みをつくし料理帖1「八朔の雪」  書籍関係

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高田郁(かおる)による
連作短編集「みをつくし料理帖」の第1作。

「みをつくし料理帖」シリーズは、
ハルキ文庫(角川春樹事務所)より
2009年5月に第1作「八朔の雪」が刊行され、
2014年8月刊行の第10作「天の梯」で完結した。

2012年5月に
レシピ本「みをつくし献立帖」を刊行、
2018年9月には、
登場人物のその後を描いた特別巻「花だより」が刊行され、
全部で12冊のセットになっている。
全巻合わせて300万部売れたというから、
文庫本といえども、あなどれない。

2012年及び2014年にテレビ朝日で
北川景子主演でスペシャルドラマ化、

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2017年及び2019年にNHKで
黒木華主演で連続ドラマ化され、

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更に、角川春樹の最後の監督作品として
松本穂香主演で映画化され、

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今年秋に公開予定。

実に幸福な小説である。

主人公の(みを)は、18歳。
大阪の漆塗りの職人の娘だが、
8歳の時、享和2年(1802年)の淀川の水害で両親を亡くし
天涯孤独の身となってしまう。
大坂随一の名店と謳われる料理屋「天満一兆庵」の女将、
芳に助けられ奉公人として勤め始める。
やがて天性の味覚を主人の嘉兵衛に見込まれた澪は、
厳しい修業に耐え、着実に腕を磨いていくが、
天満一兆庵は、隣家からの延焼で焼失してしまう。

江戸店を任せていた息子の佐兵衛を頼って江戸へ出た
嘉兵衛と芳、澪の3人を待ち受けていたのは、
佐兵衛が吉原通いで散財して店を潰し、
行方をくらませているという報せだった。

度重なる心労により、
嘉兵衛は「天満一兆庵」の再興を
二人に託して亡くなってしまう。
澪は芳と一緒に長屋に暮らし、
店の再興と佐兵衛の行方探しを胸に、
慣れぬ土地で芳と暮らしながら働き始めたが、
荒れ果てた小さな稲荷を一人で整えた姿を見込まれ、
蕎麦屋「つる家」の主人・種市に店で働かないかと誘われる。

上方との味の違いから、
当初は澪の作る料理は評判が良くなかったが、
様々な人の助けを得て新しい料理を考案し、
「つる家」を江戸で評判の店へと成長させていく。

という物語全体の発端を語るのが、
この第1作「八朔の雪」。
物事の経緯と人物関係を分かりやすく描く。

重要な点は、大阪時代の
大店の娘の野江との友情で、
野江は貧乏な職人の娘で粗末ななりの澪を差別せず接してくれる。
野江は、澪と同様、水害で天涯孤独の身になるが、
その後、吉原で幻の花魁と呼ばれるあさひ太夫になる。
澪はあさひ太夫が水害で行方不明になった幼なじみ、
野江であることを知り、
自分の料理で評判を取り、
その売り上げであさひ太夫を身請けするという、
とてつもない夢を抱くようになる。

というのは、第2作以降の展開。

澪を巡る人物として、芳の他に
「つる家」の主人種市
適切な助言をくれる正体不明の浪人小松原
澪に恋心を寄せ、見守ってくれる医師の源斉
あさひ太夫の店の板前の又次
同じ長屋の大工の伊三次
その妻のおりょうなどが関わり、
どの人物も人情味豊かで、
その内面と共に、生き生きと物語を彩る。

8歳の時、高名な易者水原東西に、
「苦労の多い人生だが、その苦労に耐えて精進すれば、
必ず青空が拝める“雲外蒼天(うんがいそうてん)”の運命にある」と予言される。
野江は天下取りの“旭日昇天”の相と言われるが、
野江は、私は“雲外蒼天”の方がいい、と言う。

澪の容貌は、丸顔で、眉は下がり気味、
鈴のような眼、小さな丸い鼻は上向き。
緊迫感のない顔をしており、
芳からはよく「叱り甲斐がない」と言われるが、
料理のこととなると感情を抑えられず、表情に出てしまう。
そういう意味では、きれい過ぎる北川景子や
勝気そうな松本穂香よりも、
黒木華が一番適役と言えよう。

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4篇の短編が収録されているが、
いずれも澪が作る創作料理が要となっている。
ぴりから鰹田麩(でんぶ)、
ひんやり心太(ところてん)、
とろとろ茶碗蒸し、
ほっこり酒粕汁などの他に
鰹飯などが紹介される。

↓は別冊の「みをつくし献立帖」

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小説の中に出て来る料理のレシピと
「つる家」の間取り、著者のエッセイ、
澪と野江の子供時代の短編「貝寄風」などが収録されている。

なお、主人公の名前の澪は「澪標(みおつくし)」から来ており、
澪標とは、澪(船の通行に適する水路)に杭を並べて立て、
船が往来するときの目印にするもの。

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河口では、土砂の堆積により浅くて船の航行が不可能な場所が多く
座礁の危険性があるため、
澪標は、比較的水深が深く航行可能な場所である
澪との境界に並べて設置され、航路を示した。

和歌では「身を尽くし」にかけて用いることが多い。


小説『すぐ死ぬんだから』  書籍関係

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世の中、「終活」が流行だが、
この小説の主人公、忍(おし)ハナは、そんなことはしない。
「すぐ死ぬんだから」と年齢に妥協し、
老いたことを容認して生きるのなどまっぴらだ。
というわけで、この78歳のハナは、
おしゃれに精を出す。
そのかいあって、
出かけた銀座で、
ファッション雑誌の記者に声をかけられ、
素敵なファッションのシニアとして雑誌に紹介されたりする。

夫岩造と営んでいた酒店を息子雪男に譲り、
近所で隠居生活をしている。
岩造は「ハナと結婚してよかった」が口癖の
折り紙が趣味というおとなしい男だ。

老齢期の男女に対するハナの批判がすさまじい。
年を取れば、鈍くなる。くどくなる。
愚痴になる。寂しがる。同情を引きたがる。
「すぐ死ぬんだから」という言葉を免罪符にし、
集まれば孫自慢に、病気自慢ばかり。
服装も「楽が一番」は一番の不精でしかない。

そのおしどり夫婦のようなハナと岩造だったが、
ある日、脳の血管が切れて、死んでしまう。
ハナは無気力になるが、
岩造の遺言が出てきて、
その内容に驚愕。
俄然命を再び燃やすことになるのだが・・・

周囲の年寄りを見るハナの心の声が面白い。

二人ともバアさんくささに磨きがかかっている。
若さを磨けよ、まったく。
老化に磨きをかけてどうする。

私は腹の中で
「あんた達みたいのは、
ナチュラルって言わなくて、
不精って言うんだよ」
とせせら笑って聞き流した。

「もう、楽が一番。年なんだからサァ」
やっぱりこれだ。
年だから手をかけるべきだろう。
楽したがることが、一番の不精なのだ。

つまらない女が好きな「人は中身」。
「人は中身」と言う女にろくな者はいない。
さほどの中身のない女が、これを免罪符にしている。

お金がないという言葉を、真に受けてはならない。
本当に貧困にあえぐ人たちもいるが、
一般老人はなぜお金がないか。
貯金するからだ。
年金をやりくりし、生活を切りつめ、
「老後のために」と貯金するからだ。
まったく。
今が老後だろうが。
若いうちに切りつめて蓄えたお金は、
今が使い時だろうが。
八十間近の、さらなる「老後」に
何があるというのだ。
葬式しかないだろう。


しかし、時には、娘の苺の言葉が突き刺さる。

「今のママには、老いていく悲しさは見えない。
だけど、これ以上行くと、
抗う悲しさが出るよ」
「ママ、年齢に抗うのは痛いよ。
アンチエイジングでなく、
ナチュラルエイジングにしな」


自分でも感ずる。

これほど気合いを入れて、
老いを遠ざけて生きている私だ。
なのに、老いは音もなくやって来ている。


医者からは言われる。

「70年も80年も使いこんでる体ですから、
そりゃ、経年劣化は当然ですよ」


だから、「何とでもなる」という言葉が嫌いだ。

この「何とでもなる」という思いは、
若者と老人のものだ。
若者は「切り拓くから何とでもなる」と思い、
老人は「すぐ死ぬんだから、何とでもなる」と思う。


インドネシアの年齢145歳と自称する男へのインタビューが笑える。

「今、一番やりたいことは何ですか?」
と聞くと、男はまったく悪びれることなく、答えていた。
「死にたい」


しかし時には78歳という歳の限界を感じる時もある。

私には先がない。
後期高齢者の先はないのだ。
終期高齢者、晩期高齢者か?
末期高齢者か?
その先は終末高齢者で、
ついには脳死高齢者だろう。


「終わった男」で「卒婚」という言葉に焦点を当てた筆者だが、
今度は「死後離婚」というのを持ち出す。
区役所の職員は説明する。

「『死後離婚』というのは俗称でして、
正しくは『姻族関係終了届』を自治体に提出することを言います。
姻族というのは、配偶者の両親、兄弟姉妹などですね。
配偶者の死後に、
舅や姑の面倒を見なければならなくなったり、
小姑ら姻族から不快な思いをさせられたり、
よくあることです。
法的に関係を終了すれば、
完全に他人。
無関係です。
だから『死後離婚』と言われるわけですね」


更に、こう言う。

「死後離婚は婚家先の墓に入りたくないという理由が、
かなり多いんですよ」


筆者はあとがきで、このように書く。

昔は定年後の人生はそう長くなかった。
しかし、現在は職場と墓場の間が長い。
65歳で職場を去ったとしても、
あと20年かそれ以上を生きる人はざらだろう。
何しろ、私たちは「人生百年」の時代に生きているのだ。

「すぐ死ぬんだから」というセリフは、
高齢者にとって免罪符である。
それを口にすれば、
楽な方へ楽な方へと流れても文句を言われない。
「このトシだから、外見なんてどうでもいいよ」
「誰も私なんか見ていないから」
「このトシになると、色々考えたくない」
等々が、
「どうせすぐ死ぬんだからさァ」でみごとに完結する。


「終わった人」が男性版だとすると、
「すぐ死ぬんだから」は女性版。
なかなか面白く、カミさんに読ませようと思って、はっと気づいた。
この本、カミさんが友達から
「面白いから読んでみなさいよ」と言われて、
私に「図書館で予約して」と言った本だった。
カミさんより先に読んでしまった。

「終わった人」の紹介ブログは、↓をクリック。

「終わった人」


評論集『反日種族主義』  書籍関係

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「種族主義」とは、聞き慣れない名称だが、
主な執筆者の李栄薫氏は、次のように説明している。

韓国の民族主義は、
西洋で勃興した民族主義とは別のものです。
韓国の民族主義には、
自由で独立的な個人という概念がありません。
韓国の民族は、
それ自体で一つの集団であり、
一つの権力であり、
一つの身分です。
そのため、むしろ種族と言った方が適切です。

分かったような分からないような説明だが、
要するに民族主義よりも、
ずっと偏狭で自由性に欠けた集団ということのようだ。

本書は、韓国の落星台経済研究所の
李栄薫、金洛年、金容三、朱益鐘、鄭安基、李宇衍
6名による共著。
6名のうち5名が博士号を取得している学者たちである。

昨年7月10日に出版され、
韓国社会に少なからぬ衝撃を与えた。
というのは、
日本の朝鮮統治時代を含む韓国の歴史に対する
韓国人の通念を真っ向から否定しているからだった。

その通念とは、
日本の統治時代、
日本は土地を奪い、作物を奪い、
収奪の限りを尽くし、
朝鮮人民を苦しめた。
強制連行して日本に連れ去り、
奴隷労働をさせ、賃金も支払われなかった。
少女たちを強制連行して、
慰安婦にし、最後は殺害した。
その悪行について、
日本はまだ謝っていない。
というものだが、
本書では、資料に基づき
一つ一つを覆す。

日本は統治時代、土地を奪ったり、
農作物を収奪したりしなかった。
強制連行などなかったし、
賃金も支払われた。
慰安婦の強制連行もなく、
貧困故に親が子供を売った結果で、
慰安婦の待遇はよく、
貯金をして故郷に送金し、
ほとんどは生きて生還した。

まったく真っ向からの否定である。
あの韓国でよくこれだけの主張が出来たものだと感心するが、
ちゃんと根拠の参考文献も明らかにしている。

韓国といえば、反日を国是とする国で、
その歴史教科書には、
日本の統治時代のことが
帝国主義の悪行として記述され、
その部分を教える時は、
教師は涙を流しながら講義するという。
子供の頃からそのような教育をほどこされれば、
当然反日の国が出来上がる。
本書はそれらを正面から否定するものにも関わらず
韓国で12万部という異例のベストセラー1位となり、
今も売れ続けている。

そして、その翻訳本がとして文藝春秋から出版されたのが本書である。

目次は、次のとおり。

プロローグ 嘘の国

第1部 種族主義の記憶

荒唐無稽『アリラン』
片手にピストルを、もう片方には測量器を
食糧を収奪したって?
日本の植民地支配の方式
「強制動員」の神話
果たして「強制労働」「奴隷労働」だったのか?
朝鮮人の賃金差別の虚構性
陸軍特別志願兵、彼らは誰なのか!
もともと請求するものなどなかった
厚顔無恥で愚かな韓日会談決死反対

第2部 種族主義の象徴と幻想

白頭山神話の内幕
独島、反日種族主義の最高象徴
鉄杭神話の真実 
旧総督府庁舎の解体
親日清算という詐欺劇
ネバー・エンディング・ストーリー「賠償!賠償!賠償!」
反日種族主義の神学

第3部 種族主義の牙城、慰安婦

我々の中の慰安婦
公娼制の成立と文化
日本軍慰安婦問題の真実
解放後の四十余年間、慰安婦問題は存在しなかった
韓日関係が破綻するまで

エピローグ 反日種族主義の報い

まず、冒頭の「嘘の国」から驚かされる。

韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。

という文章から始めて、
韓国人がどれだけ嘘つきかを論述する。
その根拠として、
偽証罪の件数、誣告罪の件数、
保険詐欺の数、政府支援金の詐欺等、
数字を挙げて、日本の数百倍だと指摘する。
そして、「嘘をつく国民」「嘘をつく政治」
「嘘つきの学問」「嘘の裁判」
と列挙する。

この本では書かれていないが、
自衛隊へのレーダー照射事件を見れば、
韓国がどれほど嘘つきかは明白である。
その嘘が教科書に書かれ、
慰安婦、徴用工として嘘の上塗りとなっているのが、
韓国の現状だという。

日本人が言うのではない。
当の韓国人が自ら言っているのだ。
そして、

嘘が作られ拡散し、やがて文化となり、
政治と司法を支配するに至った
過ぎし60年間の精神史を、
何と説明したらよいのでしょうか。


と嘆くのだ。

第1部の「種族主義の記憶」では、
日本の統治時代の記憶が
事実に反する記憶として、
新たに作られ、継承されてきた事実を明らかにする。

たとえば、

・ベストセラー「アリラン」に総督府の土地調査事業で
 抵抗した村民を警察が即決で銃殺する場面が出て来るが、
 記録を探してもどこにもない、作家の創作で、
 それが一人歩きをしている。
・韓国人の土地が40パーセント収奪された、
 と教科書に書いてあるが、
 解放後、「土地を返せ」との運動は皆無だった。
 これも、教科書に書かれた数字が一人歩きしたのだ。
・米を収奪されたというが、
 それは、代金を支払われた「輸出」であった。
・強制動員された、というが、その事実はない。
 仕事を求めて日本に渡った人たちで、
 賃金も支払われた。
 賃金差別もなかった。

などを当時の土地台帳や生産量・輸出量の記録、
賃金支払い記録などを元に証明していく。
参考文献の一覧も添付されている。

これらを読んだ韓国人はどう思うのだろうか。
「教科書で学んだことは間違っていた」
と素直に思ってくれるだろうか。

第2部「種族主義の象徴と幻想」では、
白頭山神話や、独島(竹島)の神話などを明らかにする。
竹島が韓国領でないことを韓国人が論証している。
そして、「鉄杭神話」にも触れる。
これは、日本の植民地時代に全国の山々に杭を打ち込み、
風水侵略した、というもので、
一時期、その鉄杭を抜くことに韓国社会は狂奔した。
実際は風水妨害などではなく、
測量のための鉄杭だったのだが、
そのような非科学的な熱情も韓国人の特徴。

第3部「種族主義の牙城、慰安婦」では、
慰安婦問題がいかに
歴史的事実に基づかないものであるかを論証する。
繰り返し言うが、日本人が言うのではない。
韓国人が言っているのだ。
慰安所については、日本軍が関与したことは認めながらも、
実際は、兵隊の性の捌け口としての「商売」であり、
強制、監禁などによるものではなく、
慰安婦たちには自由があり、
数年経過して、金が貯まれば、
廃業、離脱していたことを
様々な資料を駆使して論証する。
慰安婦の貯金通帳や送金記録なども登場する。
まして、軍のよる強制連行など一例もなく
貧困を背景とした、
いたしかたない仕事だったことを明らかにする。
つまり、「性奴隷」などではなかったのだ。
そして、1965年の日韓基本条約締結時にも
慰安婦は問題にされず、
1991年の慰安婦自身の申し出以来、
国際問題化した経過を論証する。
女子挺身隊との混同で、
数が膨れ上がり、誇張されたことも。
実際の朝鮮人慰安婦の数は3600人であったことも論証する。
まさに「20万人」は架空の数字なのだ。
(ある記事が挺身隊として動員された人数は日本と朝鮮合わせて20万人、
そのうち朝鮮人女性は5万〜7万人だった、
という記事の「20万人」が一人歩きしたものだ。
元々「20万人」という数字は
元々朝鮮人慰安婦とは無関係の数字だったことが分かる。)
そして、慰安婦問題の拡大については、
「韓国挺身隊問題対策協議会」の活動が果たした役割を記す。
この団体は、政治団体であり、
反日が目的の団体で、
慰安婦問題の世界的拡大はこの団体が担ったのだ。
この本には出て来ないが、
かつて慰安婦問題の解決に携わった人は、
この団体の幹部が
「慰安婦のおばあさんのことなど問題ではない。
反日が目的なのだ」
という言葉を聞いている。

次のような記述が印象的だ。

1970年代まで
慰安婦の実情をよく知る人たちが多数生きていたときには、
慰安婦問題は提起されませんでしたが、
時が40年以上も過ぎ、
もうそういう人たちがいなくなって
その記憶が薄れて来るや、
架空の新たな記憶が作られ、
慰安婦問題が登場したのです。
解放後の45年は、
韓国人の頭に
慰安婦に関する新たな記憶が作られるのに
必要な時間だったのです。
                                        
「新たな記憶」という言葉は重要で、
誇張され、捏造された記憶が
教科書を通じて、
国民の記憶となってしまったのだ。

私は、元慰安婦のおばあさんも、
その証言がしょっちゅう変ることから、
嘘であることは明らかだが、
国民の願望に添う嘘をついていた結果、
自分でもその嘘を
事実だと信じ込んでしまったのではないかと思っている。
高齢の方にありがちなことだ。

日本統治時代の嘘も、
長い間教科書で教えている間に、
それは民族的な記憶になってしまっている。
なにしろ、当事者が既にいなくなっているのだ。

その誤った記憶に基づいて、
反日を国家的にやるのだから、
日本はたまらない。
しかし、戦後70年もかかって作り上げた偽の記憶だ。
醒めるのにも、
それ以上の時間がかかるだろう。

こうした実情を見ながら、
著者たちは、
韓国の今後の行く末を心配する。
その「種族主義」が行き着く先に、
「自由」という言葉を憲法から削除した
愚昧な国家が出来ることを危惧するのである。

反日種族主義は1960年代から徐々に成熟し、
1980年代に至り爆発しました。
自律の時代に至り、
物質主義が花開いたのと軌を一にしました。
反日種族主義に便乗し、
韓国の歴史学界は
数多くの嘘を作り出しました。
この本が告発したいくつかは、
そのほんの一部に過ぎません。
嘘はまた反日種族主義を強化しました。
過ぎし30年間、
韓国の精神文化はその悪循環でした。
その中で韓国の精神文化は、
徐々に低い水準に落ちて行きました。


前にも何度となく書いているが、
私はかつては韓国に親しみを感じて、
韓国女性と結婚したい、
とさえ思ったこともある人間だが、
この数年の韓国を見て、反韓に変わった人間だ。
その韓国人の精神構造を「反日種族主義」と定義した本書だが、
私は韓国人は、単に性格が悪いのだと思っている。

まず、「嘘をつく」
普通の社会で嘘をつく人間は信用されない。
「嘘をついてはいけません」という
社会生活の根本の約束事が守られないとしたら、
一体どうやって付き合ったらいいのだろうか。

そして、「解決済みのことを何度も蒸し返す」
これでは、どんな合意や約束も
また破られるのではないかと、心配になる。
これも社会生活のルールに反する。

そして、「非人格的ないやがらせをする」
東京オリンピックの選手村の食事について、
生産地を明らかにせよ、
とか、韓国から食材を持ち込む、
などという主張は、
原発問題という日本の弱い部分を
わざわざついて来る。
↓は日本大使館建設予定地に無断で張り出されたポスター。

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防護服を着て走る聖火ランナー。
放射能問題で東京オリンピックを貶めようとするのだ。
世界に起こった問題を
解決するためではなく、
相手を非難するためだけに利用する。
しかも、題材はオリンピック。
いかなる政治利用やプロパガンダも禁止されているのに。
そして、五輪の使用は厳密な許可が必要なのに、
断りなしに使用。
こういうことを恥ずかしくもなくやるとこに、
韓国人の性格の悪さが顕著に表われている。
慰安婦像を世界中に建設して回る、
というのも、性格の悪さを表している。
ごく最近、在韓アメリカ大使のひげ↓が

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「日本の植民地時代を思い出させる」
などと言いがかりをつけ、
そのひげをむしるパフォーマンスをする↓など、

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よく恥ずかしくないものだと思う。

こういう「嘘をつき」「何度も蒸し返し」「いやがらせをする」
性格の悪い隣人とは、どうしたらいいか。
付き合わないことである。
そういう人が町内にいたら、
顔を合わせて挨拶をする程度で距離を置く。
それが賢いやり方である。

日本出版された本書、
私のような人間には、
既に知っている内容が多かったが、
この内容が、
たとえば百田尚樹のような日本人ではなく、
韓国人自らによって書かれたことに大変意義を感ずるものである。

ただ、「種族主義」などという、
まだ一般的には認知されていな言葉を使っているが、
邦題は、それを副題にして、
「作られた記憶」「偽りの記憶」などという
分かりやすい題名にした方がよかったのではないか。


小説『定価のない本』  書籍関係

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終戦から一年。
焼け跡から復興した古書の町・神田神保町が舞台。
三輪書房の店主・三輪芳松が死んだ。
倉庫の中で、倒れて来た本に押しつぶされて圧死したのだ。
芳松と若い時からの盟友である琴岡庄治は、
その死に不審感を抱く。
芳松は殺されたのではないか。

琴岡庄治は12歳で古書店・立声堂の小僧として就職し、
めきめき頭角を顕し、
独立後は、店舗を持たない、
目録販売の古典籍専門の琴岡玄武堂として、
神保町で一目置かれていた。
古典籍とは、明治維新以前の和装本のこと。

芳松の死に疑問を抱く庄治は、
芳松の妻・タカの後を追い、
自分と同様に芳松の死を殺人と思っている
タカの真相究明の強い意思に驚く。
そのタカが、自殺を遂げる。
芳松が死んだ倉庫で首をくくったのだ。
あんなに真相究明の強い意思を持っていかタカの死因にも、
庄治は疑問を抱く。
タカも殺されたのではないか。

という殺人事件の謎解明のミステリーの趣だが、
どうもそうでもないらしい。
というのは、その後、庄治はGHQと深く関わり、
日本の古典籍を集め、GHQに買い取らせる。
それは、占領軍の日本弱体化の意図によるものだった。

そのGHQのファイファー少佐をして語らせる
戦後処理の思惑が面白い。

ファイファー少佐は、
日本人がなぜ戦争を最後まで踏みこたえたかの根源に
日本の「歴史」があると看破する。
中でも、天皇を中心とした国史だ。
千四百年間、天皇という国家首長が存在したことが驚きだという。
ドイツのハノーファー家も、オーストリアのハプスブルク家でさえ、
これほど長大な歴史は持たなかった。
アメリカには王朝そのものが存在しない。
そもそも古代や中世が存在しない。
ジョージ・ワシントンの大統領就任以来、
たかだか150年しか統一国家としての歴史を持たない。

翻って、日本人は自国の歴史に自信がありすぎた。
歴史が豊富で、どんな行為も歴史の中に根拠を見出せる。
イタリアやドイツより長いこと戦うことができたのも、
歴史の故だった。
イタリアやドイツは統一国家としては
たかだか7、80年の時間しか持っていないのに対し、
日本は千四百年。

だから、占領軍は、日本人から歴史を奪う
歴史とそれを源泉とする
肥大化した自尊心のある限り、
日本人は永遠に反省しない。
目をさまさない。
だから歴史を奪う。
それこそが真の武装解除なのだ、と。

だから、GHQは、全力で日本の原典を集め、
本国に送致する。
もはや日本の歴史の研究家といえども、
アメリカに行かなければ、原典を拝めない。
こして日本から歴史を奪い、
まったく新しい歴史を与えてやる。

これがファイファー少佐の語る、
「ダスト・クリーナー作戦」(除塵装置作戦)だという。

その証拠にGHQが許可した学校教科では、
「歴史」を「社会科」に押し込んでしまう。
国語、算数、理科、社会。
社会科は歴史や地理、政治、経済などの寄せ集め。
戦前は国史が独立しており、
国語、算術、理科と並ぶ主要教科の一つだった。
日本人には、日本の歴史を勉強させないのだ。

この作戦に対して、
神保町の古書店が立ち上がる。

という話に発展し、
最後の芳松の死の謎解きは、
少々お粗末。

占領軍の真意を描いたのは、実に面白い。
だが、現在の日本の教育現場を見ると、
GHQの意図は完成したのではないかと思える。
なにしろ、日本という国の起源については教えない、
というのが、日本の教育なのだ。

しかし、このたびの天皇即位にまつわる
日本人の受け止め方を見ると、
まだまだ日本人の中に
歴史が根付いているようにも見える。

などということを、
古書の町・神保町を舞台に展開する、
「家康、江戸を建てる」の門井慶喜らしい、
なかなかの読物であった。


実録『ぼけますから、よろしくお願いします。』  書籍関係

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人を食ったような題名だが、
これは、筆者のフリードキュメンタリー作家・
信友直子さんの母親が
実際に言った言葉。
2017年の1月1日、
午前0時に年が変わった瞬間、
「あけましておめでとう」という新年の挨拶の後に、
「今年はぼけますから、よろしくお願いします」
と言ったのだという。

実は、その挨拶以前に、
母親には、認知症の症状が出ていた。
そのぼけの進行状況を
信友さんはビデオカメラに収録し、
情報番組の特集で放送した。
更に、再編集して映画にし、
2018年には映画館で公開している。

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この本は、母親の認知症の進行状態と、
父親の母親への老老介護の様子、
更に、介護サービスの現状を見つめ、
テレビ、映画で公開した娘の
内面の葛藤をつづる記録なのだ。

父親は現在98歳、母親は90歳。
母親がアルツハイマー型認知症と診断されたのは、
2014年のことだった。
信友さんが母親について異常を感じたのは、
それより1年半ほど前のこと。
娘は映像制作の仕事で東京暮らし。
電話のやり取りと帰郷時の様子で
母親の症状を心配した信友さんが診断を勧め、
2度目の診断で認知症と分かった。

冒頭、信友さんは、このように書く。

認知症になった人は、
ぼけてしまったから
病気の自覚もないのでは?
と思われる方もいるかもしれませんが、
実は本人が一番苦しんでいます。
母をずっと側で見てきた私が言うのだから間違いありません。
自分がおかしくなってきたことは、
本人が一番わかっているのです。
昔、できていたことが
なぜできないのか。
自分はこれからどうなってしまうのか。
家族に迷惑をかけてしまうのではないか・・・
認知症の人の心の中は、
不安や絶望でいっぱいです。


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不安にとらわれた母は変わってしまう。
物事を否定的に捉え、
自分を拒絶する。
そういう母親を支えたのは、
8歳年上の父で、
このお父さんの描写がなかなか男らしい。

戦争のために自分のしたいことができなかった父は、
その無念さを一人娘に向け、
やりたいことをさせたという。

「わしはやりたいことが結局やれんかった。
それが無念で仕方がない。
娘にはそういう思いは絶対させとうない。
あんたは自分の好きなことをやりなさい」


と、娘が上京することも、
映像作家になることも支持した。

認知症が進む母親の姿を
ドキュメンタリーとして放送することに対しても、
両親は反対していない。
映画として公開することも容認する。
それは一点、
「直子に任せておけば、悪いようにはしない」
という母の信頼によるものだった。

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老老介護の現状は、
「夫婦引きこもり」同然だったが、
介護サービスを受けるようになって一変する。

このあたりは、私も認識を新たにした。
デイサービスと称して、
老人が集まって、ゲームなどするのはまっぴらだ、
と思っていたのが、
それには、ちゃんと理由があった。
実家の近くにある「包括支援センター」の
女性職員のひと言がそれだ。

「今のお母さんには、外に出て気分転換することか必要です」

老老介護で家にひきこもり、
外からの刺激がなくて、
内にこもる生活では、
本人の気持ちもふさぐ一方で、
認知症も進むというのだ。
                                        
「デイサービスは、
半日の間にいろんなメニューが組まれているんですよ。
お風呂に入りましょう、
次は折り紙をしましょう、
こんなゲームをしましょう、
とたくさんスタッフからの指示が出ます。
それをこなしていると、
私はおかしいんじゃないか、
なんてよけいなことを考える暇がなくなります」
そしてなによりいいのは、
みんなで体操をしたり、歌を歌ったりと、
様々なレクリェーションがあるので、
新しい交友関係ができたり
身体や脳にいろんな刺激を受けたりして
認知症が進みにくくなることです、と言われました。
「人と交流して、
適度な刺激のある生活をすること。
認知症を進ませないためには、
これがぜひとも必要です」


ヘルパーさんの来訪で人と交流する。
これも効果があるのだという。

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一度はひきこもり状態になった父と母が、
95歳と87歳という超高齢であっても、
片方は認知症であっても、
再び社会とつながって笑顔を取り戻すことができた──
この事実は、父にとっても私にとっても、
確かな自信と大きな喜びとなりました。


信友さん自身も、そのことで、

「親子三人で引きこもっていたころは、
私も相当鬱っぽくなっていたんだな」


と気づく。
そして、テレビに出た時、
共演した認知専門医のアドバイスのひと言。

「介護はプロとシェアしなさい」

どういう意味かというと、

他人にでできることは
介護のプロの方がうまいんだからプロに任せて、
家族は家族にしかできない、
本人に愛情をたっぷり注いであげることを
自分の本分と割り切りなさい、
ということです。


たとえば入浴介助は、
研修を受けているプロの方が、
コツをつかんでいるから家族よりはるかにうまい。
本人もうまい人にお風呂に入れてもらうと、
安心できるから気持ちいい。
家族がやると、おっかなびっくりだから、うまくいかない。

本人にとっても家族にとっても、
疲れるだけでいいことはひとつもありません。
こういうのはプロに任せた方がいい。
でも逆に「その人を愛してあげること」においては、
どんなカリスマヘルパーさんでも、
家族には絶対かないません。
本人も、ヘルパーさんにどんなによくしてもらっても、
それよりも家族にやさしく接してもらうことの方が断然嬉しい。


なるほどなあ、と思わせることが多い。

現在、母は、脳梗塞で入院中で、
父は毎日病院に行って母の手を握りながら、

「おっ母、早う帰ってこいよ。
おいしいコーヒー淹れちゃるけん、
また一緒に飲もうや」


と声をかけているという。

老いという、どうしようもない現実をつづりながら、
夫婦の愛情と親子の愛情を感ずる本だった。





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