ。むろん普段は同じように、笑ったり話し合ったり作業にも協調感が感じられるのだが、ときに、状況、外界を、なんのこだわりもなくシャットアウトしているのである。親の世代のパートタイマーさん達は、状況や外界を心的に絶ち切っていても、そこに自己保身の気があるが、アルバイトの若者はただ無意識、無関心なのだ。持て余す重量や大きさに向かっている横で、手伝う気はもとより、危ないと声をあげることはあっても、動かない。そこに利害の感情もないのだ。
もちろん、それぞれの世代のなかに付き合いがあり、恋愛もあれば、子を成して慈しむ感情もあるに違いないのだが、状況と個人の心的な(神経の、といってもいいだろう)関係にはっきりと断絶がある。
昨年思い立ってCDプレーヤーを買った。同人誌の原稿を書くときに流すと、書き易くなると自分に言い聞かせている程度だが、散歩を兼ねてセコも新品も、好みのものを探している。団塊の世代が現役を離れるのを目当てに、フォークソングを数枚のセットにして何種類も店頭に並べている。それより数年早い世代、60年安保を知り、先輩達の力比べに負けまいとしていた者にとって、フォークは親しみを欠き、洗練された演歌の歌詞を幾つも耳にしていたところから、フォークの素人っぽい歌詞はダレた感じで付き合えないのだが、中にはバエズやディランなど、たしかに同時代を感じる曲があった。
近代的自我とか、存在とか実存とかの意識を胸に抱いて、社会や職場の旧習に反感を持ちつつ、やがて共通感情の変化に慌てた世代と、急激な近代化や現代化の競争のなかで、本音を隠すことを身に付けた世代と、社会と関わる歳になっても最初から状況と絶ち切ったところの神経を具えている世代。
共感を書いて来た川柳は、団塊の世代まではそれなりの川柳で在り続け、うまくすれば共感を横に置いて、なんらかの上昇を考えるところにまで来た。近代化した川柳が百年を経たのだ。
団塊の世代の次の世代が、川柳をどのように捉えるか。その実際が現われたとして、こちらはそれに立ち会えるかどうかわからぬながら、短歌と俳句では、これがそうかなと、書店で眼にすることがある。川柳はそれがまだ見えない。サラリーマン川柳で感じることがあるが、それらは、サラリーマン川柳はこのような書き方をして、このように有る、というものに追随しているようだ。
これを危ういとして、狭小な川柳観を押しつけようとする反動ヤロウが、共感要素の変化など気にせぬ低レベルで、ただ衆を頼りにして、居る。逆に、川柳という認識でここまで行くことができる――未知の領域を求める姿勢があればそれに応じることの出来るのが川柳だと、現役の川柳人が見せられるかどうか。
なにしろ現実社会は、共感要素から見て、ほとんど旧世代の埒外に居る人達の時代が始まっている。新しい句が顕現化するのはまだ先だろうが、何よりも早く違いがはっきり出るのは、やはり、音楽だろう。
CDショップで、フォーク世代や、その二世の、遠慮会釈の無い嬌声や大声での立ち話を避けつつ、俺でも、淺川マキなら何枚もLPを持っていたのだ、つのだひろがドラムだったのだ、寺山修司の歌詞なんか、てめえらの好みの歌詞なんかと比べものにならないんだぞと、思えば思うほど、筋肉のなくなった腕や背中の凝りがきつくなる。

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