小説『崩壊の森』  書籍関係

[書籍紹介]

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「傍流の記者」で直木賞候補となった本城雅人による、
新聞社のソ連特派員の話。

1987年、東洋新聞の記者・土井垣侑(どいがき・たすく)がモスクワに降り立つ。
当時はゴルバチョフの時代で、
彼の提示したペレストロイカ(再建)が
本当に実績を挙げるか疑問視されていた。
旧ソ連だから、取材活動には制限が多く、
政府発表の中にどれだけ本音を織り込めるかがキモで、
本社からは当局を刺激しないよう「特ダネ禁止」を言い渡されていた。
そんな中、土井垣は、居酒屋に出没し、
市民とウォッカを飲みながら、本音を聞き出し、
生きた情報を日本に発信しようとするが、
ソ連政府の監視を様々な点から感ずる毎日だった。

今から思えば、ソ連崩壊は、
20世紀の10大ニュースの一つだった。
アメリカとの二大国で世界を二分し、
覇権を争った超大国が
ああいう形で崩壊するとは、
誰も予想がつかなかっただろう。

本書は、その激動の時代に
ソ連特派員として赴任した一記者の奮闘を描く。
なにしろ共産党の一党独裁の国である。
国民に対する監視が広く編み目のように張りめぐらされ、
自由な発言が出来ない、
今の日本からは考えられない制度の国である。
それというのも、社会主義という経済体制が
人間の本性に反していたからなので、
その体制の齟齬を
強権で抑圧しようとしたことに起因する。
このままでは国が滅びると危機感を募らせたゴルバチョフによって
改革、つまり民主化と自由化が導入されたわけだが、
1920年以来、70年余にわたって平常化した体制が
そう簡単に意識改革できるわけではない。

紆余曲折があり、
ゴルバチョフ側近によるクーデターが失敗し、
エリツィンの台頭で
ソ連の崩壊に至るわけなのだが、
その過程を日本人記者の視点が描くこの小説は、
ソ連崩壊の裏側を知る意味でも貴重な本だ。

情報源となったユーリは、このように言う。

「ソ連にはソ連国民にしか分からない事情があり生き方がある。
そうでなければ世界のどの国よりも先に、
この国にマルクス=レーニン主義が根づくことはなかった」
彼の説明はここでも正鵠を射ていた。
気候的に農作物が育ちにくい国だからこそ
国民生活は行き詰まり、
そこに入り込んできたのが社会主義である。


物語の背景として、
ベルリンの壁の崩壊、
ルーマニアなどを代表する社会主義政権の凋落、
バルト三国の独立など、
当時の世界情勢が激動の時代だったことが分かる。
それにしても、大規模な戦争や内戦もなしに、
よくもソ連はロシアに軟着陸したものだと思う。

共産党の拡大党中央委員会総会の決議内容を掴んだ土井垣が
「ソ連、共産党独裁の放棄へ」
スクープをものにするあたりはスリリング。
大誤報の心配に震えながら、
他紙、通信社の後追いを待つ24時間は、
記者生命を賭けた時間だっただろう。

これは実話で、
土井垣は、世界に先駆けてソ連崩壊をスクープした
実在の記者・産経新聞の斎藤勉氏がモデル。
斎藤氏はソ連とロシアに通算9年近く在住し、
一連の報道でボーン上田記念国際記者賞を、
「ソ連、共産党独裁を放棄へ」のスクープで
日本新聞協会賞を受賞している。

このスクープが確定した時、
土井垣の厳しい前任者の新堀に、電話で

「こういう記事を書くために私や馬場さんは長い間、
そこで辛抱してきたんだ。
これこそモスクワの特派員がいつか書かなくてはならない記事だ。
誰かに燃やされる前に、
世界に向かって報道しなくてはいけない記事だったんだ。
ありがとう」


と言われる場面は胸を打つ。

新堀に褒めてもらえるとは思ってもいなかった。
短い会話だったが、言葉からは
今とは比較にならないほど厳しい言論統制下で
記事を送り続けた先輩特派員たちの苦労が伝わってきた。
二人の顔を思い浮かべる。
今回の記事は先輩たちとともに書いたものだ。
いや彼らが書かせてくれた。
そう思ったら急に視界が曇った。


1991年12月25日
ゴルバチョフ大統領の辞任会見をもって
ソビエト社会主義共和国連邦は亡くなり、
クレムリンの横のソ連閣僚会議ビルの
ドームの上に立つ赤旗が下ろされ、
ロシアの三色旗に変わる瞬間を
土井垣は目撃する。

ユーリと同じく、土井垣の情報源だったボリスは、こう言う。

「ソ連共産党はマルクス=レーニン主義で結びついた
同志の集団だと言われてきたけど、
僕らにとっての社会主義思想は、
所詮はこの集団の中にいれば安全であり、
なおかつ自分たちに都合のいい
巨大な傘に過ぎなかったんだ」


最後に土井垣が後輩に特派員の内示の出た際、言う言葉が印象的だ。

「世界には自分の足で歩き、目で見て、
肌で感じなければ分からないことが沢山ある。
町に出て、沢山の人間から話を聞くんだ。
俺はそうやって真の友に出会えた。
きみはきみのやり方でいい。
ただ、報道するということは
歴史の最初の記録者になるということを、
決して忘れないでほしい」


「傍流の記者」同様、
臨場感あふれる描写が特派員の生活を活写する。
歴史の証言的意味もある
時代を振り返りながら、読みごたえのある一篇であった。

ソ連崩壊後に成立した国名は下記のとおり。

アルメニア
アゼルバイジャン
ベラルーシ
エストニア
ジョージア
カザフスタン
キルギス
ラトビア
リトアニア
モルドバ
ロシア
タジキスタン
トルクメニスタン
ウクライナ
ウズベキスタン                                    

そのうち、エストニア、ラトビア、リトアニア、ロシア、ウズベキスタンの
5カ国は行っているが、
ふと「ああ、ここは昔ソ連圏だったんだ」
と思うと感慨深いものがあった。

また、チェコやハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、
ポーランドや旧ユーゴスラビアの国々を旅すると、
「昔は鉄のカーテンの向こうで、
入ることが困難な国だったんだ」
と思ったりもする。

旧ソ連を中心とする社会主義国家群は、
20世紀の一時代を象徴するものになった。
後は、一党独裁を続ける中国がどうなるか。
未だに言論統制をしている国だが、
何年か後には、
このような小説が書かれるのだろうか。

「傍流の記者」の本ブログでの紹介は、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20180918/archive

                                        

小説『団塊の秋』  書籍関係

[書籍紹介]

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「団塊の世代」という言葉の生みの親・堺屋太一が描く、
団塊世代の老後と日本経済の未来予想についての小説。
刊行が2013年で、
小説の描く世界は2015年から始まり、
2017年・2020年・2022年・2025年・2028年と辿るので、
一部は既に「未来」ではなくなっている。

登場人物は2015年の時点で既に68〜70歳、
最後の2028年には81〜83歳ということになる。
堺屋氏が亡くなったのは83歳だから、
自分の将来を見越している。

登場するのは、男性6名、女性1名。
1971年の3月、
「カナダ・アメリカ15日間の旅」に
学生割引で参加した12人のうち、
その後、不定期に集まる「加米(カメ)の会」に
最後まで出席した7名の、その後を描く趣向。
「加米」とは、加奈陀(カナダ)と米国(アメリカ)から取って命名。

登場人物は、それぞれ
東大→都銀→不動産会社
東大→厚生省
早稲田政経→新聞社→雑誌社
慶応義塾経済→商社→家業の建設会社
関西学院→総合電機メーカー→運送会社
京大→法曹界→国会議員
女子大→高校教師
の道を歩む。

女性1名を除き、
男性6名は全員エリートである。

6名の生涯は、日本経済が絶好調の時代を通り、
ハブルがはじけ、経済が傾き、
更にリーマン・ショックで追い打ちをかけられ、翻弄される。
しかし、退職金は6千万ももらい、
年金は月50万、
悩みは、孫に会えないとか、
娘がアメリカで音信不通などという、
贅沢な悩み。
生活に困窮したのは、
建設会社を倒産させ、一文なしになった人物だけ。
その人でさえ、再起して、一軒家を構えるまでになる。

「団塊の世代の秋」を描くにしても、
庶民ではなく、
いわゆる「勝ち組」のことなのだ。
バブルの日本を享受し、
海外暮らしを堪能し、
経済的にも恩恵を被った人々だ。
だから、彼らが人生を振り返り、
思うにまかせなかった岐路を悔やんでも、
「何を言ってるんだか」という気持ちになる。
総量規制もハブルの崩壊もリーマン・ショックも、
もっと深刻な影響を受けた人々がいただろうに。

こんなエリート層の話ではなく、
高度成長を末端で支えた、
本気で時代と対面した人々の話を書いてほしかった。

したがって、読書レビューの評価はすこぶる悪い。

あれだけの方にして、この内容。残念な気持ちで一杯。

つまらない。
前半はエリート意識丸出しの会話中心で、
後半は残念な晩年が描かれているが、
結局何が言いたいのであろうか?

上手くいった時は自分の技量と頑張りの賜物、
上手くいかなかった時はご時世と政治のせいにするのね。


中には
堺屋太一、老いたり
というのもあった。

民主党政権やその後の安陪政権のことなど、
少しも触れず、
未来予測小説としては、
適切でない気がする。

作者インタビューで、

「どうすれば定年後を充実させられますか」という問いを、
多くの団塊の世代から受けます。
私の助言はひと言、「好きなことをしなさい」。
自分の好きなことを正しく見いだし、
それに打ち込めば、
好きなことにつながる人脈の真ん中に立つことになります。
好きなことはさらに楽しくなり、
持ち時間を実に豊かにしてくれます。
この小説は、その「好きなこと」を見いだす
手助けにもなるのではないか、と思っています。


と言っているが、不思議。
ほとんどの人が、
その「好きなこと」う見つけられなくて
苦労しているというのに。

次のような言葉は、ちょっと響いた。

人の生涯には
何度か重大な岐路がある。
その時、どの路(みち)を選ぶか、
三割は本人の決断、
三割は周囲の状況、
残りの四割は偶然の運で決まる。

「ほんまに怖いのは
自分だけが貧しくなることや」

「今日会った三友(銀行)OBたちが
武士のなれの果てとすれば、
岡本君は町人。
武士は上下(かみしも)姿で威厳を整え、
専門用語を使って部外者を恐れさせてはいるが、
組織を離れればただの年金生活者、
後の世代の世話になるしかない」

「2003年10月の加米の会、
あの時は日本の未来の問題がいろいろ出た。
けど、どれも未だに解決されていないなあ」


2022年の予測記事で、
ユーズド・マーケットが大繁盛
という記事はぎょっとさせられた。
20世紀の成長期に
豊かな暮らしをした人たちが死亡して、
その遺品が出回っているのだという。
「日本のユーズドには高級品が多い。
日本のユーズドはブランドだ」という。

最後のセリフは、これ。

「年を取るのは、
想定した以上に
難しいもんだなあ・・・」


何だ、これ。


小説『跳ぶ男』  書籍関係

[書籍紹介]

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これは珍しい、
能を深く追究した時代小説。
直木賞作家・青山文平による。

藤戸藩という、地方の藩が舞台。
わずか2万2千石の貧乏藩で、
台地の上の土地が狭く、畑にするため、
死者さえ葬る場所がなく、
浅く埋めては、大雨で海に流されるままにするほどだ。

その藩の道具役の二家の長男の屋島剛(たける)と岩船保(たもつ)。
道具役とは、大名道具の世話をする役目だが、
実質は藩お抱えの能役者だ。
当時、能は武家の唯一の式楽(しきがく=儀式に用いる楽)で、
江戸城大広間のすぐ脇に能舞台が設えられたのを始め、
どの大名も能を保護し、時には藩主自ら能を舞った。

能は足利義満の保護を受け、
織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も能の魅力にとりつかれており、
家康は能を幕府が保護する芸術とした。
武家社会での能の普及・発展は、
将軍家の覚えをめでたくしようとする
諸藩大名の外交辞令的な面もあった。

(おそらく、能に対する感受性のない藩主も
沢山いたと思われる)

能が幕府の公式行事で演じられる「式楽」として定着したのは、
三代・家光、四代・家綱の時代で、
能役者は、武士の身分に取り立てられ、
俸禄を与えられた。

剛は幼くして母を亡くし、
父の再婚により次男に
嫡子としての居場処を奪われてしまう。
以来、三つ齢上の友・岩船保の手を借りながら
独修で能に励んできた。

保は未来を嘱望された英才で、
剛に「この国をちゃんとした墓参りができる国にしたい」と語る。
しかし、17歳の時、門閥の三男との諍いで脇差を抜き、
切腹を命じられた。

剛は15歳の時、
目付の鵜飼又四郎に呼び出され、藩の秘密を打ち明けられる。
江戸屋敷で若い藩主が病死したのだという。
しかし、養子を迎えるには、
藩主が17歳以上でなければならず、
その年齢に達するまで、
剛に藩主の身代わりになれというのだ。
剛は江戸屋敷に赴き、
又四郎と江戸留守居役の井波八右衛門の指導で、
江戸城での振る舞いや対人関係の手ほどきを受けるが、
剛が起用されたのは、年齢の問題以外に、
能の能力により、ある人物を動かし、
藩の生き延び策をほどこすことにあった・・・

というわけで、
藩主の身代わり能の力での藩の存亡という
二つの問題を孕んで話が展開する。

しかし、物語は、こうしたサスペンスで引っ張るわけではなく、
あくまで能に対する深遠な奥義を追究するものとして展開する。

であれば、能に対する基礎知識のみならず、
深い見識が読者に要求されることになる。

実は、私は能は一度しか観ていない。
国立能楽堂での鑑賞だから、
演者は一流の人だったと思うが、
私の感受性にはひっかからなかった。
そのような者が、

「今日の能は、省略の舞台だ。
型に象徴されるように、
生の形を省きに省き、
もはやそれより省きようがない処まで削ぎ落として、
それでも消えずに残った形に美が宿るとする」


などの見解を読んだだけで理解せよ、
といっても無理な話である。
まして、

「能は詰まるところ、
美を見据える舞台である。
成熟の行く手を、美に置く。
ただし、生強の美ではない。
ありえぬはずの処にある美だ。
能はそのありえぬはずの処を、老いに求めた。
老いは酷い。
その酷い老いを超えてなお残る美を、能は追う。
だからこそ、能は名人でなくてはならぬ」


などという言葉を聞いても、気が遠くなるばかりである。

ただ、
「能を美しく舞うためには、
舞台と日々の暮らしに境目があってはならない。
常日頃から、美しく居らねばならぬ」
は、よく分かる。

身代わりについての注意事項は面白い。
たとえば、食事は全て残さず食べること、などと指示される。
それは亡くなった藩主が全部食べたからで、
その小さな変化から判明してしまうという。
また、ゴミや虫が入っていても呑み込め、という。
ゴミや虫が入っていたことが分かったら、
料理人が切腹しなければならないからだという。

剛の探求の基礎にあるのは、
又四郎に保が剛に関して言ったという、
剛は素晴らしい役者だ
剛は想いも寄らぬことをやる
剛がうらやましい
という三つの言葉を確かめることだった。
また、本来この身代わりは保がすべきものであり、
保の身代わりでもあるということが剛を縛る。

又四郎は先々代の藩主の能の名人の薫陶を受けた人物、
というのも背景としてはいい。

ただ、いくら身代わりの藩主といえども、
又四郎や八右衛門の言葉遣いが
人のいない場でも敬語というのは、
やや違和感を覚えた。
また、剛がいかに天才だとしても、
一度も人前で能を演じたことのない人物が
初めての舞で能の目利きに感銘を与えるのは、
やはり違和感を覚えた。
まさに、又四郎の言うとおり、
「百回の稽古よりも、一回の本番」
なのだから。

というわけで、
この本は、能の門外漢には、少々、難しかった。

最後に次の記述が印象的だった。

式楽となった能は失敗できぬが、
武家もまた失敗できぬ者である。
御公儀の時代にあって
武家が支配者に在る由縁は、
武家が自裁をできるからだ。
他から言われて腹を切るのではない。
みずから裁いて、みずからに死を与える。
腹を切ることができるから武家なのではなく、
みずからを裁くことができるから武家なのである。



評論『日本国紀』  書籍関係

今日は久しぶりに渋谷に出掛け、

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ここでランチ。

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トンテキランチ、200g:1050円。

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調理するのがよく見える場所だったので、観察すると、
厚切りの豚肉を、フライパンで焼くと時間がかかるので、
油で揚げます。
つまり、パン粉なしのトンカツ。
それを切ったものにキャベツを盛りつけ、
特製ソースをかけて食べる。
値段のわりにボリュームがあり、
繁盛していました。

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ゴールデンウィークのセンター街。

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外国人がやたらと多かったです。

↓は、東急ハンズで買ったもの。

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左は「洗たくマグちゃん」といって、
マグネシウムの力で、
洗濯の能力を飛躍的に向上させる、というもの。

右は「スワンタッチ」といって、
本を読んでいて眠ってしまい、取り落としても、
読んでいたページが分かるというしおり。

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どちらも昨日のテレビ番組で紹介されていたものです。


さて、今日は昭和の日
昭和天皇誕生日
そこで、↓の本を紹介。

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百田尚樹による日本通史。

第1章 古代〜大和政権誕生
第2章 飛鳥時代〜平城京
第3章 平安時代
第4章 鎌倉時代〜応仁の乱
第5章 戦国時代
第6章 江戸時代
第7章 幕末〜明治維新
第8章 明治の夜明け
第9章 世界に打って出る日本
第10章 大正から昭和へ
第11章 大東亜戦争
第12章 敗戦と占領
第13章 日本の復興
終  章 平成

といった具合。
平成の最後に読む本としてふさわしい。

歴史と言えば、小学校・中学・高校と
少なくとも3回学んでいるが、
こうして改めて通史として見ると、分かりやすい。
それと同時に、日本という国を肯定的に説いているので、
大変気持ちがいい。
反日的な歴史書とは違う。

外国に留学した人の経験を聞くと、
日本の学生ほど、
自分の国をよく知らない、説明できない人が多いという。
日本の歴史教育の欠陥で、
自分のルーツに誇りを持てないのも、
歴史教育に起因していると思われる。

というのも、戦後の教育で、
日本は戦争をした、他の国を侵略した悪い国だ、
というのが刷り込まれているからで、
大人になって、日本の文化や歴史を知るにつれて、
日本と日本人の素晴らしさを知ることになる。
つまり、学校で学んだことよりも、
長じて、世界を肌で知る中で、
真実に触れていくのだ。

そういう意味で、本書は、
日本人としての誇りを取り戻させてくれるものだ。

冒頭、「序にかえて」で、筆者はこのように書く。

日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません。
もちろん世界中の国の人々が
自分の国について同じように思っていることでしょう。
それでも敢えて、
日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はないと、
私は断言します。
神話と共に成立し、
以来二千年近く、
一つの国が続いた例は世界のどこにもありません。
これ自体が奇跡といえるほどです。


そうなのだ、ヨーロッパの歴史、アジアの歴史を見ても、
それは民族と国家の興亡の歴史であって、
国は滅び、民族は四散する。
しかし、日本は中国の属国となることもなく、
ある時期、国を閉じ、
欧州列強によるアジアの植民地化の中でも独立を維持してきた。
そして、近代化を乗り越え、
敗戦の中から力強く復興し、
今ではサミットの一員として、
世界に影響を持っている。

その中心にあったのが天皇という存在で、
千6百年余りにわたり一つの王朝が継続するというのは、
これも世界史の中での奇跡と言えるのだ。

天皇制廃止を言う人もいるが(たとえば辻元清美)、
それは日本の歴史と文化について無知なのか、
日本人の体質とは違うDNAの問題に起因しているに違いない。

もう一つの日本の継続の要因は、「神道」の存在だ。

神道を宗教と呼ぶことにはいささか違和感がある。
神道には、他の宗教が持つ教義や教典がなく、
開祖も教祖もいない。
森羅万象に神が宿るという
自然信仰に近い考え方が基となり、
祖先を敬い、
浄明正直(浄く、明るく、正しく、まっすぐ)に生きることを
徳目とするという道徳観が加味されたものといえる。


だからこそ、今だに全国津津浦浦に神社が存在し、
人々は鳥居の前で礼拝し、
祭りの時期には、若者たちが帰郷して参加する。

こうした本質的日本人論で統一している本書は、
厳密な意味での歴史書ではない。
しかし、歴史学そのものが、
様々な「異説」によって成り立っているのだから、
本書のような観点で一貫したものがあってもいい。

なお、天皇という言葉の起源を本書で初めて知った。
それは聖徳太子が遣隋使を派遣する際のこと。
隋の時代、「王」は中国の皇帝が臣下に与える位で、
日本の天子を「王」と書くと、
自ら冊封(さくほう、政治的に従属する意味)を認めることになるので、
隋に送る手紙を書くにあたり、
太子は「天皇」という言葉を編み出したのだという。
それで韓国が「天皇」と呼ばず、
「日王」と呼ぶ謎が解けた。

聖徳太子といえば、
日本初の成文法「十七条憲法」が、
「和を以て貴しと為し」を第一条に挙げ、
仲良くすることが何より大切で、争いごとはせず、
何事も話し合いで決めよう、
としたのは、
世界初の民主主義の提起だという。
その時代、世界の国のほとんどが専制国家であった時代である。

「日本」という呼称が使われ始めたのは7〜8世紀だという。
まさに世界一古い国名である。

600年に遣隋使が送られて以来、
ずっと中国の文化や制度を取り入れてきたが、
894年、遣唐使の派遣を中止。

もはや学ぶべきものはすべて学んだ、
という意識があったに違いない。
そして遣唐使が廃止されて以降、
真に日本らしい傑出した文化が花開くことになる。


この一文に、
日本文化が独自のものとなった原因を知った思いがする。
アジア諸国を旅行すると、
日本の仏像は独特のものだとだと分かる。
何よりも優美だ。
それも閉ざされた中での仏教文化の開花である。

平安時代に「源氏物語」や「枕草子」など女流文学が花開いたのも世界初。
欧米で女流文学が認められるようになるのは、
19世紀初頭のことである。

江戸時代の寺子屋も驚嘆に値する。
庶民や農民までもが教育を受け、
当時来日したキリスト教宣教師が
「日本人は女子供まで字が読める」
と驚嘆したという。
今だに世界には国民の識字率20パーセント
などという国があるというのに。

日本人の持つ性格の原因に、
自然災害の多さがあげられているのも興味深い。
地震、台風、津波、河川の氾濫などで財産を失った。

しかし私たちの祖先は決して挫けなかった。
悲しみと痛手を乗り越え、
そのつど力強く立ち直ってきたのである。
日本人の持つ独特の『忍耐強さ』『互いに助け合う心』
『過去を振り返らない強さ』『諦めのよさ』などの精神は、
もしかしたら繰り返しやってくる災害に
立ち向かってきたことで培われたのかもしれない。
その意味では、私たちの性格は
日本という風土が生んだものといえるだろう。


そのことは、東日本大震災の時の
人々の振る舞いで、
世界を驚嘆させた。

死に臨んで和歌などを詠むという「辞世」
日本文化の一つで、
その一つ、大田南畝(なんぽ)の詠んだ辞世
「今までは 人のことだと思ふたに
俺が死ぬとは こいつはたまらん」
が笑わせる。

幕末、天皇の重さが改めて認識される。

江戸時代においては政治の表舞台にまったく登場しない「天皇」だが、
祭祀を司るだけの存在ではなかった。
海の向こうから「夷狄」が現れ、
日本が未曾有の危機を迎えた時、
江戸幕府の将軍や幕閣を含め、
多くの日本人があらためて「天皇」の存在を知ることになる。
「天皇」こそ、日本人の精神的な柱であったのだ。


天皇を中心に国難を乗り切った日本は、
維新から半世紀で列強と肩を並べるまでに成長し、
日清、日露の戦争を勝ち抜く。
それまでの「有色人種は白色人種に勝てない」
という神話を打ち砕いたのだ。
それが大東亜戦争と
その後のアジア諸国の独立につながっていく。

「大東亜戦争は東南アジア諸国への侵略戦争だった」
と言う人がいるが、
これは誤りである。
日本はアジアの人々は戦争はしていない。
日本が戦った相手は、
フィリピンを植民地としていたアメリカであり、
ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランスであり、
インドネシアを植民地としていたオランダであり、
マレーシアとシンガポールとビルマを植民地としていたイギリスである。
日本はこれらの植民地を支配していた四ヵ国と戦って、
彼らを駆逐したのである。


しかし、国力の差で日本は敗れる。
その時にも天皇の力が発揮される。
ポツダム宣言受諾か、本土決戦か、
御前会議が膠着状態になった時、
首相の要請により意見を言うことになった天皇は、
ポツダム宣言の受諾に賛同する。
その時の言葉。

「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまうのではないか。
そうなれば、どうしてこの日本という国を
子孫に伝えることが出来ようか。
自分の任務は
祖先から受け継いだこの日本を子孫に伝えることである。
今日となっては、
一人でも多くの日本人に生き残っていてもらいたい。
その人たちが将来再び立ち上がってもらう以外に、
この日本を子孫に伝える方法はないと思う。
そのためなら、自分はどうなっても構わない」


その言葉のとおり、
日本は国民の勤勉な努力によって
奇跡の復興をなし遂げる。
そして、敗戦からわずか19年で
アジアで初のオリンピックを開催できるまでになる。
 
私はこの事実に感動する。
私たちの祖父や父は何と偉大であったことか。
だが、敗れた日本が取り戻せなかったものがある。
それは「愛国心」と「誇り」だ。
これらは戦後、GHQに木っ端微塵にされ、
占領軍が去った後は、
彼らの洗脳を受けて傀儡となった
マスメディアや学者たちによって踏みつぶされ続けた。
国旗と国歌を堂々と否定する文化人が持て囃される国は、
世界広しといえど
日本だけであろう。


わけても朝日新聞の罪は深いと指摘する。
特に「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」において。

それに乗っかったのが中国と韓国。
このやっかいな隣人は、
70年以上も前のことを言い募る。
体質が違うのである。
他のアジア諸国が日本を許し、
あるいは感謝さえしているというのに。

戦後、日本はアジア諸国に賠償金を支払ったが、
その国々を数十年から三百年にわたって支配してきた
オランダ、イギリス、フランス、アメリカは、
賠償金など一切支払っていないばかりか、
植民地支配を責められることも、
少数の例を除いてほとんどない。
それはなぜか──
日本だけが誠意をもって謝罪したからである。
日本人には、自らの非を進んで認めることを潔しとする
特有の性格がある。
他の国と違って、謝罪を厭わないのだ。
こうした民族性があるところへ、
GHQの「WGIP」によって贖罪意識を強く植え付けられたことで、
当然のようにアジア諸国に謝罪したのである。


WGIP=War Guilt Information Program。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領政策の一環として行われた
「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」のこと。

私のような海軍大尉の息子でさえ、
日本は悪いことをした、という意識は植え込まれている。
その克服には時間がかかった。
ましてや、無垢な子どもたちの教育でなされれば
ひとたまりもなく、
今だ日本人はWGIPの残滓を抱えている。

しかし、希望はあるという。

今、彼らの嘘に気付き、
GHQの洗脳から抜けだしつつある若い世代が増えている。
彼らは失われた日本的なものの回復に向けて、
静かに、しかし確実に動き出している。
やはやその動きを止めることは誰にもできないだろう。
私はそんな若者たちを見て感動している。


それが、この本を書いた動機だろう。

世界七十数カ国を見た者として言うが、
日本ほど素晴らしい文化を持った国は他にはない。
日本人ほど勤勉で礼節を守る国民はいない。
日本ほど美しい国土と自然を持つ国はない。
この日本に誇りを持つように
次代を育てることこそ、
我々の使命であると思う。

沢山の人に読んでもらいたい本である。


小説『夢も見ずに眠った。』  書籍関係

[書籍紹介]

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芥川賞作家、絲山秋子による、
ある夫婦の物語。

布施高之と沙和子は大学時代に知り合い、
高之が失業中に婿養子として結婚。
仕事が長続きしない夫とは対照的に、
沙和子は金融機関の中間管理職として36歳で札幌に単身赴任。
一方、義両親と埼玉の熊谷で暮らす高之は、
うつ病の兆候を示し始めた。
二人は離婚し、
高之は青梅に住み、「便利屋」で自活する。
沙和子は不倫の旅の途中、交通事故にあう。
やがて札幌の会社を退職した沙和子は起業するが、
高之とまた旅に出かける・・・

という話が12の章で淡々と描かれる。
章には「2010年9月」といったようにその時が示され、
やがて最後の章は現在を突き抜け、
「2022年4月」「2022年6月」と、未来の話として語られる。

ほとんどの話が、
二人で、あるいは一人で訪れる土地の風景を通じて語られる。
岡山、滋賀、岩手、熊谷、大津、遠野、お台場、
佃島、函館、青梅、秩父、横浜、下北沢奥出雲・・・
その風景の描写がなかなか美しいし、
二人の心象風景としても印象深い。

思いやりながらも、思いやり切れない、
そんな夫婦の、いかにもありそうな関係。
読者は二人の関わりを身近に見ているかのような気持ちになり、
密かに応援し、
そして、読後感は大変いい。

多摩を運転していた時、高之は、少年時代の自分に遭遇する。

かれの内側で目を見開いたのは、少年の頃のかれ自身だった。
ピュアでのんきなやつだったが、
のんきだからといってなにも感じないほど愚かではなかった。
「おまえだったのか」
もちろん声には出さずに、
ハンドルを握った高之は胸の内に話しかける。
「ひさしぶりだな」
沈黙があった。
「それとも、ずっと一緒だったのか」
そうだよと言われた気がした。
「そうか。そうだったんだな」
いつからそうやって目をつぶっていたのか、
ここ最近のことなのか
熊谷の頃からだったのかはわからない。
だが今、その目は十分にみずみずしかった。
そして穏やかに睫毛を揺らして瞬きをするのが感じられた。
目をつぶっていたのは外側の自分だったのかもしれない。
一見ふらふらと、自由気ままに生きているように見せつつ、
実際は、過去に切り捨ててしまった悔しさや嫉妬といった感情を
感じないようにしていただけなのかもしれない。
もう終ったことだからいいんだよ、と言われた気がした。
そう言えるのは外側の、大人の自分ではなく、
静かに景色を眺めている少年のかれだけに許されることであった。
「納得してたわけじゃないんだな」
大人の高之は少年に向かって言った。
「決めつけて悪かった」


胸にしみる描写である。

人間には個々に暮らしがあり、
暮らしという白い紙箱のなかには
和菓子のようにやわらかく傷つきやすい心が備わっていたのだった。
誰もが二度と思い出さない過去を持ち、
決して実現しない可能性を持っていた。
そさらもまた、反故にされるかもしれないが
一応の約束として存在しているのだった。
それらの約束事はすべて連続していた。
ことを反故にされ、
小さな断絶があったとしても、
約束という大きな流れ自体は
決して途絶えることがなかった。
それらは何万年、何十万年の単位で成立しているからなのだった。


二人は棚田を見ながら思う。

一枚一枚の田んぼが
土地に合わせて作られていて、
形状も面積も違う。
揃ってはいないが、
隅々までひとの手が入り、調えられている。
目に入るものすべてが光を発しているようだった。
ひとつとして、同じものがない。
けれども手入れが行き届いて清潔に保たれている。
多分神様が見たら一番嬉しい景色なんだろうと
沙和子は思う。
それが完璧ということなのかと思った。
「土地って、神様の手なんだな」
と高之が言った。

そして、終盤の沙和子の述懐。

一切のものは終わる。
続かない。
でも生きている。

過去から未来へと、一秒の空白もなく時間が繋がっているから、
人生も続いているなんて思っていた。
だがそれは大間違いだった。
沙和子は気づいた。
努力が報われるなんてことはなかった。
因果応報なんてこともなかった。
そして、やり直しだって利かないのだった。
失敗のフォローも、裏切りの修復もできなかった。
何かの途中なんてこともないのだった。
一日一日が、一度きりの完結するエピソードなのだった。
「もしも」なんてどこにもないのだった。
しかしいずれ、膨大なばらばらのエピソード、
そしてすべての記憶は、根源へと向かっていくのだった。


夫婦二人のそれぞれの思いを通じて、
神にまで至る、
傑作である。





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