天皇と王と皇帝と継承と  様々な話題

「即位礼正殿の儀」が行われ、
日本の国の有りように心を馳せる日々だが、
最近、
「天皇はなぜ『(キング)』ではなく『皇帝(エンペラー)』なのか」
という記事が「現代ビジネス」に掲載(宇山卓栄氏による)されたので、
その内容を要約してみよう。

○現在、世界には27の君主国があり、
 王(King)はいるものの、
 「皇帝(Emperor) 」と呼ばれる人物は天皇陛下ただ一人である。
○「皇帝」の称号を最初に使ったのは、秦の始皇帝だった。
○皇帝は各地の「王」の上にあり、
 中国の王は皇帝によって領土を与えられた
 地方の諸侯に過ぎなかった。
○中国皇帝は日本の天皇に対し、
 一地方の臣下という意味で、「倭王」の称号を授けていた。
○7世紀、中国に対する臣従を意味する「王」の称号を避け、
 「天皇」という新しい君主号を作り出した。
○608年、聖徳太子が中国の隋の皇帝・煬帝に送った国書で
 「東天皇敬白西皇帝(東の天皇が敬いて西の皇帝に白す) 」
 と記し、史書の中で、
 「天皇」の称号使用が確認される最初の例とされている。
○7世紀後半の第40代天武天皇の時代には、
 「天皇」の称号が一般的に使われるようになり、
 孫の文武天皇の時代の702年に公布された大宝律令で、
 「天皇」の称号の使用が法的に定められた。

○以上のような経緯の上で、
 世界の人々は、いつ天皇を「キング」ではなく、
 「エンペラー」と呼んだか。
○江戸時代に来日した「出島の三学者」の一人で、
 シーボルトよりも約140年前に来日した
 ドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルは、
 2年間、日本に滞在して、帰国後、「日本誌」を著し、
 この中で、天皇を「皇帝」(エンペラー)と書いている。
○「日本誌」が普及したことで、
 天皇が「皇帝」と呼ばれることがヨーロッパで定着した。
○天皇が大日本帝国 (the Japanese Empire)の
 君主であったことから、
 「エンペラー」と呼ばれたという説があるが、
 それは誤解で、明治22年の大日本帝国憲法発布時よりも、
 ずっと前に、天皇は欧米人によって、
 「エンペラー」と呼ばれていた。

○世界に唯一残るエンペラーとしての天皇は
 世界史の中で見てはじめて、その奇跡を理解することができる。
○ヨーロッパでは、フランス革命などで、人々が君主を殺した。
 中国でも、コロコロと王朝が変わった。
 ところが日本の歴史は有史以来、
 天皇家の王朝一本で、変わることなく、
 今日まで続いている。
 これは世界史における奇跡だ。

(なお、韓国メディアは「天皇」という言葉を使わず、
 徹底して「日王」(イルワン)という
 韓国製の呼称を使い続けている。
 つまり、中国が臣下を「王」と呼んだことを踏襲し、
 「王」より一つ上の存在とは認めたくないのだ。
 ただし、韓国政府は、国際的な慣例に従い、
 公式に天皇陛下を「天皇(チョンファン)」と表現している)

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続いて、JBpressに掲載された
「天皇の『継承』制度、世界の中でいかに特殊なのか」
という記事。(佐藤けんいち氏によよるもの)

○天皇のことを英語で "Emperor"と言うことに
 日本人が違和感を感ずるのは、
 近代以前もさることながら、
 近代以降であっても、
 天皇が実際の権力をもっていないからで、
 皇帝を意味するエンペラーとはニュアンスが違うのではないか、
 と思う人も少なくない。
○神を祀り、祈る存在としての性格、
 言い換えれば祭司としての性格があり、
 天皇本来の役割としては、こちらのほうが重要である。
○天皇は、すでに古代において、
 摂関政治のもと世俗の権力から遠ざけられ、
 権威のみの存在となっていた。
○徳川幕府成立以降の近世においても、
 天皇の権限は形式的に征夷大将軍を任命する存在にとどまり、
 世俗の権力を持つことはなかった。
○天皇の権威を復活させようとしたのは、
 江戸時代後期の光格天皇からである。
○明治憲法においては「立憲君主制」で
 「神聖にして不可侵」とされたが、
 実際の権力からは遠ざけられており、
 この点については近代以前とは変わりはなかった。
 あくまでも権威としてのみ存在し続けてきた。

○何度も断絶の危機を迎えたものの、
 きわめて長期にわたって生き延びてきたのが
 天皇という制度であり、天皇家である。
 今上天皇(= 徳仁親王)で公式には第126代とされ、
 世界最古といっていい。
○長く続いてきた制度には、天皇以外の代表例として、
 カトリック教会のローマ教皇(266代目)、
 チベット仏教のダライ・ラマ(14代目)をあげることができる。
○ローマ教皇は、カトリック教会の精神的指導者であると同時に、
 主権国家のバチカン市国の元首でもある。
 カトリック教会は、世界最古の巨大官僚組織であり、
 ローマ教皇はそのトップに立つ。
 ローマ教皇は、権威と権力を併せ持つ存在である。
 この点は、日本の天皇とは違う。
○ダライ・ラマ法王は、
 チベット仏教のゲルク派(=黄帽派)の最高位の称号で、
 実質的にチベット仏教の最高の精神的指導者である。
 観音菩薩の化身とされているので、
 神を祀る祭司ではない。
 この点は、天皇ともローマ教皇とも異なる。

○カリスマは一代限りである。
 カリスマそのものを継承することはきわめて困難である。
 その継承のために、継承の仕組みを作り上げることによって、
 制度として確立してきた。
 しかし、「継承」という点においては、
 天皇とローマ教皇、ダライ・ラマには顕著な違いがある。

○天皇は「世襲」である。
 それも男系相続である。
 天皇が直接後継者の指名を行うわけではないが、
 皇太子を立てるという形で後継者が定められてきた。
 この点は、世界中の王制に共通するものであるが、
 制度安定のための仕組みが内包されているわけである。
男系という原則が崩れたことはない。
 養子縁組によって「家制度」の維持を図ることが
 当たり前のように行われてきた日本社会だが、
 こと皇室に関しては例外は存在しない。

○ローマ教皇は、「選挙」によって選出される。
 カトリック教会においては司祭は男子に限定され、
 しかも生涯独身を貫く。
 このため、世襲による承継はあり得ない。
 しかも、後継者の指名は許されない。
○ダライ・ラマは「転生」、
 すなわち死後に別の人間として生まれ変わって
 継承されることになっている。
 従って、ダライ・ラマには「世襲」も「選挙」も、
 ましてや「生前退位」もありえない。
 ダライ・ラマも僧侶であるので、
 継承者となるのは男子のみである。
 しかも、戒律を守り、生涯独身を貫くことになる。

○天皇の権威や影響力が日本列島を越えて広がることはない。
○この点は、同じ島国の英国の国王(女王)が、
 日本の天皇に似ているかもしれない。
○ただし、天皇が神を祀る祭司であると同時に
 神の子孫でもある点は、英国国王(女王)とは異なる。
 天皇家の祖先神は天照大神(あまてらすおおみかみ)とされているが、
 現在の英国王室の祖先は神ではない。
 これは根本的な違いである。

○以上、天皇とローマ教皇、ダライ・ラマ、
 そして英国国王(女王)と比較を試みてみたが、
 それぞれ共通する点もあれば、
 まったく異なる点もあることが分かる。

○とはいえ、長くつづいてきた制度というものはすべて、
 外部環境の変化に対応してみずからを変革してきたからこそ、
 生き延びてきたのである。
 天皇のあり方も時代の変化とともに
 変革すべきことは変革すべきであるが、
 また一方では絶対に変えてはいけないものもある。
○「即位礼正殿の儀」が行われる時、
 日本国民として奉祝するのはもちろんのこと、
 天皇のあり方について、いろいろな角度から、
 あれこれ考える機会にしていただきたい。


八千草薫は天女である(再録)  様々な話題

八千草薫さんが亡くなった。
若い時も、中年の時も、老齢になっても、
可憐で可愛く、凛としていた。

その八千草さんの亡くなるのを
予言(予見)していたようなドラマが、
テレビ朝日の「やすらぎの郷」だ。

2年前、「やすらぎの郷」で、
八千草さんの役、九条摂子が亡くなった。

その時のブログ、
2017年9月6日の分を再録して、
追悼としたい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

テレビ朝日で昼の0時30分から放送されている帯ドラマ、
「やすらぎの郷」が昨日と今日、節目を迎えた。

重要な登場人物である九条摂子の死である。

通常のタイトルは↓のとおりだが、

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今日は、↓のような雨降り(涙)モード。

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「やすらぎの郷」とは、
東京から車で1時間半ほどの場所にある、
入り江を見下ろす海沿いに建っている
架空の老人ホーム。

芸能界のドンと呼ばれた加納英吉が、
かつてテレビ界で活躍して、
今は年老いて仕事も無く苦労している、
あるいは金銭面での困窮こそないが孤独な状態にある
俳優や歌手、脚本家、音楽家、大道具や照明技師などに対して、
その功績に報いるために作り上げた施設。
入居に際して食費や光熱費の負担は一切無い。
ただし、入居者は
施設を運営する財団の審査を通過した人間に限られる。

ドラマは、入居した脚本家の菊村栄を狂言回しにして、
入居者の人間模様を描く。

もちろん菊村は作者の倉本聰の分身で、
入居者は全員高齢者だから、
ボケの問題、病気の問題、死の問題が色濃く影を落とす。
何だか倉本聰の「遺言」のような内容で、
(倉本聰、82歳)
ユーモラスに描いてはいるものの、
少々きつい。
しかし、シニア世代の観るドラマとして、
視聴率はいいようだ。

出演者は、
菊村を演ずる石坂浩二をはじめ、
浅丘ルリ子、有馬稲子、五月みどり
野際陽子、加賀まりこ、富士真奈美、
八千草薫
藤竜也、ミッキー・カーチス、山本圭、上條恒彦

ら昭和の俳優たちが顔を揃える。

八千草、有馬、野際が80歳代で、
あとは全員70歳代。

他に名高達男、草刈民代、風吹ジュン
常盤貴子、松岡茉優
ら。

八千草薫が演ずるのは、
九条摂子という、戦前からの大スターで、
「姫」という愛称で呼ばれるとおり、
おっとりとしたお嬢様ムード。
91歳、という設定。

戦前の映画監督であった千坂浩二と恋愛関係に陥り、
しかし、千坂に妻があったことから
秘められた恋になってしまった。
千坂は出征先のアッツ島で死亡し、
千坂との思い出を大切にしているため、
ルポライターの取材で
千坂のことに話が及ぶと、
「千坂先生は私にとって大切な人です。
そのお方を傷つけるようなお話には応じられません」
と言って席を立ったりもする。

様子がおかしくなり、
受賞した映画賞のトロフィーや紫綬褒章などの勲章を始末し、
郷にあるライブラリールームで
かつて自分が出演していた映画を食い入るように見ている姿に
菊村はある予感を感じて不安になる。

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この時、画面に映し出される、
八千草薫の昔の映画の映像が↓。

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素晴らしく美しく、かつ気品がある

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当時、キラ星のごとくいた
女優の中でも抜きん出た美しさ。

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しかも、彼女に似た女優は、いないのだ。

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それは、北原三枝に似た女優がいないのと、似ている。

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その、若かりし頃の自分の姿を
食い入るように見つめる、
八千草薫の鬼気迫る演技

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やがて九条摂子は倒れ、病室棟へ搬送される。
実は末期の肺がんを患っており、
それが脳へ転移していて余命1ヶ月である事が明らかになる。

ベッドで夢うつつに菊村を千坂と間違えたりもする。

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その時、次のように述べる。

「この間ね、古い映画を観たの。
(千坂)先生じゃなくて、市村さんが撮ったシャシン(映画)。
多分、戦後、私が30歳位前後の時のシャシン。
・・・へたっぴぃ。
ほんとに・・・へたっぴぃ。
やっぱり千坂先生に撮っていただかないと、
一人じゃ演技出来なかったのね・・・
ただね・・・若くって・・・きれいなの。
自分で言うのも変だけども、
本当に、きれいで・・・うっとりしちゃうの。
だけど、演技は・・・へたっぴぃ。
恥ずかしいほど、へたっぴぃ。
でも、女優は、それでよかったのかもねえ。
若くてきれいなら、お客様に幸せをあげられるものね。
そういうものかもしれないわね。
今、テレビで売れてる女優さんたちも、
一杯、そういう方、いらっしゃるものね。
でも、私は・・・今、歳取って、
昔のきれいさ、なくなっちゃって、
その上、相変わらず・・・へたっぴぃ」

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実は、このドラマに出演する老優たちは、
みんな演技がへただ。
驚くほどへたくそだ。
何でだろう。
ものすごい見せ場の、儲け役の場面を与えられても、
全然、胸を打たない。

その点、八千草薫だけは違う
そのセリフに胸打たれ、涙が出る。

↓は郷の創立者・加納英吉が
死期の近い九条摂子に最後のお別れを告げに訪問したシーン。

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二人は入り江の海を並んで眺める。

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その場面を目的した菊村は、こう語る。

「それは、何とも、荘厳な絵だった・・・」

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そして、夜中に九条摂子は息を引き取る。

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密葬のため、写真を選ぶ菊村は、

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若い頃の九条摂子の写真を見ながらも、

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歳を重ねて、味が出た九条摂子の写真に惹きつけられる。

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そして、最後に選んだのが

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この写真。↓

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密葬の場にその写真が飾られるが、
それについて、菊村は、次のように語る。

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「この前、秀さんが私に言った、ひとつの言葉を思い出していた。
『花伝書』の中で世阿弥が言った、
『時の花』という言葉と『まことの花』という言葉。
確かに、若い頃の姫の写真には、
輝くばかりの『時の花』があった。
しかし、歳取ってからの姫の姿には、
その人生の深さを秘めた、
幽玄と言っていい、濃厚な美があった。

世の中には、あまたの女優たちがいる。
皆それぞれに、若い頃は美しい。
けれど、かつての美しさにいつまでも必死にしがみつき、
何とかその頃の、いわば『時の花』に固執して、
小じわを隠し、白髪を隠し、
衰えの中に咲く『まことの花』に気がつかないで、
一生を終えていく者たちもいる。

だが、姫の美しさは、それとは違った。
歳月のはぐくんだ、彼女の美しさは、
今、まさに今、更に輝いていた。
それは、秀さんが描いた、
小じわだらけの姫の絵に最も近いものだった・・・」

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まるで、倉本聰の八千草薫へのラブレターのような内容。
何だか八千草薫が本当に亡くなってしまったような感じだ。

八千草薫、今、86歳

幼少時に父を亡くし、母一人・子一人で育つ。
プール女学院在学中に宝塚音楽学校に合格し、
1947年(16歳)に宝塚歌劇団入団。
美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡、
宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、
当時のお嫁さんにしたい有名人の統計で、たびたび首位に輝いた。
1957年(26歳)、歌劇団を退団。

退団後はテレビドラマでのおっとりとした良妻賢母役が好評で、
多くの作品に出演。
「うちのホンカン」「岸辺のアルバム」「阿修羅のごとく」など。

私生活では1957年に映画監督の谷口千吉と結婚した。
親子ほどの年の差(19歳)があり、
しかも3度目の結婚となった谷口との組み合わせは当時、
多方面で話題・波紋を呼んだ。
谷口千吉は、映画監督としては不遇だった。

夫婦に子はなかったが、おしどり夫婦として知られ、
結婚50年目となった2007年に死別(谷口、95歳)するまで連れ添った。

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昔「山口百恵は菩薩である」という本を書いた人がいたが、
それにならって、次の言葉を捧げよう。

「八千草薫は天女である」



即位礼正殿の儀  様々な話題

本日行われた、
即位礼正殿儀(そくいれいせいでんのぎ)、
素晴らしかったですね。
天皇陛下の即位は既に済んでいますが、
即位礼正殿の儀は、
即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式。

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あいにくの雨模様だったために、
中庭には、人が入りませんでした。

↓は、前回(1990年11月12日)の時の中庭の様子。

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↓は、国際フォーラムに展示された、
大正天皇の時の即位礼正殿儀のジオラマ。

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しかし、儀式が始まる時刻には、雨が上がり、
それどころか、虹が出た!

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まるで、虹を出すために雨を降らせたごときおもむき。

列席者からは見えませんでしたが、
後で知った時、
居並ぶ各国VIPは驚くことでしょう。
天候までお祝いした、と。

虹の起源は、
旧約聖書によれば、
ノアが洪水の後、
地上に降り立ったノアたちに対する祝福のしるし
「わたしは雲の中に虹を置く。
これが私と地との間の契約のしるしとなる」
「虹が雲の中に現れる時、
私はこれを見て、
神が地上にある
全て肉なるあらゆる生き物との間に立てた
永遠の契約を思いおこすであろう」

(創世記第9章)

つまり、今上天皇のご即位を
神さえ喜んだ、ということです。

そして、素晴らしい天皇のお言葉

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「さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより
皇位を継承いたしました。
ここに『即位礼正殿の儀』を行い、
即位を内外に宣明いたします。
上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、
常に国民の幸せと世界の平和を願われ、
いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、
その御心(みこころ)を御自身のお姿で
お示しになってきたことに、
改めて深く思いを致し、ここに、
国民の幸せと世界の平和を常に願い、
国民に寄り添いながら、
憲法にのっとり、
日本国及び日本国民統合の象徴としての
つとめを果たすことを誓います。
国民の叡智とたゆみない努力によって、
我が国が一層の発展を遂げ、
国際社会の友好と平和、
人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」

そして、国民を代表しての、
安倍首相のお祝いの言葉。

「天皇陛下におかれましては、
本日ここにめでたく『即位礼正殿の儀』を挙行され、
即位を内外に宣明されました。
一同こぞって心からお慶(よろこ)び申し上げます。
ただいま、天皇陛下から、
上皇陛下の歩みに深く思いを致され、
国民の幸せと世界の平和を常に願い、
国民に寄り添いながら、
日本国憲法にのっとり、
象徴としての責務を果たされるとのお考えと、
わが国が一層発展し、
国際社会の友好と平和、
人類の福祉と繁栄に寄与することを
願われるお気持ちを伺い、
深く感銘を受けるとともに、
敬愛の念を今一度新たにいたしました。
私たち国民一同は、
天皇陛下を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぎ、
心を新たに、平和で、希望に満ちあふれ、
誇りある日本の輝かしい未来、
人々が美しく心を寄せ合う中で、
文化が生まれ育つ時代を創り上げていくため、
最善の努力を尽くしてまいります。
ここに、令和の代(よ)の平安と
天皇陛下の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げ、
お祝いの言葉といたします」


国民の幸せと世界の平和
これこそ、
国の行く道を示し、応えた、
天皇と国民の約束だと思います。

日本は世界最古の国と、
ギネスも認定しています。

明治維新と敗戦という
国家的危機を天皇を中心に乗り越えて来たのが、
日本という国であり、
それが「国柄」というものです。

しかし、何事にも反対する人はいるもので、
即位反対のデモはありましたし、
共産党は欠席。
その理由が、
「高御座(たかみくら)の上から天皇が即位を宣し、
その下で三権の長が『天皇陛下万歳』と声を上げる
儀式のやり方は明治時代のやり方を引き継ぐもので、
憲法の国民主権、
政教分離の原則に反する」
というもの。
いかなる政治的見解も屁理屈も自由ですが、
国民と共に喜べない
というのは不幸ですね。
「反日」のDNAがそうさせているのだとしか思えません。

こういう国柄に生まれた者として、
魂の深いところで天皇制を受け入れ、
共に喜べる国民でありたいものです。


東京メガイルミ  様々な話題

今日は、夕方からカミさんと二人で、
この駅へ。

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新浦安→新木場→天王洲アイル→大井競馬場前と、
2回の乗り継ぎで、所要時間37分。
近いです。

目的地は、もちろんここ、
大井競馬場
1950年開場。

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ギャンブルはやりませんので、
生涯で一度も足を踏み入れたことのない場所。

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今日から始まる、この行事に招待されました。

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娘が応募。その代理。
娘は友達と四国旅行へ。

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入場券売り場。

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へ〜え、こんなものも。

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招待者はこちらへ。

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チケット(スマホ)をチェックされて、

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行列へ。

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こういう紙と、
座席に貼る番号シールを渡されます。

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待ち時間の退屈しのぎに、
ハンドマジックの人がやってきます。

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さて、入場。

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大井競馬場といえば、ナイター競馬が有名ですね。

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こんな馬車がお出迎え。

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このビルに連れてこられ、

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この特典エリアに案内されます。

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ここで、点灯式の始まる6時半まで待機。

中を探検します。

ずらりと並ぶ券売機。

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こういうマークシートで投票します。

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やったことがないので、やり方は不明。

フードコートがあり、

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うどんと

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カレー、

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ラーメン、丼類。

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外は暗くなってきました。

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バンドの演奏もあり、

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こんな一角も。

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TOKYO TWINKLE MAPといいます。

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台湾夜市も。

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ここが本館?

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元の席に戻り、待機。
ここでも退屈しのぎに手品の人が回ります。

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ここは座席の一部で、
全収容人数は6万350人

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ここが点灯式の場所。

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点灯式の撮影は禁止。
禁止行為があった場合は、会場から退場との警告が。

そこで、公式写真を借用。

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点灯するのは、女優の山本舞香さん。

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無事点灯。

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噴水が上がります。

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その後、この地下道を通って、

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会場へ。

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途中異空間があり、

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タイムトンネルを通過。

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すると、このような光景が。

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このイルミネーション、
馬の走るトラック(全長1600m)の中に作られているのです。

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昼間、上空から見たところ。

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ここにイルミネーションを設置するなどと、
誰が考えついたのでしょうか。

遠く噴水が見えます。

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20分ごとに噴出。

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正面から見たところ。

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エリアごとに生名前が付けられており、
ここは、江戸極彩棚田

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ここは、THE GENFUKEI(原風景)。

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きれいな光の樹木。

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一つ一つ、桜の形。

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色は明るさが次々と変化します。

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この光のトンネル、こういう形をしていました。

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ここから見える噴水。
曲が変ります。

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江戸にぎわい光夜

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明治アカリノ博覧会

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後から投映されています。

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ローズガーデン

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レストランは満席。

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この地下通路が最終エリア。

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昭和の町が作られています。

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映画館も。

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元の側に戻ってきました。

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ゆっくり歩いて1時間強。

オーロラの森を通り、

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馬のいる場所。

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子馬が子供に人気。

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涼しい風に吹かれて、
良い夜をすごしました。

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このイベント、昨年に次ぐ2回目で、
来年の3月29日まで続きます。
10月5日から12月24日は、原則競馬開催日以外、
1月4日から3月29日までは、原則金土日祝に開催。
入場料は大人1000円
安い。


日本の城ベスト30  様々な話題

日本には4千ものお城・城跡がある。
というのは、戦国時代以降、
城を中心に諸国が作られ、
戦も城を拠点に行われたからだ。
「城攻め」は、戦国小説の中に必ず登場して来る。
だから、日本中に存在する城跡は、
文化遺産であると共に、歴史の遺産であり、証人でもある。

テレビ朝日系列で放送されている「総選挙」シリーズ。
3月に、
「お城好き1万人がガチで投票! お城総選挙」
が放送された。                                 
お城好き、歴史好き、国内旅行に行ったらお城に行く人
1万人を対象にアンケートを実施。
好きなお城ベスト3を答えてもらい、
1位5P、2位3P、3位1Pで集計。
ポイントが多い城でランキングを作成。

そのトップ30が↓。

30位 丸岡城(福井県)
 築城者:柴田勝豊
 築城年:1576年

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29位 岐阜城(岐阜県)
 主な城主:斎藤道三・織田信長
 築城年:1201年

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28位 広島城(広島県)
 主な城主:毛利輝元
 築城年:1589年

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27位 忍城(埼玉県)
 主な城主:成田氏
 築城年:1479年
 「のぼうの城」のモデル

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26位 高知城(高知県)
 主な城主:山内一豊
 築城年:1601年

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25位 駿府城(静岡県)
 主な城主:徳川家康
 築城年:1585年

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24位 上田城(長野県)
 築城者:真田昌幸
 築城年:1583年

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23位 金沢城(石川県)
 主な城主:前田利家
 築城年:1583年

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22位 今帰仁城(沖縄県)
 主な城主:北山王
 築城年:1200年台後期

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21位 松山城(愛媛県)
 築城者:加藤嘉明
 築城年:1602年

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20位 松江城(島根県)
 築城者:堀尾吉晴
 築城年:1607年

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19位 備中松山城(岡山県)
 築城者:秋庭三郎重信
 築城年:1240年

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18位 郡上八幡城(岐阜県)
 主な城主:遠藤盛数
 築城年:1559年

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17位 根室半島チャシ跡群(北海道)
 主な城主:─
 築城年:16〜18世紀
 チャシとはアイヌ語で「柵囲い」

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16位 会津若松城(福島県)
 築城者:葦名直盛
 築城年:1384年

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15位 犬山城(愛知県)
 築城者:織田信康
 築城年:1537年

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14位 安土城(滋賀県)
 築城者:織田信長
 築城年:1579年
 築城から3年で姿を消した幻のお城
 (写真はCG)

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13位 小田原城(神奈川県)
 築城者:大森頼春
 築城年:1400年中頃

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12位 彦根城(滋賀県)
 築城者:井伊直継・直孝
 築城年:1606年頃

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11位 江戸城(東京都)
 築城者:太田道灌
 築城年:1456年
 日本一大きいお城
 (写真はCG)

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10位 弘前城(青森県)
 築城者:津軽信枚
 築城年:1810年

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9位 二条城(京都府)
 築城者:徳川家康
 築城年:1603年
 二の丸御殿で大政奉還が

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8位 五稜郭(北海道)
 築城年:1864年

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7位 竹田城(兵庫県)
 築城者:山名宗全
 築城年:14431443年頃
 日本のマチュピチュ

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6位 名古屋城(愛知県)
 築城者:徳川家康
 築城年:1610年
 天守閣の延べ床面積日本一

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5位 首里城(沖縄県)
 主な城主:尚巴志王(しょうはしおう)
 築城年:1200年代後期〜1300年代

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4位 熊本城(熊本県)
 築城者:加藤清正
 築城年:1590年

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3位 松本城(長野県)
 築城者:石川数正・康長
 築城年:1593〜94年

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2位 大阪城(大阪府)
 築城者:豊臣秀吉
 築城年:1583年

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1位 姫路城(兵庫県)
 主な城主:池田輝政
 築城年:1609年
 別名・白鷺城

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