池袋へ  

一昨日は、
久しぶりに池袋へ。

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西口に向かいます。

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西武デパートは東口、東武デパートは西口にあります。

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昔、池袋と目白の中間あたりに住んでいたことがあるので、
この辺は頻繁に歩いていましたが、
最近では、5年ぶりくらい。
「トースト食べ放題」という喫茶店があり、
よく仲間と出かけました。
皿が空になると、
追加のトーストを持って来てくれますが、
断ると、皿を引き揚げて、それで終わり。
仲間の一人がトイレに行った時、
「あそこの学生たち、よく食べるわね」
とウエイトレスが言っているのを聞いて、
退散した経験があります。

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目的地は、この映画館。
なにしろ、東京では、
この1館でしかやっていない映画でしたので。

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2階と地下の2スクリーン。

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いかにもミニシアターらしく、
かなりマイナーなラインナップ。

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映画館の背後は歓楽街で、
西一番街や

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ロマンス通りの名がついています。

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中は、飲食と風俗のごった煮。

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スピーカーから、繰り返し流れる音声は、
まず、男性の声で、
「こちらは、池袋警察です。
客引き行為は条例で禁止されています。
そこの、あなた。
客引き行為はすぐやめなさい」

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続いて女性の声で、
「客引きの言葉は、全部、嘘です。
払ったお金は戻りません」
と。
客引きにお金を支払うことなど、あるのでしょうか。

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このアナウンスの中で客引きをするのは、
相当な精神力が試されます。

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こういう所には立ち入ったことがないのですが、
中はどうなっているのでしょうか。

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今日のお昼は、ここで。
コロナ禍の飲食店に、
「食べて、協力」

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ビルの3階にあります。

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「えっ、ここでいいの?」という店構え。

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中は、ちゃんとコロナ対策がされています。

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席もかなり多い。

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ランチは、この3種。

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これが、名物親子丼
ネットでみつけた品です。

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その後は、東口に向かうために、
このスロープを降りて、

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線路下のトンネルを。

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こういう名前がついていますが、

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正式名称は、これらしい。

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えっ、こんなところも雑司ヶ谷?

東口側の出口。

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昔、よく行った、文芸座(1956年開館)の様子を見てみようと思いましたが、
こんなパチンコ屋のビルになっていました。

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映画館は、「新」がついて、
3階にテナントで入っています。

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京マチ子特集をやっていました。

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独特なラインナップは、
生きていました。

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入場料は、2本立てで、
大人1450円、学生1350円、友の会1150円、
シニア1200円、ラスト1本1000円。
古い映画は35oのフィルム上映で、
中にはブルーレイで上映するのもあります。

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今のようなビルになったのは、
もう20年前のことのようで、
つまり、20年もこの映画館には行っていないことになります。

なお、姉妹館に、東口に「人生座」というのがあり、
文芸座より早い1948年に開館。(1968年閉館)
ここで「回転木馬」と「パジャマゲーム」の2本立てを観ました。
ミュージカルを観始めた頃のことです。

その後は、宮城県のアンテナショップへ。

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こちらが西口の正面です。

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今では、池袋は、
めったに訪れない、
遠い地になってしまいました。


映画『わたしの叔父さん』  

[映画紹介]

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デンマークのユトランド半島の酪農家
27歳のクリスは、幼少時に家族を亡くしてから、
酪農を営む叔父と二人で暮らしていた。
冒頭、その二人の一日を描写する。
目ざましと共に起きて、
足の不自由な叔父の着替えを手伝い、
テレビのニュースを見ながら朝ごはんを食べ、
牛に餌を与え、乳をしぼる。
晩ごはんの後はコーヒーを淹れてくつろぎ、
週に一度スーパーマーケットに買い物に出かける。
ほとんど会話はないが、
仲が悪いわけではない。
まるで当たり前の存在として、お互いを認識しているだけだ。

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しかし、クリスは27歳。
いろいろな変化を迎える年齢だ。
一つは、かつて抱いていた獣医になる夢が再び膨らみ始めたこと。
近所の獣医はその道を勧め、
叔父も誕生日プレゼントに、聴診器を贈る。
一つは、教会で知り合った青年からのデートの誘い。
初めて訪れた恋のときめき。
しかし、デートの時でさえ、叔父を放っておけず、
叔父同伴の有り様。
コペンハーゲンに大学の受講を受けに行く時は、
叔父のことが心配でならない。
獣医の道を進むことは、
叔父を捨てることに他ならない。
そして・・・

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デンマークはユトランド半島と443の島から成り立つ。
うち76が有人島で、残りは無人島。
中でも重要なのは古都オーデンセのあるフュン島と
コペンハーゲンを擁するシェラン島。
つまり、国の東側が都会だが、
ユトランド半島は、都会ではなく田舎で、
最高地点でも173メートル(自然のままの最高点は171メートル)しかない、
平坦な地形で、山はなく、農業と酪農で成り立っている。
日本への輸出の約半分を豚肉が占める。

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高福祉高負担国家であり、
OECD各国中で最も個人所得税の高い国。
市民の生活満足度は世界最高クラスで、
2014年の国連世界幸福度報告では幸福度第1位であった。
2016の一人当たり国民総所得は世界第5位。
EUには、2回の国民投票でいずれも否決され、
自国通貨クローネ使用を続けている。

という統計を聞くと、
えっと思うほど、クリスたちの生活は質素、どころか貧しい。
生き物を相手にする酪農だから、
大変なのは当然だが、
それを解消するために人を雇うことも出来ない。
本当に末端の零細酪農家だ。

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このままここに留まらせることは、
若いクリスのためにならないことは、
叔父は分かっている。
クリスも同じ。
しかし、生活の余裕の無さがそれを許さない。
クリスの将来を思いながらも、
叔父はクリスに頼らなければならない。

世界中、どこにでもある、
稼業を次ぐ後継者の葛藤
それが姪と叔父の関係というのが、
この映画の特色だ。

広い世界との接触は、
朝晩の食事中に観るテレビのニュースのみ。
世の中の動きとはかけ離れた生活。
サミット反対のデモも、北朝鮮のミサイルも、
欧州に押し寄せる難民の話も、
二人には関係のないニュース。
そのテレビさえ壊れてしまう。
パソコンもなく、ようやく最近スマホを手に入れた。

食事も毎日同じようなもの。
朝はモルゴンブローとよばれる小麦のパンを焼いて、ヌテラを塗る。
ヌテラはパンにつけるチョコ風味のスプレッド。
その間、叔父はテレビを観、姪は数独を解く。
昼はライ麦の黒パンにレバーペーストやオープンサンド。
夕食に並ぶのはソーセージ、ハム、キャベツの煮込み、ミートボール。
添えてあるのはたっぷりのじゃがいも。
どれもデンマーク伝統の味だが、
多様な食事に慣れた日本人の舌から見ると、飽きないのかと心配する。
叔父の入院中は、病院食が口に合わず、
家からトースターと食材を持ち込んで、いつもの朝食を用意する。

そんな生活から若い姪を抜け出してやるのが叔父としての思いやりで、
叔父が酪農を諦めて姪を解放してやる、
というのが、映画的な展開。
ハリウッドなら間違いなく、そうなるのだが、
この映画では、そうならない。
始めの生活が終わりまで続く。
やりきれないような、貧困と過酷な労働。
未来への希望は、姪自ら断ち切ってしまう。
観客は、その生活のありのままを見つめ、受け入れるしかない。
叔父の身勝手さや姪の閉塞を言っても何にもならない。
それぞれの土地には、それぞれの生活があるのだと認めざるを得ない。
広い世界のある場所でのある一コマ。

ほとんど音楽のない映画だが、
一カ所だけ、美しい音楽と共に、
きれいな夕日の描写がある。

脚本・監督ははフラレ・ピーダセン。撮影も務める。
今40歳だが、小津安二郎を映画の師と仰ぐという。なるほど。
長編2作目。
主人公二人を演じるイェデ・スナゴーペーダ・ハンセン・テューセンは、
実の叔父と姪の関係。

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イェデは女優になる前は獣医だった、という経歴の持ち主。
ペーダは、25歳からの実際の酪農家で、自分の農場を撮影に提供。
演技未経験。
5、6年前に脳梗塞を患い、実際に不自由な体で、
演技にそれが生かされている。

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二人の素朴な演技、
監督の演出力、
デンマークに土着した風景と自然で、
心に残る映画となった。

昨年の東京国際映画祭でグランプリを受賞

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5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/eseRTAJmGf0

エビス・ガーデン・シネマで上映中。
同館は、2月一杯で閉館し、
再開のめどは不明。


慰安婦裁判・続き  

先日の慰安婦裁判に触れた1月10日のブログで、
今度の裁判の原告(12名)の中に
日韓慰安婦合意の時の金を受け取った人がいるのかいないのか

明らかにしてもらいたい。

と書いた。

2015年12月の「日韓慰安婦合意」に基づき、
日本政府が10億円を拠出して和解・癒やし財団を創設、
財団から元慰安婦の7割(47人中35人)が既に受け取っている。
残り12人が、この裁判の原告ならば、分かる。
しかし、もう一つの同様の賠償を求めた裁判
(1月13日に判決が出る予定が延期に)
の原告は20名だという。
計算が合わない。
20+12人=32人。
両方の裁判に原告に名を連ねた人がいるのか。
それでなくとも、もう一つの裁判の原告20名は、
既に12名を越えている。

その疑問に対する回答が次第に明らかになってきた。

以下、私が直接調べたわけではなく、(そもそも調べる手段がない)
「反日種族主義」の共同著者、李宇衍(イ・ウヨン)氏
(落星台経済研究所研究委員)の解説の
孫引きであることを最初に断っておく。

李氏によれば、
1月8日判決の裁判の原告12人のうち、
6人が和解・癒やし財団から1億ウォンの支援金を受け取っている
という。
受け取ったということは、「日韓合意」、
つまり、“最終的かつ不可逆的な解決”を受け入れたのだ。
それなのに、同じ人物が
更に裁判に訴えて、
日本に賠償金を求めたとは、どういうことだ。

ここに、この裁判を含め、
慰安婦問題の本質が明らかになった。

これらの元慰安婦たちの目的は、カネ。
日本政府に食らいついて、
とにかく絞れるだけカネを取るのが目的なのだ。

慰安婦とは、貧困が原因で身を売った女性たちだ。
そういう意味では、同情の余地はある。
しかし、今度明らかになった事実により、
その同情は不必要だと分かった。
元慰安婦たちは、
慰安婦だったことを盾に、
金をむしりとる我利我利亡者の集まりなのだ。

慰安婦が受け取った金の歴史を李氏の解説から抜粋してみる。

○1992年、挺身隊対策協議会(挺対協、現在の正義記憶連帯<正義連>)が、
 国民の募金によって1 人当たり250万ウォン(現在のレートで約23万円)を支給。 
(以下、ウォンを10分の1にすれば、およその円の額となる)
○その翌年、韓国政府が、生活安定支援金という名目で
 一時金500万ウォン、毎月15万ウォンを支給。
 一時金はその後、大きく増加して4300万ウォンに膨れあがり、
 毎月の支援金も147万4千ウォンに達している。
 更に、必要に応じて年間で最高1800万ウォンの看病費と
 984万ウォンの治療費が支給された。
○地方自治体は2020年まで、毎月20万ウォンから85万ウォンの支援金を
 別途に支給。
○1997年から1998年には、
 日本で設立された「女性のためのアジア平和国民基金」から
 1人200万円(約1500万ウォン、当時のレート)の
 「償い金」が支払われた。
 日本の首相からおわびの手紙も付けた。
○しかし、このお金に関して、
 挺対協は「日本政府の資金ではないから正式な賠償ではないし、公式の謝罪もない」
 と主張し、償い金と謝罪の手紙を受け取った人を批判して、
 他の元慰安婦は受け取らないように仕向けた。
 (この基金は、名称が「国民基金」であり、
  実際に募金も行われたことは事実だが、
  実は日本政府の出資金。
  募金は6億円だけで、日本政府からの拠出金と補助金が48億円。)
○国民基金からは元慰安婦61名が1 人当たり一律2000万ウォンを受け取っている。
○金大中政府は元慰安婦だと申告した186人に、
 国民基金の償い金をはるかに上回る3800万ウォンを支給すると決め、
 国民基金の償い金を受け取った者には支給しないと発表。

このように、「元慰安婦」というだけで、
何度も大金を受け取れる仕組み
が出来てしまったのだ。
慰安婦になった経緯は問題とされない。
自分自身で慰安婦になった者や父母に売られた者も、
日本軍の被害者という韓国の世論で、そうなってしまったのだ。

更に事態は進む。

○2015年に慰安婦問題韓日合意に基づいて設立された
 「和解・癒やし財団」の支援金として、
 元慰安婦に1人当たり1億ウォンが支給された。
○挺対協は、この時も公式的な賠償ではないとして、朴槿恵政府を糾弾。
 元慰安婦には「そのお金をもらったら売春婦になる」と言い放ち、
 支援金を受け取らないように「説得」したという。
 関係者たちが入院中の元慰安婦のもとに集団で押しかけたとも聞いている。
○当時、生きていた対象者は47。
 少なくとも34人、最大37人が受け取った。
○支援金を受け取らなかった人には、
 挺対協が国民から集めた金で1億ウォンを支給した。
 つまり、全ての慰安婦が、和解・癒やし財団又は韓国国民から
 1億ウォンという大金を受け取ったのだ。
○そして、今度の慰安婦裁判。
○判決は日本政府に原告に賠償を命じた。
 仮に実行されれば、再び1億円を受け取れる。
 うち6人は二重取りだ。
○これらの裁判の結果、
 元慰安婦と亡くなった慰安婦の遺族が全員訴訟するかもしれない。
 多数が訴訟に乗り出し、高額の賠償金を要求するに違いない。

徴用工問題(戦時動員労働者が正しい)も似ている

○1965年の国交正常化に伴い、
 韓国政府は日本から無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を得た。
 その中には、徴用工への未払い賃金も含まれていた。
 日本政府が個人補償をすると言ったのに対し、
 補償は韓国政府でするからと約束したことが記録に残っている。
○この時、韓国政府は、
 「対日民間請求権補償に関する法律」を制定し、
 戦時動員労働者の死亡者に対して1 人30万ウォンを補償した。
○盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は2007年、
 「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律」を制定し、
 計7万2631人に慰労金と医療支援金を支給。
 死者には2000万ウォン、負傷者には負傷の程度によって慰労金が支給され、
 負傷もなく生還した人には、年間で所定の医療支援金が提供された。
○「元徴用工裁判」の原告4人のうち2人について、補償金の受領状況は不明だが、
 残りの2 人については受領が確認されている。
○今度の裁判で、万が一にでも日本製鉄から賠償金をもらうことになれば、
 複数回もらうことになる。
○2020年時点で、戦時労働者だった韓国人のうち、
 日本企業を相手取って訴訟を起こした人は
 1000人をはるかに超えるという。
 それはそうだ。
 「元徴用工だ」と申し出れば、事実に関係なく、大金を受け取れるのだから。
○その訴訟は方向が間違っている。
 日本企業が相手ではなく、韓国政府に求めるべきものだ。
 (そういう韓国政府を相手取って裁判を起こした人もいる。)

4人の「元徴用工」は、日本に渡った時期から見て、
「徴用工」ではなく「募集工」であることは明白なのに、
その事実は問題にされない。
慰安婦と同じく、
本人がそう言えば、そうなってしまうのである。

75年以上前のことで事実関係も判然としない。
本来は「時効」が成立している案件だ。
時効の存在理由の一つに、
「長期間が経過した後にはそれを立証するのが困難になることがあるから、
過去に遡っての議論に一定の限界を設けるというもの」
とういのがある。

慰安婦問題も徴用工問題も、
75年以上前のことで、
当時のことを証明するのは不可能だ。
だから、徴用工訴訟の4人については、
実は募集工だったのに、それが問題にされない。
本人が「私は徴用工だった」と言えば、
それが通ってしまう。
慰安婦も同じ。
当時の事情など、誰も証明できない。
だから、本人の意思や父母に売られた者も、
本人が「私は元慰安婦です」と言えば、通ってしまう。

それに対して、
「人道的問題は時効にかからない」という。
そんなこと、
誰が決めたんだ。

そもそも、日韓国交正常化に向けた約15年の交渉の過程で、
韓国政府は一度も慰安婦問題を提起しておらず、
世論も同じだった。
韓日協定に激しく反対した学生と野党も
その問題を全く提起しなかった。
慰安婦が、軍隊の近辺に作られた
売春施設であることが分かっていたからである。

しかし、朝日新聞の報道などがあり、
いろいろな経緯があって、
慰安婦たちには、人道的支援をすることになった。

問題の紛糾を打開するために、
両政府は協議を重ね、
2015年に日韓合意に辿り着き、
日本政府は10億円を拠出し、
慰安婦問題は“最終的かつ不可逆的な解決”とされた。
これで慰安婦問題は決着、
するはずだったが、
文在寅政権は慰安婦合意を反故にし、
日本政府の合意を得ずに一方的に財団を解散させた。
10億円のうち半分の5億円が残ったままだ。

この5億円について、
元慰安婦たちは、
残金は「私たちが管理すべきだ」と主張したとも伝えられている。
このお金の管理権を巡って、
近く別の元慰安婦らによって
韓国政府の責任を追及する訴訟が起こされるともいう。

結局、お金、お金、お金だ。
本人は「お金はいらない。ほしいのは謝罪だ」と言っているが、
絵空事に聞こえる。
今までに一銭も受け取らなかったなら別だが、
さんざん大金を受け取っておいて、
それを今更言っても誰も信用しない。

今回の慰安婦裁判の原告のうち、
半数が日韓慰安婦合意に基づくお金を受け取っていたという事実

ここに、今の事態の本質が現れている。
なぜ日本の新聞はそれを書かないのか。

「女性のためのアジア平和国民基金」で、
基金側は、
日本人女性が申請してきた場合、
支給対象にするのかどうか、
誰がどう認定するのか
を含めて議論した。
適切な案はみつからなかったが、その心配は杞憂に終った。
日本人で名乗り出た元慰安婦はいなかったのだ。
続々と申し出る朝鮮半島の元慰安婦に対し、
日本人慰安婦で申し出た者は、
今まで一人もいない。
申し出れば、「償い金」をもらえる可能性もあるのに、
申し出た人は、ただ一人もいない。
慰安婦だった日本女性は、
金よりも「恥」を重んじたのである。

元慰安婦の大部分は、
父母に売られて慰安婦になった人たちだ。
それは貧困が原因であって、
歴史的な産物だ。
本人の意思に関係なく、
世間が、世の中がそうさせた。
その矛先を日本軍と日本政府に向けるのは間違っている。

私は元慰安婦の人の中から
「私は嘘を言っていました。
私が慰安婦になったのは、父母に売られたからです。
当時売春は合法でした。
沢山の収入を得ました。
だから、日本軍に責任はありません。
このままでは、嘘をついたまま死ぬことになるので、
本当のことう告白します」
と告白する人が出てこないかと夢想する。

そうでないと、
元慰安婦たちは、
75年以上前のことを未だに引きずり、
それだけではなく、恨みと欲にまみれた
怨嗟の末期を迎えることになる。
それこそ、悲惨な人生ではないか。


映画「靴ひも」  

[映画紹介]

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イスラエル映画
ヘブライ語でセリフが語られる。

ルーベンは従業員が自分を含めて二人という
小さな自動車整備工場を営んでいるが、
彼に一本の電話が入る。
30数年前に別れた元妻が事故で亡くなったというのだ。
葬儀にかけつけたルーベンは、
一人残された息子のガディと再会する。
38歳のガディは発達障害で、
普通の就職は出来ない、自称音楽家。
施設が空くまでの間、
ルーベンが引き取ることになる。
この障害者独特のこだわりの数々に戸惑うルーベンだが、
次第に二人の間に絆が生まれ始める。

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ルーベンには、罪意識がある。
生まれたガディが障害児だと分かった途端に、
酒に溺れ、家に帰ることが遅くなり、
ついには、妻と息子を棄てたのだ。
もはや中年になった息子の行く末を案ずることは、
自分の罪滅ぼしになると考えているようなところがあり、
少しでも良い施設に入れるように探しまくる。

そんなルーベンに末期の腎不全が発見された。
透析をしていては仕事に差し支えるし、
根治するには腎臓移植しかない。
提供を申し出る人の血液型は合わず、
利己主義者の弟からは、中国人の臓器を買えと言われる、
最終的にガディが提供を申し出るが、
「36年も無視してきた息子から
臓器なんかもらえない」
とルーベンは拒む。
その上、「被後見人は臓器提供ができない」という
法律の壁が立ちふさがる・・・

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35年も離ればなれに暮らした息子が
突然生活の中に侵入して来る。
その戸惑いは想像を越えるものだろう。
その上、かつて棄てたという罪意識に責めさいなまれる。
その父親像をドヴ・グリックマンが魅力的に演ずる。
本当にうまい。

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ガディを演ずるのは、ネヴォ・キムヒで、
生まれつきの障害を辛く思うのでもなく、
悲しむのでもなく、
受け入れて奔放に生きる姿を見事に演ずる。
彼にとっては、自分は
「特別な支援を必要としている人」というだけなのだ。
同じ冗談を口にし、
女性を見ると「恋人いる?」
と口説く明るさだ。

この二人に、ケースワーカーの女性や
近所の食堂のおかみなどが彩りを添える。

題名の「靴ひも」は、
ルーベンが審査官の前で、
靴ひもを結べるかどうかを試される行為を言う。
3回出て来て、3回とも違う結果を生む。

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障害者と離婚と臓器提供と、
かなり深刻な話だが、
終始、明るく、ユーモラスに描かれる。
このあたりが、まさに手練で、
監督はヤコブ・ゴールドヴァッサー。
自分自身も障害のある息子の父だ。
イスラエルで報道された
実在の父子の臓器移植にまつわるエピソードを基に描いた。

2018年イスラエル・アカデミー賞を席巻し、
ドヴ・グリックマンは助演男優賞を獲得した。

悲しい話なのだが、
「読後感」はすこぶる良く、
心が暖められる。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/jTJnngIBEn8

渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。


『死ぬときに人はどうなる 10の質問』  

[書籍紹介]

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10の質問とは、次のようなもの。

1 死を語るあなたは何者ですか?
2 死ぬときに人はどうなりますか?
3 人はどんな風に思って死んでいくのでしょうか?
4 人は死期を悟るのでしょうか?
5 健康に気をつかっていれば死ににくいですか?
6 なぜ死を見つめることが必要なのですか?
7 死後の世界について言い切らないのはなぜですか?
8 孤独死は不幸でしょうか?
9 死とは不幸ですか?
10 死をも左右する力を手に入れた人間は、本当に偉いのでしょうか?

著者の大津秀一氏は、
ホスピスで主に高度進行期・終末期がん患者の心身の苦痛を和らげる
「緩和医療」を行っている現役医師。
これまで2千人以上の患者を看取ってきた経験から
書いたのがこの本。
「死ぬときに後悔すること25」の続編に当たる。

人は誰もが死ぬ。
どんな業績のある方も、
素晴らしい会社を経営し、
大きな社会的影響を果たした人も、
最後は衰え、死を迎える。
死を免れた人は、歴史上、誰もいない。

事故死など不慮の死に方をした以外は、
病気で、医者の手にかかる。
その死に方を大別して3種に分類する。

1つ目は、最後の2か月くらいで急速に機能が低下するタイプ。
代表例はがん。
2つ目は、悪くなったり、戻ったりをくり返しながら
徐々に機能が低下し、
最後は比較的急な経過をたどるタイプ。
代表例は心疾患や肺疾患の末期。
3つ目は、機能が低下した状態が長く続き、
ゆっくりと衰えていくタイプ。
代表例は認知症や老衰。

特に、がんで死ぬ場合は、
急激に悪くなるので、
その衝撃は大きい。

残りの余命が数週間になった時、
人はどうなるか。
全身倦怠感。つまりだるさ。
やがて歩けなくなる。
これが患者にとっては一番辛い。

だからこそ、人は動けるうちに、
いろいろなことをしておかなければいけないと思う。
                                                     
と筆者は書く。

その段階でも、

頑張れ、歩けるようにならなくちゃと叱咤激励する
家族・医療者も少なくなく、
「希望」ということについて考えさせられる。
実現不可能なことを可能だと表現し、
あるいはそれに向かうように励ますより、
上手に現状を受け止められるように動くのも
大切なしごとなのだと思えてならない。
本当に難しいことである。


やがて、余命が週から日の単位に進むと、
寝ている時間が増えて来る。
体力が低下するので、そうなる。

むしろはっきり起きていると、
身の置きどころのなさを感じる場合もあるので、
眠っているのは
患者さんにとってそれほど苦痛ではないようだ。


余命が数日になると、
会話や応答の障害があらわれてくる。
寝たきりとなり、
ほとんど排尿、排便も困難となり、
おむつ等のお世話にならなければならなくなる。
見舞いに来た家族も、患者が寝っぱなしなので、
張り合いがなくなるが、
それでも家族はいた方がいいのだという。

たとえ患者の反応が一見なくとも、
家族が傍らにいることはとても大切だ。
反応がなくても、
患者は家族の存在を感じ取っているのではないか、
そう思える事例はたくさんある。
辛くても、なるべく患者のそばに足を運び、
そっと語りかけ、あるいは触れてあげてほしいのだ。


死の直前は、意外や苦痛は少ないという。

死の直前は、一般的に苦しくないと言っていいようだ。
自然に苦痛を自覚する感覚は失われ、
眠っているような状態となることで、
苦痛を回避しているものと思われる。
永久に眠る「永眠」の前段階の眠り、というところだろう。


死ぬ時は、苦しくない
というのは、大変救われた思いがする。
私見だが、私は死ぬ時は、
苦痛を和らげるような物質が脳から出て、
夢を見るような状態になるのだろうと思っている。
何億年もかけて進化した生物だ、
それくらいの装置は作り上げているだろう。

医者が死を宣告するタイミングが難しい、
と筆者は書かれている。

ご家族が患者の死をまだ受け入れられない間は、
「頑張れ」「死ぬな」「行かないで」「しっかり息をしろ」
などと呼びかける。
しかし、部屋の空気が変わる瞬間がある。
「よく頑張った」「もう頑張らなくていいよ」
「今までありがとう」「あとは僕たちがしっかりやるから大丈夫」
と声かけの内容が変化するのだという。

こどもたちを残してしななければならない時、
「私が病気になって死ぬのは、
決してあなたたちのせいじゃないのよ」
と告げることが必要だという。
残された者は、
たとえば母親の死に、
「自分のせいで死んだ」と思いがちだからという。

死がタブー視されるようになったのは、
まだ日が浅く、
昔は死は身近なものとして容認されていた、
という説には目を見張らされた。
西洋の医者は、次のように書く。

「死をなじみ深く、身近で、和やかで、
大して重要でないものとする昔の態度は、
死がひどく恐ろしいもので、
その名をあえて口にすることもさしひかえるよになっている
われわれの態度とは、
あまりに反対です」
「親戚、友人、隣人たちが立ち会うことが必要とされていました。
子供たちが連れてこられました。
死に関する物事から子供たちを遠ざけようとする
今日みられる配慮とは何と異なることでしょうか!」


死がタブー視されるようになったのは、
20世紀初頭からだという。

山岡鉄舟の話が興味深い。
昔から胃痛が持病であった山岡は、
一時危篤になった。
その2年後の1988年(鉄舟53歳)の時、
病状が悪化し、胃癌、肝硬変と診断され、死期を感じ取った。
それに際し、鉄舟は死装束に着替え、見舞い客と応対した。
その一人、勝海舟との会話。

「いよいよご臨終と聞き及んだが、ご感懐はいかがかな」
「現世での用事が済んだので、
お先に参ることにいたす」
「さようか、ならば心静かに参られよ」


次のような記述も含蓄深い。

長く生きることは貴重であるが、
私はどのように生きるのか、
そのことのほうがずっと重要だと思えてならない。
いつの間にか、
生の目的が「ただ生きること」になっていないだろうか。
私は生とは目的ではなく、手段だと思えてならない。
我々は生があるからこそ、
経験することが出来る。
そして夢や希望や、生涯を通じて
追求するものに辿り着けることが出来る。


「夜と霧」を書いたフランクルは語っている。

「どれだけ長生きするかということは、
本質的にはまったくどうでもいいことだということが
はっきりするでしょう。
長生きしたからといって、
人生はそれだけでは
かならずしも意味のあるものにはならないのです。
また、短い生涯に終っても、
ずっと意味のある人生だったかもしれません」


このことについて、著者は次のように例える。

例えば東京から博多まで新幹線に乗っていっても、
ずっと眠っていれば
何も感動がない旅かもしれない。
けれど、名古屋まで乗ったとして、
途中右手に美しい富士山の姿を見たとする。
それはとても美しい経験と言えるのではないだろうか。


来世の存在について触れたところで、
世界で最も早く「あの世」を発明したのがエジプト人だった
というのには瞠目した。
なるほど、言われてみれば、そのとおり。
実は、イエス・キリストも仏陀も
来世については語っていなのだ。

それでも、世界の宗教は来世を強調する。
生前、良い行いをすれば極楽に行け、
悪行をすれば地獄に行く、
という話が、
どれほど人を善に導いたか。
十字架に磔になったキリシタンたちは、
来世のパライソ(天国)を思って極刑に耐えたのである。
私は殉教者が苦しみに耐えたのは、
あの時、快楽物質が脳から排出されたのだと思っている。
人間の脳は、そういう風に作られているのだ。

最後に前出のフランクルの次の言葉でしめくくろう。

「結局のところ、人生の意味など問うべきではなく、
自分自身がそれを問われているのだということに
気づくべきだ。
つまり一人ひとりが、
人生からその意味を問われているのであり、
自分自身の人生のすべてを引き受ける、
つまり責任ある生き方をすることによってのみ、
それに答えることができるのだ」


それもおおげさなものではない。
何も大きな業績を上げる必要はない。
ほとんどの人は無名のままで結構だ。
普通に育ち、青春を謳歌し、
結婚し、家庭を持ち、
社会で仕事をし、家族を養い、
次の世代に引き渡していく。
それで十分だ。
これほど人生をまっとうするものはない。





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