初心のころ、直感的に感じた川柳の魅力と型式が存在感の強い一句を呼び出す幸せに恵まれることがある。さきに引用した句でまたまた恐縮だが、
せっけんの泡の向こうにわたしの手 藤巻昌子
おやゆびとひとさしゆびでいちご摘む 同
菊日和陸軍大将天に召す 同
「天に召す」の措辞に首をかしげたり苦笑するひとが多いだろうが、この三句には、市井に生きる一人が川柳という文芸に接触して直線的にのめりこんだときの、川柳であることの喜ばしさおもしろみのなかで、型式が呼び出したようなここちよさがある。ますます多く書き続けて、句会や大会で多作を重ねると、なくなってゆく初心のころの感触――。
初々しい「せっけんの泡の向こうにわたしの手」の句は、一瞬を川柳が切り取らせた、省略させた、というような印象を持つ。思い、ではない、身体的にとでも言うべき作者のなかの川柳性が、言葉と合致した例だろう。句語の存在感が強くて、「の」が三回もあることが気にならないのだ。
しかし、初心者が得た、川柳であることの喜ばしさおもしろみを、読者の大方は川柳的な意表と省略の手柄として感じ、作者自身の実感もごく自然に出たというようなところにあったと思われる。
句集の序文で
「(前略)なんでもない句じゃないか?と考えなおしてもみた。しかし、この句にひそむ心にくいまでに率直な心を高く評価すべきだと思った。もちろん女性の句だと確信していた。」(大野風柳)
とあり、女性の川柳が花開いた昭和40年代の時流に重ねているが、いまから見れば「率直な心を高く評価すべき」の一点だけで十分な評価であろう。大野風柳は、なんでもなさと川柳性の幸せな合致を感じていたのだ。
個人的な思い出になるが、この作者の初心時代に、同じ結社(柳都川柳社)ですでに十年の経験をもっていた本間美千子が、のちに京都へ来て何度も「せっけんの泡」の句を口にしたので、当方の脳裡に摺り込まれた句でもあるのだが―――いったいなにがこの句を忘れさせないのか。おそらく上に述べた以上に言葉の存在感が強いのだ。句語が句語としてのっぴきならない立ち方をしているのだ。この、言葉の存在感の強さを客体的に捉える視線は作者にも大野風柳にも、句集に短文を寄せた同結社の二人にもまったく無いが、本間美千子は、《思い》と言葉の乖離という作句の体験から直感的に、言葉の強さを捉えたのだろう。言葉をもって開き直るという自分の書き方に近い句と感じたと思われる。
昭和40年代。まだまだ、言葉の時代には遠いときに、たまたま、作者の《思い》が、なんでもない句であったがゆえに、言葉の存在を目立たせる一句があったのだ。
前回、前々回、「る」で止める書き方とその時代の文体?の特殊性に触れたのは、川柳の近代化が煮詰まった過程に、作者の精神的なリアリティーを価値としていたことを狭義にしか認識できずに、作者自身の主体性の安直な信頼があったことを上げたかったのであった。自身の主体性の安直な信頼に、言葉への安直な信頼が重なって、それをもって自身の存在感、実存意識を抱くことができていたのだ。句の読み、についても同じだった。綴り方を読むように――である。
作者――その思い――言葉(思いの表現)――作品 という一元的な書き方と読み方と、精神のリアリティーという価値観が一致していたのである。
にもかかわらず、句会や大会での大方は題詠だった。精神のリアリティーを素朴かつ強固に抱いていた数人(河野春三など)の存在もあり、当時、句会や大会で雑詠を取り入れる風潮も一部(例えば、柳都川柳社)に始まり、清新なものを感じさせてはいたが、大方は「題」が精神のリアリティーを引出すきっかけとしてあった。つまり、川柳の近代化が【共感】を価値のど真ん中に位置させ、時代を経て、実存意識などの内在性《思い》というところのリアリティーにまで及んで、煮詰まったのである。
煮詰まり現象は、いずれにせよ独我的な《思い》を読まされて双(相)互がしらけつつ、次の方途を開くまでにおよそ30年間を要した。
いま、むろん、《思い》という広漠とした概念を概念として否定することはできない。「言葉」「読み」の時代にあるとの実感と《思い》の川柳の両方がある中で、例えば「る」で止める書き方などにあった作者の世界観や人間観が、どのように変わったか、変った何かはどのように展開されるか。
言葉派?から、思い派?から、「せっけんの泡の向こう」のような句が書かれるかも知れないと思うと迫って来る大会が楽しみだ。なぜなら、仮に、派、という言葉を使ったが、「せっけんの泡の向こう」の句にある川柳性についての魅力は、極論すると、両派に共通するものなのだ。
北海道、仙台、東京、高知、福岡と、川柳の近代化を過去として、現代の位相を書こうとする人達の参加があると聞いている。
実は、昭和30年代の末ころから40年代を通して、川柳の近代化の煮え詰まっていた時期に、かなりの数の名高い句集が出されたのであった。
いま、「セレクション柳人」のシリーズが、その読みを押し出す大会を開く。これは、川柳の歴史が一つの曲がり角を曲がる、そのモニュメントを立てることなのだ。
川柳性を考えること、川柳の流れを考えること、川柳の現在を考えること、これらを個々人が自分なりに見つめること。その方法や展開にはいろいろな方途がある。例えば、『現代川柳の精鋭たち』(2000刊)というアンソロジーがあった、また、個我への執着から視点を別にする悪意や軽薄などへの思考を押し出す二度のディスカッション(バックストローク主催の大会)もその方途であった。
いま、句集というものがいろいろの思考の素材としてシリーズで打ち上げられ、「読み」が、初めて、大会のかたちで思考をうながす。小池正博という個人の発案と雄図、この能動性が、モニュメントになることは確かである。

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