ついに辞任  政治関係

舛添要一都知事がついに辞任した。
高額海外出張費から始まり、
公用車による別荘地通い
政治資金の公私混同と広がった
一連の問題も一段落だ。

「真実が解明されていない」という声もあるが、
セコい一人の政治家が
政治資金規制法に使途の規程のないことを逆手にとって、
家族旅行の費用や会食、様々物品購入の支払いに
政治資金をあてた、というだけのことだ。
それ以上の細かい事実の究明など
もはや必要あるまい。

正月のホテルを訪れた「元新聞記者の出版社社長」も、
その氏名を明らかにできないのは、
そういう人物は存在しない、ということだ。
あれは、純粋な家族旅行だったのだ。

それにしても、教育上悪い1カ月だった。
尊敬されるべき高い地位の人は
厳しく自分を律しなければならないのに、
それをせず、
言い訳に終始する姿は、
子どもたちの心に
こんな人でも高い地位につくことが出来るんだ、
と思わせたことだろう。
そして、壊れたテープレコーダーのように
同じ言い逃れをする姿に、
なんとも言えない侮蔑を覚えたことだろう。

「第三者の厳しい目」のはずの弁護士が、
舛添知事の言い分だけを聞いて裏付け調査をせず、
「不適切だが、違法ではない」という結論に、
「へ〜え、法律って、そうなんだ」と思い、
「法律の隙間をつけば、何でも許されるんだ」
と認識したことだろう。

そして、「生まれ変わった気持ちで」と職に留まろうとする姿に、
「何をしても、本人が辞めると言わなければ、居座れるんだ」
と思ったことだろう。

「ノブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)」は、
「高貴な身分に伴う規範的義務」などと訳されるが、
舛添さんは、その言葉を一から学び直さなければならない。
都知事だからこそ、
税金を有効に使うために
出張旅費は少しでも少なくする努力、
公用車を与えられているからこそ、
公私をしっかり分けて運用する規律、
そして、政治資金に税金が投入されている事実を重く捉えて、
一円、一銭までも公私の使途を峻別するけじめ。

それなのに、まるで中小企業の社長のように
私的会食も家族旅行も趣味の物品購入も
領収書を全部会計責任者に投げ渡した。
「これを付けておいてくれ」と。
オーナー社長ならまだいい。
会社の利益は自分がもたらしたという自負があるからだ。
しかし、政治資金は税金が投入されているのだ。

2年前の都知事選挙で舛添さんを支援した自民党・公明党の
及び腰もいただけない。
解散になった時の都議選をおそれる気持ち、
リオ五輪、東京五輪への影響、
次の知事候補に適切な人がみつからない、などの
「大人の事情」で逡巡する姿も
こどもへの教育上は悪かった。

どうせ辞任するなら、
初期の段階で潔く辞めていれば、
あんなにもみっともない姿をさらすこともなかった。
その意味で情勢を正しく認識出来ない人だということが分かってしまった。

ようやく辞任に至ったが、
とんでもない人間を知事にしてしまった
という後悔が都民の間に広がる。
ただ、リオ五輪の閉会式で
オリッピック旗を舛添さんが受け取る姿を見ずに済む、
というだけても救いだった。
しかし、東京都知事が「政治とカネ」の問題で
2人続けて、任期なかばで辞任したという事実は消えない。

8月初頭に都知事選挙をすると、
4年後、東京オリンピックの最中に都知事選挙になってしまう、
と心配する向きがあるが、
それも、オリンピックの半年又は一年前に
都知事が辞任して信を問う都知事選をすれば済むことだ。

今回の一連の事態で
子どもたちには、
法的責任よりも
道義的責任の方が重い

ということを
誰かが教えなければならない。

舛添要一、67歳。
これからの人生をどうやって生きていくのだろうか。


「第三者の厳しい目」  政治関係

聞きましたか、
舛添知事の
「第三者の厳しい目による」調査報告

(写真を掲載しようとしましたが、
あの顔を見るとハラが立つので、やめました)


「不適切だが、違法性はない」ですって。
その根拠は、
「政治資金の使途に定めがないから」だと。
いかにも弁護士らし言い分だが、
「政治資金規制法」がザル法だと認めていることになる。

「クレヨンしんちゃん」の購入が
政治活動とは、どう考えても無理で、
誰が考えても「不適切」。
だが、「違法ではない」。
しかし、会社で社員が
「クレヨンしんちゃん」を会社の金で買って、
「営業活動に役立つのだ」と言ったら、
懲戒処分ものだろう。

「虚偽記載ではないか」という記者の問いにも、
「そうとは認められない」。
政治資金報告書に
政治活動に関係ない支出を記載すれば、
それは「虚偽」ではないか、
というのが、普通の考え方だが、
法律家の見解は違う。
法律家は法律に書かれたことが全てだからだ。

それにしても、家族で行った旅行や
家族で行った飲食を
「政治活動」として政治資金報告書に記載したことを
いちいち指摘されて、
みっともないことこの上ない。

「どうしてこういことをしたのか。
家族で楽しんだことを
政治資金として支出することを
恥ずかしいとは思わなかったのか。
こんなことを政治資金で支出したら、
自分は政治家としては失格になる、
とは思わなかったのか」
と誰か質問してほしかった。

「批判に値するような極めて恥ずかしい行動をしてきた」
と舛添知事は言っていたが、
恥を知るサムライなら、とっくに腹を切っている
「反省」を繰り返し、
その上で、舛添氏は
「公私の区別を明確にし、
信頼を少しでも取り戻すべく、
粉骨砕身、生まれ変わったつもりで<都政運営に努めていきたい」
と述べ、
知事職を続ける考えを改めて表明した。 

政治は「信なくば立たず」
どんな行事に出てスピーチしても、
都民の中には、
あのみっともない記者会見の姿が染みついている。
職員だって、
「公私混同」している人には従いたくないだろう。

中国・上海でシルクの中国服2着(計3万5000円)を買った件も、
弁護士の聞き取りに、知事は
「書道の際に着ると筆がスムーズに滑る」
と実演を交えて説明したといい、
「具体的で説得力がある」
として不問とされたという。
しかし、待って下さいよ。
そういう服は、給料で購入するものではないのか。
それだったら、普通のスーツも何も
全部政治資金でまかなえる。

こんな安易な説明で
納得してしまう(言いくるめられてしまう)
この二人の弁護士の能力を疑う
これが「第三者の厳しい目」といえるのか。

この佐々木という弁護士、
ヒアリングは「必要に応じてした」といい、
たとえば飲食店の聞き取り調査などはしていないことを認めた。
そして、記者に対して
「ヒアリングを行うことで、
どういう意味があるか」
と逆質問した。
これは記者にとっては「裏をとる」ということが最重要という
認識の違いによるもので、
飲食の時、家族以外に誰がいたか、
会議は実際に行われたか、は
ヒアリングすべきものだろう。

この弁護士、
「あなたは事実認定ということを
ご存知ないから、そういうことを言いますけれども」
などと上から目線で感じが悪い。
「ご存知ない」なら、
「ご存知ない」方への説明の仕方があるわけで、
「あなたはご存知ない」で
相手を封殺するのは、
モノを説明する点での悪手の典型だ。
「関係者とはどのような人か」と訊かれて、
「関係者は、関係者ですよ」という答も、
随分人を馬鹿にしている。

途中で知事が
「自民党に所属していた時代は、
自民党独自に作った内規があり、
党の厳しいチェックを受けた」
と言い、
自分の党を作って「慢心し」、ぐずぐずになってしまった、
という意味の説明をしたが、
そういう点では自民党はさすがだ。
それを学習せず、
手本としない知事は資質に欠けていると言えよう。

いずれにせよ、
今回の調査報告は、ひとことでまとめると、
「不適切だが、違法ではない」

法律家に調査させるからこうなるんであって、
結果は見えていた
「違法性はない」というお墨付きを与えられて、
これは舛添知事の思惑通りといえる。
これで都議会を乗り切るつもりか。

残りの任期の給料とボーナス、
退職金をまとめると、
1億円くらいになるらしい。
だとしたら、
知事はどんなに恥ずかしい思いをしても、
都の職員がどんなにやる気を失っても、
そして都民がどんなに東京都に住む誇りを失っても、
しがみつく

調査は法的問題だけでなく、道義的責任も含めて
識者を入れての調査にすべきだ。
都議会は、
識者を入れて、
道義的妥当性を判断する「第三者委員会」
立ち上げるべきだろう。


マスコミと権力  政治関係

帰国後のまとめ読みをした新聞のコラムで、
次のようなものがあった。

「日本の報道の独立性は重大な脅威にさらされている」。
国連人権理事会の特別報告者、
デービッド・ケイ氏は19日の記者会見でこう指摘し、
政府の圧力がメディアを萎縮させていると批判した。
日本で国会議員や報道機関関係者、
NGO(非政府組織)関係者らの話を聞いたというが、
よほど偏った人選だったのか。

▼報道の現場にいる身の実感では、
そんな脅威などさらさら覚えない。
報道機関は「報道の自由」だけでなく、
自社の論調に合わない事実は取り上げない
「報道しない自由」も謳歌していると揶揄される。
行政・立法・司法の三権に優越する「第一の権力だ」(政府高官)と
皮肉られることもある。

▼ケイ氏が面会したジャーナリストの多くが、
有力政治家からの「間接的な圧力」によって仕事を外され、
沈黙を強いられたと「匿名」で訴えたのだという。
何とも曖昧でにわかには信じ難い話であり
、事実関係も確かめようがない。

▼そういえば先月、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏も
記者会見でこう述べていた。
「安倍政権はテレビ報道を神経質に気にして、
監視チームを作ってチェックしている」。
これもまた根拠不明で裏付けの乏しい発言だった。

▼ジャーナリストを自称するのであれば、
具体的な事実に基づいて主張すべきではないか。
最近はやりの「マスコミ萎縮論」に共通するのは、
誰も明確な根拠を示さず、
揣摩(しま)臆測ばかりが独り歩きしていることだろう。

▼現在、報道機関やジャーナリストを監視し、
チェックしているのは政府ではなかろう。
むしろ、インターネットという
情報収集・発信の手段を手にした市井の人ではないか。
恐れるべきは実態の伴わない政府の圧力などではなく、
国民が向ける厳しい視線である。

国連人権理事会の特別報告者とは、
随分偉そうだが、
お粗末な人間を派遣したものだ。
数人の人間から聞き取り調査したくらいで、
一つの国の状況が把握出来るはずがない。
少なくとも1年、普通なら数年いて全体像が分かるというものだ。
聞き取り調査で聞いた内容の裏付け調査をすれば、
発言者の内容が正確かどうか分かる。
聞き取り調査を鵜呑みして
報告書を作るのなら、
学生のレポートと変わらない。

この「国連の特別報告者」のていたらくを見ると、
どうしてもクマラスワミ氏のことを思い出してしまう。
国連人権委員会の「女性に対する暴力特別報告者」として、
慰安婦に関する報告を書いた人だ。
この人は韓国の施設で
慰安婦の話を聞き、
それに同情したのか、鵜呑みして、
報告書に荒唐無稽な慰安婦の証言を掲載した。
裏付け調査をすれば、
真実であるか判明するのに、
それを怠った。

この報告でどれだけ日本が迷惑をこうむったかわからない。

そもそも報告者が一人、というのがおかしい。
やはり複数の人間がことに当たって、
異なる観点から検証すべきなのに、
一人の人間に報告書の執筆を任せている。

ケイ氏も、もっと時間をかけて、
多方面の意見を収集すれば、
日本が世界で最も高水準の
言論の自由が保証された国だと分かっただろうに。

それにしても、
日本の言論人は
なぜこうも被害者意識が強く、
毅然とした姿勢を持てないのだろうか。


また、阿比留瑠比氏が、
次のようなコラムを書いている。

少し前の話で恐縮だが、
元外交官で立命館大客員教授の宮家邦彦氏が
14日付本紙朝刊に寄せた
「ジャーナリズムの本質とは」
と題したコラムを取り上げたい。
報道の目的とあり方についての考察に、
深くうなずけたからである。

宮家氏は、朝日新聞の記事中で、
あるニュースキャスターが
ジャーナリズムの最大の役割を
「権力を監視する番犬『ウオッチドッグ』であること」
と述べていたことに「強い違和感」を表明する。

そして在京の外国特派員らに意見を求めたところ、
「権力の監視」説は少数派で、
多数派の見解は
「事実を可能な限り客観的に伝えること」だったと指摘し、
こう結論付けている。

「ジャーナリズムの任務は、
相手が権力であれ、非権力であれ、
自らが事実だと信じることを人々に伝えることが第一であり、
『権力の監視』はその結果でしかないということだろう」

筆者も長年、著名ジャーナリストやキャスターらが
ためらいなく報道を「反権力」と位置づけ、
自分たちの使命を「権力の監視」と主張することが不思議だった。
権力側であれ非権力側であれ、
いいものはいい、ダメなものはダメの是々非々でいいだろうにと。

例えば、田原総一朗氏は
3月24日に日本外国特派員協会で開いた記者会見で、
こんな見解を示した。
「時の権力、時の政権に対して、
いかにそれをウオッチするか、
どこが間違いかを厳しく追及するのがマスコミの役割だ」

また、岸井成格氏は3月25日のTBS番組でこう強調している。
「何よりも真実を伝え、
権力を監視するジャーナリズムの姿勢を貫くことがますます重要」

真実という容易には近づき得ない言葉を
手軽に使うのはどうかと思うが、
事実を伝えることであれば何より重要なのは当然だ。
ただ、それを権力の監視とイコールであるかのように
結びつけて語るのは短絡的ではないか。
そもそも、国民がいつそんな役割や使命を彼らに委託したのか。

現在、マスコミ自体が行政・立法・司法の三権と並ぶ「
第四の権力」と呼ばれる。
政治家からは、半ば本気で
「本当は第一の権力だ」と言われることも珍しくない。
実際、田原氏は前述の記者会見でこともなげにこうも語っていた。

「僕は首相を3人失脚させたんだけど、
僕のところに圧力なんて何にもない」
3人もの現職首相のクビを飛ばしたというのが事実であれば、
それはどれほど大きな権力だろうか。
その国政と社会への影響力は計り知れない。
ならば、巨大な権力者そのものである田原氏らは、
自分たち自身をも監視対象に置かなければならない理屈となろう。

米国のジャーナリズム界の長老と呼ばれ、
20世紀最高のジャーナリストとたたえられたリップマンは、
「ジャーナリストは自分が主観的なレンズを通して
世の中を見ていることを知っている」
と指摘し、
その要求される仕事について次のように記している。

「人びとの意見形成のもととなる
いわゆる真実といわれるものが
不確実な性格のものであることを
人びとに納得させること、(中略)
政治家たちをつっついて
もっと目に見えるような諸制度を確立させること」

少なくとも「真実はわれにあり」とばかりの
上から目線で権力を監視することや、
とにかく反権力の姿勢をとることが
ジャーナリズムの本分だとは思えない。


なるほど、と思える内容だ。
特に、
「ジャーナリズムの任務は、
相手が権力であれ、非権力であれ、
自らが事実だと信じることを人々に伝えることが第一であり、
『権力の監視』はその結果でしかないということだ」
という指摘は奥深い。
こういう発想は、
正義の使者と自分を思っている
日本のマスコミ人からは出てこないものだ。

「僕は首相を3人失脚させたんだけど、
僕のところに圧力なんて何にもない」
という田原氏の発言は、
それこそ、
日本が言論の自由が保証された社会であることを証明するものだが、
その田原氏に対して、

ならば、巨大な権力者そのものである田原氏らは、
自分たち自身をも監視対象に置かなければならない理屈となろう。

という指摘は鋭い。

それにしても、
「僕は首相を3人失脚させた」という田原氏の発言は
思い上がりもはなはだしい。
しかも、自慢話だ。
ある人が元総理という人の講演を聞いて、
「全部、自慢話。聞くに耐えなかった」
と言っていたが、
思い出話、自慢話で嫌われるのが老人というもの。
田原氏も老いた。


ああ舛添知事  政治関係

「スター・ウォーズ フォースの覚醒」のブルーレイ、
5月4日発売のはずが、
我が家には、もう届いています。

↓が外箱。

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↓が本体。

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↓その裏側。

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ボーナス・トラックは↓のとおり。

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5月4日はルーカス・フィルム公認の「スター・ウォーズの日」
日本でも、日本記念日協会が記念日として認定。
なぜ5月4日なのかというと、
映画の中に登場する
「May the force be with you
(フォースとともにあらんことを)」
という名セリフの「May」を「5月」、
「force」を「fourth=4日」とかけた語呂合わせ。

せっかく記念日に発売と決めたのに、
このフライング。
早く入手出来たのは嬉しいですけどね。


帰国して、たまった新聞を読むと、
熊本地震もさることながら、
舛添要一・東京都知事に批判が集中している。

一つは、高い海外出張費
もう一つは公用車で神奈川・湯河原の別荘に出かけていること。

海外出張費は、
主に次の4点。
@ファーストクラスが必要か
Aホテルはスイーツが必要か
B空港での貴賓室は必要か
C総費用がかかり過ぎ

ファーストクラスは条例に定められたとおりで、
長い飛行機の旅を考えれば、
肉体的にも妥当かもしれない。
しかし、「条例通り」「ルール通り」という言い訳は官僚的。
「立場に対しての待遇は必要」
では並みの人間。
「俺は偉いんだ。
それにふさわしく扱え」
と言っているように聞こえる。
ここは「規定ではファーストだが、
私はビジネスで結構」
と言えば、男が上がっただろうに。

「世界一貧しい大統領」と言われた
ウルグワイのムヒカ前大統領は、
大統領時代もずっと公邸には住まず、
首都郊外の質素な農場に妻と住んで菊を栽培。
運転手付きの公用車に乗る代わりに
中古のフォルクスワーゲン・ゴルフを愛車とし、
飛行機移動にはエコノミークラスを使用。
更には大統領報酬の90%程度を
貧しい人々や零細企業向けのチャリティに寄付して、
自身は月に1000ドル程度で生活。
こういう人になら、
ついて行こうと、下の者は思う。

リーダーがファーストクラスを使えば、
その下の職員の多くはビジネスクラスを使い、
一人だけの問題ではなく、
全体の費用が上がることにつながる。

一泊15万円のホテルのスイートの使用についての言い訳は、
「突然の来客に失礼にならないように」。
しかし、必要な人には昼間会っており、
ホテルを訪ねて来る要人などいない。
実際、そのケースはなかった。
もしあったとしても、
知事が泊まっている部屋で会うなどというのは、よほどの人。
ホテルにはレストランやバーなどもある。
警備の関係上、スイートでなければならないという理由は論外。

職員があれこれ気を遣って(経費が)膨らんでしまう、
知事本人の指示ではなく、
周囲が気を回してしまうことがあると指摘する人もいるが、
「この知事は豪華にしないとうるさいぞ」
と職員が感じているのだろう。

橋下元大阪府知事は、
自身が大阪府知事、大阪市長時代に、
知事・市長の出張規程を
「むちゃくちゃ、せこい規定に変えてやった」そうで、
航空機=国内線はエコノミー、
JALのJクラス利用は1000円自腹、
海外出張の場合はビジネス使用OK、
東京や名古屋などの都市部宿泊=1泊13200円、
その他エリア=1泊11600円まで、
海外宿泊=米国欧州の大都市は29000円、
シンガポール以外のアジアの都市は19400円、
と決めたという。

橋下氏は言う。
「舛添さん、ルールに従っているというのは官僚答弁。
不合理なルールはどんどん変えないと。
それが知事の役割」

空港での貴賓室の問題。
舛添知事の一行は空港の貴賓室を3回借りており、
約165万円の支出。
つまり1回55万円を
搭乗までのわずかな時間を過ごすために使ったことになる。
理由はセキュリティーとスムーズな出入国のためだというが、
ビジネスクラスであれば、ラウンジがあり、
ましてファーストクラスは特別ラウンジもある。
なのに、お殿様みたいに周囲と隔離。
やはり贅沢だ。

舛添知事の海外出張は
知事就任後2年間で8回出かけていて、
総費用は2億1305万円、
1回の平均は2663万円。
これだけあれば、
他の事業に回せるのではないか。

それに、外務大臣でもあるまいし、
なんでそんなに外国に出掛ける必要があるのだろう。

私は一度、ニューヨークで
当時の青島都知事を見かけたが、
何を大名行列をしているんだろう、
と思ったものだ。

これら全てひっくるめて、
こんなことで都政の行財政改革ができるのか
という大きな問題が出て来る。

石原都知事時代に大幅な職員の削減をしたが、
こんなことではやめていった人が浮かばれない。
都の人口は増え続け、
福祉や医療予算は益々膨らみ、
既に教育予算はやや削減されている。
行政のトップが大名旅行をして、
ファーストクラスでスイートに泊まっているのでは、
行財政改革に説得力がなくなるのは必至だ。


次に、湯河原町の別荘に週末滞在する問題。
約1年で計48回。
おおむね毎週金曜日の午後2、3時に都庁を出発するという。
まだ都の職員が働いている時間である。
週明けには、
公用車が湯河原町に迎えに行ったという。

舛添都知事は次のように弁明する。

@別荘は事務所として使っていて、
 公務も行っている。
A別荘には広い風呂があり、
 激務の知事の健康管理の点から重要である。
B公用車は秘密保持が出来る。

しかし、公務を行っているから、
どこに行くのにも公用車を使えるというなら、
政治家にとっては何でも公務の範囲になる。
全てが「公」という主張になれば、
公私の区別は意味がなくなる。
やはり自分の別荘を公務の場所とするのには無理がある。
石原元都知事も逗子に別荘があったが、
逗子へは私用車で行っていたという。

しかし、公用車がどうの、という前に、
東京から100qも離れた場所にいて、
緊急の場合に対応できるのか
という根本的問題がある。
特に、最近地震が多く、
東京直下型地震が起った時、
トップが東京にいないで対応できるのか。

これについては、
舛添知事は
「3人の副知事が輪番で代理をちゃんとつとめている」
と言うが、
自分の補佐に頼る、というメンタリティが
既にトップとしての気概に欠けるのではないか。
「湯河原にも世田谷の自宅と同じ緊急連絡体制を敷いており、
どこにいても、しっかり指揮すればいい」
とも言うが、
指揮官が現場にいない事態は
著しく求心力に欠けてしまう。
いざ地震が起れば、
5分の遅れ、10分の遅れが
重大な結果を招くのだ。

この人はなにか緊張感に欠けており、
官僚的発想がどこかにある。

「このところ仕事が忙しかった。
一番静かで仕事ができる場所なので、
資料を読み込んで
次の週の準備などをしていた」
「健康を保って、頭を整理して、
都民のために働く態勢を整えるのも
知事として重要な役割だ」
と言っているが、
その場所が遠く離れた場所だから問題なのだ。
それに、誰でも仕事は忙しい。
でも、別荘など持ってはいない。

これについては、
中央大学の佐々木信夫教授(行政学)はこのように言う。
「1300万人を預かる都知事が
夏休みや正月でもないのに、
東京から遠く離れたところへ
毎週のように行く姿勢は許されない。
都知事のような公人は
365日24時間勤務に近く、
休みはないに等しいが、
公用車をのべつ幕なしに使うのは問題だ。
公私の分別がなく
自己が弱すぎる。
休める場所や勉強場所がほしければ、
都心から近いところに
自費で用意すべきだ」

ここは、舛添知事、
「私の考えが至りませんでした」
と謝ればいいのだが、
この人、謝れない人だからな。
それにしても、
問題だらけなのに、
「全く問題ありません」
はないだろう。

新宿区矢来町の都立市ヶ谷商業高校の跡地
東京韓国学校の増設用地として貸し出すのも不思議な話だ。
新宿区が都に対し、
保育所整備地域として借用できないかと
申し入れをしていたのに。
2014年7月に訪韓し、
朴槿恵大統領に約束してしまったのが原因で、
外務大臣でもないのに、
日韓関係を改善させるためらしい。
「都民より外国を優先するのか!」
と言われても仕方ない。

どうもこの人は
都知事になって以来、
やることが横暴の上にトンチンカンで
反省もない。
都民はまた間違った選択をしてしまったようだ。



市長退職金20円  政治関係

1月21日に退任した
栃木県那須塩原市阿久津憲二前市長(72)の退職金は
20円だという。

阿久津氏は給料の3割カットと退職金ゼロを公約に掲げて
2012年の市長選で初当選。
自らの給料を減額する特例条例を定めて
同年4月以降の月給を96万円から67万2千円にし、
退任時の月給を「1円」と定めた。

退職金は、退任時の月給と在任期間を元に支払うため、
給料の20カ月分、
つまり20円になるという。

残念ながら、昨年12月の市長選で落選。

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特例条例は21日で失効。

君島寛新市長は、
給料や退職金のカットについては
「十分話し合って検討したい」
と述べるにとどめた、という。

特例条例がなければ退職金は1935万3600円だった。

2万円や3万円のことなら、
「いらないよ」とカッコつける人もいるだろうが、
2千万円近い金を「いらない」と言うのは、
見上げたものだ。
公約を守る、という姿勢を貫いたのだ。


逆に、自ら定めた条例
平気で破った人もいる。

埼玉県の上田清司知事だ。

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「しがらみ一掃」をうたって、
2003年に初当選。
公約にも掲げていた多選自粛条例、
具体的には、
自身の任期を連続3期までと縛る条例制定を
都道府県で初めて果たした。

だが、3選半ばの2013年以降は
「自粛条例なので(立候補)できないわけではない」
「多選の弊害は防げる」
などと述べ、
ついに昨年の知事選に、
「県民の期待を裏切るわけにはいかない」
として、立候補。
「条例を守れなかったことについて深くおわびしたい」
と会見で謝罪した。

謝ればいい、というものではない。
「ゴメンで済んだら警察要らない」である。
子供だって、そんなことは知っている。

知事選への立候補を表明した人がいないという現状があったため
「このままだれも挙手する人がいなければ、
県政運営に混乱が生じる」
ということも理由にしている。
しかし、後継者の育成ということも
知事の職務にはあったはず。
それを怠っただけではないのか。

県議会では、
条例の順守を求める決議案を賛成多数で可決した。

それでも立候補を強行。
その結果、大差で四選を果たした。

上田知事が初出馬した時の「上田きよしのマニフェスト2003」には、
「多選禁止(自粛)条例を制定します。
県政の停滞と腐敗を防ぐという観点から、
3期12年を限度とする、
知事の多選禁止(自粛)条例を新たに策定します」
とはっきり書かれている。

条例には、
「知事が幅広い権限を有する地位にあることにかんがみ、
知事の職に同一の者が長期にわたり在任することにより
生ずるおそれのある弊害を防止するため、
知事の在任期間について定め、
もって清新で活力のある県政の確保を図ることを目的とする」
とある。

四選を果たした上田知事は、
その後、
自らの任期を3期12年を限度と定めた多選自粛条例について、
「実効性がなくなっている」
と述べ、改廃する意向を示した。

実効性がなくなったのは当然。
なにしろ、定めた本人が破っているのだから。

ほとんど漫画だ。

自ら公約に掲げ、
自ら定めたルールを
自ら破る。

こんな信用できない人を
埼玉県民は当選させてはいけなかったのではないか。

以上、
「公約を守る人」と「守らない人」の比較でした。






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