なんだか哲学的な題名でジムカーナのジャンルということで
ぴんと来る人はぴんと来るのではないでしょうか?
人は忘れないと生きていけないとは思います。
しかし、忘れてはいけないことを忘れないように努力する必要もある。
俺と彼との接点はそれほど深かったわけじゃない。
吹っ飛んできたKSRに俺が轢かれたのをきっかけに
時々話すようになって俺が同じクラスに追いついて
よくバトルするようになった・・・。
いうなればその程度の関係でしかない。
最後の最後のバトルで俺は負けてしまい、
彼に逃げられてしまった。
もう永遠に勝負ができない以上、
俺の負け続けになるのかなぁと思いつつ、
今なら負けない!!
でも彼が生きていたら・・・。
と思わずにはいられない。
ジムカーナでは死者がいまだに独りもいない。
俺がジムカーナを続けているひとつの理由でもあるのだけど、
安全にスポーツを楽しめるってのは重要な要素だと思う。
サッカーであれ、剣道であれ、必ず死人が出ている。
ところがジムカーナにはモータースポーツでありながらそれがいない!!
レースをやっているというと
やれ危険だ
やれやめろ
といわれるが、この死人がいないという事実は非常に
大事なことだと思う。
もちろん、いい加減なことばかりをやっていれば
遠くない未来、必ず死人が出てしまうに違いない。
もちろん、そうならないようにみんながんばっているし、
みんなが協力している。
そう、
参加している者全員が気を配っている
(配ってない人間は配るように注意・教育される)
ことが重要だと思うのです。
なぜそんな話を出したかというと
吉岡さんは一般公道における交通事故により亡くなったからです。
俺はその場にいたわけじゃないから細かくはしりません。
しかし、相手の人が酔っていたことだけは事実として聞いています。
公道走行という名の最も参加者の多いスポーツの犠牲者に
なってしまったということです。
俺はライディングをスポーツと考えているので
公道もスポーツの場だと考えます。
スポーツするかどうかは別としてね。
そう考えたとき、いかに公道という場が危険な場所かと思ってしまう。
いったい参加者の何割が安全とルールを考えているのか!?
犠牲が払われれば確実に状況がよくなるのであれば・・・
まだその犠牲は意味のあるものになるといえるかもしれない。
しかし、その犠牲の多くは無駄となり、風化している。
また、犠牲になるというその立場に立ったとき
上のレトリック自体が机上のものであり、
いかに身勝手かがわかるでしょう。
ところがそれが公道という場の暗黙のルールとなっている。
だから忘れないように努力する必要がある。
二度とそんな事件を見たくない・・・というのは不可能かもしれないけど、
身近な人間に加害者の立場に立たせないようにすることは
可能であると思う。残念ながら被害者にはなりえてしまうけど、
何もやらないよりやったほうが100倍良い。
だから、ひとつの象徴として吉岡さんの死を忘れないように思う。
吉岡さんのご冥福をお祈りいたします。

1