ロボット
愛知万博で数多くのロボットが展示され注目を浴びているようだ。
2足歩行が出来るようになって以来、とにかく人型のロボットが増えてきていると思う。ダンスを踊れるロボットもあるようだ。
漫才が出来るロボットも登場したようだ。現在は決められた応答の中から選んで返答をするようだが、将来的にはお客の様子を見てネタや応答を変えたりといったことも出来るらしい。
人工頭脳というものがある。自分で学習していくコンピューターの頭脳だ。(専門的なことや定義は良く分からん。)
姿も知能も人間並みになったとき、人間との違いがどうなるのかという心配がある。
士郎正宗作の「攻殻機動隊」という漫画がある。
体も脳も全て人工物に取り替えた人間が登場する。
近年、医学は進歩し、ねずみを使って耳を作ったり、皮膚も造ることが出来る。金属で骨を作ることも出来る。心臓もそれに替わる物があるらしい。
脳が作れたら?
全身が人工物の人間が出来ても不思議ではないかもしれない。
脳はその人をその人として位置づけるものであると思う。
意識や感情は脳で生まれるものだと思う。医学的に言えば、「何とか」という物質が「この程度」分泌されるとこういう感情が起こるだのいうのかも知れんが、そういうことが完全に分かれば、そのようにその物質を出す装置を作って脳を作れそうな気がする。
後は経験や環境がその人をその人たらしめるのだろうが、「データ」として作ることは可能になるかもしれない。
全身機械の人間は、人間だろうか?ロボットだろうか?
記憶なんか作られたものだとすれば、全身機械人間は、記憶まで作られたロボットかもしれない。
これは個人たらしめるものが脳であるという前提に立つ。その人を特定するものが姿だとすれば?
しかし、これはあり得ないと思う。
「ドラえもん」の秘密道具でのび太とスネ男が入れ替わる話がある。
のび太は「意識はのび太、姿はスネ男」、すね男はその逆になるのだ。
入れ替わったことを知らない人は、スネ男の姿をしたのび太をスネ男だと思うが、入れ替わったことを知っているドラえもんは、スネ男の姿をしたのび太をのび太として扱う。
その人の意識がその人を、その人と特定するのかは、そのことを知るかどうかだが、例えば、ある人が意識不明になってしまったら、その人は姿こそその人だが、やはりその人ではないだろう。
脳のことが完全に解明されるまで、ロボットが知能を持ったりということはありえないし、人間の定義が完全になされなければ、倫理的にも、社会的にも非常に曖昧なことになってしまいそうだ。
現在、死は「脳死」の時点と決められている。生物的に生きているかは問題ではない。
その人がその人でなくなることは、ある意味で「死んだ」といえるが、生物的にどうか・という問題はある。妊娠中絶で子供を殺してよいのかという倫理的問題と同じだ。
土木の人間なんで医学や生物には疎いが、技術を扱う人間として、こういう倫理的問題は大切にすべきであると考える。

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