たちあがると 鬼である
いまでは有名な句になっていると言えるだろう。森林書房の1961年刊『中村冨二句集』と、冨二の死後1981年にナカトミ書房から刊行された『中村冨二・千句集』には「たちあがると、鬼である」とあり、千句集の方には同じ句が、冨二の自筆と思われる短冊でも載っており「、」は無い。
1974年の八幡船社刊『中村冨二集』にも「、」が無い。それぞれの句集の成った経緯はわからないし、初出を見つけることができても後に冨二がこだわらずに書き直している可能性もあると思われる。
後発の者としては句の引用の際にためらわざるをえないのだが、結果的に、冨二のこだわらぬ大人(たいじん)ぶりが出たというところに落ち着きそうだ。
大人(たいじん)ぶりというのは、接するひとをここちよくさせる。冨二の句の多くにここちよさがあって、冨二中毒のような気分になるのは、中村冨二という人間の資質が句に出ているからだろう。
しかし、大人(たいじん)ぶりだけがここちよさとなっているわけではない。
冨二の句のここちよさには、読者が意識下で感じていることを思い起こさせる要素が濃厚にある。
おだやかに話し合っていた相手が立ち上がったとたんに変貌して、例えば債鬼になるとか、何事かへの強い感情や執着を顔に出すことはよくあることで、映画や演劇、いまではテレビドラマなどでも有り、コメディーや漫才では誇張されるポイントでもあって、いわば誰も知っていることを思い起こさせる句なのだ。それがここちよいのは、人が突然変貌する意表の感が、意表を突く書き方で提出されているからだといえる。
このへんを捉えて、冨二を川柳のアルチザン、冨二の句を句会の芸として断じるところには、オリジナリティーが無いではないか、という思いがある。
たしかに、そのとおりだ
私の影よ そんなに夢中で鰯を喰うなよ
灰色の群集は 通勤する
何処やらで物が腐ってゆく生活
夜が来た 兎も亀も馬鹿だった
みんな知っていることであり、思っていることと言えよう。勧善懲悪の時代劇や西部劇、ハッピーエンドのロマンスと同程度ではないかと指摘されても反論は出ない。落語や歌舞伎で何度も同じ予定調和に至る演目を、役者の個性的な芸で愉しむのとおなじような芸が冨二の句に在る。
冨二が川柳の革新や文学性を標榜するより、歴史の流れにゆだねる姿勢を持って伝統の更新を考え、常套的な共感性とともに川柳の同時代性を感受していたことをもって、冨二の句を伝統川柳のカテゴリーに位地つける妥当性がこのへんにある。
では、なぜ一般的な感慨や感懐を書いた冨二の句が目立つのか。ーー印象に残るのか。ーーそれなりの感動を呼び起こすのか。
「たちあがると 鬼である」の句のように、表現の仕方、意表の書き方のような芸に優れているという説明だけでは納得に至らぬものが冨二の句に在る。
それは伝統という言葉に含まれて在る、過去からいままでの時間のスパンでは収まりきらぬ、もの(こと)を冨二が何句も書いたということと同じように、おそらく冨二自身もほとんど気にしなかったであろう、川柳では飛び抜けた世界観の深さに収斂できる。
冨二はそれを自身が感得している伝統に即して書いたのだ。これを整合的に見るところから冨二の句や冨二について書かれたものは無い。例えば
神が売る安きてんぷら子と買いし
という佳作は、冨二を一方的に決め付けると冨二を見失う。しかし、句の後ろに作者があるという鑑賞の仕方をあざ笑うように、この句は句だけで見事に立っている。少なくともある一つの時代を通じて読者と共有できる情を書いた句だ。この意味で、冨二の句について言葉を出すことは、自己確認を出ないのだが――。なにやら、中村冨二という川柳人が川柳と言う文芸について感じていた特有の無名性を思うと、「鬼」も「てんぷら」も、腑におちるような気がする。
特有というのは川柳の無名性ではない。冨二が川柳に感じていた冨二特有の無名性である。革新を志す方から苦々しく思われようとも、冨二は特有の無名性をもって川柳と戯れていた。

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