映画『モンスター:その瞳の奥に』  映画関係

[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

強盗事件の容疑者として逮捕された黒人青年の
裁判における闘いを描く。

17歳の高校生、スティーヴ・ハーモンは
ある日、身に覚えのない殺人容疑で逮捕されてしまう。
近所の食料品店に押し入った2人の黒人によって
店主が銃殺され、金と煙草が奪われた事件の共犯とされたのだ。
身の潔白を主張しても、
警察や検察はスティーヴが犯人であると決めつけており、
極めて不利な状況に追い込まれていた。

弁護士としてついたのは、白人女性で、
無実であることの証明のために尽力してくれるが、
黒人ということもあって、陪審員の壁は厚い。
「推定無罪」の原則も、
「疑わしきは罰せず」の主張も
陪審員の心には届かない。
ハーレムの黒人少年に対する先入観があるからだ。

映画は、裁判の進行と同時に、
拘置所での生活と、
スティーヴの回想での光景とが
織りなす凝った作り。

ただ、凝り過ぎて、
事件の全容と
スティーヴの関与がなかなか分からない。
当初は主犯か従犯のようにさえ見える。
どうして共犯(見張り役)とされたかの経緯は、
ようやく終盤になって明らかにされる。
そんなこと、とっくに供述していたはずなのに。

スティーヴは高校で映画製作の授業を受けており、
何でも映像化する習慣があり、
それが映画の中でも顔を出す。
その授業で黒澤明の「羅生門」が教材とされているなど、
事件が観る人の視点で別なものに見える、
という点の強調に使われるが、
「羅生門」についての知識がない観客にとっては、
何のことか分からないだろう。
2カットだけ「羅生門」の映像が出て来るが、
あまり適切なものとは思えない。

原作はアメリカの作家ウォルター・ディーン・マイヤーズ
2001年プリンツ賞受賞&コレッタ・スコット・キング賞受賞作。
殺人の罪で逮捕された黒人少年をめぐる人間ドラマと法廷劇を、
「主人公の少年が書いた映画脚本」というスタイルで描いた作品。
なるほど、凝った映像の理由は、それか。

監督は、ミュージックビデオの世界で活動しており、
これが長編劇場映画デビュー作のアンソニー・マンドラー
主演はケルヴィン・ハリソンJr.

クリックすると元のサイズで表示します

かなり前に完成していた映画で、
2018年1月のサンダンス映画祭で上映されているが、
一般劇場公開はなかなか決まらず、
ようやく日米ともにNetflix配信で見られるようになった。
5月7から配信。

「モンスター」は被告を検事が呼んだもので、
陪審員への印象操作。
これに対して弁護士は、
「彼はモンスターではありません。
17歳の男の子です」
と言う。
ちなみに一時は「All Rise(全員起立。法廷開始のときの号令)」
というタイトルに変更されたが、
結局原作タイトルの「モンスター」に戻った。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/HYDx1YsQ0kk

タグ: 映画

映画『ラブ&モンスターズ』  映画関係

[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

ある日、突然世界が壊滅した。
小惑星が地球に急接近し、
人類は力を合わせてミサイルで小惑星を破壊。
危機は逃れたが、
爆発したミサイルの化学物質が地球に降り注ぎ、
生物のDNAを変化させて巨大化、
人間を食い尽くす。
アリ、トカゲ、ゴキブリ、ワニなどが変異し、
巨大なモンスターとなって、地球を支配してしまう。
大統領はガに殺され、
飼っていた金魚に食べられた少年もいる。
ついに生物と軍隊の戦いになるが、
わずか1年で人類の95%が消滅
生き残った人間は
防空壕や洞窟、避難所に身を隠し、
生物かちの侵入に怯えていた。

という状況が、
始めの数分のアニメで紹介され、
24歳の主人公ジョエルが登場。
ジョエルは父母を生物に殺され、
地下壕に7年も潜伏していた。
最近、通じた無線で、
別なコロニーに恋人のエイミーが生きていることを知り、
声をきいたために、
会いたくてたまらず、地下壕を出る決意をする。
そのためには、モンスターがウジャウジいる地上を
通過しなければならない。
目指すは、130キロ離れたコロニー。
徒歩で7日間の道程だ。

こうして始まったジョエルの冒険。
途中、ボーイと言うと道連れになり、

クリックすると元のサイズで表示します

サバイバーの男女に出会って教えを乞うたりする。
父娘ほど歳の離れた二人組は、
実は親子ではない。

クリックすると元のサイズで表示します

AIロボットと遭遇したりする。
ロボットは人間がいなくなったので、
自分でスイッチを切って、電池を温存、
ジョエルが現れたので、
わずか残った電池で会話する。

元々腰抜けのジョエルだったが、
7日間の度の間に、男として成長する。
艱難辛苦の果て、コロニーについだジョエルだったが、
すでにエイミーは心変わりをしており、
そのコロニーは別な場所に移住する計画が進められていた・・・

という、まあ、若者向けの話だが、
見どころは、ところどころ登場するモンスターの造形

クリックすると元のサイズで表示します

今まで見たことのないモンスターというより、
今まで映画で描かれたモンスターの集大成みたいなのが続々登場する。

クリックすると元のサイズで表示します

巨大ヒキガエル、巨大ムカデ、巨大アリみたいのが
ジョエルを襲う。

クリックすると元のサイズで表示します

対する武器は、ボーガンと手榴弾。
ある巨大な敵をやっつけるシーンは、
思わず声をあげてしまうほど、びっくりの描写。

クリックすると元のサイズで表示します

先のアカデミー賞では視覚効果賞にノミネートされたほど、
精緻なモンスターが登場する。

クリックすると元のサイズで表示します

日本では劇場公開されないので、
配信のおかげで観ることが出来た。
アメリカでは昨年10月16日に劇場公開。
日本では4月14日、Netflixで配信。

監督はマイケル.マシューズ
ジョエルを演ずるのは、ディラン.オブライエン

クリックすると元のサイズで表示します

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/ZoTBq6XcNFU

タグ: 映画

映画『漁村の片隅で』  映画関係

[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

これはこれは、珍しいカメルーンの映画
カメルーンと聞いて、ああ、あそこか、と
思い浮かべられる方は少ないと思うが、
地図上の位置は、↓。

クリックすると元のサイズで表示します

ドイツとフランスとイギリスの植民地だったことがあり、
アフリカでは比較的早い1960年に独立。

私も、カメルーンについては、切手の知識しかなかった。

クリックすると元のサイズで表示します

そのカメルーンの漁村が舞台。
12歳のエカは、母親を亡くし、
父親ソロと暮らしていた。
父が獲ってきた魚を主婦たちに売りさばく毎日。
エカは、パキスタンの女性人権活動家で
ノーベル平和賞を受けたマララ・ユスフザイに触発され、
自分も学校教育を受けたいと思うようになった。
しかし、父親は、
「こんな漁村で教育なんか必要ない。
しかもお前は女だ。
嫁に行く身に、学問など要らない」
と断言すし、お仕置きさえさせられる。

エカは、学校の壁の隙間から授業を盗み聞きし、
誰も答えられなかった数学上の問題を解いてしまったりする。
その能力を見抜いた教師のビビは、
学校に入ることを勧めるが、
ソロは拒絶する。
実は、ソロは妻が教育を受けて変貌し、
夫を無学者と蔑んだ過去にとらわれていたのだ。

学校の管理者は、
村での摩擦を恐れて、
ビビとエカの接触を禁ずるが、
エカはビビの元を日参し、
ついに個人授業を受けることに成功する。
スポンジが水を吸うように知識を吸収するエカに、
ビビも教師としての喜びを感ずるのだった。
教師にとって、教え甲斐のある生徒ほど嬉しい存在はいない。

全国学力試験が近づき、
ビビの学校からも選手を出さなければならなくなるが、
みんな成績不振で良い選手がみつからない。
不参加だと、廃校になってしまうかもしれない。
管理者の妻が、エカを出したら、と提案するが、
その時、エカの身辺では危機が迫っていた。
ソロの兄が借金のかたに、
エカを嫁入りさせようとしていたのだ。
強引に結婚させられたエカには、
毎日がレイプ地獄だった。
そして、試験の日程は迫って来る・・・

クリックすると元のサイズで表示します

アフリカの教育事情に触れて、大変興味深かった。
実は、カメルーンの識字率は75.0%で、意外と高い。
ただ、地域による格差が大きく、
エカのいたような漁村や農村では、
教育はうとんじられていたのだろう。
貧しい地域では学校に通わせる余裕はなく、
子供は労働力、
ましてやいずれ「嫁」(子供を生む機械)になるだけの
女の子に教育の機会を与える必要はないのだ。
「女に教育は要らない」
というのは、戦前の日本みたいだ。

カメルーンの教育制度は小学校6年、中等学校4年、
高等学校3年、大学3年で、
義務教育は小学校6年間のみ。
エカはそれさえ受けさせてもらえなかった。
学校に行く友達をうらやましげに見るエカの姿や、
夜中に学校に忍び込んで、
黒板の字をランプで照らす姿が哀れを誘う。
教授言語は旧・フランス領地域ではフランス語、
旧・英領地域では英語で、
この映画では英語と現地語が交錯する。

しかし、元々利発な少女エカには、
現状を打ち砕く情熱があり、
それを助ける教師(ビビ)も存在していた。
このあたり、「リトル・ダンサー」(2000)に通じるものがある。
最後の試験の決勝の下りは、
「スラムドック$ミリオネア」(2008)か。
ここで、マララへの知識が登場するのは、脚本の妙味。

展開はご都合主義で、
最後のくだりなど、
「一体、いつ?」との疑問も起こるが、
まあ、仕方がない。

「実話に基づく」とタイトルが出るが、
どこまで実話で、どこから創作かは不明。
ただ、映画のラスト、
大学の卒業式で演壇に立つエカのスピーチは
十分感動的だった。

監督はエナ・ジョンスコット
登場人物は当然黒人のみで、
俳優はもちろん知られていない人たち。
12歳のエカを演ずる少女は、
なかなかの演技力で抜擢されたのだろうが、
もう少し映画的に可愛かったら、もっとよかったのに。
そうでなければ、借金をチャラにしてでも
嫁に欲しいという説得力がなくなってしまう。

また、中央アフリカの人々の生活、
派手な衣服、木で立てられた民家、路地、
貧しい食事など、興味津々だった。

先のアカデミー賞国際長編映画賞部門の
カメルーン代表作というのだから、
国内での評価は高かったと思われるが、
ノミネートは果たせなかった。

4月4日からNetflixで配信。

タグ: 映画

アカデミー賞への批判  映画関係

アーノルド・シュワルツェネッガーが、
先日放送された第93回アカデミー賞授賞式を酷評したという。
ABC局のトーク番組での発言。
「三分の一しか観ていない」
「ものすごく退屈だった。
だからわたしは、テレビを消して続きは見なかった。
ステージにはあんなにもたくさんの才能のある人たちがいたのに、
すごくつまらなかった。
なぜそんなことが可能だったんだ?」

と。

批判をするなら、
最後まで観なかったというのは、どうかと思うが、
実際、全部を観ていた私にとっても、
例年よりつまらなかったのは、確かだ。

原因として上げられるのは、

@会場を小規模にしたため、豪華な印象が失せた。

A受賞スピーチに時間制限を設けなかったため、
 スピーチが冗長な印象になった。

 (誰だか知らない人の名前をだらだらあげて
  「ありがとう」というのは、退屈だ、という意見は前からある。)

B司会者を立てず、イベントそのものに個性が感じられなかった。

C「お遊び」の部分がほとんどなく、単調な進行だった。

Dアカデミー賞授賞式の華ともいえる、
 主題歌賞のパフォーマンスがなかった。

 (事前に収録したパフォーマスは、
  直前番組で流し、
  授賞式本番では流さなかった)

E作品賞をはじめ、候補作に話題性が乏しく、
 華やかさに欠けた。


Bは、やはり司会者を立てた方が良いと思うし、
Cは企画力の不足だろう。
司会者は自分の存在意義を懸けて、
イベントを面白くしようとするものだ。

ただ、視聴者数が、
前回から58%減で1000万人を下回り、
958万人で、
過去最低を記録した、というのは、
イベント当日以前の問題で、
沢山の人が最初から観る気がなかったというのは、
Eが原因だろう。
それはコロナ禍で、
映画館での上映作が少なく、
話題作が公開延期となったことで、
配信作品が候補の半数を占め、
やや小粒な作品が顔をそろえたことが一因だ。
作品賞の顔ぶれを見ても、
認知症や黒人差別の告発、移民、
車上生活の高齢者、聴覚障害者など
暗い題材が多く、
エンタテインメントとしての楽しさが欠けていた。

(ちなみに,史上最高の視聴者5500万人を記録したのは、
 「タイタニック」が受賞した1998年。
 その後は減り続けている。)

3億3千万人の人口を抱えるアメリカで、
視聴者が1000万人しかいない、
というのは驚きだが、
授賞式そのものを観ないというのは、
やはりそれだけ魅力が失せていることの証拠だろう。

政治的になり過ぎたり、
人種や性別や差別に対する忖度が過ぎる、
という意見も多い。

それについて、ネットの書き込みを紹介する。

○要員はいくつもあると思う。
 まずコロナ禍で作品を見ていない人が多く、興味がわかない。
 にもかかわらず昨夜の演出は
 なぜか作品のハイライト映像が全然流れず、
 候補者の過去のちょっといい話みたいなのを
 紹介するやり方だった。
 その話がみんな似ているので飽き飽き。
 そして何より、ほんの数年前までは暗黙のルールだった
 政治的発言を控えるというものがなくなり、
 政治的発言、黒人差別問題への怒り、うんざりした。
 よそでやってくれよ。
 司会も含め黒人だらけで、
 黒人問題の話ばっかりなアカデミー賞。
 あれでは視聴率も、映画の興行への興味も伸びないと思う。
 政治的発言を影響力のある人たちがするのはいいが、多すぎた。

○結果から見れば
 視聴者は政治演説会を望んでないのは明白
 このビジネスモデルも限界にきているのではないか

○ノミネート作品も主演男優女優も全てにおいて目玉なし。
 超小粒な映画すぎて。
 今年は中止にしても良かったんじゃないかと思ってしまう
 ラインナップ。

○最近は賞をとった俳優が
 政治的発言するようになって、理屈っぼく、
 以前の様なエンターテイメント性を感じなくなってきたので、
 視聴率低下もうなずける。

○最近はワクワク感がなくなった気がします。
 多様化に配慮するのも大切だと思いますが、
 それを含めても、本当に面白い作品を
 遠慮なく選んでほしいですね。

○「パラサイト」が作品賞取ったから
 よっぽど素晴らしいのかと思って観に行ったのに、
 アカデミーとは程遠いような、なんの感動も無い三流映画で、
 アカデミー賞というものに幻滅した。
 多分、そういう人が多くてこの視聴者数になったんだと思うよ。

○アカデミー会員が純粋な映画の選び方ではなく、
 人種、テーマのバランスを気にして投票するから、
 こういうことになる。
 映画本来の「出来」だけを考えて投票してほしい。
 最近、妙に黒人系、ヒスパニック系、アジア系と
 有色人種に色目使ったノミネートになっている。
 アカデミー賞進歩的だろ! 的なアピールに使っていることで、
 自らの権威を貶めていることに会員は気づいてほしい。
 昨年、今年と、
 非常に夢のない受賞作に偏っているのは問題だと思う。

○今年に限っては面白い作品が極めて少なかった。
 プレゼンターもサプライズがなく、例年通り、
 さらに例年より規模が小規模で良い要素が少なかった。

○単純なことで、作品も俳優も華やかさが足りないからでしょう。
 映画の質や良し悪しは別として、見ていて面白くない。
 結果だけ知れば十分です。

○選出されたものが政治やモラルやハラスメントについてを
 帯びたものが来たり
 娯楽や心ときめく感動のような物も少なかったと感じる。

○昔はビリークリスタルのトークで、受賞者いじりなど
 司会が面白かったけど、
 昨年に引き続き今回も司会者なし、
 会場も分散されていてエンターテイメント性が無かった。
 年々面白くなくなってきたな。

○コロナ禍で娯楽大作が激減したのも大きいけど、
 遠慮なしに多様性やポリコレを推し進めて
 逆に嫌気が差した大衆が多いのでしょう。
 ミニシアターレベルの地味なものばかりだし。
 政治とか社会派とかはそっちのけで、
 昔みたいに単純に夢のある、面白いゴージャスな作品が
 実力でひたすら受賞されないことがさらに拍車をかけたね。

○作品自体を評価するべきなのに
 最近のアカデミー賞は多様性の名のもとに
 マイノリティ枠を優先させている印象。
 そのため本来評価されるべき作品が受賞できていないとしたら
 賞自らが権威を失墜させていることになる。

○コロナのせいで会場をいくつにもわけたり、
 オンラインで中継したりでは、盛り上がりに欠ける
 やはり正装した候補者やスター達が
 華やかに一堂に集まり緊張したり興奮したり、
 息を呑んで発表を待ったり、
 歓喜を爆発させたりしてこその醍醐味だと思う

○昔のアカデミー授賞式は、
 ワクワクしながら単純にエンターテイメントを楽しんで、
 綺麗に着飾った女優さんたちを見てた。
 政治的発言もマーロン・ブランドみたいに一人二人の時代は、
 そんなことも言いたいよねって思えたけど最近はウンザリする。
 ただ映画を楽しみたい。
 俳優は演説じゃなくて演技で勝負してくれ。

○アカデミー賞の投票権(?)を持っている人と、
 一般観衆の感性がかなりずれてきているように感じる。
 ここ3年の作品賞受賞作品「グリーンブック」
 「パラサイト」「ノマドランド」
 いずれも格差をテーマとしているけど、
 映画を見に行っている人すべてが
 そういう作品を見たいと思っているわけではない。

○俳優賞の候補者に黒人がいなかったら人種差別がどうの、
 監督賞候補が男性ばかりだったら女性蔑視がどうの、
 そこらじゅうに気を使いまくり・忖度しまくりの賞の魅力が
 下がるのはむしろ当然でしょう。
 ポリコレを意識しすぎて業界全体がおかしくなっている。

○今までもそういう傾向あったけど今回は特に
 作品の内容や出演者の内容より
 国籍や人種が基準になっちまったので、
 純粋に映画の賞として観てる人は興味失ったからだよ。
 ぶっちゃけ、ポリコレが強まると、そのジャンルは全て衰退する
 例外あるなら教えてほしい

○昔は作品賞受賞作は必ず見にいってたけど、
 最近面白いのがない。
 何でこの作品がみたいなのが多い。
 歴史に名を残すような名作がない。

○「パラサイト」のせいで多くの支持層が離れたと思います。
 アカデミー賞のラインナップは昔の方が華があったな。

○単純に「ラストエンペラー」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」
 「タイタニック」の様な、見応えのある大作が無い。
 また、「美女と野獣」「ベイブ」の様な
 万人受けするノミネートも無い。
 作品賞を何の為に10作品まで増やしたか、意味不明。
 会員の好みの小品ばかり。
 観客の好みと乖離しているのか、観客が幼稚なのか??

タグ: 映画

ドラマ『トッカイ〜不良債権特別回収部〜』  映画関係

[ドラマ紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

まず、このドラマの背景について、学習。

1970年代、住宅資金需要が旺盛になり、
大蔵省が主導の上、
銀行等の金融機関が共同出資して、
住宅金融を専門に取り扱う会社を設立した。
これが住宅金融専門会社(住専)。

1980年代に入って、
銀行が直接個人向け住宅ローン市場に力を入れはじめ、
住専の市場を侵食し始めた。
住専は融資先を求めて
事業所向けの不動産事業へのめりこんでいった。
それに乗じたのが母体行で、
銀行本体では融資したくない相手だが、
融資しなければ何かとまずい、
という顧客をつぎつぎと住専に紹介した。
暴力団がらみ、不良債権化している融資の肩代わり、
焦げ付いた融資を引き受けさせる、
といった
不良債権のゴミ箱としての役割を担わされ始めた。
まこに、バブルの時代である。

地価高騰を抑制するために、
1990年3月、総量規制がなされたが、
不動産向け融資は住宅金融専門会社を対象とせず、
また、農協系金融機関は対象外とされたため、
農協系から住宅金融専門会社、
そして不動産投資へと資金が流れることとなった。
住専には農林系金融機関を中心とした金融機関が貸し込んでいった。

やがてバブルが崩壊すると、
地価が下落して担保価値が下がり、
土地は売るに売れない状況となり、
融資先は元金返済どころか、
金利の支払いすら滞る事態となった。
融資は固定化、塩漬けとなり、不良債権化していった。

1995年8月には、
大蔵省の住専立ち入り調査が行われ、
農林系1社を除く全体で、
総資産の半分に達する6.4兆円の損失があることが判明した。
そしてその貸し倒れ、損失処理が遅れることにより、
金融システムの破綻を避けることが急務となった。

1995年12月、閣議決定がされ、
6.4兆円の損失の穴埋めについては、
母体行と一般行並びに農林系金融機関がそれぞれ債権放棄
(母体行3.5兆円、一般行1.7兆円)により分担し、
農林系金融機関の負担能力(5300億円)を超える
6850億円については公的資金投入を行うことになった。
つまり、税金で救うというのである。

農林系の協同住宅ローンを除く
住専7社は実質的に倒産・消滅させ、
預金保険法を改正し、預金保険機構の子会社として
住専処理機構を新設し、
住専7社の資産をこれに譲渡させ、
その債権回収に当らせることになった。

この過程で、国会の審議が紛糾し、
「住専国会」と呼ばれ、
野党新進党の議員が成立を阻止するため
委員会室の前でピケを張るほどであったが、
最終的に法案は可決成立。

およそ四半世紀前の出来事だが、
既に記憶の彼方にある。
要するに、バブル期、
無理で無謀で不正な貸し付けをしたツケで生じた不良債権を
国民の税金で補填した、というお粗末。
                                        
ただ、手をこまねいていたわけではなく、
不良債権の回収のために、
国策会社として、住専処理機構
(のち住宅金融債権管理機構と改称、
のちに合併して、整理回収機構)を作り、                              関係金融機関から出向させて、その回収に当たらせた。
社長には、高名な弁護士の中坊公平が就任した。

クリックすると元のサイズで表示します

ドラマは、住管機構の中の、
悪質債務者への取り立てを任務とする
不良債権特別回収部(通称・トッカイ) の
奮闘を描いている。
メンバーは、あおば銀行・融資部の柴崎朗(伊藤英明)、
銀行から出向した塚野智彦(萩原聖人) のほか、
経営破綻した元住専社員の葉山将人(中山優馬) 、
多村玲(広末涼子) 、岩永寿志(矢島健一) らが集められていた。

クリックすると元のサイズで表示します

「不良債権を1円残らず回収する」
社長の東坊平蔵(橋爪功) が掲げた至上命題とともに
彼らに背負わされた回収目標額は、
年間6309億円。

クリックすると元のサイズで表示します

気の遠くなるような金額に負けず、
バブル時代に銀行や住専がした失態を取り戻すために、
努力する。
社長をつとめて中坊公平は「東坊平蔵」と変えられている。

中でもビルに居すわった暴力団を退去させるための努力、
ナニワの不動産王と呼ばれる男の隠し資産の摘発、
悪質債務者の一人が海外に隠匿した資産の摘発に力を注ぐ。
6850億円の税金投入を申し訳なく思い、
不良債務者から1円でも多く回収したいという思いでなした方策で、
東坊社長が詐欺の責任を問われ、辞任し、
弁護士廃業にまで及ぶ件も
描かれる。

随所にメンバーの熱い想いが胸を打つ。
暴力団退去の作戦で、
大阪府警の刑事が柴崎の意気に感じて協力する場面など、爽快。

WOWOWの開局30周年記念番組で、
今年1月17日に放送スタート。
4月4日に放送を終えた。

原作はノンフィクション作家・清武英利による、
「トッカイ バブルの怪人を追いつめた男たち」。

クリックすると元のサイズで表示します

監督は「Fukushima50 」の若松節朗、村谷嘉則、佐藤さやから。
脚本は同じ原作者によるドラマ、「しんがり」「石つぶて」の戸田山雅司が手掛ける。

班長の柴崎役の伊藤英明が
キャラクターを生かした適役で、
熱い思いを伝える。

クリックすると元のサイズで表示します

“ナニワの不動産王”と呼ばれる金丸岳雄を演ずる
イッセー尾形ははまり役で、
金に執着する下劣な男を見事に演ずる。

クリックすると元のサイズで表示します

東坊を演ずる橋爪功も味のある演技。
特に部下の犯した失敗で責任を問われる場面でのふるまいは、
人物の大きさを感じさせて好演。

クリックすると元のサイズで表示します

今、民放の作る若者向けドラマは、
志としては、絶望的だが、
唯一WOWOWだけが作る、硬派のドラマ。
見応えあり。

クリックすると元のサイズで表示します

タグ: 映画




AutoPage最新お知らせ