飛鳥山の桜  身辺雑記

ウチの団地の中庭の桜は

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咲きましたが、

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「浦安富士」の桜はまだ咲いていません。

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同じ浦安でも、
早咲き、遅咲きの差があるようです。


今日は、王子まで出掛けました。

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王子駅前。

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「新編武蔵風土記稿」によれば、
このあたりは岸村と呼ばれていましたが、
鎌倉時代後期の元亨2年(1322年)、
紀伊国牟婁郡(きいのくにむろのこおり)の
熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)の
若一(にゃくいち)王子を分霊して、
現在の王子神社に祀ったことで
王子村に改称されたといいます。

ここは都電荒川線が通っています。

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目的は、飛鳥山公園

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駅の脇の丘です。

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階段を登っていくと、

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上はこのとおり、

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桜が満開。

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その下には、花見客。

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飛鳥山公園は、
徳川吉宗が1720年(享保5年)、享保の改革の一環として
桜の苗木を植え、整備・造成を行いました。
吉宗の治世の当時、
江戸近辺の桜の名所は寛永寺程度しかなく、
花見の時期は風紀が乱れました。
このため、庶民が安心して花見ができる場所を求めて設置されたのです。

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1737年(元文2年)、江戸庶民に一般開放され、
その時には、吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、
名所としてアピールを行ったといいます。

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1873年(明治6年)、
太政官布達第16号により、
上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園に指定されました。

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ここから京浜東北線の走るのが見えます。

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公園ですから、子どもの遊具があります。

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蒸気機関車も置かれています。

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これは、都電の昔の車両。

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中にも入れます。

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運転台。

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江戸時代から続く、庶民の楽しみ。

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吉宗の先を見る炯眼がしのばれます。

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そして、桜を植えた人の苦労も。

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ゴミ捨て場。

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そして、仮設トイレ。

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帰り道。

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王子駅には、

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京浜東北線上下線が一つのホームに。

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駅からは、このように見えます。

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前から一度来たいと思っていましたが、

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ようやく、来ることができました。




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