実録『ぼけますから、よろしくお願いします。』  書籍関係

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人を食ったような題名だが、
これは、筆者のフリードキュメンタリー作家・
信友直子さんの母親が
実際に言った言葉。
2017年の1月1日、
午前0時に年が変わった瞬間、
「あけましておめでとう」という新年の挨拶の後に、
「今年はぼけますから、よろしくお願いします」
と言ったのだという。

実は、その挨拶以前に、
母親には、認知症の症状が出ていた。
そのぼけの進行状況を
信友さんはビデオカメラに収録し、
情報番組の特集で放送した。
更に、再編集して映画にし、
2018年には映画館で公開している。

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この本は、母親の認知症の進行状態と、
父親の母親への老老介護の様子、
更に、介護サービスの現状を見つめ、
テレビ、映画で公開した娘の
内面の葛藤をつづる記録なのだ。

父親は現在98歳、母親は90歳。
母親がアルツハイマー型認知症と診断されたのは、
2014年のことだった。
信友さんが母親について異常を感じたのは、
それより1年半ほど前のこと。
娘は映像制作の仕事で東京暮らし。
電話のやり取りと帰郷時の様子で
母親の症状を心配した信友さんが診断を勧め、
2度目の診断で認知症と分かった。

冒頭、信友さんは、このように書く。

認知症になった人は、
ぼけてしまったから
病気の自覚もないのでは?
と思われる方もいるかもしれませんが、
実は本人が一番苦しんでいます。
母をずっと側で見てきた私が言うのだから間違いありません。
自分がおかしくなってきたことは、
本人が一番わかっているのです。
昔、できていたことが
なぜできないのか。
自分はこれからどうなってしまうのか。
家族に迷惑をかけてしまうのではないか・・・
認知症の人の心の中は、
不安や絶望でいっぱいです。


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不安にとらわれた母は変わってしまう。
物事を否定的に捉え、
自分を拒絶する。
そういう母親を支えたのは、
8歳年上の父で、
このお父さんの描写がなかなか男らしい。

戦争のために自分のしたいことができなかった父は、
その無念さを一人娘に向け、
やりたいことをさせたという。

「わしはやりたいことが結局やれんかった。
それが無念で仕方がない。
娘にはそういう思いは絶対させとうない。
あんたは自分の好きなことをやりなさい」


と、娘が上京することも、
映像作家になることも支持した。

認知症が進む母親の姿を
ドキュメンタリーとして放送することに対しても、
両親は反対していない。
映画として公開することも容認する。
それは一点、
「直子に任せておけば、悪いようにはしない」
という母の信頼によるものだった。

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老老介護の現状は、
「夫婦引きこもり」同然だったが、
介護サービスを受けるようになって一変する。

このあたりは、私も認識を新たにした。
デイサービスと称して、
老人が集まって、ゲームなどするのはまっぴらだ、
と思っていたのが、
それには、ちゃんと理由があった。
実家の近くにある「包括支援センター」の
女性職員のひと言がそれだ。

「今のお母さんには、外に出て気分転換することか必要です」

老老介護で家にひきこもり、
外からの刺激がなくて、
内にこもる生活では、
本人の気持ちもふさぐ一方で、
認知症も進むというのだ。
                                        
「デイサービスは、
半日の間にいろんなメニューが組まれているんですよ。
お風呂に入りましょう、
次は折り紙をしましょう、
こんなゲームをしましょう、
とたくさんスタッフからの指示が出ます。
それをこなしていると、
私はおかしいんじゃないか、
なんてよけいなことを考える暇がなくなります」
そしてなによりいいのは、
みんなで体操をしたり、歌を歌ったりと、
様々なレクリェーションがあるので、
新しい交友関係ができたり
身体や脳にいろんな刺激を受けたりして
認知症が進みにくくなることです、と言われました。
「人と交流して、
適度な刺激のある生活をすること。
認知症を進ませないためには、
これがぜひとも必要です」


ヘルパーさんの来訪で人と交流する。
これも効果があるのだという。

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一度はひきこもり状態になった父と母が、
95歳と87歳という超高齢であっても、
片方は認知症であっても、
再び社会とつながって笑顔を取り戻すことができた──
この事実は、父にとっても私にとっても、
確かな自信と大きな喜びとなりました。


信友さん自身も、そのことで、

「親子三人で引きこもっていたころは、
私も相当鬱っぽくなっていたんだな」


と気づく。
そして、テレビに出た時、
共演した認知専門医のアドバイスのひと言。

「介護はプロとシェアしなさい」

どういう意味かというと、

他人にでできることは
介護のプロの方がうまいんだからプロに任せて、
家族は家族にしかできない、
本人に愛情をたっぷり注いであげることを
自分の本分と割り切りなさい、
ということです。


たとえば入浴介助は、
研修を受けているプロの方が、
コツをつかんでいるから家族よりはるかにうまい。
本人もうまい人にお風呂に入れてもらうと、
安心できるから気持ちいい。
家族がやると、おっかなびっくりだから、うまくいかない。

本人にとっても家族にとっても、
疲れるだけでいいことはひとつもありません。
こういうのはプロに任せた方がいい。
でも逆に「その人を愛してあげること」においては、
どんなカリスマヘルパーさんでも、
家族には絶対かないません。
本人も、ヘルパーさんにどんなによくしてもらっても、
それよりも家族にやさしく接してもらうことの方が断然嬉しい。


なるほどなあ、と思わせることが多い。

現在、母は、脳梗塞で入院中で、
父は毎日病院に行って母の手を握りながら、

「おっ母、早う帰ってこいよ。
おいしいコーヒー淹れちゃるけん、
また一緒に飲もうや」


と声をかけているという。

老いという、どうしようもない現実をつづりながら、
夫婦の愛情と親子の愛情を感ずる本だった。


連作短編集『名残の花』  書籍関係

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江戸が東京に改まって数年後の
能役者たちの行く末を描く。

主人公は、鳥居胖庵(はんあん)。
正しくは鳥居甲斐守忠輝で、
鳥居耀蔵(ようぞう)と言った方が分かりやすい。
水野忠邦の天保の改革の下、
目付や南町奉行として
奢侈を禁じる厳しい取り締まりなどで
当時の人々からは“蝮の耀蔵”“妖怪”とあだ名され、
忌み嫌われた。
後に解任され、
全財産没収の上であちこちに預けられたが、
最後は讃岐丸亀藩に幽閉され、
明治維新の際に恩赦を受けるまでの間、
20年以上お預けの身として軟禁状態に置かれた。
東京(江戸)に戻った時は77歳。

その胖庵が維新後の東京の有様を見て、
嘆くところから物語は始まる。
武士たちが全員解雇され、
髷を切り、ざんぎり頭になっている時、
胖庵は昔のままの服装で大小を差し、
町の人々からは奇異の目で見られる。

その胖庵は十六歳の能役者の見習い・滝井豊太郎と知り合う。
江戸時代、各藩に召し抱えられていた能役者たちも
御一新後は後ろ盾を失い困窮していた。
演ずる機会もなく、
食べるのが精一杯の有様。
豊太郎は金春座(こんはるざ)の地謡方・中村平蔵を師として、
細々と修業を続けているが、将来の希望はない。

かつて豊太郎がこの家の門人になった時、
住み込みの門弟は十指に余り、
通いの弟子が朝から門前に列を成していた。
それが今はどうだ。
がらんとした屋敷に住まうのは師と自分のみ。
通いの門人も目の前の彼が去れば、
あとは物好きな商人がほんの二、三人だ。
誰もかれもが能を捨てて、
どこかに消えてゆく。
なまじかつての一座の隆盛を知っているだけに、
その事実が豊太郎にはひどく不条理に思われた。


明治政府によって演目の制限がされ、
胖庵はかつて自分がした弾圧と重ね合わせて見る。

かつて胖庵自身が行った芝居町への弾圧。
それと同じことが今、
新政府によって始まろうとしている


そして、胖庵は逆に能の世界に近づいていく。

胖庵を前にしての平蔵の言葉。

「このお方はよ。
忌々しいが、俺たちと同じく、
お江戸に置き去りにされちまったお人だ」


能の演目とオーバーラップさせながら
物語は進行する。
時代の変転に遭遇した人々の生き方が描かれる。

新しい時代を受け入れようとする喜十郎は、豊太郎にこう言う。

「この国はこれから、どんどん変わってまいります。
古きものは押し流されて消え、
やがては欧米の諸国にも負けぬほど、
国は富みましょう。
知れ切った繁栄を前に、
そなたやあの亮輔は
なおも価値のなきものにしがみつき続けるのですか」
「国が・・・国が富み栄えて、それで何になります」
豊太郎には、政(まつりごと)なぞよく分からない。
しかしながら、
守りたいと思うものを捨てねば手に入らぬ繁栄が、
果たして人に必要なのか。
胖庵は守るべき江戸を失ってもなお、
皆目、己を曲げようとしない。
平蔵は金春座の衰退を嘆きつつも、
一座の芸を磨くことに邁進している。
そんな彼らが不幸だとは、
豊太郎は微塵も思わない。
世が濁ってもなお、
老いた身を奮って澄み続ける彼らは、
憎しみに濁る喜十郎より
はるかに幸福なはずだ。


明治維新という時代の変転の中に、
滅びゆく能をぶち込み、
更にかつては弾圧した鳥居耀蔵を配するという、
なかなかのアイデアだが、
物語として、弾まず、
あまりうまくいっているとは思えなかった。

なお、丸亀時代の鳥居耀蔵を扱った小説に
宮部みゆきの「孤宿の人」がある。
その紹介ブログは、↓をクリック。

「孤宿の人」


『放送作家の時間』  書籍関係

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著者の大倉徹也氏は、
放送作家という言葉がなかった頃からの放送作家で、
1956年、永六輔の誘いを受けて活動を始め、
「夢であいましょう」「8時だョ!全員集合」
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」など、
数多くの芸能関係のテレビ・ ラジオ番組を手がけた。

なにしろ、テレビが白黒だった時代、
かつては劇作家や小説家たちの
片手間仕事ぐらいにしか思われていなかった
放送作家の仕事に精神を吹き込んだ人。
中でも、NHKの「ビッグショー」は、大倉氏の功績で、
大倉氏は台本を書く前に、
有名無名に関係なく必ず出演者と会い、
綿密な取材を行い、出演者から本音を引き出した。

NHK「この人…(ゲストの名前)ショー」の第1回では
作家の松本清張を出演させた。
ベストセラー作家が出演したという実績から、
その後何人もの小説家が出演するようになって、
テレビ番組の可能性を広げた。

目次は↓のとおり。

○オープニング
○六・八・九の話
   永六輔さんと私
   中村八大さんと私
   坂本九と私
○グループの人たちの話
  「見上げてごらん夜の星を」と私
  「8時だヨ!全員集合」と私
  「ステージ101」と私
○テレビと女優の話
   黒柳徹子と私
   杉村春子と私
   二人の高峰さんと私
○アイドルたちの話
  「歌え!ヤンヤン!!」と私
   キャンディーズと私
   中三トリオと私
○歌う映画俳優の話
   加山雄三と私
   石原裕次郎と私
   小林旭・鶴田浩二と私
   勝新太郎と私
○ドキュメンタリーの話
   夫婦船と私
   ナガサキと私
   入江侍従長と私
○無念残念な話
  「サザエさん」と私
   歌川広重と私
  「スーパースター8★逃げろ!」と私
○視聴率・聴取率と関係ない話
  「民放ラジオ30周年記念特別番組」と私
  「NHKニューイヤーオペラコンサート」と私
   初代・林家三平と私
○「芸能人」ではない人たちの話
   松本清張氏と私
   阿久悠氏と私
   船村徹氏と私
○特に記しておきたい三人の女性歌手の話
   雪村いづみと私
   美空ひばりと私
   都はるみと私
○影響を受けた俳優の話
   小沢昭一と私
   森光子と私
   森繁久彌と私
○「放送の休日」の話
  「わが心の愛唱歌大全集」と私
○エンディング            

                     
出来る限り当時の印刷台本にあたり、
正確さを期する。
しかし、散逸したものも多く、
その場合は、記憶を辿って書く。
興味深い話も沢山ある。

たとえば、昭和32年(1957)年、
大阪のデパート、そごうが東京に進出して来て、
番組スポンサーになり、
タイトルを「有楽町で逢いましょう」とし、
永六輔作詞で主題歌も作った。
翌年になって、フランク永井の同名の別の歌がヒット。
その頃には番組は消えていた、という話。

永六輔の名を世間に広めたのは、「黒い花びら」のヒット。
夏木陽介主演の映画「青春を賭けろ」の挿入歌。
10曲ほどあるうちの一つだった。
歌手を演じた夏木の吹き替えを水原弘が歌った。
映画はヒットしなかったが、
主題歌だけがヒットして、
日本レコード大賞第1回の受賞作となった。

当時、朝のラジオ番組は5分刻みで、
出勤前のサラリーマンやOLが聴いていた。
(これは、私も記憶がある。)
その中の一つに「八大朝の歌」があり、
(八大とは作曲者の中村八大のこと)
今も残してある印刷台本によれば、
次のような歌手がゲストとして名を連ねている。
克美しげる、坂本九、和泉雅子、雪村いずみ、いしだあゆみ、
梓みちよ、九重佑美子、ダークダックス、芦野宏、竹越ひろ子、
園まり、古賀さと子、尾藤イサオ、朝丘雪路、日野てる子、
いずみたく、水原弘、デュークエイセス
今は忘れられている名前も多いが、
私と同世代の人は、懐かしさを感じるだろう。

ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」は、
坂本九初演ではなく、
伊藤素道(もとみち)とリリオ・リズム・エアーズという
グループによって初演された。
坂本九が「上を向いて歩こう」をヒットさせた2年後、
九主演で再演。
「見上げてごらん夜の星を」のサビである
「手をつなごう ボクと 追いかけよう 夢を
 二人なら 苦しくなんかないさ」
という部分は、リリオ時代にはなく、
再演時に九と九重佑美子がデュエットするために
書き加えられたもの。

中三トリオの出演を前に取材した時のことも興味深い。

共通しているのは、
私の聞こうとしている狙いがわかると、
こちらが余計なことを言わなくても、
自ら自分を語ってくれたことだ。
その感受性のよさも彼女たちを
芸能界で成功させた要因の一つだろう。
百恵チャンは、実に冷静に、
自分から見た自分の歴史を語ってくれた。
淳子チャンは、意外にもリクツ屋サンだった。
だからのちに彼女が
ある宗教の信者になったという噂を聞いた時も、
私なりに納得したものだ。


石原裕次郎が泣いた話、というのも初めて聞く話。
石原プロを設立しようとはした時のこと。
その資金を銀行から借りようとして断られた。
その日帰ってきてから
夫人の北原三枝の前で話しながら、泣いたという。
裕次郎の初めて見た、演技でない夫の涙。
その話を番組の中で北原三枝の録音音声で流した。
しかし、裕次郎は期待したほどの反応は見せてくれなかった。
そりゃそうだ。
泣いた話など、裕次郎が認めるわけがない。

特に記しておきたい歌手三人として、
雪村いずみ、美空ひばり、都はるみ
影響を受けた俳優三人として、
小沢昭一、森光子、森繁久彌を挙げている。

筆者の大倉氏は、
この本を執筆中の2019年2月4日に永眠。86歳。
遺族と編集部が協議の上、編集作業にあたったという。
(発刊は2019年9月25日)
テレビと日本の芸能を知る上で、
貴重な書籍である。


小説『絶声』  書籍関係

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「ぜっしょう」と読む。

親父が死んでくれるまであと一時間半──。

という衝撃的な書き出しで始まるこの作品は、
最近売れている下村敦史による遺産相続ミステリー。

なぜ親父が死ぬ時間が分かっているかというと、
大富豪、堂島太平の「失踪宣言」の時間が迫っているからだ。
莫大な資産を持つ大物相場師が、
末期の膵臓癌と認知症に冒されたまま、
7年前に自宅から消えた。
テレビ番組での訴えも虚しく、その行方は知れず、
裁判所に7年の失踪宣告の申立書が申請された。
生死不明のまま7年以上が経過し、
裁判所によって失踪が宣告されると、
法的には死亡と同じ扱いになる制度だ。

午前0時をもって「死亡した」と認定される日、
堂島の屋敷に集まった三人の相続人。
45歳の兄孝彦、40歳の妹美智香、
そして後妻の子30歳の正好。
それぞれお金の必要な事情を抱えており、
父親の死亡が認定されれば、
3等分しても、億単位の金が手に入るのだ。
父親の健康や生死など実は眼中になく、
莫大な遺産相続のことだけを考えていた。

しかし、父が「死ぬ」時間のわずか10分前、
異変が起こる。
死んでいるはずの父のブログが7年9カ月ぶりに更新され、
「私はまだ生きている」と書かれていた。

ブログ更新の事実は何者かによって家庭裁判所に通告され、
事実関係が明らかになるまで、
裁判所の失踪宣言は白紙に戻る。
つまり、3人は遺産相続が出来ない。
その上、ブログは一週間単位で更新され、
堂島の闘病記が記されていた。
それによれば、
今、堂島はA子という女性の介護を受けているというのだ。

本当に父親は生きているのか、
もし生きていないとすれば、
ブログを更新しているのは何者なのか。
更新者が堂島のブログのパスワードを知っているのはなぜなのか。
そして、この時期に更新された真意はなぜなのか。

兄の貴彦は未公開株の詐欺に遇い、
一億近い大損を出している。
姉の美智香は、
アンティーク家具の買い付けで偽物をつかまされたあげく、
マネージャーに金を持ち逃げされて、経営は火の車。
弟の正好はギャンブルに手を出して、
借りた金の厳しい取り立てにあっている。
正好は後妻である母共々家を追い出され、
貧苦にあえいだ恨みを父に抱いている。
それぞれの事情を抱え、
疑心暗鬼は続く。

これに、一時期父親の介護を任されていた愛子、
正好の借金取り立て役で、遺産相続をネタに
知恵袋となって策謀を巡らす相葉、
家裁調査官の真壁などが絡む。
相葉の調査で、
父親の介護をしていた女性A子の身許が明らかになり・・・

資産家の死によって骨肉の相続争いが巻きおこる、
というのはよくあるパターンだが、
そこに「失踪宣告」という法制度を取り入れたのが本作の新しさ。
ついでに、遺言書の処理を巡る相続人の廃除の制度も併用されている。

そういうわけで、着想は斬新だが、
描き方に難がある。
登場人物に魅力がないのだ。
また、堂島の失踪の原因となる
ある過去の事件への悔恨も、
取って付けた感が強い。

[以下、読む予定の人はスルーして下さい]

なにより穴が開いていると思うのは、
堂島が死んでからのこと。
遺体の焼却は? 埋葬は?
A子の性格からして、不法な手段を取ったとは考えにくい。
だとしたら、死亡診断書、焼却許可書などで、
堂島の死は明らかになってしまい、
失踪宣言どころの話ではなくなるのだ。
そういう、決定的な穴をしっかり埋めてはいない点が難となる。
出版社の校閲係はどうしていたのだろう。

あと注目する点は、
ブログの掲載順序の問題で、
これにはもう一つの仕掛けがなされている。



エッセイ『テレビの国から』  書籍関係

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偉大なシナリオ作家・倉本聰による
テレビドラマに対するエッセイ集。

「おとなのデジタルTVナビ」に連載したものを
大幅に加筆、再構成したもの。
「〜についてお話ししたいと思います」
などという記述があることから、
口述したものを筆記、
それから手を入れたと思われる。

目次は、次のとおり。

第一章 昭和から平成、令和をつなぐ物語
      「やすらぎの郷」「やすらぎの刻〜道」
第二章 戦後日本を総括する物語
      「北の国から」
第三章 東京を離れて見えた物語
      「6羽のかもめ」「前略おふくろ様」「りんりんと」
      「幻の町」「うちのホンカン」「浮浪雲」
第四章 富良野がつないだ物語
      「昨日、悲別で」「ライスカレー」「風のガーデン」
第五章 若き日の物語
      「文五捕物絵図」「わが青春のとき」
      「君は海を見たか」「玩具の神様」
第六章 これからの人に贈る物語

特に、自作に対する秘話が読ませる。

独特なドラマに対する見識があることから、
制作現場に介入、
その最たるものが
NHKの大河ドラマからの途中降板。
脚本家としては再起不能と思い詰め、
トラックの運転手で食べていくとまで決心、
教習所に申し込んだところ、
所在を探して訪ねて来たフシテレビによって、
脚本を依頼され、
偽名(渡哲也の奥さんの名前を借用)して書いた
「6羽のかもめ」(1974)がギャラクシー賞を受賞。
復活。
その直後に書いた「前略おふくろ様」(1975)で、
再評価が確定する。
そして、「北の国から」(1981)で巨匠の地位を確立する。

その過程をリアルタイムで見て来た者としては、
その裏話が聞けて、ありがたい。

そして、今、
「やすらぎの郷」(2017)を経ての「やすらぎの刻〜道」(2019)が放送。
これが倉本聰の「遺言」になるだろう。

根底には、
今のテレビ業界に向けた批判がある。
特に、「視聴率至上主義」「事なかれ主義」を俎上に挙げる。
それは、「モノ作り」とは対極にあるもので、
テレビドラマの基本が、
やはり日本人得意の「モノ作り」だったことが分かる。

倉本作品では、多くの名優が演じた。
笠智衆、大滝秀治、田中絹代、
渡哲也、大原麗子、地井武男、
緒形拳、萩原健一、田中邦衛、岩城滉一・・・

この人たちが、倉本作品に出る時、
他のドラマ作品にない光を放つのが不思議だ。

また、倉本の北海道への思い入れ、
中でも富良野の地での結びつきも興味深い。

この本での倉本さんの言葉。

「樹は根に拠って立つ されど根は人の目に触れず」

日本のテレビ局は儲かっているのに、
役者やシナリオライターを少しも育てていない。
テレビ以外のことに手を出したり、
不動産を買ったりしているのに、
人を育てることにはお金を使わない。
テレビ局というよりはテレビ界全体の問題だ。

役者も脚本家もそうですが、
われわれの仕事は「発信」することだと思われがちですが、
実際はそれは30%程度しかありません。
残りの70%は「受信」なんです。
普段の生活の中でいかに多くのことを受信できているか。
それがものすごく大事です。
乾いたタオルをいくら絞っても水が出ないのと同じで、
どれくらい自分が濡れてんるかが基本だと思います。

倉本聰、85歳
今も「遺言」は、テレビ朝日午後12時30分からの
「やすらぎの刻〜道」で発信している。

倉本聰の対話集「ドラマへの遺言」の紹介ブログは、↓をクリック。

「ドラマへの遺言」





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