ストラディヴァリウスのコンサート  音楽関係

昨日は、夜、
家族3人で、
新浦安駅近くの
浦安音楽ホールへ。

クリックすると元のサイズで表示します

6階のコンサートホール

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

公演は、
ストラディヴァリウス・デュオ・コンサート
〜1725年製「ウィルヘルミ」と1716年製「ブース」の響き〜

浦安市・日本音楽財団主催
日本財団助成

つまり、
日本音楽財団が所有する
ストラディヴァリウスを貸与してのコンサート。

公益財団法人日本音楽財団は、
音楽文化の普及と振興を目的として設立された団体。
主な事業は、所有する楽器を演奏家に貸与する「楽器貸与事業」。
高すぎて買えない演奏者に
名器を貸して演奏してもらおうという、
意義ある事業。
ストラディヴァリウスを19基所有しており、
所有楽器の資産額合計は、
100億9900万円と計上されている。
運営は、日本財団が全面支援を行っている。

公益財団法人日本財団は、
2011年まで
「財団法人日本船舶振興会」だったことから分かるように、
公営競技である競艇(ボートレース)の収益金をもとに、
海洋船舶関連事業の支援や公益・福祉事業、国際協力事業を
主に行なっている公益財団法人。
創立者は笹川良一さん、といえば、
「一日一善」などのCMでご存知の方も多いはず。
一時期、あの賢人・曽野綾子さんも会長を務めたことがある。

つまり、ボートレースの愛好者が
投票した賭金が、
巡り巡って、
ストラディヴァリウスの音色となって、
浦安市民の耳に届く、
というわけだ。

出演者は、大谷康子(ヴァイオリン)
吉田南(ヴァイオリン)
福間洸太朗(ピアノ)
のお三方。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

チラシは↓だが、

クリックすると元のサイズで表示します

左側の人、
ステラ・チェンさんは、
新型コロナウイルス感染症に関わる入国制限により来日困難となったため、
大ベテランの大谷康子さんが出演した次第。
ステラ・チェンさんも、大谷康子さんも、
共に日本音楽財団の「楽器被貸与者」。
大谷康子さんが貸与されているのは、
ストラディヴァリウス1725年製ヴァイオリン「ウィルヘルミ」。

クリックすると元のサイズで表示します

吉田南さんが貸与されているのは、
ストラディヴァリウス1716年製ヴァイオリン「ブース」。

クリックすると元のサイズで表示します

古いチラシに
「〜1708年製「ハギンス」と1716年製「ブース」の響き〜」
とあるところを見ると、
ステラ・チェンさんの貸与されているストラディヴァリウスは、
「ハギンス」というものらしい。

なお、「ウィルヘルミ」は、
長くこの楽器を所有していた
ドイツのヴァイオリン奏者アウグスト・ウィルヘルミに
ちなんで名付けられた。
「ブース」の方は、
イギリスのブース夫人が所有していたため。

実は、我が家の3人の目当ては、
ヴァイオリニストのお二人ではなく、
ピアノ演奏者の福間洸太朗さん。

娘とカミさんがファンで、
演奏会にしばしば行っている。
今回は浦安に来るというので、
私もお付き合いした次第。

曲目は、                                    
ルクレール:
2つのヴァイオリンのためのソナタ ホ短調作品3-5
フランク:
ヴァイオリン・ソナタ イ長調
ブラームス:
ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調作品108
ショスタコーヴィチ:
2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品

最初の曲は、大谷さん、吉田さんの二人の競演。
2番目が吉田さん、福間さん、
3番目が大谷さん、福間さん、
最後のが三人の競演。

どれもなじみのない曲ですが、
めったに聴けないストラディヴァリウスに耳を奪われました。

楽譜がiPadになっているのは、
初めて見ました。
ページの切り替えは、
誰かが、袖でやっているのか、
と思ったら、
床に置いた板状のものを
足で踏んでいました。
(大谷さんだけは、従来の手めくり。)

料金は、5千円と格安。
浦安市民は4千円。(200名限定)
「本コンサートチケット売上の全ては、
浦安市文化芸術振興基金に積み立てられ、
市民の文化芸術活動の普及振興に使われます」

とプログラムに書いてあるところを見ると、
今回のコンサートの出演料等は、
チケット代でまかなうのではなく、
浦安市と財団が全て持っているようだ。

浦安市民は幸せだね。

なお、浦安音楽ホールについては、
内覧会に行った時のブログ↓を参照。

浦安音楽ホール


ジュンス・コンサート・ライブビューイング  音楽関係

昨日は、ここ↓へ。

クリックすると元のサイズで表示します

新浦安から快速で、わずか7分。
そして、ここららぽーとの

クリックすると元のサイズで表示します

この映画館で、

クリックすると元のサイズで表示します

↓この生中継を観ました。

クリックすると元のサイズで表示します

韓国の歌手キム・ジュンス
「バラード&ミュージカル コンサート」は、
2012年から毎年開催しているジュンスの年末公演。
生のオーケストラの演奏を背景に、
ミュージカルとバラードの両方を
同時に堪能することができるステージ。

コロナのために昨年は休演、
今年は2年ぶりに有観客で、
12月17〜19日まで3夜連続で開催。
会場は、ソウルのCOEXホール。
以前、ソウルまで行ってこの会場で観たことがあります。

今、日本からソウルに行くことができませんので、
日本のファンのために、
U−NEXTがライブ配信
と同時に映画館でもライブビューイング

というわけで、
昨日、カミさんと南船橋へ。
娘は昨夜鑑賞。
初日と今日は、前から入っていた行事のために、
鑑賞不能。
でも、配信で後で観るようです。

200人ほどの映画館に、男性は私一人。

クリックすると元のサイズで表示します

久々に聴くジュンスの歌唱は、
やはり素敵でした。

クリックすると元のサイズで表示します

また、今回はコロナ禍で、
現地の観客は声を出しての声援が出来ないため、
各自スケッチブックを持参、
そこに応援のメッセージを書き込んで、
掲げる、という方法。
なるほど。
進んだ人は、iPodで。

ジュンスのトークの部分には、
日本語の字幕が付きますが、
同時通訳(同時文字入力)のため、
少し時間差が生じて、もどかしい。

クリックすると元のサイズで表示します

音楽監督は、キム・ムンジョンさんという女性音楽家で、
いつもジュンスのミュージカルやコンサートで音楽監督をつとめる人。
マスクで顔は見えませんが、
指揮の動作で、すぐ彼女と分かる、おなじみの方です。
この方の編曲が素晴らしい。

↓は、観客と共に記念撮影。

クリックすると元のサイズで表示します

というわけで、
ソウルの公演を同時中継で堪能できた夜。
素晴らしい技術の進歩です。

帰路、カミさんは、買い物をしてご満悦。
ここのららぽーとは20年ぶりらしく、
お店の質が上がっているのに驚いていました。
こんなに近いなら、また来たい、とも。
女の人は買い物をしていれば、
幸福なようです。



ラジオ番組『今週のベスト・テン』  音楽関係

娘に「また、昔話ですか」と笑われそうですが、
昔、ラジオで「今週のベスト・テン」という番組があったのを御存知だろうか。
1957年1月にラジオ東京(現TBS)で放送を開始した、
洋楽ヒットチャート番組

その前に文化放送で1955年10月から始まった
「ユア・ヒット・パレード」が日本におけるチャート番組の草分けとされているが、
それから遅れること1年あまり、
番組開始当初は水曜日の日中(午後2時から)の放送で、
後、月曜夜7時〜7時30分になった。

ハリー・ジェームスの「トランペット・ブールス」に乗せて始まる番組は、
当時中学生で、
ようやく日本の歌謡曲から洋楽に守備範囲を広げた私には、
その時のヒット曲が必ず聴ける番組で、
毎週、ラジオにかじりつくようにして聴いた。

「トランペット・ブルース」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/12xTkNsd7KQ

(今でも、この曲を聴くと、当時のことが蘇ります。)

のみならず、毎週のベスト20を付けておいて、眺めていた。
折れ線グラフまで付けた。
修学旅行で聞けなかった時は、
往復ハガキを番組に送って、
その集のベスト20を記入して返送してもらうほどのファンぶりだった。

「今週のベスト・テン」は1969年に発展的解消し、
新番組「ホリデイ・イン・ポップス」に内包される形で、
新たに「TBSトップ10」として放送。
1970年10月に「ホリデイ・イン・ポップス」終了を機に、
チャートの発表は「全国ポップスホットテン」のタイトルで
再度独立番組となった。

ということを見ると、
洋楽をチャート形式で扱う番組に対する要望は
聴取者から強かったものと見える。

この番組名での放送は1972年3月まで続き、
1972年4月から、
邦楽(歌謡曲)チャートと洋楽(ポピュラー)チャートの発表が
一つの番組に内包され、「TBS今週のベストテン」としてリニューアル。
歌謡曲ベストテンとポピュラーベストテンの
それぞれのチャートを交互に発表する形であった。
1975年4月より歌謡曲とポピュラーは分割され、
ポピュラーベストテンは「TBS今週のポップスベストテン」と
番組名を改めた上で独立番組となり、
1984年3月まで続いた。

このような頻繁な番組改題・独立に際しても、
ランキングに関する記録集計は「今週のベスト・テン」時代から
連続・通算しての扱いとなっており、
後に、年間ベストテンが発表されている。
ランキングの決定方法は
週間ランキングの1位を20点、以下1点刻みで20位を1点として集計。

年間ランキング第1位獲得曲は、次のとおり。

 『今週のベスト・テン』時代
1956年 エデンの東(ヴィクター・ヤング楽団)
1957年 エデンの東( 〃 )2年連続年間第1位
1958年 真夜中のブルース(ベルト・ケンプフェルト楽団)
1959年 小さな花(可愛い花)(ボブ・クロスビーとボブ・キャッツ/クリス・バーバーズ・ジャズ・バンド
1960年 太陽がいっぱい(フィルム・シンフォニック楽団)
1961年 太陽がいっぱい( 〃 )2年連続年間第1位

私が聴き始めたのはこの頃で、
毎週1位が「太陽がいっぱい」なのは、妙に感じた。
レコード売り上げの資料などない時代だったので、
ハガキ投票で決めたようだ。
組織票があったのか?
ちなみに、ブラザーズ・フォアの「グリーンフィールズ」
毎週不動の2位を占めていた。
「ベン・ハー序曲」がベストテンに入っていたりで、
今考えると不思議な気がする。

「太陽がいっぱい」の音楽と映像を見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/OaCaxiQcMDU?t=194

「グリーンフィールズ」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/0Q1IF8To88I

1962年 禁じられた遊び(ナルシソ・イエペス/ヴィセンテ・ゴメス)
1963年 ヘイ・ポーラ(ポール&ポーラ)
1964年 ロシアより愛をこめて(マット・モンロー)
1965年 ゴールドフィンガー(シャーリー・バッシー)
1966年 夜のストレンジャー(フランク・シナトラ)
1967年 花のサンフランシスコ(スコット・マッケンジー)
1968年 サウンド・オブ・サイレンス(サイモン&ガーファンクル)

 『ホリデイ・イン・ポップス』/「TBSトップ40」時代
1969年 ラヴ・チャイルド(ダイアナ・ロス&シュープリームス)

 『全国ポップスホットテン』時代
1970年 コンドルは飛んでいく(サイモン&ガーファンクル)
1971年 恋のかけひき(ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ)

 『TBS今週のベストテン』/「TBS今週のポピュラーベストテン」時代
1972年 メタル・グゥルー( T. レックス)
1973年 イエスタデイ・ワンス・モア(カーペンターズ)
1974年 ジェット(ポール・マッカートニー&ウイングス)

 『TBS今週のポップスベストテン』時代
1975年 キラー・クイーン(クイーン)
1976年 ボヘミアン・ラプソディ(クイーン)
1977年 ハードラック・ウーマン(キッス)
1978年 ストレンジャー(ビリー・ジョエル)
1979年 ブレックファスト・イン・アメリカ(スーパートランプ)
1980年
ガラスのニューヨーク(ビリー・ジョエル)
1981年 愛のコリーダ(クインシー・ジョーンズ)
1982年 エボニー・アンド・アイボリー( ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー
1983年 フラッシュダンス〜ホワット・ア・フィーリング(アイリーン・キャラ)
1984年 フットルース(ケニー・ロギンス)

ああ、あの曲は、そんなに前だったか、
と懐かしい想いにされませんか?


あゝ山口百恵  音楽関係

本日、午後3時35分から、
NHK総合で、
山口百恵の引退コンサートの様子が放送されました。

クリックすると元のサイズで表示します

(以下、「百恵」と呼び捨てにしますが、
これは、マイケル・ジャクソンを「マイケル」と呼んで、
「マイケルさん」と言わないのと同じです。)

昨年10月、40周年を記念して、
NHKBSなどで放送したものですが、
要望に応えて、地上波でも放送

40年前のコンサートが
ノーカットで放送されるなど、
前代未聞です。

ただ、当時はハイビジョンではなかったため、
左右に黒い部分が残ります。

クリックすると元のサイズで表示します

テレビのリモコンの操作で、
ワイドに切り替えると、
↓このようになります。
ただ、画面の一部が欠けます。

クリックすると元のサイズで表示します

当時、私は山口百恵の熱心なファンで、
主演映画は全部観ていますし、
4枚組CD「百恵全集」他を所持。
引退の記念コンサートは、
武道館は切符が取れないだろうと思い、
新宿コマのコンサートに行きました。

そして、武道館当日の生中継では、
生涯2度目の借金をして
ビデオレコーダーを購入、
コンサートを録画しました。
(当時、ビデオレコーダーは15万円位しました)

クリックすると元のサイズで表示します

40年前のコンサートですから、
今と比べて多くの違いがあります。

まず、セットは簡素で、

クリックすると元のサイズで表示します

電気的な変化は、このイルミネーション様のもののみ。

クリックすると元のサイズで表示します

可動性の照明器具はまだ発明されていないので、
照明がぐるぐる回ったりの演出効果はありません。

巨大画面の映像モニターもまだ。
マイクは有線です。
無線のマイクはなかったわけではありませんが、
まだ音が悪いということで、
使われないことが多かったのです。

舞台前の返しスピーカーもなく、
歌詞のモニターもありません。
もちろん耳に入れるモニターは、
ずっと後の産物。

カメラワークは、
クレーンを使ったりはまだなく、
スイッチャーが頻繁にカットを切り替えたりもせず、
かなり緩いカット割で終始します。

舞台機構の仕掛けも無く、
ダンスは3曲のみ。
大部分が歌手が中央に立って歌うだけで、
それがかえって歌をじっくり聴かせるものになっています。

↓が数少ないダンスシーン。

クリックすると元のサイズで表示します

振り付けが時代を感じさせます。

曲目は、↓のとおり。[ ]内は、作詞・作曲>

1.Overture
2.This is my trial(私の試練)[谷村新司]
3.横須賀サンセット・サンライズ[阿木燿子・宇崎竜童]
4.I CAME FROM 横須賀[阿木・宇崎]
5.プレイバックPart1[阿木燿子・馬飼野康二]
6.プレイバックPart2[阿木・宇崎]
7.絶体絶命[阿木・宇崎]
8.イミテイション・ゴールド[阿木・宇崎]
9.愛の嵐[阿木・宇崎]
10. 夢先案内人[阿木・宇崎]
11. 謝肉祭[阿木・宇崎]
12. 横須賀ストーリー[阿木・宇崎]
13.「スター誕生」AGAIN[阿木・宇崎]

  <休憩>
1.メドレー
  ひと夏の経験〜禁じられた遊び〜冬の色〜湖の決心〜
  春風のいたずら〜青い果実〜としごろ[千家和也・都倉俊一]
2.ロックンロール・ウィドウ[阿木・宇崎]
3.いい日旅立ち[谷村新司]
4.一恵[横須賀恵(百恵のペンネーム)・谷村新司]
5.曼珠沙華[阿木・宇崎]
6.秋桜[さだまさし]
7.イントロダクション・春[阿木・宇崎]
8.不死鳥伝説[阿木・宇崎]
9.歌い継がれてゆく歌のように[阿木・宇崎]
10.さよならの向う側[阿木・宇崎]
11. This is my trial」(instrumental)

阿木燿子と宇崎竜童夫妻の歌が大部分を占めます。
阿木・宇崎コンビとの出会いが
百恵の世界を広げたことが分かります。

全曲、百恵の持ち歌
カバーはなく、
ゲストなどは迎えない。
それだけ百恵がヒット曲を沢山出していた証左です。

百恵の歌手生活の集大成にふさわしい構成でしたが、
この構成になるまで、多少の紆余曲折が。
百恵は、
「最後のコンサートだから、ヒット曲ではなく、
最新の『大人の曲』を中心に、
私のやりたいことをやらせてほしい」
と訴えましたが、
演出の山田修爾(「ザ・ベストテン」の生みの親でもある名プロデューサー)は、
「最後のコンサートだからこそ、
ファンのために、
これまでのヒット曲から今までという構成にすべきだ」
と説得。
賢い選択でした。

40年ぶりに聴く、百恵の歌声。
素晴らしい歌唱力です。
そして、聴く者の心を取り込んでしまう、その吸収力
なにより言葉が明瞭で、意味が伝わる。
歌手として、一番大切なことです。
40年経ってもコンサートが放送されることが納得出来ます。

衣裳は4点。
まず金色。

クリックすると元のサイズで表示します

赤。

クリックすると元のサイズで表示します

ブルー。

クリックすると元のサイズで表示します

衣裳が変わるたびに、
マイクの色も変わります。

そして、最後は、白。

クリックすると元のサイズで表示します

百恵は13歳でデビューし、この時21歳。
7年半の芸能生活の絶頂での引退。
事務所とレコード会社は引き止めましたが、
結婚して家庭に入りたいと、自分の意思を貫きました。

最後に百恵は、
「私のわがままを許してくれて、ありがとう。
幸せになります」

と述べ、感謝をこめて
「さよならの向こう側」を
涙を流しながら絶唱。

クリックすると元のサイズで表示します

「ラスト・ソング・フォー・ユー。
今度は何時とは言えません。
サンキュー・フォー・ユア・エブリシング」
と歌った後、
深々と礼をし、

クリックすると元のサイズで表示します

持ったマイクを

クリックすると元のサイズで表示します

静かにステージに置きます。

クリックすると元のサイズで表示します

マイクを見つめるその表情。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、後姿を見せて退場。

クリックすると元のサイズで表示します

「いよっ、千両役者!」と声をかけたくなるような、
潔い引き際。
最後に、観客席を目に焼き付けるように見て、

クリックすると元のサイズで表示します

去って行きました。

1980年10月5日、
午後8時34分。
一人の偉大なスターが
人々の記憶に残って、
消え去りました。

クリックすると元のサイズで表示します

2時間25分。
タイムスリップしたような、
堪能の映像でした。

山口百恵は、
引退までにシングル31枚、累計1630万枚、
LP45枚、累計434万枚、

1970年代最もレコードを売り上げた歌手です。
引退後も様々な形でアルバムが発売されては、
沢山の人に変われています。

たとえば、1992年に発売された「百恵回帰」↓。

クリックすると元のサイズで表示します

音源から百恵の声だけを取り出し、
新たな編曲の伴奏を付けるという、斬新な試み。
時代が進んだ新しい編曲にも、
全く負けていない百恵の歌声が響きます。

以下、シングル盤の記録。
発売日・題名[オリコン最高順位・売り上げ枚数]

1.1973年5月21日 としごろ[37位 6.7万枚]
2.1973年9月1日  青い果実 [9位 19.6万枚]
3.1973年11月21日 禁じられた遊び[12位 17.6万枚]

4.1974年3月1日 春風のいたずら[11位 16.1万枚]
5.1974年6月1日 ひと夏の経験[3位 44.6万枚]
6.1974年9月1日 ちっぽけな感傷[3位 43.2万枚]
7.1974年12月10日 冬の色[1位 52.9万枚]

8.1975年3月21日 湖の決心[5位 24.9万枚]
9.1975年6月10日 夏ひらく青春[4位 32.9万枚]
10.1975年9月21日 ささやかな欲望[5位 32.6万枚]
11.1975年12月21日 白い約束[2位 35万枚]

12.1976年3月21日 愛に走って[2位 46.5万枚]
13.1976年6月21日 横須賀ストーリー[1位 66万枚]
14.1976年9月21日 パールカラーにゆれて[1位 47万枚]
15.1976年11月21日 赤い衝撃[3位 50.4万枚]

16.1977年1月21日 初恋草紙[4位 24.1万枚]
17.1977年4月1日 夢先案内人[1位 46.8万枚]
18.1977年7月1日 イミテイション・ゴールド[2位 48.4万枚]
19.1977年10月1日 秋桜[3位 46万枚]
20.1977年12月21日 赤い絆[5位 21.5万枚]

21.1978年2月1日 乙女座宮[4位 31.4万枚]
22.1978年5月1日 プレイバックPart2[2位 50.8万枚]
23.1978年8月21日 絶体絶命[5位 37.6万枚]
24.1978年11月21日 いい日旅立ち[3位 53.6万枚]

25.1979年3月1日 美・サイレント[4位 32.9万枚]
26.1979年6月1日 愛の嵐[5位 32.8万枚]
27.1979年9月1日 しなやかに歌って[8位 27.1万枚]
28.1979年12月21日 愛染橋[10位 22.1万枚]

29.1980年3月21日 謝肉祭[4位 28.6万枚]
30.1980年5月21日 ロックンロール・ウィドウ[3位 33.6万枚]
31.1980年8月21日 さよならの向う側[4位 37.9万枚]
32.1980年11月19日 一恵[2位 27.7万枚]

(1994年4月21日 惜春通り をリリース)

当時は、アイドルは3カ月に1枚新譜を出していました。
また、テレビの歌番組も多く、
「ザ・ベストテン」などを通じて、
広くヒットが認識されていました。
だから、百恵は国民的スターになったのです。
「百恵は次はどんな歌を歌うんだろう」
と世間は注目しました。
そんな歌手は、他には沢田研二、
ピンクレディくらいです。

百恵は引退してすぐ、
11月19日に結婚式を挙げ、
三浦友和と円満な家庭を築き、
二人の息子を立派に育て上げ、
武道館コンサートで
ファンに約束したとおり、
幸福になりました。
おそらく何度もオファーがあったと思われる、
復帰については、
「出戻り」をする他の歌手とは違い、
かたくなにまで、引退を貫きました。

こうして、スターの伝説は、
不死鳥のように残っています。


守屋浩逝く  音楽関係

守屋浩さんの訃報が伝えられた。

クリックすると元のサイズで表示します

1960年代に活躍した歌手。
1938年生。本名・守屋邦彦。
1957年、ロカビリーバンドのバンドボーイとなったが、
58年に、退団したボーカルの代役として、
リーダーの堀威夫氏が
日劇ウエスタンカーニバルのステージに立たせたところ、
女性客から大歓声を浴び、一気に正式メンバーとなった。

59年に「泣かないで帰ろう」でソロデビューし、
同年「僕は泣いちっち」が大ヒットしたことで、
60年に同曲で紅白歌合戦に初出場。
そこから4年連続で出場を果たした。

翌60年に堀氏が設立した堀プロダクション(現ホリプロ)の
第1号タレントとなった。
芸名の「守屋浩」は堀氏の提案。
当時、井上ひろし、水原弘と合わせて、
「3人ひろし」と呼ばれるようになった。

長い脚の爽やかなルックスに独特のハスキーボイス。
「僕は泣いちっち」は、作詞作曲浜口庫之助
63年に島倉千代子さんとのデュエット曲「星空に両手を」が
70万枚を売り上げた。
その後も「大学かぞえうた」や「有難や節」などをヒットさせた。

67年に歌手の本間千代子と結婚。75年離婚。
76年に一般女性と再婚し1男1女をもうけた。

76年、芸能活動に見切りをつけ、
37歳で引退してホリプロに入社。
引退後はホリプロで宣伝部長、文化事業部長などを歴任。
スカウト担当として
オーディション「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を発案し、
榊原郁恵や堀ちえみらを発掘した。

86年に勤続10年で正社員としては退社し、
改めて社業兼務のタレント契約に移行して歌手活動を再開し、
懐メロ番組や歌のステージなどにも積極的に出演するようになった。
この頃静岡県伊東市へ移住し、並行してカラオケ教室を開いていた。
ホリプロのスカウト部長を兼務して
新人の発掘などの業務を行い、
また次代を担う若い歌手及び社員などの教育・指導にも当たっていた。
ホリプロ創立当時より
2020年時点に至るまで在籍した
唯一のタレントでもあった。
(守屋の次に在籍年数が長いのは和田アキ子である。)

10年以上前に脳梗塞で倒れたが、
リハビリを経て復帰。
テレビの音楽番組では椅子に座って歌うなど活動を続けた。

2年ほど前から前立腺がんと闘っていた。
約1カ月前に静岡県内の施設に入り、
9月19日午後7時、家族にみとられて静かに息を引き取った。
翌20日は82歳の誕生日だった。
22日に伊東市内で家族葬が営まれ、荼毘に付された。

なぜ守屋浩のことをこんなに書くかというと、
昔、ファンだったから

私のファン歴は幼年の頃、松島トモ子↓のファンで、

クリックすると元のサイズで表示します

「村の駅長さん」というレコードを親に買ってもらい、
毎日聴いていた。

クリックすると元のサイズで表示します

大人になってから、
ある映画会社の試写室で一緒になったが、
「昔、ファンでした」
なんて言われても迷惑なだけだろうと思い、
声をかけられなかった。

松島トモ子が私のファン歴第1号。

次が千代の山↓で、

クリックすると元のサイズで表示します

全勝優勝した時は歓喜して、
ファンレターまで出してしまった。

東京に上京して、最初にはまったのが守屋浩で、
小学校6年から中学1年の頃。
その後、石原裕次郎の熱烈なファンになる。

当時は歌のソースはラジオで、
歌謡番組でかかるのをひたすら待った。
その頃の歌は、1回聴いたら覚えられた。

毎年年末に開催されていた「コロンビア歌の祭典」(記憶曖昧)という
コロンビアの歌手勢ぞろいのイベントに、
朝から東京体育館に並んで参加した。
当時は指定席などないから、
開場と同時に走って、前の方の席を確保、
狙いは守屋浩で、
出て来ると、「も〜り〜や〜!」と声援を送った。
(この体質は、娘に遺伝)

確かMDがあったはず、と探したら、出て来た。

クリックすると元のサイズで表示します

CDからダビングしたもので、
↓のような曲が収録。

クリックすると元のサイズで表示します

聴いてみると、
ハスキーボイスが懐かしい。
音程はしっかりしており、声質も魅力的。
内容は、さすが昭和の純情もので、
恋心の悲しみを歌う内容。
当時の風俗が蘇る。
また、当時は編曲がものすごく工夫されている。

聴いてみたい方は、↓をクリック。

僕は泣いちっち

https://youtu.be/O_8vnblfDMo


夜空の笛

https://youtu.be/2q9WVq0GKdE


長いおさげ髪

https://youtu.be/B-_75dOASxM

泣きべそ列車

https://youtu.be/BEjiwntUbOg


星空に両手を
                                        https://youtu.be/rTi8fS81TA8






AutoPage最新お知らせ