Windows7から10へ。そして7へ。  耳より情報

マイクロソフトがWindows7のサポートを終了し、
Windows10への移行を勧めていた。
何カ月か前には、
パソコンを起動するたびに、
そのお知らせが出て来た。

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7のリリースが2009年だから、
商品寿命は10年ということか。

OSを変更したりすると、
影響が出ることがあるので、
とりあえずスルーしていたが、
さすがに期限が明日の1月14日になると、気になってきた。

サポート終了後はセキュリティ更新プログラムの提供を含む
すべてのサービスの提供が終了となります。

などと言っている。
それも困る。
アップグレードは無料だし、
「簡単に元に戻せる」という書き込みもあるので、
昨晩、アップグレードしてみた。

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えらい時間がかかった。
「○%完了」がなかなか進まない。
何度も再起動し、
その間に
「このウィルス防衛システムは、
10では対応できませんので、
問い合わせて下さい」
なんて、不吉な告知も出る。

2時間ほどを経て、
いよいよWindows10を開始。

いろいろ複雑なデスクトップ。
いくつかのソフトの具合を確認する。
と。
私の愛用する
「親指シフトキー」が使えない
もちろん、かな入力もローマ字入力も出来るが、
早さが違う。

これは致命的だ。

そこで、元に戻すことにした。

コンピューターを過去のある時点の状態に修復することが出来るのだ。
今までも、不用意にソフトをインストールして、
構成が変わってしまった時など、
前の時点への修復を指示して切り抜けた経験が何度かある。

しかし、そのための入り口、
電源を入れた直後に「F8」キーを押して、
セーフモードにしようとすると、
これが出来ない。
いろいろ工夫してみても、受け付けない。
(後で、その方法はWindows7のもので、
10では無理だと判明した。)

そこで、コンピューターの修復をセーフモードで出来る方法を模索し、
ようやく実行。
戻る時点は10をインストールした1時間前。

駄目だ。
10での作業なので、
10を入れた時点までしか戻れない。
それより過去には修復されない。

そこで、試しに、
ズバリ「Windows10を7に戻す」と書いて検索してみた。
(ローマ字入力で)
いろいろ出て来た。
そういう気持ちの人が沢山いるらしい。
その中で、マイクロソフトのオフィシャルにあった。
10に移行後30日以内だと無償で対応するという。

つまり、10にしたけど、
7に戻りたいという人が出ることを予想して、
マイクロソフトも設定してあったのだ。
「簡単に戻れる」とは、そういうことか。
いい会社だ。

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そこで、実行。
今度は30分ほどで再起動。

戻った。
しかも、機能が良くなっている。
親指シフトのキーボードがしばしば外れてしまう現象が
解消されたのだ。

もはやWindows7で心中の覚悟。

みなさん、OSの切り換えは、
くれぐれも慎重に。


なお、15日以降、
パソコンを開くと、
↓のような画面が出て来ます。

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出なくすることも出来ます。

脅しが続きます。

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国際フォーラムの宮廷展示  耳より情報

今日は午後から、
今年の初「上京」
有楽町に出掛けて映画を1本観、
その後、親戚筋にアメリカ土産を届けました。

隠居の身からすると、
電車の中のサラリーマンの姿がまぶしく、
「みんな、張り切っているな」
「頑張れよ」
という感慨がしきりにしました。


ところで、国際フォーラムの今年の展示。

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平安宮廷スポーツスタジアム
令和の初春梅花の宴
御大礼の儀式と装束

の3本建て。

平安宮廷スポーツスタジアムは、
2020のオリンピックイヤーにちなみ、
平安時代の日本古来の「スポーツ」を紹介。

まず、「蹴鞠」(けまり)。

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貴族の間で楽しまれた遊びで、
数人で輪を作り、
鹿革の鞠を足の甲で蹴り上げて長く続ける、
中国伝来の遊戯。

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ま、サッカーのリフトのようなものです。

次に、「打毬」(だきゅう)。

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毬を打つ平安時代のスポーツ。
騎馬で行うものと、徒歩で行うものがありました。
騎馬のものは、まさにポロ。

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続いて、「騎射」(うまゆみ)。

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走る馬上から的を射る競技。

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その後、武家に引き継がれて、流鏑馬(やぶさめ)になります。

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最後は、「相撲節会」(すまいのせちえ)

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相撲の歴史は古く、奈良時代までさかのぼります。
天皇の天覧試合も行われ、
平安初期には、相撲節会として恒例化しました。
現在の大相撲の源流です。

騎射や相撲など、
左右に分かれて行う競技で、
左方が勝った時は「蘭陵王」(らんりょうおう)、
右方が勝った時は「納蘇利」(なそり)という曲が演奏されました。

↓は、蘭陵王が演奏される時の衣裳、

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↓は、「納蘇利」が演奏される時の衣裳。

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御大礼の儀式

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その衣裳。

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梅花の宴

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展示は1月15日まで



1964年東京オリンピックの写真展  耳より情報

今日、昼過ぎ、有楽町へ出掛けると、
通り道の国際フォーラムで、

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写真展をしていました。

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1964年東京オリンピックの

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写真展

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てっきり撮影禁止と思ったら、
そうではなかったので、
いくつか写真を紹介。

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1964年と今の比較。

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平均寿命は男68歳女73歳が、今は男81歳女87歳。
GDPは当時29.5兆円が今は550兆円。
日経平均は当時1216円が今は2万円。
平均賃金は3万4200円が30万1千円。
中華そばは59円が573円。
ハガキは5円が今は63円。

変わらないものもあり、
バナナは1s228円が今は259円。
テレビは5万5500円(モノクロ16インチ)が
5万2695円(液晶32インチ)。

新幹線は東京オリンピックに合わせてスタート。

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国立競技場

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新国立競技場。

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日本武道館も、この時建設されました。

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ギリシャで聖火は太陽の光を集めて点火。

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開会式当日は、雨の予報が晴天に。

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この空に描かれた五輪マークは、
記憶に鮮烈に残りました。
私は高校の同級生の家の物干し台から見ました。
カミさんは名古屋に勤めていたので、見ていません。

入場式の日本選手団。

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古関裕而の「東京オリンピックマーチ」が聞こえるようです。

「東京オリンピックマーチ」を聞きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/g0uRDANnEbU

100メートルのヒーローは、ヘイズ

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三宅選手は金メダル第1号。

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マラソンでゴールの後、
アベベは柔軟体操。
余裕でした。

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円谷は2着でスタンド入りし、
その後、ヒートリーに抜かれて銅メダルに。
でも、メインスタジアムに
日の丸が翻りました。

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体操男子は団体金メダル。

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遠藤は金メダル3つ。

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女子体操のチャフラフスカ

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この後、選手の若年化が進みます。

柔道無差別級では、
オランダのヘーシンクに負けました。
この体の差を見よ。

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バレーボール決勝では、
町が閑散としました。

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棒高跳び決勝は深夜まで続きました。

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外国選手が銀座でパチンコ。
帰国して、
「日本では町中でカジノをやっている」と言ったかどうか。

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閉会式は、選手が団子状になって入場。

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長島茂雄の奥さんは、元五輪のコンパニオン。

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1964年10月、
報知新聞社の「ON五輪をゆく」という企画で
コンパニオン数人と対談をした際に、
その中の一人西村亜希子に一目ぼれ。
翌年結婚。

この写真展は明日まで

写真集はAmazonで買えます。
1100円。

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世界の航空会社ランキング  耳より情報

おなじみ、世界の航空会社ランキング、
最新のものを紹介しよう。

数あるランキングのうち、
オーストラリアの航空評価機関
「Airline Ratings.com」
のランキング。
機体の年数や乗客による評価、乗員の対応など
12の基準に基づき、
経験豊富なエディター7人が審査したもの。

2020年の航空会社トップ10は以下の通り。

1.ニュージーランド航空

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ニュージーランド航空は、
安全運航の実績や乗員の意欲の高さが評価された。
首位に立つのはこれで6回目。
環境への配慮でも高い評価を獲得した。
同航空が過去10年で削減した燃料消費量や二酸化炭素排出量は
ほぼ22%に上り、業界平均を上回る。

2.シンガポール航空

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前年の首位だったシンガポール航空は2位に後退。
ファーストクラス部門では首位に。

3.全日空

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4.カンタス航空

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国内航空部門と空港ラウンジ部門で首位に立った。

5.キャセイパシフィック航空

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長距離部門のアジア太平洋では
キャセイパシフィック航空がれトップに選ばれている。

6.エミレーツ航空

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長距離部門の中東・アフリカでエミレーツ航空がトップ。

7.ヴァージンアトランティック航空

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8.エバー航空

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9.カタール航空

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10.ヴァージンオーストラリア航空

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泉岳寺  耳より情報

一昨日昼、ここへ。

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先日、映画「決算!忠臣蔵」で、
最後に泉岳寺が出た時、
そういえば、泉岳寺には行ったことがない
と気づき、訪問することにしました。
30年近く、品川の職場に勤めていたのに、
どうして訪れなかったのでしょう。

地下鉄の駅から泉岳寺は、徒歩でわずか3分。

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坂を登り、信号を渡れば、すぐです。

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これが中門

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短い参道があって、

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四十七士ゆかりのお土産が売られています。

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これが山門

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慶長17年(1612年)に
徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。
寛永の大火で焼失しましたが、
徳川家光の命で、
毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、
現在の高輪の地で再建されました。

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その脇には、大石蔵之助の銅像が。

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誰がモデルなのでしょう。

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寺の平面図。

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境内。

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本堂

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「獅子吼」とは、お釈迦様の説法のこと。

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泉岳寺が有名なのは、
忠臣蔵の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)と赤穂義士のお墓があるからです。

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義士墓所への道。

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血染めの梅と血染めの石。

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元禄14年3月14日、
江戸城松之廊下で、
吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ、「よしなか」とも)に
斬りかかり、
即日切腹となった
赤穂藩主浅野長矩が切腹した際、
その血がかかったと伝えられています。

浅野が吉良に斬りかかった理由は、
本人が理由を説明していない為、
刃傷の原因は今日に至るまで不明で、
様々な憶測、俗説、創作があります。

首洗いの井戸

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元禄15年12月14日(旧暦。新暦に直すと、1703年1月30日)、
江戸本所の吉良屋敷に押し入って吉良の首級を上げ、
亡き主君・浅野長矩の墓前に
吉良の首を供えるべく、
墓がある泉岳寺へと向かい、
墓前に供える前、
首を洗ったと言われる井戸。

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義士墓入り口の門

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泉岳寺は浅野家の菩提寺だったため、
浅野長矩は切腹した後、
ここに葬られました。

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浅野長矩の墓

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その側に、正室阿久里の墓
夫の切腹を受けて3月14日夜に剃髪し、
名を瑤泉院と改めました。

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ここが、四十七士の眠る場所

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墓が4つのグループに分かれているのは、
泉岳寺で主君の墓前に吉良の首を供えた後、
細川家、毛利家、水野家、松平家の
4家に分かれて収容され、
元禄16年2月4日に
そこで切腹したグループで分けられています。

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左上の十三回忌碑を除いて数えると、
墓の数は48。
赤穂義士は一般に「四十七士」と呼ばれますが、
赤穂義士墓地には
討入り以前に自害した萱野重実(三平)の供養墓もあるのです。

48基のうち、
この萱野三平と、
遺骸を遺族が引き取ったた間光風(新六)、
そして討入りに参加した浪士の中で唯一人切腹をまぬがれた
寺坂信行(吉右衛門)の3つの墓塔は、
遺骸の埋葬を伴わない供養塔です。

「47」という数字は重要で、
「仮名手本忠臣蔵」の「仮名手本」とは、
赤穂四十七士をいろは四十七文字になぞらえたもの。
48では、この題名はつかなかったのです。

吉良邸から泉岳寺に向かう隊列から
寺坂吉右衛門が姿を消していますが、
その理由は謎です。
浅野本家への報告密命など諸説あります。
単純に離脱した、という説もあります。
寺坂を除いた四十六人は、
吉良邸討ち入りを幕府に報告し、
幕府の指示に従って全員切腹しました。
しかし、寺坂は87歳まで生き延びて病死しています。

義士の戒名はすべて最初の文字が「刃」となっていますが、

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寺坂吉右衛門の供養塔(明治元年建立)は、
戒名が「逐道退身信士」と
逃亡説に基づいたものになっています。

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これが大石蔵之助の墓。屋根付き。

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浅野長矩の墓の脇、
瑤泉院の墓からは斜めにあります。
「決算!忠臣蔵」では、
瑤泉院に「目障りじゃ」とひどいことを言わせています。

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大石主税の墓

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泉岳寺についた一行は主君・浅野長矩の墓前に吉良の首を供え、一同焼香し、
吉良の首と共に浅野長矩の遺品の小刀も供えられました。
鞘から抜かれた小刀は、
軽く三度吉良の首に当てられました。
この儀式をそこにいた浪士全員が行いました。
この次第が書かれた古文書では、
赤穂義士たちが仇を討ったとはしておらず、
自分たちは吉良を墓前にお連れしたと記載され、
浅野長矩自身が吉良を討って悔いを晴らした形にしてあります。
つまり、浅野の辞世、
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせん」
に表われた主君の思い残しを成就させてあげたということのようです。

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義士記念館

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中では松の廊下での事件、
討ち入り、泉岳寺などについて、
映像で15分ほど解説があります。

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残念ながら、撮影禁止。
四十七士の連判状や
吉良の首の受け取り書など、
貴重なものも展示されています。

吉良の首は浅野の墓前に捧げられた後、
箱に詰められて寺に預けられ、
僧二人が吉良家へと送り届け、
家老の左右田孫兵衛と斎藤宮内が受け取ります。
この時の領収書(首一つ)が展示されています。
刃傷時に治療にあたった栗崎道有が
吉良の首と胴体を縫って繋ぎ合わせたあと、
菩提寺の万昌寺に葬られました。

↓はネットから拝借した大石父子の像。

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向かいにある木像館も撮影禁止。

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ネットで拝借した写真。

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↓は毎年12月14日に兵庫県赤穂市で行われる赤穂義士祭のポスター。

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高橋英樹が大石蔵之助を演ずるようです。

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赤穂藩家臣3百数十名のうち、
討ち入りに参加したのは、47名。
不参加を恥じて自害した人などがいました。

その不参加者の言い分を創作したのが、
井上ひさしの「不忠臣蔵」

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いずれにせよ、
徳川の治世を揺るがす大事件。
浅野の行動は、
いかに遺恨があるにせよ、
その結果、藩はとりつぶしとなり、
家臣たちを路頭に迷わせたのですから、
ほめられたものではありません。

また、義士の討ち入りも、
61歳の老人の首一つを取るための「殴り込み」。
これも本来許されるものではありません。

しかし、今の価値観で過去の人々の心情を云々するのは、
愚かなことなので、批判はやめておきましょう。
ただ、この事件が
「忠臣蔵」として、
日本の文化的遺産になったことは確かなので、
物事は何がどうなるか分からないということです。





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