小説『僕の種がない』  書籍関係

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主人公の真宮勝吾は、
Dスピリッツというドキュメンタリー制作会社のディレクター。
社長の西山慶一が監督の星野良三と組んで作った会社だ。
星野は「父さんは人を殺したことがある」という作品を発表して、
衝撃を与えた。
衝動的に人を殺してしまった過去を
息子に告白する、というドキュメンタリー。
この作品は数々の賞を獲得し、
Dスピリッツの名を高めた。
しかし、星野は病死し、今はいない。

そのDスピリッツにバイトとして入って来たのが真宮勝吾。
「父さんは人を殺したことがある」を観た勝吾は、
「こんなものを作ってみたい」との衝動が体を駆け抜ける。

社内の企画募集で出した企画が西山の注目を浴び、
初めて作品として結実する。
それが「ホームレスのくせに夢なんか見やがって」
ホームレスの持つ夢を聞き出すという作品だった。
取材は困難を究めたが、
ボブさんという人が取材に応じてくれた。
無理やり聞き出した「夢」が、
「種が欲しい」。
ボブさんは、無精子症で、それが離婚と転落の原因だった。
番組は業界で話題になり、
勝吾はDスピリッツの社員になった。

次に、朝の情報番組で
「今日、生まれました」
という企画を提出して採用される。
出産直後の父母の喜びの顔を写す、というだけの番組だが、
テレビ局から派遣されてきた和田有紀という助手と共に取材し、
評判を呼ぶ。
その中で、あるカップルの取材をする。
夫が無精子症で、離婚の危機があったが、
精子バンクから提供を受けて受胎し、子供を生むという。
自分の子ではない、子供の出産の時、
その夫は父親の顔になっていた。

しかし、有紀が妊娠し、
中絶する時、勝吾は病院から逃げ出してしまう。
自己嫌悪に陥った勝吾は、西山に辞任を申し出るが、
西山の説得で会社にとどまる。
発達障害だけれど、何の才能もない人を取材した
「僕は発達障害だけど絵がうまくない」など
ユニークな視点の作品は評判を呼び、
ドキュメンタリー界では、
「癖のあるドキュメンタリーを作る若者がいる」
と名前が定着していた。

人気芸人コンビの「入鹿(いるか)兄弟」は、
長い下積みの果てに
ユニークなパフォーマンスをきっかけに
人気が爆発したコンビで、
冠番組をいくつか持っている売れっ子だった。
その兄の太一が、勝吾に作品を依頼する。
というのは、太一は末期のガンで、余命半年だという。
その死に至るまでをドキュメンタリーとして
撮影してくれというのだ。

勝吾は太一に対して、ある提案をする。
亡くなる前に、子供を作ったらどうか、と。
しかし、太一は無精子症なので、無理だという。
しかし、勝吾は、
陰のうの中に一つでも精子が見つかれば、
体外受精の可能性はゼロではないということを調べた上で、
太一にその手術を勧める。
太一の中から精子は発見されるのか、
そして、妻の体内から取り出した卵子と結合させ、
着床させることができるのか・・・。

不妊症の話は、
大抵妻の側の不妊治療という話が多いが、
夫の側の無精子症という題材を扱った作品。
そういう点で、大変珍しい。
珍しく、かつ微妙な題材に挑戦した、
著者の志は称賛したい。
また、無精子症の話を
ドキュメンタリーの作り手の話と連動
させた構成も褒めたい。
しかも、人道的な見地で、という並のものではなく、
お笑い芸人とドキュメンター作家の間での
「おもしろいものを作りたい」という
共鳴、というのもなかなかだ。
お笑い芸人は、人を笑わすことに命を懸ける。
ドキュメンタリー作家は、人を驚かすことに命を懸ける。
その二つの「命懸け」が交錯した時、何が起こるのか。
その火花が散るような、
創作に携わる人々の魂まで触れている。

ホームレスの夢、
誕生直後の喜び、
を描いた
勝吾の来た道が一つにつながる。
なかなか巧みな構成だ。

男性の体内で作られた精子が
女性の体内に入って結合した時、
新しい命が誕生するという、
生命の神秘も感じさせてくれる。

「子供は、親が作ったんじゃなくて、
その親を選んで来てくれるんだね。
新しい命を親が生んであげるんじゃなく、
選んで来てくれた命を、
自分の体を使って、
世に出してあげるんだね」


などのセリフもいい。

後半は大変感動的で涙をもよおした。

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作者の鈴木おさむという人は、
森三中の一人、村上さんの夫としてだけ知っていて、
お笑い芸人の夫だから、大したことはないだろう、
という、愚かな先入観と、
彼の風貌から(失礼)、
軽々しい人だと勝手に思い込んでいたが、
いやいやどうして、
放送番組で鍛えられた作家魂を持つ人であった。

微妙な題材だが、
全ての人に読んでもらいたい秀作。


小説『我が産声を聞きに』  書籍関係

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時はコロナが蔓延している2020年秋の東京。
主人公は、名香子(ナカコ)、47歳の兼業主婦。
一人娘の真理恵が大学進学とともに独り暮らしを始めたため、
現在は夫の良治(リョウジ)との二人暮らし。
名香子は大学時代にイギリスへの留学経験があり、
現在は週5で英語講師をしている。
良治は大手電機メーカーで研究職に就いている。

ある日のこと、名香子は良治から
がんセンターの検査結果が出るから、
一緒に行って聞いてほしい、と言われる。
その結果、肺がんと診断された。
その後、レストランでの昼食を終えるなり、
良治は突然「大事な話がある」と切り出す。
実は、好きな人がいる、
一年ちょっと前に再会して、ずっと付き合ってきた。
彼女と出会って、僕は彼女のことが
君より何倍も好きになってしまった、
今日から彼女の家に行くつもりだ。
肺がんだとはっきりしたらそうしようと決めていたから。
治療は彼女と一緒にする。
もう家には帰らない。
家も車も家の中のものは、全部君にあげる。
要らない荷物は処分してくれていい。
仕事もやめるから、
退職金は半分送金する。
離婚届けを送るから、
その気になったら届けを出してくれ。
良治は一方的にそう告げると席を立ち、
店を出ていってしまう。

良治から手渡された封筒の中身を見ると
そこには良治の愛人らしき女性の氏名、
住所と電話番号が書いてあり、
「これまで長いあいだお世話になりました。
誠にありがとうございました」

と記されていた。
相手は高校の時の同級生で、
良治が生徒会会長だった時、副会長だった人だという。

名香子との話の中で、
良治は、
人生の“もう一度”に触れる。
「ああ、この僕の人生にも“もう一度”があったんだ。
そしてこの“もう一度”こそが
間違いなく最後のもう一度なんだろう」


あまりに一方的な話に、名香子はついていけない。

実は名香子は、若い頃、似たような経験をしていた。
婚約者と同棲するため、
引っ越しの準備をしている最中に、
レストランで別れ話をされた。
職場の同僚の年上の女性が好きになったのだという。
もう君と一緒には暮らせない。
部屋の契約も中止したい。

そのときの記憶が蘇り、名香子を苦しめる。

意を決して相手の家を訪ねた時、
偶然にも、良治のがん手術の日で会えなかった。
名香子は、相手の女性から意外なことを聞かされる。

娘の真理恵は、相手の家に行って、父を連れ戻すという。
明石にいる母の貴和子に話すと、
「しばらく放っておけ」と言う。
「帰って来る人は帰って来るし、
帰って来ない人は来ないのよ」
聞けば、父も単身赴任中、浮気しており、
その時も放っておいたというのだ。
名香子も初めて聞く話だった。

関西に出たついでに、
名香子は高校時代の親友の一人に会う。
彼女は年を取ったら、
高校時代の親友と一緒に暮らすことを提案する。
「最後は夫とか子供とか、
そういう七面倒臭い存在から解放されて
自由におおらかに淡々と生きて、穏やかに真でいく」

それが人間として「高級な終わり方」だという。

更に、名香子は、あの自分を捨てた婚約者を訪ねる。
証券会社で出世した婚約者は、
その後、同僚の女性と結婚したが、
子供はいないという。
実は、彼は無精子症だった。
「もしあのまま僕と一緒になっていたら
君は子供は作れなかった」

彼に捨てられ、良治と結婚し、真理恵が生まれた。

人の運命はどこでどうなるか分からない。
                                        
名香子は、英語教師も辞め、
一人で生きていくことを決意する。
                                        
そうやって長年、休むことなく続けてきた
英語教師の仕事から完全に手を引いてみると、
これが案外、何ほどの感慨ももたらさなかった。
──要するに、いつ辞めても良かったってことだ。


コロナ禍真っ只中の時代を描く小説で、
マスクや様々な感染防止対策が出て来る。
名香子の心境は、
新型コロナの蔓延と無関係ではない

名香子は自然気胸の既往症を持ち、
コロナの危険性を常人より強く感じている。
そんな中、良治の家出など小さなものにしか感じられない
良治も同じだ。
肺がんの宣告を受けて、
生命の危機が忍び寄っている。
そんな中、長年連れ添った妻を捨てようが、
会社をやめようが、
自分の勝手気ままだ、
したいようにすればいい、と思えたのだ。
                                        
物語を貫くものに、飼い猫のミーコの存在がある。
最後に名香子は、
三代目のミーコに出会い、いやされる。

「人間の運命」という不思議なものを
一人の中年女性を通じて描いてみせる。
なかなかの小説だった。


短編集『さよならの儀式』  書籍関係

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宮部みゆきのSF短編集。

主に「書き下ろし日本SFコレクションNOVA」などに掲載された作品が中心。
コアなSFファン用の本なので、
宮部みゆきの作品としては異色で、
普段の読みやすさはない。

母の法律

この物語の時代には、
日本には「マザー法」という法律が施行されている。
虐待を受ける子供とその親を救済する法律で、
その法律のもと、選ばれた養父母たちに、
子供は引き取られ、守られる。
法律の規定により、
養父母が離婚した場合や
一方が死去して
どちらかが単身者になった場合は、
未成年の養子は「グランドホーム」に戻される。

主人公の二葉は、
養母が病死しために、
姉の一美と共にグランドホームに引き取られる。
長男の翔は成人している。
養父母は三人の養子を抱える
クラス・ファーストの養父母認定を受けていた。

その二葉に、おせっかいな人が、
実母の情報を提供する。
犯罪者の死刑囚。
その情報提供そのものが違法だ。
その上、「死刑囚との対話」というイベントに
その実母が出るという。
逡巡の末、二葉は、姉の一美と共に、
その行事に参加してみることにする。
その会場で実母は娘の存在を見つけ・・・

父母の子供に対する「親権」
国家が集中的に集中管理されるという設定が面白い。


戦闘員

孤独な老人・達三は散歩の途中、
随所に不思議な監視カメラが設置されるのを発見する。
そのカメラは出たり、消えたりする。
どうやらそれは、「侵略者」によって設置されているらしい。
達三は、猛然と「侵略者」に対する戦闘を開始する決意をするが・・・


わたしとワタシ

45歳の「わたし」の前に
高校一年生の「ワタシ」が出現する。
不毛の人生を送り疲れた中年女性になったわたしを見て、
高校生のワタシは強く失望する。
「ヤダ。こんな干からびたおばさんになるくらいなら、
とっとと死ぬ」

タイムスリップは過去に行くのが普通だが、
過去から来た自分に出くわすというのは、
新しい視点。
30年前に戻ったワタシは未来を変えることができるのか?


さよならの儀式

その世界では、家庭用汎用ロボットが家事をこなしていた。
しかし、旧型のロボットで耐用期間が過ぎたものは、
廃棄の対象になる。
長年ロボットの「ハーモン」と暮らしていた娘は、
その処理場に最後のお別れに来るが・・

ロボットの擬人化感情移入が起こった時代の物語。
ハーマンが最後の電池を使って、
「ワタシヲ シナセテ クダサイ」と手話で語る場面が切ない。


星に願いを

体調不良の妹を学校に迎えに行った姉は、
小学校の近くに落下した隕石の情報に触れる。
それは隕石ではなく、故障した宇宙船だったという噂がある。
家に帰った姉妹に近所の駅で無差別殺傷事件が起こり、
犯人が逃走中だという情報が入る。
その犯人らしき男が姉妹の家の側で死ぬ。
すると、その男に取りついていた、肉体を持たない「異星人」が
姉の中にも侵入してきて・・・


聖痕

独立して興信所を営む女性のところに、
一人の老人が訪ねて来る。
相談は老人の息子のこと。
息子は14歳の時の12年前、
実母とその内縁の夫を刺殺し、
担任の女性教師を人質に取った事件で
「少年A」と呼ばれていた。
その少年Aを取り巻くサイトがあり、
そこで、世の理不尽な犯罪に対する鉄槌を下す、
という存在が現れ、
「黒き救世主」と呼ばれる。
そもそも、少年Aの事件も、
ひとでなしの実母と内縁の夫の虐待によるものであり、
殺人は正当だったというのだ。
                                        
そのサイトは少年の目にも触れ、悩ませているという。
ある交通事故も「黒き救世主」の仕業だと言われ、
少年は父と共に、その現場に行ってみる。
そこで少年は自分の顔をした「黒き救世主」の姿を見てしまう・・・

老人の訪問から、次第に核心に触れていくあたり、
普段の宮部みゆきの語り口。
そして、その結末は・・・


保安官の明日

保安官が常駐する、西部劇のような町。
だが、機材などで今の世の中の話だと分かる。
そこで誘拐事件が発生する。
しかし、保安官は何度も同じ事件に遭遇しているようなのだ。
それは「周回」と呼ばれ、
住民の一人によって、
同様な事件が繰り返されている。
やがて、その町が、
大富豪によって作られた空間であり、
住民たちも人造擬体だと判明する。
それは、富豪の息子の犯罪性を矯正するための
ドームの中の偽装空間だったのだ。
しかし、息子の犯罪性は直らず、何度も誘拐と殺人が行われ・・・

という「ウエスト・ワールド」みたいな話。


どの話も、通常の宮部作品のような
心の温まる話ではない。
むしろ、宮部みゆきの別の側面を見せられたような、
冷たい世界。
少々戸惑った。



短編集『スモールワールズ』  書籍関係

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「小説現代」に
2020年から2021年にかけて掲載されたものを集めた
一穂ミチの短編集。

ネオンテトラ

モデルの美和、30歳。
仕事面でも自分の需要が低くなったと感じている頃。
子供を作ろうとするが、
なかなか子宝に恵まれず
旦那は隠れて浮気をしている。

そんなある夜、美和は一人の中学生男子を見かける。
どうも父親から苛烈な叱責を受けているらしい。
やがてその男子が姪の有紗のクラスメイト・笙一だと知る。
父親が眠るのを待って家に帰るため、
コンビニで過ごす笙一。
美和は笙一と夜のコンビニで接触を続けるが・・・

ネオンテトラとは、
水槽で飼われている熱帯魚。
光の反射で光って見える。
孤独な笙一を、
水槽の中でしか生きられない熱帯魚にたとえる。

やがて、美和はある方法で子供を得る。

魔王の帰還

鉄二のもとへ、結婚して家を出たはずの姉ちゃんが戻ってきた。
元トラック運転手をしていた姉は男性に負けない巨体を持っており、
名前の真央をもじって「魔王」と呼ばれている。
どうやら、姉は、夫から離婚を迫られているらしい。

鉄二は転校してきた女子の菜々子が気になっている。
菜々子は家族とのトラブルが原因で転校した。
鉄二にも高校球児だったが
暴力沙汰で転校を余儀なくされた過去がある。
そんな訳ありの3人は、
ひょんな流れから金魚すくい選手権に出場することになり・・・。

やがて、姉と夫の離婚を迫る真の理由が明かされる。

ピクニック

瑛里子に待望の女の子が生まれ、
祖母の希和子から一文字とって、「美希」と命名された。
祖母はとても可愛がってくれていた。
美希が生後十ヶ月を迎えた頃、
美希は不慮の死を遂げる。
医師の通報で、
希和子が赤ちゃんを殺したのではないかと疑いをかけられ、
警察に執拗な追及を受ける。
というのは、祖母の希和子は、
遠い昔、女児(瑛里子の妹)を亡くした過去があった。
そのこともあって、
警察は希和子を疑い、
ついに、過失致死容疑で逮捕されてしまう・・・。

ラストに、その昔亡くなった女児の霊が現れ、
驚愕の事実が読者に明かされる。

花うた

兄を殺された看護師の新堂深雪は、
刑務所内の加害者の向井秋生と文通を始める。
深雪は「自分の罪と向き合うのが怖いのか」と追及し、
二人の往復書簡は変わった様相を呈する。
やがて、深雪は秋生と結婚し、
年を取った二人は・・・。

往復書簡だけで構成された物語。

愛を適量

冴えない中年の高校教師・慎悟。
昔部活をしている学生たちに入れ込み、
それが思わぬしっぺ返しとなって以来、
やる気をなくしている。
妻には離婚された。
そんな慎悟のアパートを一人の男が訪ねて来る。
それは、とっくの昔に疎遠になっていた娘の佳澄だった。
佳澄はトランスジェンターで男になってしまったのだ。
佳澄に「しばらく置いてほしい」と頼まれた慎悟の、
不思議な共同生活が始まった・・・。

式日

高校時代の後輩から久々に連絡が来た。
父親が死んで、葬式に来てくれないかと言う。
その後輩とは、不思議な縁で結ばれていた。
夜間学校の授業中に、
昼間の時間帯に通っている後輩が、
辞書を取りにきたところから交流は始まった。
同じ机を昼と夜で共有しているため、
紙切れのメモで交流し、
やがて休みの日に会うようになった。
長い間疎遠で、飛び降り自殺をした父親の葬儀の出席者は、
先輩と後輩の二人だけだった。
火葬が終わるまで、二人はバスに乗って遠くに出かけ・・・

ちょっと変わった観点のストーリーと
予想外の展開

不妊・暴力・虐待・闘病・トラウマ・ジェンダ−・アルコール依存など、
生きづらさを抱える人たちに寄り添う物語
小さな世界で生き、
愛情や人間関係の歯車がどこか狂ってしまった人たち。
その息苦しさや切なさにそっと寄り添う。

才能を感じる人なので、
遠からず直木賞に手が届くだろう。

今回の直木賞の候補になったが、受賞は逃した。

選考委員の評は、↓のとおり。

林真理子
面白く読んだ。
冒頭の作品があまりにも惜しい。
他の五作品とレベルが違っている。
最初の「ネオンテトラ」は、リアリティがなく、終わり方も唐突である。
あきらかに水準に達していないものは、
切り捨てる勇気も必要だったのではないだろうか。


北方謙三
いささか評価に困った。
まず、どの一篇からも、私は行間を感じなかった。
人物の造形が、ただ頭で考えただけなのか、
言葉以上のふくらみを持ってこない。
私は『魔王の帰還』と『花うた』が好きだったが、
それも人間の顔がよく見えてこなかった。


角田光代
収録された短編小説に登場する人々は、
みな何かしらの理由で社会の大多数からはみ出している。
はみ出さざるを得ない人たちを描く小説はあたらしくはないけれど、
この作者の世界の切り取りかたが私には新鮮に感じられた。
駆け足で状況説明になってしまったように思える小説もあり、
この短編集で受賞作とするのは私にはもったいない気がした。


高村薫
身近な世界を切り取っているようで実は生身の人間はどこにもいない、
人工的に構築された箱庭と
そこに置かれたフィギュアのようだと言おうか。
本作の短編はどれも手練れゆえに書き流した感が強い。
本ものの小説家であるために、あと少しの執念と用心深さを。


三浦しをん
各話がさりげなくつながっている短編集で、
そのさりげなさがうまいし、
話ごとのテイストのちがいと完成度の高さが素晴らしいと感じた。
タイトルどおり、小さくささやかかもしれないが、
しかしいま、このときを、つらさや悲しみを抱えながらも
笑ったり怒ったりして精一杯生きている「私たち」の姿が、
こんなにも鮮やかに小説として刻印されるとはと、
脱帽するほかなかった。


浅田次郎
読み始めたとたん、新人ではないと確信した。
小説の書き方が手慣れており、
かつ垢抜けていて、
美学も哲学も備えた文学の構えをしていた。
しかも収録された短篇のそれぞれが個性に富み、
高い水準を保って出来不出来がなかった。
私は作者の確固たる文学観と穢れなき才能を信じて強く推した。


桐野夏生
特に会話がよく、絵が目に浮かぶ。
とりわけ、「愛を適量」が面白かった。
しかしながら、小説は虚構である。
日常のリアリティがあり過ぎるのも、どうだろうか。
もう少し人物を濃淡で書き分けて、作り込んでもいいような気がした。




小説『あやめ横丁の人々』  書籍関係

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宇江佐真理による江戸人情話。
ちょっと趣向がこらされている。

紀藤慎之介は、わけあって身を隠していた日本橋本石町の裏店を
浪人風の男四人に襲われ、
本所御竹蔵近くの「あやめ横丁」の岡っ引き権蔵のもとへ逃げた。

そのわけとは、こうだ。
慎之介は旗本紀藤家の三男だったので
笠原家に養子に入ることになっていた。
ところが、妻になるはずの娘は
屋敷に奉公していた男と相惚れの仲で、
祝言の宴の時、この男が七緒を連れ出した。
追いかけた慎之介が男を斬り捨て、
後日娘が首を縊ってしまった。
お家断絶が決まった笠原家は、
逆恨みして、慎之介の命を付け狙うようになったのだ。

こうしてあやめ横丁に逃げ込んできた慎之介は、
権蔵からあやめ横丁から外に出なければ大丈夫だといわれ、
あやめ横丁に閉じ込められたようになってしまう。

慎之介が身を寄せる権蔵の所には伊呂波という娘がいた。
伝法な口のききようで、気の強い性格だ。
権蔵の家は葉茶屋を営んでおり、
店を切り盛りしているのは女房のおたつだ。

することがないので、あやめ横丁を散策しているうち、
慎之介はこのあやめ横丁には
訳ありな人間が集まっていることに気付く。
何か事件を起こして、
ここに押し込められているようだ。
作りも堀に囲われた袋小路のような一角で、
しかもお上の庇護をうけている気配さえある。

やがて暇をもてあましている慎之介のところに
手習い指南の依頼が来て、
6人の子供を預かるようになるが・・・

というわけで、
町人の中に放り込まれた
旗本の若様と横丁の人々との交わりを描く。

「あめふりのにわっとり」「ほめきざかり」
「ぼっとり新造」「そっと申せばぎゃっと申す」
「おっこちきる」「あとみよそわか」
など、各章の表題にもなっている
庶民の言葉に慎之介が戸惑うところも面白い。
横丁の人々の人物像も豊かで、
それぞれの人生が描かれる。

やがて慎之介は、
あやめ横丁という名称の
隠された意味に気付くのだが・・・

結局、兄たちが亡くなったため、
慎之介は、紀藤家の当主として家に帰り、
あやめ横丁の人々とは別れを迎える。

それから10年。
あることから、慎之介は、
あやめ横丁の人々と再会するのだが、
この最終章は、ウルっとさせられる
青春のある時期の
人と人との邂逅の不思議を思わされて、
切ない気持ちになるのだ。

おたつの言葉。

「長い人生にはどんな人でも
一つや二つの躓きがあるものです。
でも、その躓きを糧になさるかなさらないかで、
その後の人生も変わってくるのではないでしょうか。
しばらくここで暮らし、
様々な人達の事情と向き合うことは、
若様にとっても決して無駄なことだとは
思いませんよ」


宇江佐真理らしい
人情噺として読み応えのある一篇。





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