映画『ボヘミアン・ラプソディ』  映画関係

[映画紹介]

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イギリスの4人組ロックバンド、クイーン (Queen)の
始まりからほぼ終焉までを綴る伝記映画。

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中でもボーカルのフレディ・マーキュリーの半生に焦点を当てる。

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実は、私はクイーンとは接点がない。
1973年のデビューの時、私は26歳で、
「ボヘミアン・ラプソディ」発表時の1975年には28歳。
まさに適齢期で、
年齢的に拒絶したわけではなく、
その頃、私の人生の中で
修道院のような世間と隔絶した生活をしていた時期で、
その関係で接触がなかったものと思われる。
知っている曲といえば、
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「伝説のチャンピオン」の2曲だけ。
他にミュージカルの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を観ている。

で、この映画も縁のないものと観ないつもりだったが、
あまりの評判の良さに観ることになった。

クイーンについては知識はほぼ皆無。
4人組だということさえ知らなかった。

で、始めの30分間くらいは着いていけなかった。
音楽が好みのものでなく、
文化的に受け入れられなかったのだ。
しかし、3分の1くらい過ぎた頃から
心を掴まれた
フレディの歌う楽曲が「魂の叫び」と感じられて来たからだ。
まさしく音楽の持つ力が、
私の中の何かを呼び覚ました。

曲が生まれる瞬間に立ち会い、
様々なテクニックで音楽が厚みを帯びる過程を見、
観客の前で歌われる時の相乗効果。
まさにライブの音楽が持つダイナミズムの心地よさ。

音楽事務所との軋轢、
特に、長すぎる「ボヘミアン・ラプソディ」を巡る争い。
それもラジオ番組で直接かけることによって克服する。
恋人メアリー・オースティンとの愛が友情に変わっていく過程、
ジム・ハットンとの出会いと交じわり。
(映画では描いていないが、
 彼はフレディからうつされたと思われる自身のHIV感染を、
 本人に知られぬよう最後まで口外しなかった。
 ハットンは2010年に死去。)
音楽以外のスキャンダルばかり質問するマスコミへの苛立ち、
人気の爆発の中でのフレディの孤独

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そして、ソロ活動を巡るメンバーとの破局と、
挫折の後のメンバー(ファミリー)との和解
HIV感染の告白。
ライブ・エイドへの出演。

必ずしも史実そのままではないようだが、
突出した才能の持ち主とメンバーとの相剋という、
普遍的なテーマがうまく描かれている。

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その頂点としてのライブ・エイドでのライブのシーンの素晴らしさ。
胸がつまった。
スタジアムの俯瞰撮影からカメラが下降し、
観客の上を飛翔してステージに至る表現の華麗さ。
「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」の歌声を口にする観客の手の動き。
「ママ、人を殺しちまったよ」と歌い上げるフレディの絶唱。
エルトン・ジョンが悔やしがったという
観客の心を掴んだ21分間の圧倒的なパフォーマンス。
音楽というものが
ドラマを盛り上げ、精神を昇華させる。
観終えて虚脱状態になるような
素晴らしい音楽映画が誕生した。

フレディを演ずるラミ・マレックが本人出演と思うほど
そっくりな入魂の演技。

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監督はブライアン・シンガー
映画には元メンバーが音楽プロデューサーとして参加し、
フレディ自身の歌声の音源を使用して28曲が歌われる。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/ujDil739dEc

拡大上映中。


なお、「ボヘミアン・ラプソディ」は1975年10月31に発表した
フレディ・マーキュリー作の楽曲。

ボヘミアンは、元々ボヘミア地方(現チェコ)に住む人々のことだが、
ボヘミアニズムに転じて、自由奔放な生活を追究することを指す。
伝統的な暮らしや習慣にこだわらない
自由奔放な生活をしている芸術家気質の若者をボヘミアンないしはボエームと呼ぶ。
(プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」は
 そうした生活を送る詩人や画家や音楽家を描いた作品)

ラプソディとは、「狂詩曲」(きょうしきょく)と呼ばれ、
自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲のこと。
異なる曲調をメドレーのようにつなげたり、
既成のメロディを引用したりすることが多い。
リストが作曲した「ハンガリー狂詩曲」が有名。

「ボヘミアン・ラプソディ」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/kDy5tg_z0ag

対訳で歌詞の意味が分かるのがお薦め。

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朝日新聞のはき違え  政治関係

門田隆将は、
今どき珍しい、
骨のある論客だと思うが、
今日の産経新聞のコラム「新聞に喝!」でも、
めざましい正論を書いている。

まず、国会の問題。

日本には、いつから
恥ずべき“揚げ足とり文化”が定着してしまったのだろうか。

として、今の国会の現状を嘆いている。

国の根本政策や外交、
あるいは法案について熱い議論を戦わせる
国権の最高機関たる国会では、
相手の言い間違いや、知識の欠如をあげつらうような、
絶対に子供には見せたくないレベルのやりとりが続いている。

今回の桜田大臣のことを念頭にあげているのだろうが、
この傾向は、今に始まったことではない。
少し軽量級の大臣が出ると、
それを標的に、
政策そっちのけで、
「クイズ」のような質問を浴びせるのは、
野党の常套手段である。

桜田大臣への質問について、
報道番組で立川志らくが、
「あれって、私に向かって、
『寿限無って知ってますか』
と訊くようなもんですよね」
と言っていたが、
誠に失礼千万ということだろう。
「五輪のコンセプトは何ですか」
という質問で、何を展開したかったのだろうか。
まさに「クイズ」で
相手の知識の欠如を露呈しようとする卑怯な手段。
今回の場合、
それに明確に回答できなかった桜田大臣も大臣だが。

国会の報道を見ていたわが娘が
「これっていじめだよね」
と判定していたが、
小学校だって、学級会で
一人の人に悪口が集中すれば、
賢い生徒が
「そういう批判はやめよう」
と言うだろう。
つまり、今の国会は小学校以下ということだ。

国会は政策を論じるところである。
法案の不備をただし、
代案を出す。
そういう場が
特定の大臣に集中砲火を浴びせ、辞任に追い込もうとする。
これでは子供たちの見本にならないではないか。
大臣の資質を問うなら、
同じ刀で議員の資質を問いたくなる。

門田氏のもう一つの議論は、
「覚醒剤中毒患者への差別」の問題。

テレビ朝日系の人気刑事ドラマ『相棒』で、
覚醒剤中毒の女性が
刑事を後ろからハンマーで殴り殺すシーンがあり、
それに対して、
「侮辱的で差別をあおっている」との非難が
巻き起こっているというのだ。

私は世の中で同情の余地のない犯罪として、
覚醒剤を含む、広い意味の麻薬の販売を上げる。
それは、人の人生を破壊させるという、
許すことの出来ない犯罪だからだ。

それを予防するには、
覚醒剤患者の実態を広く周知させる必要がある。
覚醒剤患者による犯罪もその一つだ。
覚醒剤によって二次的な犯罪が起こり、
被害が拡大するを描くことは、
覚醒剤の恐ろしさを世の中に浸透せしめる。

それが「差別」とは?
次のような論理によるのだという。

朝日は専門家の意見として、
彼らは〈精神的な病を抱えた障害者〉であり、
〈依存症の人に対する差別意識だけを強めることになる〉
と主張した。

そして門田氏は、次のように書く。

覚醒剤とは、そもそも取引も、あるいは使用も、
いずれも犯罪である。
人間の体を蝕み、
暴力団などの反社会的勢力の資金源ともなっているのは
周知のとおりだ。
その覚醒剤の恐怖の実態をドラマで描いただけで、
「差別だ」と抗議し、その批判を囃し立てるのである。

何でも「差別」と言えば、
相手がひるむとでも思っているのだろうか。
差別のはき違えだ。
第一、依存症の人は、「障害者」なぞではない。
犯罪者なのだ。

それを、弱者などと言って擁護して、
朝日新聞という新聞社は、
覚醒剤を世の中に浸透させたいのだろうか。
そして、日本の社会を駄目にしたいのではないか。

慰安婦問題の報道といい、
朝日新聞の反日的姿勢は目に余る。
彼らは、日本の社会の破壊をもくろんでいるとしか思えない。
その一つが、覚醒剤依存症の人を擁護し、
覚醒剤への恐怖を弱めるための論理。

まさに朝日新聞の狂気は、
覚醒剤依存症の表われではないか、
と危惧する次第である。


小説『波の上のキネマ』  書籍関係

[書籍紹介]

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尼崎にある「波の上キネマ」。
座席数100余りの小さな映画館だ。
館主の安室俊介は父から引き継いだのだが、
元々は戦後間もない時期に祖父が始めたものだ。
映画が隆盛の時は儲けも出たが、
今では存続も怪しくなっており、
不動産業者から、閉館と買収の話を持ちかけられている。
新聞には「年内に閉館する見通し」との記事が出た。

閉館するに当たり、映画館の歴史を調べ始めた俊介に、
創業者である祖父の名前を出した問い合わせが入る。
電話の主は台湾に住む男性で、
彼の祖父が俊介の祖父と知り合いだったという。

その人に連れられ、西の果ての島・西表島を訪れた俊介は、
ジャングルの中に映画館があったことを知り、驚く。
それと共に、祖父の俊英が
この島にあった炭鉱で働いていたことを知る。
牢獄のような劣悪な環境で強制的に働かされていた祖父。
その人生の秘密に俊介は思いを馳せる。

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物語は一転し、
祖父の俊英が、なぜ西表島にやってきたか、
そこでどのような生活だったか、
俊英が過酷な生活に耐えられたのはなぜか、
どうやってその島から脱出できたか、
が綴られる。
当然、密林の中にどうして映画館が作られたか、
どんな作品がかけられたかも描かれる。

各章には、
「七人の侍」「タクシードライバー」「君の名は」「伊豆の踊子」
「街の灯」「帰らざる河」「大いなる幻影」
などの
映画の題名が付けられている。

炭鉱労働者の生活の過酷さが綿密に描かれるが、
その救いとなるものが
ややウェットで安っぽい。
描写も荒っぽい。
人間像も希薄。

何よりも閉館を決めた俊介の苦衷から
西表島の俊英の描写が物語の大半を占め、
現代の俊介との交差がほとんどないので、
物語にうねりが生まれない。
また、日本に帰国してから俊英の
映画館経営の発端が描かれておらず、
物語に大きな欠落が生ずる。

そういう不満はあるが、
著者の映画愛は十分感じられた。

冒頭の方で、
日本の映画産業の歴史のようなものが出て来るが、
その部分は興味津々。

かつて娯楽の王様と呼ばれた映画館の危機は何回も訪れた。
一度目は、家庭へのテレビの設置。
次は、レンタルビデオの普及。
更に、シネコンの増加。
最後はデジタル化の波。

テレビの普及は、
家で手軽な娯楽が得られるので、
映画館の観客を減らした。

ビデオの普及は、
「名画座」の存続もあやういものにした。
見逃した映画、繰り返し観たい名画の鑑賞の場だった
名画座は、今、東京でも数えるほどしかなくなった。
それはそうだ、
映画館よりも安い料金で借りられるビデオで
また、ネットの配信で
手軽に家で名画を何度でも観られる。
画質も良くなった。

一時底を打った観客数はシネコンの普及で復活するが、
それは個人経営の映画館にとっては逆に痛手だった。
1960年には全国に7千以上あった映画館は、
シネコンが登場した1994年には4分の1まで落ちこむ。
今全国で3千5百ほどあるスクリーンのうち、
9割近くがシネコンだ。

そして、デジタル化の設備投資1千万円は、
個人経営の映画館に廃業か存続かの決定を迫る。
また、デジタル化は、
映画館から映写技師を追放することにもなった。
映画館を支えた人たちが大量に失業したのだ。

始めの方で、今の映画館の実情を次のように描写する。

配給会社から作品を借りる場合、
二種類の契約方法がある。
興行収入の基本50パーセントを配給会社に支払う方法がひとつ。
もうひとつはフラットといって、
観客動員数に関係なく
最初に配給会社に定額を払ってしまうやり方だ。
俊介のような小さな映画館で動員に不安がある場合、
配給会社はフラットを採りたがる。
作品によっても変わってくるが、
相場は2週間で10万円。
客が入っても入らなくても10万円を支払わなければならないが、
逆にいうと、多く入れば、その分、映画館の儲けは大きくなる。
興行収入で10万円を得てトントンとなるが、
人件費などを考えれば、
40万円を売り上げたいところだ。
これをクリアしようと思えば、
動員としては一週間で少なくとも140人は必要だ。
140人ということは、一日、20人。
1日3回、回したとして、一回の上映で7人。
それでなんとかギリギリ儲けが出る。
しかし小さな映画館で1回の上映の平均が7人というのも、
実はなかなか難しい数字なのだ。
実際のところ、今、
興行収入が20万円に満たない映画プログラムが半分以上ある。
つまり、赤字となる作品の方が多い。


昔、私の育った伊豆には、
三島に映画館があった。
記憶では、洋画の映画館が1軒、
邦画の映画館が3軒、
東映のチャンバラ専門館が1軒の計5軒。
ヒット作の上映の時は、通路に人が座り、
立ち見の客でドアが閉まらず、
狭い舞台にまで観客が乗っていた。
そういう時代を知っている者にとって、
今のシネコンは快適だが、
人間らしさが失われたように思える。
それも昔への回顧にすぎないのだが、

小学生の時、
一人で電車に乗って行く三島の映画館は、
冒険の旅路だった。
駅前の映画館で観た「第三の男」と「略奪された七人の花嫁」は、
今でも劇場の雰囲気を含めて思い出す。
狩野川を渡っていく古奈の
畳張りの映画館(芝居小屋兼用)で観た
「七人の侍」で、
満員の観客が笑いさざめいていたのも記憶に深い。
まさに、映画は娯楽の王様だったのだ。

数年前故郷を訪れると、
5軒の映画館は全て消滅していた。
三島の住人は、
また、私の故郷の人々は、
今、どこで映画を観るのだろうか。

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映画『鈴木家の嘘』  映画関係

[映画紹介]

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冒頭、鈴木家の長男で引きこもりの浩一が
首吊り自殺する衝撃的シーンから始まる。
第一発見者である母の悠子はショックで倒れ、昏睡状態に。
1カ月半後に意識を取り戻した悠子は、
浩一の自殺前後の記憶が抜け落ちており、
「浩一は?」との問いに、とっさに妹の富美(ふみ)は、
「今、アルゼンチンにいる」と嘘をついてしまう。
叔父(悠子の弟)が海産物の輸入事業をしており、
悠子が眠っている間に、
兄は引きこもりをやめ、働いているというのだ。

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そこから、嘘がばれないための様々な工作が始まる。
アルゼンチン在勤の社員に、浩一の偽手紙文をメールして、
絵はがきに手書きで書いて送ってもらう。
在日アルゼンチン人に頼んで、
ニセのビデオレターを作成する。
時々はアルゼンチンで買ったものを送り届ける。

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しかし、嘘がばれるのは時間の問題だった。
それとも悠子の記憶の戻るのが先か・・・

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予告編を観て、コメディかと思ったら、
真反対のシンコク劇だった。
アメリカ映画なら喜劇にするだろうが、
律儀で生真面目な日本人は、
そうはいかなかったらしい。

肉親の死というのは、
それだけでショックなのだが、
加えて自殺されたら、
残された家族の苦悩は深いものがある。
この映画は残された父、母、妹の苦しむ姿を
じっくりと見せる。
それぞれ、「自殺したのは自分のせいではないか」
と責める気持ちがあり、
その堂々巡りは、出口のない迷路になってしまう。

だからこそ、母親は記憶の封印、
という形で逃れたのだろうし、
妹の富美も、
怒りに任せて兄に決定的なことを言ってしまった記憶に
責め苛まれる。

富美は、肉親に自殺された人たちの
カウンセリングのグループに参加して、
悩みを告白する。
それがいつの間にか魂の叫びになり、
「お兄ちゃんを絶対許さない!」という絶叫が痛切だ。

グループには、夫を亡くした人、娘を亡くした人などがいるが、
中で一人、空気を読まないというか、
あえて読まない女性がおり、
その人物に対する誤解が解明
(タクシーで来るのは、
 夫が自殺した電車に乗れないため。
 決して裕福だからではなく、
 賠償金の支払いで窮している)
される場面など、
人の内面は、
脇にいる人間には決して分からないのだと感じさせる。

富美のサークルの先輩が
引きこもりの対処方法を多弁に語る中、
富美が「人は、救えませんよ」
とひと言いうのも、
実際に味わった人にしか口に出来ない言葉だ。

父の行動、母の行動、妹の行動の不審な点の理由が
話が展開するにつれて明かされる構成も巧み。

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父に岸部一徳、母に原日出子、妹に木竜麻生の布陣だが、
みな、しっかりとした演技をしていた。

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中でも木竜麻生は、「菊とギロチンと」にも出ていたが、
なかなかの造形で、期待株だ。
監督は助監督からの監督デビュー作の野尻克己。(脚本も)

現代的な問題を真正面から切り取り、
がっぷり四つに取り組んだのは好感が持て、
映画としても収穫だと思うが、
映画を観てまで辛い思いを味わいたくない方には
薦められない。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/AidG52Tt22k

タグ: 映画

MET『サムソンとデリラ』  オペラ関係

昨日のこと。
東銀座で友人と待ち合わせ、
まず、この店↓へ。

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15人ほどしか入れない小さな店で、

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↓ランチを。

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揚げ鶏定食(唐あげとチキン南蛮)。
量がたっぷりです。

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店員さんが一人で、
次々と舞い込む注文をてきぱきとこなします。
揚げ物は目の前で揚げます。
全部千円ですから、
おつりなしでスピーディー。
親子丼もおいしそうでした。

で、目的は、↓ここ。

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今日の作品は、
サン=サーンスの「サムソンとデリラ」

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シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835〜1921)は、
フランスの作曲家。
交響曲、協奏曲、管弦楽、室内楽、ピアノ曲など幅広く作曲しており、
オペラも13作ほど作曲しているが、
中で今も上演される唯一のオペラ。

1874年に完成したが、
演奏会形式でしか上演されず、
オペラ形式での全曲初演は、
1877年12月2日、
ワイマール大公宮廷歌劇場において、
ドイツ語で上演された。
オリジナルのフランス語版での上演は、
1890年ルーアンで。
1892年11月23日、
パリのオペラ座で上演されて成功を収めた。

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旧約聖書「士師記」の第13章から第16章のサムソンの物語に基づく。
なお、サムスン(三星)電子とは何の関係もありません。

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ペリシテ人が支配するイスラエルのガザ。
ヘブライ人は先住民であったペリシテ人に支配され、
奴隷として扱われている。

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神に見放されたわが身の不幸を嘆く人々。

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ヘブライ人の英雄で怪力の持ち主サムソンは、
人々を鼓舞してガザの太守を殺す。

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ペリシテ人の妖艶な美女デリラは、
復讐のためにサムソンを誘惑し、
怪力の秘密が彼の長い髪にあることを聞き出す。

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デリラに裏切られ、
力のもとである髪を切られたサムソンは、
ペリシテ人に捕らえられ、
目を潰されてさらし者にされる。
サムソンが神に許しを求めて祈ると奇跡が起き、
怪力を取り戻したサムソンは、
神殿の柱を破壊し、
崩れ落ちた神殿により、
ペリシテ人は皆死んでしまう。

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幕切れ、神殿のシーンで、
巨像が倒れる様を期待していたところ、
煙と照明で表現され、
屋台崩しは実行されない。
がっかり。

1949年アメリカ、
1996年ドイツ、
2009年オーストラリアと
3度映画化されており、
1949年のセシル・B・デミル監督
ビクター・マチュア主演の映画での
神殿崩壊のシーンは、↓をクリック。

https://youtu.be/IEPWu24Gilc?t=350

デリラを演ずるのは、エリーナ・ガランチャ

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同時期に作曲されたビゼーの「カルメン」と並び、
メゾソプラノを主役にした数少ないオペラの一つ。
もちろんガランチャは、
METでもカルメンを演じている。

彼女のアリア「あなたの声に私の心は開く」
聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/UUG-QN4arNU

サムソンを演ずるのは、
ロベルト・アラーニャ

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第3幕の嘆きのアリア「ご覧ください、この惨めさを」を聴きたい方は、
↓をクリック。

https://youtu.be/aQHk8jzWmSE

第3幕第2場で演奏される、
東洋的な色彩を持つバレエ音楽「バッカナール」が有名。

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聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/a2uzRhh41zM

元々オラトリオ(宗教的声楽曲)を構想していたことから、
合唱の部分が多く、
さすがにMETの合唱は素晴らしい。
また、装置が素敵。

サン=サーンスのオペラは初めて。
なかなかやるな、という感じ。

予告映像は、↓をクリック。

https://youtu.be/FvUFa9W7VfU






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