日本のイノベーションB  様々な話題

日本のイノベーション、
今回は台所篇。

電気炊飯器

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1955年12月に光伸社(現サンコーシヤ)によって開発され、
東京芝浦電気(現東芝)から発売された電気炊飯器は、
「三重釜間接炊き」とバイメタル技術を組み合わせることにより、
四季折々に気候環境が移り変わる我が国において、
いつでも手軽に安定した品質のコメを炊き上げることを可能にした
自動式電気炊飯器の国産第1号製品である。

直接火を用いることなく
自動でコメを炊くことを可能にした電気炊飯器の出現によって、
台所仕事の負担を大幅に軽減するところとなった。

かつて、炊飯は非常に手間のかかる仕事であった。
外気温などの条件に合わせて火加減をこまめに調節する必要から
炊けるまでつきっきりの仕事にならざるを得なかった。

こうした炊飯の光景は、
自動式電気炊飯器の出現を契機として、
急速に姿を消していくことになる。
自動式電気炊飯器を用いることで、
誰でも失敗することなくおいしいコメが炊け
寝ている間に翌朝のご飯を炊くことができるようになった。

自動式電気炊飯器の普及スピードは極めて速いものであった。
1955年の第1号機発売の後、
1960年の世帯保有率は28%、
1971年には早くも90%に達し、
1980年以降には95%以上の世帯が保有するに至っている。

また、自動式電気炊飯器の普及は国内にとどまらず、
現在ではコメを主食とするアジア各国においても
広く利用されるようになっている。

従来の炊飯の方法を根底から覆し、
多くの人々の生活様式を一変させたという点において、
自動式電気炊飯器の開発は、
日本が世界に誇る画期的イノベーションということができる。


電子レンジ
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電子レンジは、連続波マグネトロンという
電子管から発生する電磁波(マイクロ波)を利用しており、
主に調理用加熱器として広く使われている。

マグネトロンの発見は20世紀初頭にすでになされていたが、
それが主として使われたのは
第二次世界大戦におけるレーダーの開発においてである。

アメリカのレイセオン社の技術者であったパーシー・スペンサーは
戦時このマグネトロン・チューブの大量生産に成功した技術者であった。
彼は、1945年頃、
マイクロ波が食品の加熱に利用できることを発見した。
これに着想を得たレイセオン社は、
最初の電子レンジを製品化し、発売したが、
家庭の台所に設置するには余りにも大きく、
また高価であったため市場の評価を得られなかった。
アメリカでの電子レンジの開発は
その後他社において進められ、
1952年には家庭用も販売されるまでになったが、
広く普及するまでには至らなかった。

マグネトロンが家庭用電子レンジとして新たな市場を創出したのは
日本メーカーによる数々の技術改良による。

日本におけるマグネトロンの電子レンジへの応用は、
1950年代半ばから開始された。
1959年には、日本初の業務用電子レンジが
東京芝浦電気(現・東芝)によって製作され、
1964年には新幹線開業時からビュッフェで使用されるところとなった。
更に1962年、早川電機(現、シャープ)が、
また1963年には、松下電器産業(現・パナソニック)も販売を開始した。
これらはいずれも業務用であった。

家庭用が開発されたのは1960年代後半からで、
1965年松下が小型機を販売したのを皮切りに
各社が一斉にその開発競争を展開するようになった。
ターンテーブルや安全確保のためのドアロック、
センサーによる温度調節などの便宜性を増すとともに、
それまで家庭用加熱燃料の中心であった
ガス事業にも大きな影響を与え、
ガスと一体化したガスコンビネーションレンジが開発されるまでになった。

電子レンジに使用されていたマグネトロン自体の技術についても、
1967年、レイセオン社の基本特許期限が切れると、
各社は自社開発のマグネトロンを電子レンジに搭載するようになった。
東芝は1967年に永久磁石を内蔵したマグネトロンを自社開発し、
松下、日立製作所、新日本電気も自社製マグネトロンの生産を開始した。
1971年には東芝の電子レンジが、アメリカのリットン社に採用され、
日本のマグネトロンの技術がアメリカのそれに対抗できるレベルになった。

1990年代には日本製電子レンジ用マグネトロンの生産が
世界シェア90%以上を占め、
電子レンジそのものも、更なるコンパクト化など洗練を重ね、
1980年代には日本の家庭用電子レンジの普及率は世界一となった。
そして、2005年、シャープはその生産台数が
世界累計1億台に達したことを公表した。


IHクッキングヒーター
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IHクッキングヒーターは、
パナソニックを中心とした日本の家電メーカーによってもたらされた
イノベーションである。

従来、一般家庭においては、
ガスコンロを用いた加熱調理が支配的であった。
他方で、IHクッキングヒーターは、
誘導加熱(Induction Heating)の原理を用いて、
コイル状の導線に交流電流を流すことで発生する磁力線を
金属鍋に当て、鍋自体を発熱させることによって
加熱調理を行うものである。
これは、従来の「火」による調理ではなく、
「電気」による調理である。

IHクッキングヒーターは従来のガスコンロに比べて、
加熱効率性、火力の制御性、安全性、清潔性など
様々な面で利便性を有している。

日本における誘導加熱を用いた「電気」による調理は、
1974年に三菱電機が低周波型、
パナソニックが高周波型の
IH調理器を商品化したことによって始まった。

初期のIH調理器は、重量が大きく高価格だったため、
一般家庭向けではなかった。
しかしパナソニックは、電流を高周波に変換する
高周波インバーターの小型化、
低コスト化を積極的に推し進め、
1978年には一般家庭で使用可能な
卓上型IH調理器の商品化に成功した。
また1988年には、
誘導加熱の原理を炊飯器の釜に応用することによって、
世界で初めてIHジャー炊飯器を開発した。

卓上型IH調理器によって一般家庭で利用されるようになったが、
本格的な調理を行うほどの十分な火力はなかった。
更なる技術開発によって様々な技術的課題が解決され、
1990年には200V対応のIHクッキングヒーターが開発された。
これによって、家庭において電気による本格的な調理が可能になった。
更に2002年には、
IHクッキングヒーターで調理可能な金属鍋の材質が、
鉄やステンレスに限られるという課題に対応して、
あらゆる材質の金属鍋の加熱調理が可能な
オールメタル加熱型IHクッキングヒーターも商品化された。
これを機に、IHクッキングヒーターは
一般家庭に広く普及するようになった。


レトルト食品

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レトルト食品とは、合成樹脂フィルムや
これとアルミ箔等をはり合わせた
光を通さない材質のパウチ(袋)または成型容器を用い、
内容物を詰めて完全に密封(ヒートシール)し、
加圧加熱殺菌(レトルト殺菌)を行った
袋詰又は成型容器詰食品のことを指す。

1968(昭和43)年に市場に登場してから約40年間で、
およそ18億1427万個(180g入り換算)、
生産総額では約2104億円に上る。

軽量でその取り扱いや開封が容易な点、
短時間で温め可能な点、
容器のリサイクル性が容易な点
等の商品特性が多くの消費者からの支持を得、
消費も大きく伸び、レトルト食品といえば、
今や一般の家庭における代表的な食品(形態)の一角を担っている。

レトルト食品の研究開発は1950年頃の米国にさかのぼるが、
一般消費者向けに広く受け入れられる製品化に成功したのは、
1968(昭和43)年に大塚食品が発売した「ボンカレー」が最初である。

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半透明のレトルトパウチ製品で、
パウチの作製、完全密封のヒートシールを実現する充填機の開発、
殺菌温度と圧力とのバランスの最適化等、
様々な難点を克服したことで実現した。

更に翌年の1969(昭和44)年には、
アルミ箔をしん層とした3層の遮光性のパウチが導入されたことで、
衛生性、長期保存性、常温流通による経済性、
短時間の再加熱で食卓に供せられる利便性・簡便性が
消費者に大きく受け入れられ、
レトルト食品飛躍の発端となった。

その後、次々と参入する企業が増え、
米飯類、ハンバーグ、ミートソースなど
各種のレトルト食品が開発され、
近年では100社を超える企業で
500種以上のレトルト食品が生産されている。

レトルト食品の普及・商業化は、
日本と同様に湯を使う(ゆでる、蒸すなど)調理法が一般的な
アジア中心に広く受け入れられ、多くの国で普及している。


ベスト・カントリー・ランキング  様々な話題

USニューズ&ワールド・レポート誌
「ベスト・カントリー・ランキング」で、
日本が昨年の5位から2位に上がった。

同誌は、
タイム、ニューズウィークに次ぐアメリカ第3位の時事解説誌
調査会社と協力して各種ランキングを発表している。

今年発表された「ベスト・カントリー・ランキング」の
トップ30は、次のとおり。

1位 スイス
2位 日本
3位 カナダ
4位 ドイツ
5位 イギリス

6位 スウェーデン
7位 オーストラリア
8位 アメリカ
9位 ノルウェー
10位 フランス

11位 オランダ
12位 ニュージーランド
13位 デンマーク
14位 フィンランド
15位 シンガポール

16位 中国
17位 ベルギー
18位 イタリア
19位 ルクセンブルグ
20位 スペイン

21位 アイルランド
22位 韓国
23位 アラブ首長国連合
24位 ロシア
25位 ポルトガル

26位 タイ
27位 インド
28位 ブラジル
29位 イスラエル
30位 ギリシャ

上記は、総合ランキングで、
様々な項目で順位を付け、
総合点で決定。

日本の項目別ランキングは以下の通り。
・企業家精神=1位
・冒険的要素=39位
・市民の権利=17位
・文化的影響力=6位
・文化・自然遺産=10位
・原動力=5位
・ビジネスの開放度=22位
・パワー=7位
・生活水準=13位

1位となった「企業家精神」は、
「世界とのつながり」「高学歴人口」「革新性」
「高スキル労働人口」「整備された法的枠組み」といった
起業やビジネスの成功に影響する要素の総合評価となっている。

各項目には、総合ランクに影響する比重が設けられており、
最も比重が高いこの「企業家精神」が1位だったことが、
日本の躍進の原動力となった。

7位の「パワー」は、
政治・経済界の優秀なリーダーの存在、
強固な国際同盟関係、強力な軍隊の存在が
算出基準になっている。

39位と最も低評価となった「冒険的要素」は、
来訪者が楽しめるかどうかを計る項目で、
市民のフレンドリーさ、気候風土の良さ、
セクシーさ(?)などから算出される。

いずれにせよ、世界で最も前向きな国であることや、
経済が上向きなこと、
国民に健康的な環境を提供していること、
文化的影響力の高さなどで高評価を得た。

5位から2位へのランクアップは異例で、
同レポートは
「2019年のベスト・カントリー・ランキングの勝者を
1つだけ決めるのなら、多くの人は日本だと言うだろう」
とまとめている。
このランキングは、
「その国を他国の人がどう見ているか」ということを
数値化したものであり、
2位へのステップアップは、
日本が対外的に高いブランド力を作り上げた結果だと言える。

一方で、同レポートは、
日本人自身は自国を低く評価しており、
「国内的なブランド力は非常に弱い」としている。
「日本国民は、
他の世界の人々よりもずっとネガティブに、悲観的に
自国を捉えている。
様々な面で、日本国民は自国を
世界が思っているよりも生産性が低く、
不安定で、文化的に重要ではないと見ている」
としている。
反対に、日本以外のほとんどの国は、
他国民よりも自分たちをポジティブに見ているという。

この日本特有の「自虐性」は、
謙遜を尊ぶ文化や、
第2次世界大戦の敗戦国だという歴史的な影響、
バブル崩壊後の経済の停滞などによるものかもしれない、という。
同レポートは、それが日本に良い影響を与えることはないと主張する。
自国民の評価が高ければ
国民が外国人との交流の場で自国をPRする良いアンバサダーになるが、
日本人のように自信がない国民は、
自国の悪い面を伝える「逆PR」をしかねないという発想だ。
そのため国内的なブランド力は対外的なブランド力同様、
経済的にも文化的にも重要だ、と同誌は言う。


新元号  様々な話題

3月。
いよいよ平成も最後の2カ月となった。
1カ月後の4月1日に新元号が公示され、
5月1日、新天皇の即位に従い、新元号に変る。

元号は元々天皇の専管事項であったから、
決まってから知らされたし、
明治以降は一世一元になったから、
天皇の崩御と共に改元された。
つまり、庶民はいつ元号が変るかを全く知らない。
今回の改元は、
あらかじめ何時元号が変るかを知らされた、
史上初の出来事
である。

元号とは、日本を含むアジア東部における紀年法の一種。
特定の年代に付けられる称号で、
基本的に年を単位とするが、
元号の変更(改元)は一年の途中でも行われる。
一年未満で改元された元号もある。
日本においては年号とも呼ばれることもある。
江戸時代まで「年号」が多く使われ、
明治時代以降は一世一元の制が定着し、
「元号」は法的用語となった。
元号法が制度の裏付けとなっている。

紀年法のうち、
西暦やイスラム紀元、皇紀(神武紀元)などが
無限のシステム(紀元)であるのに対して、
元号は有限のシステムである。
皇帝や王など君主の即位、
また治世の途中にも行われる改元によって
リセットされて、元年から再度数え直される。

君主が特定の時代に名前を付ける行為は、
君主が空間だけでなく時間まで支配するという思想に基づく。

中国から始まった制度で、
前漢の武帝の治世・紀元前115年頃に、
統治の初年に遡って「建元」という元号が創始されて以降、
清まで用いられた。

現在の中国だけでなく、
朝鮮半島、ベトナムでも廃止されているため、
現在では、
日本独自のシステムになっている。

改元の主な理由は、
慶事(天皇の即位など)は当然として、
疫病や火災、地震などの災害をきっかけにした改元も多かった。
明和9年江戸で大火災が発生。
火災が起こったのは、明和9年(迷惑年)だからだという風説が広まり、
明和から安永に改元された。

改元することで、
災いなどを断ち切り、
来るべき時代こそ
国が穏やかにおさまって
繁栄する時代であってほしい、という願望が込められている。

最も多く改元した天皇は、
後醍醐天皇(1319〜1340年)で、
21年間で8回改元。
江戸時代以前は平均5年で元号を変更。

西暦645年に当たる最初の元号「大化」から「平成」まで
元号は247あるが、
使われた漢字は意外に少なく、
72字しかない。
(候補になったものも含めると147字)

使用頻度が最も高いのは「」の29回。
寛永、嘉永など。
2位は「」「」の27回、
天保、天明、保元、元禄など。

次いで「」の21回、「」の20回が続く。
この5字を含む元号は115個あり、
全体の46.6%を占める。
さらに、6〜10位の5字(正、文、和、長、安)を加えると176個、
実に71.3%になる。

なぜ、一部の漢字が繰り返し使われるのか。
それらの漢字には前向きな意味があり、
平易だという共通点がある。
「永」は「長い」、「元」は「始まり」、
「天」は「人為の及ばない神聖なところ」といった具合だ。

従って、上位10字を組み合わせた元号は多く、
「天応」「文永」「元治」など41(16.6%)ある。

いずれの改元でも、
複数の候補の中から選ばれるから、
何度も候補に上がりながら採用されなかった元号候補というのも出て来る。

不採用となった回数が最も多いのは「嘉徳」の40回。
次いで「寛安」の33回、「建正」の26回。

先の上位10文字の組み合わせでも、
逆に「文長」(24回)を筆頭に、
永安」(16回)、「文元」(15回)、
和元」(14回)、「安長」(9回)などが
過去に複数回、選から漏れている。

明治」は室町時代に2回、江戸時代にも8回候補となった。
大正」は鎌倉時代末期と江戸前期に計4回、
平成」も幕末に「慶応」を決めた時、候補に上がっていた。

昭和」は初めて候補となり、初候補で採用された。
「昭」の字が使われたのも、
「平成」の「成」と同様に初めてだった。
 
「平」は12回目であり、
「成」は元号の漢字として初めて使われた。
「昭和」の「昭」は1回、「和」は19回、
「大正」の「大」は6回、「正」は19回、
「明治」の「明」は7回使われている。

日本の元号は伝統的に二文字であるが、
例外は聖武天皇・光明皇后の時代から約四半世紀、
天平感宝、天平勝宝、天平宝字、天平神護、神護景雲の5つのみである。

日本の元号で最も期間の長い元号は「昭和」の62年と14日
日本だけでなく、
元号を用いていたすべての国の元号の中でも最も長い元号である。

最も期間の短い元号は「暦仁」(りゃくじん)の2カ月と14日である。
「略人」と読まれ、
この世から人々が略される(死んでしまう)と連想されたため、と言われる。


第二次世界大戦敗戦後に、
「元号の廃止」が国会で議題に上がった。
ここで東京大学教授の坂本太郎は、
元号の使用は「独立国の象徴」であり、
「西暦の何世紀というような機械的な時代の区画などよりは、
遙かに意義の深いものを持って」
いる上、
「大化の改新であるとか建武中興であるとか明治維新」という名称を作り、
「日本歴史、日本文化と緊密に結合し」ていることは
今後も同様であるため、
便利な元号を「廃止する必要は全然認められない」一方で
「存続しなければならん意義が沢山に存在する」と熱弁をふるった。
このような賢人によって、元号の制度は守られたのである。

その後、論争を経て1979年(昭和54年)に元号法が制定された。
これは昭和天皇の高齢化と、
1976年(昭和51年)当時の世論調査で
国民の87.5%が元号を使用している実態に鑑みたものである。
元号法では「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、
明治以来の「一世一元の制」が維持された。
この法律により、再び元号の法的根拠が生まれ、現在に至っている。

1979年(昭和54年)10月、大平内閣は、
元号法に定める元号の選定について、
具体的な要領を定め、
次の事項に留意するものとされている。

1.国民の理想としてふさわしい、良い意味を持つものであること。
2.漢字2字であること。
3.書きやすいこと。
4.読みやすいこと。
5.これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
6.俗用されているものでないこと(人名・地名・商品名・企業名等は不可)。

漢和辞典に載っている漢字の数は10700字。
上記「1」でイメージの悪い漢字(悪、死、病など)は省かれる。

すると、対象の漢字は9878字に。

「2」〜「4」で、
常用漢字から選ばれる可能性が高いから、
対象の漢字は1846字に。

更に、政府方針で、少ない画数というのがあり、
1文字15画上限。
だったら、「慶応」は選ばれていない。

すると、更に少なくなり、1656字になる。
この中から2文字の組み合わせで、
既に意味のある熟語を除いて選ばれる。

新元号は、漢学や東洋史の学者(専門家)が
歴史書の熟語や文章から2文字を抜き出して提案し、
有識者による「元号に関する懇談会」で審議。
中国の文献だけでなく、
今回から日本古典も選択肢に入れることになった。

候補名について、
総理府総務長官、内閣官房長官、内閣法制局長官らによる会議において精査し、
新元号の原案として数個の案を選定する。
全閣僚会議において、新元号の原案について協議。
内閣総理大臣は、新元号の原案について
衆議院及び参議院の議長及び副議長に連絡し、意見を聴取する。
そして、新元号は、閣議において、
改元の政令の決定という形で決められる。

平成の時、
新元号の最終案を知っていたのは、
総理、官房長官、文部省審議官、内閣審議室長4人だけ。
総理、官房長官はともかく、審議官が2人入っているのは、
候補の名称が地名や会社名などで使われていないかを精査するため。
それでも後になって、
岐阜県に平成(へなり)という9世帯しかいない小さな集落があることが分かった。
大正はベトナム北部の王朝の元号で使われていたことが後で発覚している。

今回の場合、
元号が変ることが予告されたことにより、
新元号に対する関心は高い。

三菱電機ビルテクノサービスの意識調査によると、
新元号に望む漢字は「」が最も人気が高かったという。
「世の中も人間関係も調和するように願いを込めて」
などの理由が挙げられた。
「和」(13.5%)の次に人気が高かったのは「」(9.5%)。
さらに「」(5.1%)や「」(4.4%)、「」(4.3%)が続く。

ソニー生命の1000人対象の調査では、
1文字予想は、

和 165
安 118
平 112
明  91
成  58
生  45
大  44
新  43
元  39


が上位。

2文字、つまり新元号予想は、

平和 47
和平 19
安久 17
未来 16
自由 11
新生 11
大成 10
羽生  9
希望  9

意味のある言葉は候補になれないから、
平和や和平、未来、自由、希望などはあり得ない。
また、大成は会社名があるし、
羽生に至っては、個人名にあるので、
選考対象にならない。

他に、明治のM、大正のT、昭和のS、平成のHは、
略号として重なるので、
さ行、た行、は行、ま行で始まる年号は除外される。


新元号の予想は、あまり意味のあることではないし、
有力候補が、巷の予想のために
候補から外されるという事態も起こるから、
あまり加熱しない方がいい。

「平成」の時も、
はじめ違和感があったが、
じきに慣れた
今回も、どんな元号でも、
受け入れれば定着するに違いない。


和菓子ランキング  様々な話題

カミさんと娘からのバレンタイン・チョコレート

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ここ数年は、ウィスキー・ボンボンと決まっています。

ところで、新年に購入した福袋のお菓子↓と

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浅草で買ったおかき↓、

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今日、食べ終えました
1カ月半かかりました。

そのお菓子ですが、
外国と比べても
日本のお菓子は、
種類も味も豊富。
中でも和菓子は、
芸術品と言ってもいいくらいです。

毎度おなじみ「ニッポン視察団!」で、
外国人が選ぶ
和菓子ランキングというのをやっていたので、
紹介します。

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一般旅行者ではなく、
日本で働く外国人の
プロのお菓子職人や料理人が選んだものなので、
一味違い、
第1位は意外なものに。

第11位 練り切り

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第10位 かりんとう

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第9位 どら焼き

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第8位 みたらし団子

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第7位 酒まんじゅう

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第6位 わらび餅

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第5位 カステラ

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第4位 ようかん

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第3位 せんべい

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第2位 豆大福

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第1位 たい焼き

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日本のイノベーションA  様々な話題

日本のイノベーション、
今回は記録メディア編。

3. 5インチフロッピーディスク

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3.5 インチ・フロッピーディスクシステムは、
磁性体を塗布したフレキシビリティをもったディスクを用い、
これを90o幅のプラスチックケース内に収納した
画期的な外部記録装置であった。
ディスクの中心部には金属製のハブが備えられ、
高速の位置決めを実現した。
ディスクを覆うプラスチックケースの内面にはライナが備えられ、
読み取り・書き込みを行うために開けられた
ヘッドウインドウはシャッターにより保護されていた。

パソコンが登場した当初、
オーディオ用コンパクトカセットテープ装置などが
記録装置として利用されたが、
パソコンの利用が本格化すると、
それまでの記録装置では
メーカーやユーザーの要求を満足することができなくなり、
フロッピーディスクが注目されるようになった。
パンチカード入力に代わるものとして開発された背景をもつ
フロッピーディスクは、
紙製のジャケットに入れられた8インチ又は5インチのものが中心で、
その普及のためには更なる小型化が求められていた。
同じ時期、北米を中心としてオフィス・オートメーションの波が
急速に広がっており、
コンピュータに不慣れなオフィスワーカーが
無理なく利用できる記録装置の登場が求められていた。

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このような状況のもとで、
ソニーが1980年に開発した
3.5 インチ・フロッピーディスクシステムは、
1981年にまず英文ワードプロセッサー
「シリーズ35」に採用されて米国市場に投入され、
その翌年にはパソコン「SMC-70」に搭載されて
日本市場にも登場した。
コンパクトで扱いやすい3.5 インチ・フロッピーディスクシステムは、
急速に台頭していたシリコンバレーの
パソコンメーカーにも大きな影響を与え、
1983年にヒューレト・パッカード社が
自社の新しいパソコン「HP-150」に搭載したのに続き、
1984年にはアップルコンピュータ社も
新たに開発した「Macintosh 128 」に搭載して
一大ブームを引き起こした。

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3.5 インチ・フロッピーディスクシステムは、
小型ディスク装置の激しい標準化競争を制覇し、
1984年にはISOの国際規格として認定された。
その後、IBM社が自社のパソコンへの搭載を開始するとともに
その普及は急速に進み、
パソコンに標準的に備えられる記録装置の地位を獲得した。
このシステムを主導した
日本製の小型フロッピーシステムの需要は急増し、
1989年から1996年までの8年間の
フロッピーディスク(メディア)出荷量は127億枚、
ディスクドライブも1億2千万台が出荷された。

日本で誕生した3.5 インチ・フロッピーディスクは
その後のパソコンを変えた。


CD・CD−R

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1982年10月、世界に先駆けて我が国で発売された
音楽用コンパクトディスク及びそのプレーヤーは、
それまでの音楽文化を
アナログからデジタルの時代へ大きく変えた。

更にその後開発された情報記録型のCD−ROM、
追記型のCD−Rは、産業界だけでなく、
オフィスや家庭におけるデジタル化を牽引するものとなった。

CDは、光ディスクシステムにおいて世界をリードしていた
オランダ・フィリップス社と、
音声のデジタル信号処理システムで先行していたソニーにより
共同開発された。

最初に規格が制定された音楽用CDは、
優れた音質でノイズが少なく、
小形・軽量で持ち運びができるという特徴から、
音楽愛好家だけでなく、世界的音楽家にも受け入れられ、
発売から5年後にアナログレコード・カセットテープを凌駕し、
20世紀末には新譜オーディオレコードの9割近くを占めるものとなった。

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ソニーとフィリップスは、
それぞれCBSソニー、ポリグラムというレコード会社を傘下に持ち、
それまでのレコードとは全く異なる材料を用い、
IC工場並みのクリーンルームを必要とする
CDソフトの製造へ積極的な投資を行い、
その結果実現したのがハードウエアとソフトウエアのシナジーであった。

ソニーとフィリップスが1985年に発行した
コンピュータ用データのための記録方式(CD−ROM)は、
コンピュータへの適用により大きな飛躍を迎えることになる。
当初互換性の問題を抱えていたが、
それまでの記録媒体の主役であったフロッピーディスクの
400倍を超える容量を持ち、
ソフトウエアの流通を大きく変えた。
特に1988年に
ISO9660(国際標準化機構が定めた
CD−ROMファイルシステムの国際標準)が制定されるとともに、
一気にその普及が始まった。
日本メーカーはドライブ等の開発に積極的に取り組み、
1995年には我が国の製品が世界市場の90%近くを占めるものとなった。

当時の限られたネットワーク環境の下で
CD−ROMは音声・動画・写真等のデータの利用を可能とし、
新しい規格はいわゆるマルチメディア時代の幕を開くものとなった。

その後、太陽誘電が1988年に開発したCD−Rは、
CDと完全互換性を持つ
世界で初めての書き込み可能なコンパクトディスクで、
金属反射層の前に設けた特別な色素の記録層に
強いレーザー光を当てることにより記録するものである。
CD−Rの利用は、
当初放送局やクリエータ等の業務用に限られていたが、
リーダー・ライターが普及し、
価格が大きく下落するとともに、
その利用は広く一般消費者にも拡大した。
2003年の世界のCD−R販売数は100億枚、
CD−Rドライブの出荷数は9千万台を超えた。


DVD

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DVDは、厚さ0.6 o、直径120 oの
円盤2枚を張り合わせたディスクに
映像・音声等のデジタルデータを記録し、
赤色レーザーを用いたピックアップにより読み取る光ディスクである。

1990年代に入り、画像処理技術が急速に進展するとともに、
米国映画産業等から劇場で観るものと同じような臨場感を持ち、
ほとんどの映画を1枚に記録できる135分の容量を持ち、
かつ低価格である光ディスクの開発が要請された。

オーディオの分野では早くから
コンパクトディスクが採用されていたが、
CDの波長では3GBを超える大容量化が
困難と考えられていたことなどから、
我が国の電機メーカーは
革新的光ディスク開発への挑戦を始めた。

CD規格を主導したソニーフィリップスは、
新たに赤色レーザ・ダイオードを用い、
フォーマット効率を向上することにより、
3.7GB の容量を持つMMCD(Multimedia CD )を開発し、
1994年12月にこれを新しい高密度光ディスクの規格候補として提唱した。

一方、早くから新しい光ディスクの研究・開発を行っていた東芝は、
相変化光ディスクを開発する中で、
0.6 o基板を用いることにより
対物レンズの開口数を高め、
高密度化が可能なことを実証していた。

松下電器産業(現パナソニック)もまた、
0.6 o基板2枚を張り合わせることにより
光スポットの歪みを半分に抑え、
記録容量を大幅に増加する技術を開発していた。

これらの技術をベースに、
東芝とパナソニックは赤色レーザー技術を適用した
5.0GBの容量を持つSD(Super Density Disc)方式を開発し、
1995年1月に高密度光ディスクの規格として提唱した。

各社は競合が進む中で、
市場に出る前に規格戦争を回避する努力がなされた。
両陣営に中立的な立場のIBMを仲介役に加え、
統一交渉が行われた。
SD規格(東芝、パナソニック陣営)から
ディスクの貼り合わせ構造とエラーコレクション方式を、
MMCD規格(ソニー、フィリップス陣営)から
サーボトラッキング方式と信号変調方式を採用し、
ベストな技術を組み合わせた新規格DVDが誕生した。

1996年11月、最初のDVDプレイヤーが
東芝及びパナソニックから発売され、
その翌月にはパイオニアがDVDプレイヤーと
DVD/LD/CDのコンパチブルプレイヤーを発売した。

DVDの普及のカギを握っていたマシンの低価格化は
ソニー・コンピュータエンタテインメントが
2000年に発売した家庭用ゲーム機により火がつけられた。
DVDドライブを搭載した「プレイステーション2」は
発売から3日間で累計販売台数98万台を達成するという
大ヒット商品となり、
DVDを家庭に普及させる原動力となった。

書き込みのできるDVDレコーダは
1999年にパイオニアにより発売された。
DVDプレイヤーについてはその後大衆化が進み、
日本以外でも製造されるようになったが、
DVDレコーダについては
我が国の技術が世界市場をリードし続けた。
また、記録型のDVDドライブは
PCの標準機能として搭載され、
高速記録の技術や薄型ドライブの技術を進化させ続けた。

2010年には、
日系企業の記録型DVDドライブの売上高は4047億円あり、
世界市場の80%を占めた。







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