小説『木曜日の子ども』  書籍関係

[書籍紹介]

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42歳のサラリーマン、清水芳明は、
妻の香奈恵と中学二年生の息子の晴彦とともに、
旭ヶ丘のニュータウンに引っ越してきた。
旭ヶ丘に引っ越したのは、
前の学校で晴彦がひどいいじめにあい、
自殺を図ったからだった。

長年独身だった清水は、
同僚の香奈恵と晴彦のいじめ相談に乗っている間に
親密になり、結婚した。
しかし、芳明は、義理の息子である晴彦との間の溝を
まだ埋めきっていなかった。
どうしても、晴彦の14年を
自分が共に過ごしていないことを意識してしまうのだ。

実は旭ヶ丘は、
7年前、
少年犯罪史上に残る無差別殺人事件が起きた場所だった。
給食の野菜スープに
ワルキューレという即効性の毒物が混入されて、
9名が死亡、21名が入院するという大事件で、
犯人の同級生・上田祐太郎はその場で逮捕され、
少年法に基づき、実名も明かされず、施設に送られていた。
事件に先立ち、犯人から学校に送られた脅迫状に
書かれていたマザーグースの歌の歌詞にちなみ、
それは「木曜日の子ども」事件と呼ばれた。

いじめから逃れて、
心機一転、旭ヶ丘で新生活をはじめるつもりが、
住民たちの反応に戸惑う。
晴彦が、7年前の事件の犯人、
上田祐太郎少年とよく似ているというのだ。
はじめは近所の主婦、
そして、中学の教師の反応でそれが分かった。
しかも、新居は、
野菜スープ事件の被害者の少女が住んでいた家だという。

やがてニュータウンでは相次いで不審な事件が起きる。
不審者情報、飼い犬の変死、学校への脅迫状。
そして、木曜日発売の少年誌の間に挟み込まれた、不審なメモ。
上田が社会復帰したという噂が流れており、
「ウエダサマ」と呼ばれて、カリスマ化しているという。

晴彦には友達が出来、時間を過ごしているというが、
その友達の「高木」という同級生は、
学校には、存在していないことが分かった。
しかも、「高木」は、事件の被害者の一人だった。

清水は、沢井良樹という作家の接触を受ける。
沢井は「木曜日の子ども」事件を扱った書物を出しており、
その後も事件を追っているという。
その沢井が清水の家にいる時、
隣家の主人が死ぬ。
タバコにワルキューレが染み込まれていたのではないか
と思った二人は、
その死の原因を調べていくが・・・

作者の重松清といえば
家族愛や友情や人間の思い出などを扱い、
人間的で温かな物語を得意とする作家。
当初、連れ子との溝に悩む父親の話と思って読んでいたが、
次第に物語が変貌していく。
ミステリーになり、サスペンスになり、
最後はホラーに化する。
しかも、かなり無理やりの
現実離れした展開に。

重松清らしさがなくて、驚かされたが、
以前にも、そういう小説は書いている。
少年が家庭崩壊、性、暴力、殺人を経験する「疾走」
暗く、悲惨で、暴力的。
それと同じく、
本書も相当暴力的で、
次々と殺人が起こる。

背景には思春期の少年少女に特有の世界観があり、
コミュニケーションがあり、
SNSによる情報拡散がある。
ただ、「ウエダサマ」が提唱する
「世界の終わり」を見たいという願望は
相当説得力に欠ける。
「世界の終わり」を見るということと、
自分の死とは関係がないではないか。

清水が悩む、連れ子との問題も、
思春期特有のもので、
時間と共に解決する問題ではないかと思う。

後半、明らかにサイコパスの話になるが、
年端もいかない異常者の話など、
読みたくないし、必然性、普遍性を感じられない。
神戸で起こった「酒鬼薔薇」事件のAを想起させるが、
他の中学生に感染していくだけ、被害は大きい。
事件が起こったのは、
静かな街だから、とか、
タクシーの運転手の存在など、
不可解な部分も多い。

ラストのくだりは、
いくらなんでも、
この父子の関係修復は不可能だと思わせる。
読後感はすこぶる悪く、納得性に欠ける。
「イヤミス」(読んだ後に「嫌な気分」になる小説)をわざわざ
重松清が書くことはあるまい。
本来の生き場所があるはずだ。

本作品は野性時代 2007年2月号〜2009年1月号連載したもので、
初出から10年もたっての書籍化。
その間に著者のいかなる葛藤があったかを知りたい。




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