小説『茶聖』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

「茶聖」とは、千利休のこと。

千利休と豊臣秀吉との確執は、
文学者の想像力を刺激するらしく、
沢山の人が題材に選んでいる。
伊東潤にしても、
既に「天下人の茶」で、挑戦している。
ただ、「天下人の茶」では、
周囲の人物の目から利休を描いていたが、
本作では正面から利休を描いている。

利休は、織田信長に仕えた後、
本能寺の変の後、
豊臣秀吉に仕える。
秀吉の信頼が厚く、
豊臣秀長をして、
「公儀のことは私に、内々のことは宗易(利休)に」
と言わしめている。
また、本作では、その秀吉に

「そなたはわしと手を組んだ。
現世の支配者はわしで、
心の中の支配者はそなただ。
そして、わしは現世で天下人となった。
一方、そなたは茶の湯を天下に比類なき道楽(趣味)として、
上は朝廷から下は民にまで浸透させた」


と言わせている。

利休の意図は、
茶の湯によって、
武士の荒ぶる心を鎮め、
静謐な世の中を治めることで、
そのために、戦に走る武士の在り方を牽制する。

利休には「異常なまでの美意識」という聖の部分と、
「世の静謐を実現するためには
権力者の懐にも飛び込む」という俗の部分があった。
この水と油のような二種類の茶が混淆され、
利休という人間が形成されていた。


一方、成り上がり者の秀吉は、
自分の功名心のために
戦を繰り返し、
最後は明にまで攻め入ろうとするが、
利休はその停止を画策する。

その過程を、よく知られている
禁中(宮廷)での茶会や
黄金の茶室、
北野の大茶会や
小田原攻め、
中国本土攻めの準備などを背景に語られる。

夕刊フジや神奈川新聞など16地方紙に連載したものなので、
文章は平易で、会話も多く、読みやすい。
ただ、描く世界は深遠で奥深い。
                                        
信長の名物指向を次のように描く。

茶の湯は茶室という別世界で、
身分などの世俗的なものを忘れて一時的な遁世を行い、
一視同仁(平等)、一味同心(心を一つにする)、
一期一会(一度限り)、一座建立(最高のもてなし)
といった概念を実現するものだ。
しかしそうした概念には形がなく、
武士たちには分かりにくい。
そこで名物茶道具によって
茶の湯の精神性を代弁させようというのが、
信長の狙いだった。


その名物の下賜も、
功名をあげた家臣にあげる土地が不足したことからだという。

信長は利休に言う。

「そなたは影となれ。
わしが光でそなたが影だ。
つまり二人で天下を分け合うことになる」


秀吉も同じことを言う。

(大坂城に招待した武士を)
城の搦手(からめて)に造られた茶室で客人を接待する。
つまりわが権勢の大きさを見せつけると同時に、
茶事によって心を支配するのだ」


本当か、という気もする。
各武将が茶の湯に走ったのは、
信長や秀吉が好んだために追従したに過ぎないように思えるのだが。
それは、江戸時代、
各大名が競って能舞台を城内に造ったのと似ている。
中には茶の湯を
「ばからしい」「全然理解できない」「肌に合わない」
「あんな狭い所に押し込められて、
うまくもない茶を飲まされ、何のことか分からない」と
思った武将もいただろうに、口には出さなかったのだ。

天下統一をなし遂げた後の秀吉の振舞いも描かれる。

本能寺で信長が横死した後、
利休は宗久や宗及と共に
秀吉を天下人に押し上げるべく、
財政的支援を行った。
だが秀吉は次第に増長し、
戦がなければないで、
自分の威光を示す巨大な建造物を造りたがった。
そのために駆り出された民は呻吟し、
商人も天下普請の名目で多額の献金をさせられた。
もはや秀吉は、秀吉以外の者にとって
害毒でしかない存在となりつつあった。


秀吉の弟、秀長の見立て。

「欲と言っても、
それを手にしてどうしたいというわけではない。
ただ兄上は『どうだ。見たか。わしはすごいだろう』
と周囲に示し、賞賛を得たいだけなのだ」


その行き付く果てが大陸への野心であり、
それに伴い疲弊する武将と民だったのだ。

どうもこの時代の武将には、
為政者としての自覚がなく、
民の繁栄など考えていないような印象だ。
戦国時代が、早い話が内戦で、
国土を疲弊させただけと断ずる所以である。

秀吉は当時の独裁者で、
生殺与奪の権利を握っている。
それはとても恐ろしいことだ。

白眉は秀吉の関東侵攻で、
関東が焼け野原になることを防ぐために、
利休らは、小河原城の兵糧攻めを進言する。
そして、民や兵を殺さずに小田原城を
どうやって開城させるかに腐心する。
このあたりが一番面白い。
これにからんで、遅参した伊達政宗の
死に装束での出頭に、利休がからんでいたとも描かれる。
また、利休の弟子宗二のあからさまな秀吉批判も描かれる。

「天下の静謐こそ天下人の目指すべきもの。
それをないがしろにして、
明国にまで攻め入るなどとは、
老人の迷妄でしかありません!」


ここまで言えば、宗二をもはや助けることは出来ない。

それでも小田原城の救済を求め、
秀吉によって拒否されると、
宗二は最後にこう言う。

「もはや申し上げることはあません。
今はただ豊家の滅亡を念じるだけ」
「殿下が死した後、業火の中で悶え苦しむのは
殿下の係累でございましょう」
秀吉「宗二、よくも言うたな。
大坂城が焼け落ち、
その中で鶴松(秀吉の一子)が果てると申すか」
「はい。そのお姿が瞼に浮かびます」

事実は、そのとおりになった。

宗二は耳と鼻をそがれ、磔刑にされる。

宗二は利休にこう言う。

「尊師、私は、こういう死に方ができて本望です」
「天下の武将や公家たちが藤吉ごときにひれ伏す中、
私だけが意地を貫きました」


そして、秀吉に言う。

「そなたの渇きや飢えは死ぬまで続く。
この世のあらゆるものを手に入れても、
そなたの欲は収まらん。
苦しんでいるのは、わしではなく、そなたなのだ」

まことに宗二、あっぱれである。

最後に利休は秀吉の勘気に触れて死罪を告げられる。

秀吉を殺す、という選択肢もあったが、利休はこう言う。

「誰かが殿下を殺せば、それで話は済みます。
しかしそんなことをすれば、
再び天下は乱れ、
群雄割拠の世に逆戻りするだけです。
天下は、まだ殿下を必要としているのです」


そして、利休は逝った。
最後に筆者は、こう結ぶ。

かくして絢爛豪華な美を競い合った
安土桃山時代は終わりを告げた。
利休が追い求めた静謐は、
豊臣家を滅ぼした徳川家康によって実現し、
人々は戦乱のない世を謳歌することになる。



小説『憂き夜に花を』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

飢饉に沈む民に
花火で希望を与えようとする
江戸時代の花火師の物語

時は享保17年(1732年)。
日照時間が足りず、全国的に飢饉に見舞われた。
米の値段が上がり、疫病が追い討ちをかけ、
江戸は経済的に沈み込み、
失業者、餓死者も続出した。
為政者(将軍吉宗)も救済策を施すが焼け石に水。
町が活力を失い、暮らしが困窮する中、
人々の心はすさみ、打ち壊しが起こる。
そんな時、花火師・六代目鍵屋弥兵衛は、
花火で江戸市民の気持ちを変え、
それで経済を建て直そうと考えた。

「花火は夜を照らす。
人の心も照らせる」


弥兵衛は仲間を集め、
ある計画を練り始める。
大川(隅田川)で、
将軍・吉宗が死者供養と災厄除去を祈願して執り行う「水神祭」。
その場で一世一代の大仕掛け花火を披露しようというのだ。
人を集め、夜店を出して、経済の起爆剤にする。
弥兵衛はそのために、水茶屋を始め、
商人を回り、協力を依頼するが、
失敗すれば、鍵屋は倒産の憂き目にあう。
妻は言う。

「世の中を励ます、明るくするって。
それ、うちがやらなきゃいけないんですか」


状況のせいにせず、お上を当てにせず、
〈オレがやらなきゃ〉と先頭に立つ弥兵衛。
一人の男が信念を持ち、
後に続いてくれるのを信じて邁進する。
その志に共鳴して、次々と人が集まって来る。
その様は、やはり感動を呼ぶ。

花火といえば、
今は続々と打ち上げる派手な花火だが、
昔は、単発の花火だった。
幼少の時、土手に並んで、
対岸に上がる花火を見た記憶では、
時々あがる花火を見て、
最後に仕掛け花火で豪快に閉じる、
という印象だった。

その花火大会が始まる以前の花火師の仕事を初めて知り、
興味深かった。

というのも、大川に浮かぶ船遊びの客を対象に交渉、
どの種類の花火を何発でいくら、
と料金を頂戴して、
花火を上げる。
それを周辺の岸や橋の上から庶民が楽しむ、
ということだったのだ。
屋形船の武士が花火を注文しないと、
「貧乏大名、けちけちすんな」
「けちの殿様、花火を上げろ」
と罵声が飛ぶ。

町民のおもちゃ花火は、
火事の予防から花火が出来る場所が
川岸だけと限られているため一般的ではなかった。

しかし、飢饉が押し寄せ、
花火の注文も減少し、
花火師の経営も逼迫する。

そんな中、
志を立て、花火で暗く沈んだ人々の心を照らしたいという、
鍵屋弥兵衛の心意気は、やはり、江戸っ子のものだ。
しかし、今のような民間企業のスポンサーを募ることも出来ない。
御公儀も金がない、町民も金がない、
花火を打ち上げるのは金がかかる。
では、どうやって花火を打ち上げて祭りを盛り上げるのか。
そこが話のキモになる。

この鍵屋の花火が、
隅田川花火大会の始まり
と物語は結ぶが、
歴史的にば事実は違うらしい。

ただ、興味深いのは、
今のコロナ禍の状況が
当時の状況と似通っていることだ。
自粛自粛で商売が縮み、
更に、感染者の増加が追い討ちをかける。
倒産と失業者が増加し、
気分はふさぎこみ、生活が貧しくなる。
その状況はいつ変わるのだろう。
みんなが思っていることだ。

先日も花火師たちが
全国で花火を打ち上げて、
コロナ禍で沈む日本人の心を元気付けようとしたが、
この話と通じる。
もしかして企画者はこの本を読んだのだろうか。

そのプロジェクトの詳細は、↓をクリック。

https://www.cheeruphanabi.com/

いろいろ新知識も増えた。
たとえば、稲荷神社が花火師の守り神だということ。
社に鎮座する二つの狐は
右側が玉を、左側が鍵をくわえている。
鍵屋の屋号もそれに由来している。

ところで、
日本で最初に花火を観賞した人物は、
徳川家康だと言われている。
1613年、英国王使節が駿府城を訪れた際、
中国人を使って、家康に花火を見せた。
この時の花火は現在の打ち上げ花火とは異なり、
竹筒から火の粉が噴き出す単純なものであった。
これを機に家康が三河の砲術隊に命じて、
観賞用の花火を作らせるようになったのが、
日本における花火の起源とされる。

花火の掛け声、「たまや〜、かぎや〜」の
鍵屋と玉屋だが、
歴史は鍵屋のほうが古く、
7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が
暖簾分けの形で玉屋を創業し、
双方が腕を競いあった。
当時評判がよかったのは玉屋のほうだったが、
玉屋は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、
半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、
江戸処払い(追放)を命じられ、
1代限りで断絶した。
一方の鍵屋は、
日本最古の花火会社
「株式会社宗家花火鍵屋」として現存している。



小説『背中の蜘蛛』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

誉田哲也による警察小説。

3部構成で、
第一部 裏切りの日々
第二部 顔のない目
第三部 蜘蛛の背中
という3つの部分から成り立つ。
連作短編ではない。
第一部、第二部は比較的短くて、前哨戦の印象。
第三部が長くて、これが本編の感じ。

池袋の路上で刺殺殺人事件が起こる。
被害者の妻との関連で犯人は逮捕されるが、
そのきっかけが、警察上部からの
「妻の過去を調べてみてくれ」という要請で、
それが結果として当たりだったのだが、
その要請を受けた本宮刑事課長は違和感を抱く。
これが第一部。

第二部は、それとは無関係で、
違法薬物で監視対象だった男が
木場のイベント会場のロッカーに仕掛けられた
爆発物で惨殺される。
犯人はほどなく逮捕されるが、
そのきっかけになったのは、
その人物を特定して捜査を進めるよう言ってきた
タレコミ電話だった。
電話を受けた刑事は、
その匿名電話は警察官からのようだったと言う。
植木警部補は、違和感を感じる。

そして、第三部。
無職男・田辺がラーメン屋で知り合った男と交流を始める。
その姉と関係が出来、
姉弟が、ヤクザ稼業の義兄にがんじがらめになっていることを知る。
田辺は二人の借金を返して自由にしてあげたいと思い、
あることを始める。

総務部情報管理課運用第三係、
通称「運三」の上山捜査官の
運三での生活が描かれる。
運三は、警察の秘密部署だ。

こうして、池袋の殺人事件、
木場での殺人事件、
田辺の周辺、
上山の周辺が
次第に関連づけられて来る。

要するに、運三は、
携帯電話の通話やメールやSNS、
ネット上のやり取りなどを監視分析する
プライバシー侵害の違法組織で、
池袋の殺人事件の犯人も
木場の殺人事件の犯人も、
その情報解析検索システム「スパイダー」にひっかかってきたもの。
しかし、非合法組織であるが故に、
その情報の出所を明らかに出来ず、
上官の示唆やタレコミなどの形で捜査を方向付けたということなのだ。
もともとウェブは「蜘蛛の巣」の意味だし、
その上にいるのは蜘蛛だ。
だから、国民のプライバシーの侵害は、
国民の背中に張りついている蜘蛛がいる、
ということで、題名の由来。

田辺は元運三の捜査員で、
仕事の性質上、精神のバランスを崩し、退職した。
しかし、スキルが高いので、
運三のシステムに介入する。
また、その違法性から破壊を狙っている。

というわけで、
国家的規模の監視社会、という話が
背骨だったことが分かる。
そういう意味で、新しい警察小説、として評価されたらしい。
しかし、そんな大プロジェクトにしては、
従事する人間が11人しかないなというのもおかしな話だ。

4つの話が並行して進み、やがてからんで来るのだが、
ちょっともどかしい。
「犯人に告ぐ」を書いた雫井脩介あたりが書いたら、
もっとわくわくする展開になっただろう。

しかし、ネット上のレビュー評価は意外と高く、
新境地が評価されたのか、
前回の直木賞候補になったが、落選。
選考委員の評は、厳しい。

角田光代
終盤、前原姉弟の家族、彼らの過去、義理の兄のエピソードは、
小説を盛り上げるために用意されたものに思えてしまい、
さらに姉と弟の近親相姦の場面に至っては、
書く必要があったのかどうか疑問を覚えた。
作者の影が、後半部分に
小説の作り手としてあまりにも見えすぎてしまう。

宮部みゆき
現代社会を舞台にした大人のザッツ・エンタテイメントなこの作品は、
直木賞の幅と懐の深さをアピールしてくれるとも思いました。
今このタイミングで顕彰されるべき作品でした。
社会の治安と個人の自由にどこまで互換性を持たせるか。
そう遠くない将来、この問題が
私たちの日常に直に触れる形で選択を迫ってきたとき、
多くの読者がこの作品を思い出し、
膝を打つことになると私は信じています。

桐野夏生
話の展開はうまいし、それなりに面白く読んだ。
しかし、警察内部にNSA的組織があるという
ディストピア的不気味さにひきかえ、
國見の話が矮小に思えてならなかった。
男たちの物語に特化されているせいか、
登場する女性がステロタイプで寂しく感じられる。

浅田次郎
ドラマならばまだしも、小説としてはやはりわかりづらい。
登場人物が混雑していて、
メインストーリーの求心力が失われがちである。
視点者のキャラクターと世界観が似ているという点も、
わかりづらさの原因になっている。

林真理子
これでもか、これでもかと悪意が炸裂して、
正直言って不快になっていく。
特に強要される近親相姦のシーンではページを閉じたくなった。
嫌悪をかきたてるのも小説だと百も承知しているが、
これでは読者もひいてしまうのではと心配になった。

北方謙三
後半になると、私が感じていた魅力は色褪せてしまった。
近未来にそういうことがあったら、
恐怖以外のなにものでもないが、
それは現実として考えた場合の恐怖で、
小説の中のリアリティとはまた違うものではないか、と思った。

高村薫
通信傍受という国家機密に、
巷の刑事が関与する余地があるはずもないとすれば、
本作でシステムの存在を暴く刑事たちの活躍は
一から十まで安直な作り物に感じられ、
終始没入できなかった。
これは本来、スパイ小説の題材である。

宮城谷昌光
他の候補作品にくらべて、読みやすかった。
捜査にあたる者たちの個性は感じられた。
人が生きていたということである。
が、小説はそれで充分というわけではない。
氏の文中にある説明が、
説明のまま死んでいる箇所がいくつかあり、
それを表現として活かす工夫が必要である。


対談『死という最後の未来』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

曽野綾子さんと石原慎太郎氏の対談。
テーマは「死」と「老い」について。
これは、読まねばなりません。

曽野綾子さんは、私が秘かに「賢人」と読んでいる、
文学者であり、人生の達人。
曽野さんの著作で目を開かれたことが何度もある。

石原慎太郎氏は、小説家であると共に、腕力のある政治家。
その群を抜く知性と博識は舌を巻く。
高圧的態度を嫌う人も多いが、
あまりに周囲の議員や記者たちのレベルが低いので、
苛立ちがそうさせるのだろう。

他人の追随を許さぬ、特別な二人。

ご両人共に90歳近い高齢で、
(曽野さん88歳石原氏87歳
病気もし、近親者の死も見ているから、
その死生観は深い。

ただ、お二人は対極にあり、
石原氏は、死んだら何もない、虚無だという見解。
対する曽野さんは、敬虔なキリスト教徒だから、
霊魂の不滅を信じる姿勢。

[曽野]私は霊魂というものはあって、不滅かなと思っています。
信じる人たちは、「永遠の前の一瞬」という言い方をします。
この世に生きて、たくさんのことを考え、
喜び、悲しんできたことが、
死によって終る。
パタリとその働きをやめてしまうということはないと思いますね。

[石原]そうですか。
僕は息を引き取ったら、
一瞬で魂もなくなると思いますけどね。
瞬時にチリ芥になる。

[曽野]私は、そうは思わないんです。
それだけに地上で肉体と霊魂とが
一致して生きるということは、
このうえなく貴重な時間だと思えます。
たかが十数年の命を、
自分に与えられた貴重な状態の中で
生き抜かなければならないような気がする。

死についても老いについても、
対照的で、
「動」の石原氏に対し、曽野さんは「静」。

年齢も近く、家も近所の二人で、
古くからの友人だが、
それほど会う機会は多くなく、
幻冬社の企画で対談が成立した。
普通の言葉での、普通の会話だから、
読みやすく、分かりやすい。
高度な知性の人が対談すると、
このような化学変化が起こるのだという経験が味わえる。

[石原](来世いについて)そういった考えは、仏教にはないですな。
お釈迦様はまったくそのようなことは言っていない。
仏教での来世は平安時代末期に浄土宗の法然が、
人々の恐怖を救うために言い出したんです。
釈迦自身は、来世とか輪廻転生とか、
天国とか地獄などとはひとことも言っていないんです。

[曽野](自殺について)せめて死ぬ時に、
残された者たちが気持ちがいいほうが私はいいです。
自殺されたら、残る者たちはずっといやな気持ちでしょう。
死ぬのも務めなら、
その日が来るまで生きるのも務めなんです。

[曽野]私自身は、自然な命を大切にし、
それ以上は望まないほうがよいのではと思います。
やはり何か偉大なものが、
死を含めて采配していると感じるんです。
できれば死というものを、
他人であれ自分自身であれ、
この世から去るべき時が来た、
と淡々と捉えたい。
                                        
[曽野]人間の一生は「永遠の前の一瞬」という言葉が、
いつも胸にあるんですよ。
よくても悪くてもたいしたことはない。
よくても喜ぶな、
悪くても深く悲しむな。
生きていても有頂天になるな、
自分の一生は失敗だと思うな、
「永遠の前の一瞬」なんだから、と。

曽野さんはご自分の書いた生原稿を全部焼いた。
本になっているからよいのだという。
「文学記念館」など建てるのはいやで、
自分のことは忘れてほしいという。
その潔さが素晴らしい。

[曽野]私は自分が逝ったあとは、
できるだけ早く世の中から忘れてもらっていいと思っています。

[曽野]わかっているのは、
人には最後に果たすべき任務、
つまり死ぬという使命があるということだけ。

二人の「賢人」の対話は示唆に富んでいる。



小説『三体』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

中国発の長編SF小説
2006年5月から12月まで
中国のSF雑誌「科幻世界」で連載され、
2008年1月に重慶出版社によって単行本が出版された。

英訳されると反響を呼び、
2015年、SFの世界最大の賞である「ヒューゴー賞」を、
翻訳書として、アジア人作家として初めて受賞。

バラク・オバマ前大統領、マーク・ザッカーバーグ、
ジェームズ・キャメロン監督も絶賛。

日本語版は
2019年7月4日に早川書房より発売された。
日本語訳は、光吉さくらとワン・チャイの
中国語からの共訳による翻訳原稿を、
中国語の分からない大森望が英訳版を読みながら改稿したもの。

三体とは、天体力学の「三体問題」に由来する。
三体問題とは、3つの天体が互いに万有引力を及ぼし合いながら、
どのように運動するかという問題で、
一般的には解けないことが証明されている。

たとえば真空中に物体が1つだけある時、
それは永遠に静止し続ける。
これが2つになるとやがて万有引力で衝突するが、
この時に2つの物体に同じ方向へ力を与えると、
引力が釣り合って安定し、
互いの周りを回る円運動を始める。
更に物体が3つになると、
予想は不可能になる。
3つの物体は常に位置を変え、
その都度、万有引力を発揮するため、
すべての軌道が歪み続ける。
このような、3つの物体の動きを正確に予想できない、
というのが三体問題である。

本書では、はるか数光年先の宇宙で、
3つの恒星(太陽)に支配される星として登場し、
その星の文明を表すVRゲームとしても扱われる。

冒頭、1967年、
紅衛兵による知識人糾弾場面が出て、驚かされる。
天体物理学専攻の女子大生・葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、
物理学者で大学教授の父親が、
紅衛兵によって惨殺される現場に居合わせる。
文潔は、強制労働で伐採現場に従事している時、
巨大なパラボラアンテナの建造された
秘密軍事基地にスカウトされる。

40数年後、ナノマテリアル開発者の汪森
(おう・びょう、ワン・ミャオ、森は木ではなく水が3つ)は,
ある会議に呼ばれ
世界的な科学者が次々に自殺していることを知らされる。
その背後に見え隠れする謎の組織「科学フロンティア」。
汪は組織への潜入を引き受けることに。
やがて、汪の撮る写真に謎のカウントダウンが現れ、
汪の視力の中にもカントダウンは侵入して来る。
                                        
この汪を巡る話に並行して、
汪がVスーツを装着して、
VRゲーム「三体」にアクセスする、
そのゲームの内容が語られる。
それは、三つの太陽を持つ惑星における不思議な事象で、
三つの太陽がもたらす天変地異によって、
文明が滅亡を繰り返す様が描かれている。
その中には、人海戦術によるコンピューターの創出など
興味ある話も展開する。
また、カエサルとニュートン、ノイマン、
始皇帝らが一堂に会する回もある。

汪は、葉文潔に接触し、秘密基地での体験を聞く。
ここで、本書の真の主人公が葉文潔であったことが判明。
そのパラボラアンテナは、
実は、地球外知的生命体探査計画のもので、
ある時、太陽を増幅器として発信した電波に
初めて応答がある。
それは、再び発信すると、場所が特定され、
自分たちの文明による侵略を受けるから、
応答するな、というものだった。
しかし、葉文潔は、地球の文明に絶望しており、
その高度な異文明によって解決してもらうのを望んで、
発信する。
電波を送って来たのは、
太陽系に最も近い恒星系、
三重星系として知られるケンタウルス座アルファ星系に存在する
惑星に住む異星人・三体星人で、
それから、三体の世界と地球の世界は、関わりを持ち始める。

という3つの話がからみあいながら進行し、
最終的に、異文明からの艦隊が地球に向けて発進され、
450年後に地球に到達するという事実が明らかになる。

これらの話が、ミステリー風に、
また、文化大革命を巡る歴史絵巻風に、
更にVRゲームを巡る文明批判風にからみあい進行する。

途中、難しい宇宙理論が展開されたり、
難解なところもあり、
読むのに苦労した。

しかし、地球外生命との遭遇ものという骨格が明らかになるにつれ、
興味は尽きない。

途中、パナマ運河を走行する船に仕掛けられた
ナノテクノロジーの素材により、
船が薄皮状に切断され、
乗員が全員死亡するシーンなど、面白い。
そこで初めて汪がナノマテリアル開発者だったことが生きて来る。
また、VRゲームの中で、
登場人物が脱水して、ひからびた状態で           
再生の時を待つ、などという驚くべき設定もある。
また、三体星人が、
地球のテクノロジーの進化速度の加速度から、
450年後に到達した時には、
地球が三体星人の文明を越えているのではないか、
と心配するのも面白い。
そのために2つの陽子を地球に送る。

ともかくスケールの大きさに目がくらむ。
そして、知的好奇心を刺激する。
まさにSFの使命だ。

それにしても、450年後の地球がどうなっているのか、
異星人との遭遇によって地球は滅ぼされるのか、
そういった話は続編になる模様。

実は、本書は「地球往時」三部作の一冊目にすぎない。
2の「黒暗森林」、
3の「死神永生」に続く。
分量は2が1の1.5倍、
3が1の2倍あるという。

三部作は、本国版が合計2100万部、
英訳版が100万部以上の売上を記録しているという。

Amazonが10億ドルを投じて「三体」のドラマ制作を目指しているという。





AutoPage最新お知らせ