街をただ歩いていたり、電車に乗って居眠りしてばかりではない。
常におしゃれな人を見つけている。
若い子たちでも少ないお小遣いで上手におしゃれで自分自身を演出している。
それは己を知る上でも大変重要なバロメーターにもなるであろう。
誰にでも似合うファッションとして男性であれば(スーツ)が思い浮かぶ。普段着を他人にコーディネイトして貰う方法もあるが何れ応用が利かなくなる。
鏡の自分を見て一番自身が持てるものを選ぶ楽しさは病み付きだ。
女性は子供の頃からそのセンスに長けていて中には思わず感心してしまうほどのプロデューサーに出会うことがある。
「何でもそうだけど例えば歌なんかでも自分の声やキャラに合っていない歌を唄っても他人の評価は低めだ。
自分が好きな曲と自分に合う曲はまるで違っていたりするものだ。」
そんな子に限って歩く姿も自信に満ちていて威風堂々と映るものだ。
また、そんな人に限ってブランド品などにこだわりが無く、バーゲンで上手に安上がりに着こなしていたりする。
一番惨めなのは本人に全く合わないで無理やり着せられている何十万もする洋服たちだ。おそらく夜中に箪笥の中ですすり泣いているはずだ。
スターが着ていれば安物も高級に映るしかっこよく見える。
スターは常に堂々としているし、ねじ伏せてでも人を説得させるオーラがあるからだ。
だからビ○ボー臭い格好をしていてもそれはそれでかっこよく見えてくる。そこを勘違いして我々がそんな格好をすると友達は眼に見える速度で減少してしまう。当然異性との出会いの場では致命的だ。
車でも不思議だがおしゃれな格好で乗っているとその車もどんなポンコツでもおしゃれに見えてしまうものだ。
高級外車からポンコツファッションで出てきた人を見ると借り物か・?
無理して乗ってるのか\\\\???
そう思われても仕方が無い。
「人は外見ではない!」は当り前だの・・・だが、世間は見た目だ。
仕事でもそうだがネクタイ着用の時とノーネクタイでは色んな場で想像以上に扱いが違う。
これは仕方が無いことでもある。
(クールビズ)とは省エネファッション。大変環境に良いことである。
だが、議員会館の中で昨年開襟シャツでの会議を見ているとやはりだらしなく見えてしまった。
もう少しかっこ良いファッションを考えよう・・・
そう、僕らも真似したくなるような野暮に見えないファッションだ。

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