論文『「おもてなし」という残酷社会』  書籍関係

[書籍紹介]

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この本は、目次の項目を羅列することで、
大方の内容は理解できると思うので、
以下に記す。

はじめに──なくならない過労死

第1章なぜ、過剰な「お客様扱い」が当たり前となったのか

「顧客満足(CS)度」が日本人の心を壊す
オリンピックに向けてもてはやされる「『おもてなし』の精神」
お互いに気遣いをし合う、心地よい関係が崩れつつある
「間柄」と「自己中心」という文化の違い
日本語の曖昧な表現が意味するもの
「すみません」に込められた言葉の意味
困っているのに笑顔なのは、なぜか
「はい」は必ずしも「イエス」ではない
自己主張が苦手なわけ
遠慮するのはなぜか
なぜ、共感性が高いのか
間柄としての自己を生きる
謝罪が責任に直結しない「お互い様」という考え方
「お客様扱い」が「お互い様」の精神を崩壊させた

第2章あらゆる職業が感情のコントロールを強いられる社会へ

一方的な奉仕を強いられる社会
感情労働に必要とされる表層演技と深層演技
「こう感じるべき」という感情労働の規則
感情の抑制が大きなストレスを生む
感情のコントロールを失わせるバーンアウトという現象
だれもがごく自然に気遣いをしてきたのだが……
そして、異常なまでの感情労働を強いられる社会となった
「お客様第一」という美徳も行き過ぎると……
今や、接客業だけではない
ネット社会によって、ますます感情労働を強いられる
苦情処理が事業の成否を左右するというのだが……
本来の仕事より苦情処理に気を遣う時代
人員削減が私たちの心をさらに追いこむ
人間味が失われていく職場
総活躍社会というトリック

第3章「お客様は神様」という発想が働く現場を過酷にする

心の不調を抱える人たち
高まりをみせる労働問題が絡む自殺比率
過重な仕事の負荷と「お客様扱い」の関係
増幅するお客様意識
四六時中、感情労働を強いられる対人援助職
過酷な教育現場の状況とは
教育現場にさえも「顧客満足」重視が……
過酷な保育現場の状況
思いがけない苦情が、保育者をさらに苦しめる
医療事務従事者ほど理不尽な対応を迫られる医療現場
看護師に求められる特有の働き方
看護師の感情規則
バーンアウトや離職が多い看護職の現場
あまりにも過酷な介護の現場
非常に難しい感情コントロールが求められる介護職員
理不尽なクレームにも耐える車掌や駅員
とりわけ過酷なコールセンター業務
業者という立場の嘆き

第4章職場内すらも抑圧された感情が渦巻く場に

横暴な上司に対して、ひたすら我慢する部下
上司を傷つけないように気遣いも必要なんて……
上司や先輩のアドバイスにさえ、「上から目線」と反発
若手社員はお客様なのか
採用面接、さらには新入社員にも気を遣うブラック恐怖症の企業
感情を押し殺すのは非正規社員だけではない

第5章過剰・感情労働時代のストレスとの付きあい方

客となってストレスを発散する社会
枠組みを変えるリフレーミング
ひとりで抱え込まないで、共感を得ること
自己開示できる場をもつ
腹が立つこと、ムシャクシャすることをノートに書き留める
注目されるレジリエンスという心の性質
どうすれば、レジリエンスを高めることができるか
肯定的な意味づけの力を高める
感情労働の一要素である「探索的理解」
ある程度の自律性をもたせるような仕事のやり方を模索する
日常の生活を充実させる
「おもてなし」の勘違いに気づく

あとがき

特に目を引く部分は、
欧米の文化を「自己中心の文化」
日本の文化を「間柄の文化」と名付けて対比させた部分だろう。

「自己中心の文化」のもとで自己形成してきた欧米人の自己は、
個として独立しており、
他者から切り離されている。

「間柄の文化」のもとで自己形成してきた日本人の自己は、
個として閉じておらず、
他者に対して開かれている。

たとえば、欧米で商品の欠陥を指摘して持ち込んだ時、
担当者は「自分の責任じゃない」と思うから、
謝らないし、
逆に「使い方が悪いんじゃないか」などと追究する。
スーパーのレジに列が出来ていても、
時間が来れば、帰ってしまう。
「私の労働時間は終わった」と。

日本では、そうならない。
欠陥商品を持ち込まれたら、
自分に責任があるかのように謝る。
そして誠心誠意対応する。
お客様が残っていれば、
残業してでも対応しようとする。

それが「自己中心の文化」と「間柄の文化」の違いだ、と。

日本は「間柄の文化」をもち、
私たちは他者から切り離された独立的自己を生きているのではなく、
他者と相互に影響を与え合う
「間柄としての自己」を生きているからである。

哲学者和辻哲郎は、
日本語の「人間」という言葉が
「人」という意味で用いられていることに着目している。
「人」にわざわざ「間」をつけた「人間」、
つまり「人の間」が、
なぜまた「人」の意味で使われるのかというのだ。
和辻によれば、
ドイツ語でも、フランス語でも、英語でも、中国語でも、
このような混同はみられないという。


「間柄の文化」では、常に相手に対して気遣いする。

そうした気遣いによって、
争い事が少なく
強調的で治安のよい平和な社会が保たれている。
自己主張の盛んな社会は、
争い事だらけの訴訟社会になっている。


なるほど、そこが日本人の特徴か、
と納得するが、
それがどのようにして形成されたか、
については言及しない。

私案だが、
それは日本の持っている自然の風土と、
島国という特徴、
そして、聖徳太子の「十七条憲法」にある
「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し」
というあたりから作られたのだろう。
いや、それ以前に
そういう風潮があったからこそ、
この第1条は書かれたのかもしれない。

だから「お互い様」というのがよく分かる。

私たち日本人の心の深層には、
自分の非を認めずに自己正当化するのは見苦しく、
みんともないといった感受性が根づいている。
そのため、自分の非を認めずに
自己正当化に走る人物は自分勝手な未熟者とみなされ、
軽蔑される。
さらには、私たち日本人の心の深層には、
非を認めて謝っている人物を
それ以上責め立てるのは無粋であり、
みっともないという感受性がある。
そのため、自分の非を認めて謝る人物は、
その潔さが評価され、
寛大な対応がなされるのが普通である。


このあたり、何度謝っても許さない
中国・韓国とは文化が違うのだとつくづく感ずる。

1600年前に日本を3度訪れた宣教師ヴァリニャーノは、
日本についての報告書「日本諸事要録」で、

日本人は感情をあらわすことには非常に慎み深く、
感情をなかなか表に出さず、
憤怒の情を抑制するため、
怒りを爆発させることは稀だという。
そのため、街中でも自宅でも、
他の国々のように大声で人と争うのをみることはないとしている。
さらに、日本人は人付きあいにおいて非常に思慮深く、
ヨーロッパ人と違って、
嘆いたり不満をいったり、
苦しい状況について語ったりする際も、
感情的になることはないと記している。
人を訪ねたときも、
相手に不愉快なことをいうべきではないと心得ているため、
けっして自分の苦労や不幸や悲嘆を口にしない。
苦悩はできる限り自分の胸のなかにしまっておく。
自らの苦労について語る場合も、
大したことではないといった調子で、
さりげなく触れるだけで、
あとは一笑に附してしまう。
否定的な感情を抑制することで、
他人に負担をかけないようにする日本人の特徴について、
そのように記されている。


日本人の本質を日本人以上に見抜いた
ヴァリニャーノの炯眼は尊敬に値する。

それにしても、
日本人は世界一大人ではないか。
自分の気持ちを抑制し、他者を思いやる心。
このうるわしい美風を大切にしたいものだ。

しかし、その美風も、
最近は破壊されつつある。
それが「顧客満足度」などという欧米的概念を導入したために、
従業員は過剰な「お客様扱い」を強いられるようになり、
客は過剰な接客を当然とみなし、
どんどんわがままになっていったという。

それによって強制されるようになったのが「感情労働」で、
職務にふさわしい感情を演出し、
管理することが求められる労働、
客の過剰な要求、理不尽な要求にも
内心の反発を隠して応じようとする労働だという。
代表的なものとして、
客室乗務員、看護師、介護職員、教員、
コールセンター業務などを挙げ、
職場では上司の圧迫、
部下への気遣いなどを挙げ、
感情労働のオンパレードで、
それで様々な人々が変調をきたしているという。
時にはストレスに耐えかねてバーンアウト(爆発)してしまう人もいる。

このあたりの論理は、やや強引で、
原因は別にあるのではないか、という気もしないでもない。

そして、対処法としては、
前向きな思考方法だというのだが・・・

最後に筆者はこう書く。

東京オリンピックの開催に向けて、
「おもてなし」を売り物にしようと、
「お客様扱い」をしきりに強調する動きが目立つが、
それは逆効果である。
「おもてなし」が日本の売り物であるのは、
「間柄の文化」だからである。
「おもてなし」が根づいていない「自己中心の文化」に発する
「顧客満足」のような概念を取り入れたら、
「間柄の文化」特有の「お互い様」の精神が崩れ、
「おもてなし」どころではなくなるだろう。
 
               
というのだが、ちょっと違う気がする。
外国のお客様を「おもてなし」することと、
「顧客満足度」とは別にリンクしないし、
「自己中心の文化」の人々に「間柄の文化」を知っていただくのは、
大いに意義があることだと思うのだが・・・。

著者の榎本博明氏は、
1955年東京生まれ。
東京大学教育学部教育心理学科卒業。




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