小説とエッセイ『図書室』  書籍関係

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社会学者の岸政彦による小説+エッセイ。
岸氏は芥川賞候補になったこともある。

表題作「図書室」は、
ある中年女性の子供時代の思い出を描く。
二人暮らしをしていた水商売の母を15歳の時亡くし、
親戚に預けられ、
大阪で自立して、短大に通い、
法律事務所に勤め、
一度だけ男と付き合うが、結婚はせず、同棲し、別れ、
今は一人暮らし。
そんな彼女が日々思い出すのは、
放課後に過ごす公民館の図書館での出来事。

いつも寝ている窓口のおばちゃんと、
テーブルで新聞を読みながら寝ている老人たちの
向こうの椅子でいつも会う男の子。
同い年で、別の小学校に通う男の子との不思議な交わり。
太陽がいつか爆発するというその子の話に魅せられ、
感染症で人類が途絶えた後、
その子と二人だけ残った世界を夢想するうち、
二人でその世界に迷い込んでしまう。
スーパーで缶詰を沢山買い込み、
みんな死んじゃったんだなあ、と涙をこぼし、
淀川の河川敷にある防災用具倉庫にもぐり込み、
地球上他に誰もいない世界を体感する。
想像は更に進み、
二人で女の子をもうけ、つばめと名付ける。
やがて発見され、小屋から退出する時、
振り返ると、そこにはつばめがいて、
笑いながら手を振っている。

その後、男の子は引っ越して、別れも告げずにいなくなる。

大人になった主人公は様々な経験をした後、
一人暮らしに戻り、
ある時、あの河川敷を訪れる。
もうないと思っていた倉庫はまだ建っていた。
主人公は、私たちの娘は、まだ中にいるだろうか、と思う。

といった話を淡々と、
子供二人の会話でつなぐ。
子供の想像の中での滅亡した地球。
不思議な味わいの小説。
三島賞候補になった。
「新潮」2018年12月号に掲載。

単行本化のために書き下ろされた「給水塔」は、
著者自身の大阪の町での体験を綴る。

独学でウッドベースを始め、
トリオを組んで演奏していた大学時代。
大学院の入試に落ちて、行き場をなくし、
遺跡発掘現場と建築現場の日雇いを続け、
東京から来た男と知り合い、別れ、
結婚し、空き巣に遇い、大学に職を得る、
というような話を「好きな大阪」を軸に語られる。

これもちょっと不思議な味わい

ビルやマンションを建てようとした時、
地面から遺跡が出ると、
工事をストップして、発掘作業をしなければならない、
その間の経費は施主持ち、
などという興味深い話もある。
そういえば、ローマで地下鉄を掘ると、
しょっちゅう、遺跡にぶち当たり、
工事が中断された、という話を聞いたことがある。
この本での遺跡は、
大阪夏の陣と冬の陣の際に
焼け野原になった時の炭の層、
などというのも面白かった。
そういう場所なんだね、大阪って。

経済的に安定して、
20年ぶりにベースを再開しようとした時の
世の中の様変わりも興味深い。
どう様変わりしていたかというと、
著者の時代は、
週に3回も演奏すれば月10万円になった。
しかし、その固定ギャラから出来高制になり、
せいぜい、1回演奏して千円の時代を経て、
更に、逆に金を取られる時代になったというのだ。

ジャズに限らず、
いまという時代は、
自己表現をしたい人はたくさんいるけど、
ひとのそれを聞きたい、見たいというひとはほとんどいない。
結局どうなっているかというと、
関西のジャズの店で生き残っているところは、
その多くがジャムセッションで金を稼ぐようになっている。
つまり、客ではなく、
演奏する側から金を取っているのである。
普段のライブの日はガラガラで、
セッションのときになると人前で演奏したがる
私のようなおっさんで満席になる、
というのが、いまの関西の普通の光景だ。


そして、こう続ける。

しかし考えてみると、
たとえば演歌という世界もすでに何十年も前から、
歌手が客から金を取るのではなく、
カラオケ教室を開いて発表会をすることで
そこで歌いたいひとから金を取るようになっている。
もっと考えると、
そもそも民謡や日舞の伝統芸能の世界は、
はじめから客ではてく弟子から金を集めるようになっている。
文化というものはもともと「やりたい奴から金を取る」のが
当たり前だったのかもしれない。
戦後のアメリカ的な大衆文化のコピーとしての
「客から金を取るシステム」の方が、
歴史的に見れば例外的な状況だったのかもしれないのだ。


なるほど。

著者は関西大学出身で、
そこでの雰囲気を次のように書いている。

あの、誰でもない、何も持ってない、何もできない、
ただ時間がけがある感覚が、
決してそこに帰りたくはないが、懐かしい。
(中略)
賑やかな関大前という街には、なにかこう、
疎開地のような、バザールのような、
治外法権のような、
人を躁病のようにする雰囲気があった。
なにか、人とちがうことをしてもよい、
好きなことだけをしてもよい、
嫌なことはしなくてもよい、
そうやって人をそそのかす空気があった。
この「土地の精霊」のおかげで、
せっかく関大に入ったのに、
徹底的にダメな人間になってしまうやつもたくさんいた。
私も当然そのうちのひとりだろう。
私は関大という、
どうしようもなく世俗的な大学と、
その周りの世俗的な街を気に入っていた。


昔、大学の構内にあった学生寮に入った友人が、
「ここの寮食(寮の食堂)には、
人を怠け者にする薬が入っているのではないか」
と言っていたのを思い出す。
それまで勤勉に勉強してきたのに、
寮に入った途端に、
寝坊で授業は休むし、時間にルーズになり、
部屋で麻雀三昧の生活を嘆いていた。
多分、環境がそうさせるので、
周囲が留年者だらけの中では、
そうなる恐れがあると思った。

著者が犬を飼った経験も、大変胸に刺さった。

私はこどものときに犬を飼っていて、
その犬ととても仲が良かった。
私たちは心から愛しあっていたと思う。
私は彼女から、生きているものの体温とか、
匂いとか、感情とか、世話することの面倒くささとか、
そういうものがどれくらい大切なものかを教えてもらった。
それは自分の人生に何も利益をもたらさない、
何の役にも立たないものだが、
私は彼女の存在を通じて、
この世界にはなにか温かいもの、うれしいもの、
楽しいもの、好きなものが
どこかに存在するのだということを教わった。


その他、著者が人と交わる時、
ちょっとしたゆきずりの人にも
人生があり、内面があり、歴史がある、
と感じるところもなかなか良かった。


小説『刑事の慟哭』  書籍関係

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新宿署の刑事、田丸茂一(しげかず)は、
1年前、誤認逮捕と自殺の騒動の中、
報道陣の見守る前で、
真犯人を連行した行為が
本部に反抗し、恥をかかせたたとみなされ、
主軸から外され、冷遇されていた。

そんな中で、OL殺人とホスト殺人が起きる。
別々に捜査本部が立ち、別々に有力容疑者が浮上し、
捜査本部はその容疑者がホンボシと決めつけている。
2つの事件の共通点を田丸はみつけ、
捜査会議で進言するが、
「また捜査本部への反抗か」
とみなされ、取り合ってもらえない。

共通点というのは、
新宿で起きた企業爆破事件の裁判員裁判で、
その裁判員の候補者かつ落選者が
新たな2つの殺人事件の両被害者だということだった。
しかも、企業爆破事件の犯人として立件された被告が、
強引な捜査による冤罪だというのだから、
警察上層部に受け入れられるはずがなかった。

田丸は神無木と相棒を組まされ、
重要でない捜査に回されるが、
1年前の事件でも田丸と組んだ神無木は、
今度は田丸を信ずる側に回っていた。

捜査会議で、自分の意見が入れられないことを察した田丸は、
それを逆手に取って、
捜査の方向を正しい方向に向けさせようとするが、
田丸を信頼する神無木によって、
逆に阻害されてしまう・・・

作者の下村敦史は、
2014年「闇に香る嘘」で江戸川乱歩賞を受賞。
社会的な題材を取り上げ、今、期待される新人作家だという。
「闇に香る嘘」「黙過」と読んだが、
状況設定、人物造形、文章と
とても読み進む気が失せて、
中途で断念した。

本作は、組織に歯向かったとみなされた刑事の孤独で、
設定が良かったので、読み進むことができた。

裁判員を扱った作品で、
裁判員候補者に身分証明は求められないので、
なりすますことが出来る、というのは盲点だった。

ただ、爆破事件の現場にいた人間が
裁判員候補者に4名いた、などという、
あまりに確率的に無理がある設定には違和感を覚えた。
また、その状況から生まれる犯人の動機も、
それが殺人まで犯すものになるだろうか、という疑問は残る。

自分の意見を入れてくれない上層部を
逆手に取って、一つの方向性に導こうとし、
それを相棒によって阻止されるという状況はなかなか面白い。
背景にインターネットやSNSによる
不満の拡散という病理が設定されているのも、
現代を切り取るものだ。

ただ、文章と会話に未熟な点が多く、
あまり高い評価は与えられない作品だった。


小説『つばさものがたり』  書籍関係

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雫井脩介の10作目の作品。
2010年刊。

北伊豆に住む君川家が舞台。
地元の体育協会に勤める代二郎と道恵の間に男の子が生まれる。
叶夢(かなむ)と名付けられたその子は、
成長するにつれて、ちょっと変わった子であることが判明する。
幼稚園で他の子供と交わらず、
なにか架空の世界で遊んでいるようなのだ。
やがて、叶夢には、天使たちが見え、
天使と妖精のハーフでレイという
他の人には見えない子供と、
親友になっているようなのだ。
にわかには信じられない代二郎と道恵だったが、
成長と共に普通に戻るのではないかと見守ることにした。

そんな時、代二郎の妹の小麦(26歳)が東京から帰って来た。
パテシェの修行をしていた小麦だったが、
師匠の店パティスリー・ハルタが
新店舗を出すことになり、
フランスの修行から帰ったばかりの五条朋彦がシェフになり、
小麦に手伝ってほしいと誘われたが、
それを断っての帰郷だった。

実は小麦は乳ガンを患っており、
3年前に手術したが、
最近再発し、更に転移もしていて、
見通しが立たない状態で、
抗ガン剤の影響で味覚にも障害が出ていた。
師匠の春田に恩返しも出来ず、
密かに慕っていた五条の要請にも答えられず、
気まずい別れをして故郷に戻ってきたのだ。

母の香代子にも乳ガンであることを話せず、
小麦はケーキ屋を開店することにする。
というのは、地元の製菓会社に勤めた父が、
ケーキ屋を開くことを夢見ていたからだ。
店舗の物件を探し、器材を手配し、
オープンにこぎつけたが、
その開店の時、叶夢が不吉なことを言う。
「この店は流行らないよ」
天使がこの店界隈には止まっていないというのだ。

予言は的中し、最初だけはよかったものの、
売上は低迷し、
パートの給料さえ支払えないような窮状になる。
密かに訪ねてきた恩師の春田には
「こんなものを作りたかったのか」と言われる始末。
後継者に育てたい道恵への厳しい指導から、
兄嫁との関係もきまずいものとなってしまう。
小麦の病状も進み、物心両面で疲労困憊、
ついに店が立ち行かなくなってしまった。

乳ガンであるとを母にも話し、治療に専念するが、
ある時、叶夢の要請で、
レイの天使試験に立ち会ったことから(実際は見えないのだが)、
気持ちを回復した小麦は、
再度ケーキ屋に挑戦することを決意する。
今度はレイもいいと言ってくれた物件を探し、
母の一存で閉店後も処分せずにいた器材を移転し、
あらたに「ファボリ・タンジュ」
(天使の好物、天使のお気に入り)
と命名された店舗をオープンする。
今度は近所の洋菓子店の息子で
経験者も手伝ってくれることになった。

小麦の再挑戦は成功するのか。
レイの天使試験は合格するのか、
それとも・・・

一種の家族小説で、
犯罪小説に秀作の多い雫井だが、
全くテイストの違う、このような作品も書ける人だと分かる。
天使が登場するなど、ファンタジーとも言える。
警察小説とは対極にある。

登場人物が全員好人物で、
読んでいて爽やかだ。
そして、ケーキに命を賭ける
パテシェの世界も詳細に描かれる。
後半は、サスセスストーリーとしても満足させる。

最後に自分の店を見る小麦が、こう述懐する。

「いいお店だなぁ。
私、こんな素敵なお店を作ったんだ…。
何だか夢みたい。
嬉しいなぁ。
がんばってよかったなぁ」

このあたりで読者の涙腺が決壊する。

それにしても雫井脩介の守備範囲の広さに驚かされる小説である。


小説『美しき愚かものたちのタブロー』  書籍関係

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絵画用語でタブロー(tableau フランス語)とは、
ラテン語で「板」を意味する「タブラ(tabula)」に語源をもつことから、
本来は板絵のことであるが、
今日ではカンバスや画紙に描かれた絵をいう。
固定した壁画や天井画と異なり、可動的で、
普通額縁によって独立した絵画空間を作る。
エチュード (習作) やデッサンは含まれず、
あくまでも完成した絵をさす。

その用語を取り入れた、この題名。
恰好つけた、あまり良い題名ではないと思う。

「松方コレクション」にまつわる物語。

松方コレクションとは、
戦前、首相を務めた松方正義の息子であり、
川崎造船所の創業者川崎正蔵に見込まれて
川崎造船所の社長に就任、
戦時中は政治家としても活躍した松方幸次郎↓が、

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1920年代、
ロンドンとパリで買い集めた
絵画や彫刻、浮世絵のコレクションのこと。
松方は、ロンドンで偶然目に留まった絵に
心動かされたことをきっかけに、コレクターとなる。
「ひょっとすると、
一枚の絵は軍艦一隻に相当する力を秘めているかもしれない」
と。
購入した作品は、ロンドンやパリに保管されていたが、
第二次大戦や松方の社長辞任、
関税の問題などで日本へ移送されず、
パリに置かれたままだった。
ロンドンのコレクションは火事で消失した。

戦後は、敗戦国の在外財産として接収され、
フランス政府の管理下に入った。
その松方コレクションの返還を求めたのが吉田茂であり、
フランス政府は、あくまで「寄贈」の形を取った。
日本側は「寄贈返還」という言葉を編み出して、これを受け入れた。

寄贈に当たってフランス政府のつけた条件の一つである
「美術館の建設」で作られたのが、上野の国立西洋美術館
フランスから松方コレクションを移送して
開館したのが1959年。
松方本人は既に他界しており、
自分の集めた作品群が日本の美術館に展示される光景を見ることはなかった。
開館60周年を記念して、
今年、「松方コレクション展」が開催された。

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本作は、美術史を学ぶ田代雄一を中心に、
欧州での松方の美術品の購入の姿、
第2次大戦中、
ナチの接収からコレクションを守るために、
田舎町・アボンダンの農家の2階に
タブローを秘蔵し、
ナチの退却後、パリに戻した日置コウ(金偏に工)三郎の姿、
松方コレクションを取り戻すために
吉田茂の要請で、フランス側と交渉する田代の姿を描く。

田代雄一は架空の人物だが、
日本における西洋美術史家の草分け、矢代幸雄がモデル。
その他、フランスで松方の画廊巡りに付き合った
実在の人物成瀬正一も登場し、モデルの一部を担う。

松方は「自分には絵は分からない」と言っており、
田代や成瀬らの助言で画廊を回り、美術品を買い求める。
中でも印象派の巨匠、
クロード・モネのアトリエを訪ねる場面が印象的。
また、画廊で紹介された絵を「買わない」と行ってホテルに帰ったあと、
田代に内緒で画廊に戻り、
買い求めていた挿話も面白い。
その絵がゴッホの「アルルの寝室」と
ルノアールの「アルジェリア風のパリの女たち」(後述)。

松方の美術品購入の目的は、
「日本に美術館を作りたい」だった。
当時、日本の若者たちは、海外渡航など夢のまた夢で、
西洋の本物の美術品を直接見る機会など皆無だった。
美術品の存在を知るのは、
雑誌の写真、しかも劣悪な黒白写真でしかなかった。
外国に行けない芸術家たちのために、
それならば、美術品を買い付け、
日本に持って来ればいい、
彼らのために
一流の作品を集めた美術館を日本に創ったらいいではないか、
というのが松方の考えだった。
                                       
印象派の絵を「まぶしい」と言う田代の説明。

「モネの絵ばかりじゃない。
印象派や、そのあとに登場する
ゴッホやゴーギャンやスーラ、
新進気鋭の画家たちは、皆、
アトリエを飛び出して、外で制作したんだ」
それまでは、画家はモデルを前にして
アトリエで制作するのが普通とされていた。
安定した明るさを得るために、
多くのアトリエは光が差し込まない北向きだった。
印象派以前のフランス絵画の画面を見ると、
いかに明るい色彩が用いられた絵であっても、
まぶしくて目を細めるなどということはない。
アトリエではなく外光の中で制作したことが、
印象派の画面にあるまばゆさをもたらしたのだ。


サンフランシスコ講和条約締結の後、
吉田茂がフランスのシューマン外相と会談し、
松方コレクションの返還を要請する場面も興味深い。
20分しかない会談時間なのに、
吉田はソ連の美術館でフランス絵画を見た際の感動を語る。

結果的に、これは、ソ連におけるフランス文化の大いなる宣伝となっている。
これこそが、芸術・文化の底力ではないか。
(中略)
フランスには当然数えきれないほどの美術品があるわけですから、
<松方コレクション>がこのさきフランスにあっても、またなくとも、
ほとんど影響はないはずです。
しかし、それがもし、日本にあったなら、
どれほど大きな影響を日本人に与えることでしょう。
(中略)
フランスが<松方コレクション>を日本へ贈ってくれたならば、
日本国民はどれほど喜び、また励まされることでしょう。
そしてフランスに感謝することでしょう。
そしてもし、それを基に美術館を開設することができたならば、
わが国におけるフランス文化の有力な宣伝にもなるはずです。
これはフランスにとって損にならない。
否、必ず有益な結果となる。
いかがでしょうか。
この提案、受け入れていただけませんか──。


その結果、シューマン外相がそれを受け入れ、
日本にコレクションが返還されることになる。

美術史家・田代の「偶然=必然」論

ある歴史上の人物が出てくるのは、
その時点ではたんなる「偶然」でしかない。
しかし、後世のある時点に立脚して、
歴史の中でその「偶然」をみつめたとき、
それがいかに「必然」であったかがよくわかる。
さとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチという
稀代の天才が出現したのは、
たまたまそうなったわけではなく、
何百年ものあいだの歴史の積み重なりの中で、
少しずつ、少しずつ、準備されていき、
その結果、ひとりの天才が生まれたという
必然であったのだといえる。


松方の遺志を受けて、
コレクションをアボンダンに絵画を隠した日置が、
パリに絵を戻す際、
ナチの軍隊の検査を受け、
たまたまその絵がゴッホの「アルルの寝室」だった。
その絵を見て、ドイツの兵隊が、
子供の落書きと思って、
通過させるあたりも面白い。
ナチの軍人には、
ゴッホの価値など分かりはしなかったのだ。

実は、フランス政府は、
全ての松方コレクションを返還したわけではなく、
21作は、フランスの宝として、返還リストに入っていなかった。
田代はその中でも、思い出深い3点を入れてくれと、懇願する。
その作品がゴッホ「アルルの寝室」↓と、

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ルノアール「アルジェリア風のパリの女たち」↓と、

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モネ「睡蓮、柳の反映」の3点。

そのうち、「アルジェリア風のパリの女たち」は返還されたが、
「睡蓮、柳の反映」は所在不明、
そして、ゴッホの「アルルの寝室」は、ついに返還されなかった。
「アルルの寝室」はパリのオルセー美術館所蔵となり、
このたびの「松方コレクション展」には貸し出された。
そして、「睡蓮、柳の反映」は、
60年以上所在不明となっていたが、
ルーブル美術館の収蔵庫でロールに巻かれた状態で発見され、
2018年に返還された。
ただ、キャンパスの半分以上が失われており、
「松方コレクション展」では展示された。

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本書の紹介動画は、↓をクリック。

https://youtu.be/nUGZr4TAL14 

余談だが、「アルジェリア風のパリの女たち」は元になった
ドラクロア「アルジェの女たち」があり、
                            
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後に、ピカソ「アルジェの女たち」にインスピレーションを与えた。

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更に余談だが、
「アルルの寝室」は、
シカゴ美術館によって、精密に再現された部屋↓があり、

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10ドルで泊まることが出来る。
絵の中に入りたい方は、どうぞ。

美術作家、原田マハによく合った題材の小説で、
先の直木賞候補となったが、
選考委員の点は辛く、受賞には至らなかった。

高村薫
いささか未整理の表題と同じく、
物語自体も焦点が定まっていない。
主役の印象派の絵画についても、
それに魅せられた人間たちについても、
展覧会のパンフレットの解説の域を出ていない。

桐野夏生
松方コレクションを作った松方幸次郎本人についてなのか、
松方コレクションの辿った数奇な運命についてなのか、
コレクションを取り戻す話なのか、
何を目指しているのかが、よくわからなかった。

宮城谷昌光
松方コレクションがどのように買われ、
どのように戦火をまぬかれ、
どのようにフランスから寄贈返還されたかが明瞭に書かれている。
創作の主旨が明確であり、筆致も落ち着いている。
コレクションを守りぬいた日置 三郎の
陰の偉業を作者は顕彰したかったにちがいなく、
それは成功しているとみた。

林真理子
「惜しい」のひと言だ。
これほど面白い材料を揃えながら、
どうして小説全体がパワーを持たないのか。

浅田次郎
これまで絵画をテーマにしてきた作品の中で、
最も作者の手に合っているのではあるまいか。
ただしフィクションとして読むには、
その登場人物たちの描写に遠慮があり、
生々しさを欠くように思えた。

北方謙三
松方幸次郎のディレッタントの部分が強く出すぎているのが、
私には不満であった。
コレクションを守り抜いた男の存在感が、
私には印象的であった。

宮部みゆき
松方幸次郎の半生を描いているこの作品の大きな構成の中で、
誰にも知られぬままそれを戦禍から守り抜いた日置コウ三郎と
その妻のドラマを描いた後ろの百ページ余の部分が
乖離しているように感じました。

東野圭吾
どんなに断り書きがあろうとも、
フィクションとして読むのは困難だった。
実話部分を減らし、資料が少ない
日置という人物に絞って書けば、
違ったものになったのではないだろうか。


小説『白銀を踏み荒らせ』  書籍関係

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雫井脩介の第3作。2002年刊行。
デビュー作「栄光一途」の続編にあたる。
(「栄光一途」は、あまり感心しなかったので、本ブログには掲載しなかった。)

五輪選手選出を巡るドーピング問題で
柔道界を去った望月篠子は、
パリ界隈でブラブラしていたが、
彼と共に訪れたスキー場で、
日本のアルペンチームのヘッドコーチをしている五十嵐と会い、
有力選手のメンタルトレーナーに就くよう要請される。
その選手は石野マークといい、
年子の兄、石野ケビンと共に頭角を顕していたが、
ケビンは1年前の富良野でのワールドカップの時、
転倒事故で命を落としていた。
その精神的痛手から立ち直れないマークに
ポジティブシンキングを注入するのが篠子の役割だった。
篠子はなんとかチームに溶け込むように努力しているが、
チームの居候である
ドイツの大学教授のミハエル・ホフマンから
ある人物に荷物を渡す仕事を頼まれ、
その相手が暴漢に襲われ、
篠子も襲撃されるという事件が起こる。

再び富良野での世界選手権に舞台を移すが、
篠子たちは1年前のケビンの事故が
仕組まれたものであるとの疑念を抱く。
しかし、高速で滑走中の選手を転倒させるという
手立などあるのか。
篠子は、チームの中に潜入していた殺し屋にも命を狙われる。
それを助けてくれたのが、
東京からやってきた相棒・佐々木深紅(みく)だった・・・

前作で柔道界を巡る世界を詳細に描いた筆者が、
今度は一転、スキー競技の世界を、
これまた詳細に描く。
振れ幅の大きさに驚かされるが、
その後の雫井の扱う題材の幅広さを思うと、
既に第3作において、その予兆が現れた感じ。

今回はスキーの世界に踏み込むと、
白人至上主義が頭をもたげて来る。
というのも、スキー競技は「白人の聖域」で、
そこに有色人種が侵入して来るのを好まない人々がいるというのだ。

「もともとスキー界っていうのは白人社会だからね。
言わば白人の聖域ですよ。
日本チームのような有色人たちはゲストにしか過ぎないわけ。
ゲストはゲストらしくしててほしいと彼らは思ってる。
例えば近年、日本はノルディックのジャンプチームや
複合チームがゲストの立場を超えて、
彼らの聖域に踏み込んでいったわね。
聖域の住人は誰もが日本人の活躍を賞賛して
大いなる拍手を送った。
それが紳士である彼らのやり方なのよ。
そして無事にゲストを帰しておいてから言うわけ。
『さあ、ルールを変えよう』と。」


それがケビンの転倒事故の陰謀につながるというのだ。
そして、その背景に浮き上がって来るのが、
「パル」という、白人至上主義の秘密組織で、
その組織から日本チームにも刺客が送られてきた・・・

というわけで、ゴンドラ上での活劇や、
最後のマークの滑走中の活劇と、
劇画的展開が続く。
それも深紅の活躍で、
篠子は脇役となる。
「栄光一途」もそうだったが、
どうも篠子という主人公、線が細く、
いいところは深紅に奪われてしまう傾向がある。
最後の「パル」を巡る展開が、
深紅の深慮遠謀が効果を顕すなど、
真の主人公は深紅ではないかと思わせるほど。

ただ、登場人物が多く、
名前も判然としないので、
人物一覧が必要なのではないか。

この篠子シリーズ、
その後続編がないところを見ると、
あまり評判は呼ばなかったのかもはしれない。





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