池上本門寺と戸越銀座  様々な話題

今日は昼前から
東京駅、蒲田駅経由で、
池上へ。

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駅はこんな感じ。

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田舎の駅ですね。

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それでも、駅前は

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こんな風。

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ここには、
日蓮宗の大本山である池上本門寺(いけがみほんもんじ)があり、

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ここも桜の名所として知られています。

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例年、千鳥ヶ淵や上野、浅草に行くことが多かったのですが、
今年は目先を変えて、
ここを訪れました。

駅から寺までは、徒歩で5〜6分。

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見えて来ました。

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総門から既に桜が見えます。

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総門は、
元禄年間(17世紀末〜18世紀初め)の建立。
「本門寺」と刻された扁額は本阿弥光悦の筆によるもので、
現在掲げられている額は複製。
オリジナルは霊宝殿に収蔵され常設展示されています。

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境内へ。

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ここの石段は96段あり、
法華経宝塔品の偈文(げもん。経典中で、詩句の形式をとり、
教理や仏・菩薩をほめたたえた言葉)
の96文字にちなんでおり、
偈文の文頭の文字をとって此経難持坂(しきょうなんじざか)と命名されています。

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慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられています。

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石段を登った右側にあるのは、

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日蓮大聖人説法像

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1983年(昭和58年)、
日蓮の700回忌に建立されたアルミニウム製の像。

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彫刻家の北村西望の作。

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こんな記念碑もあります。

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満開の桜が迎えます。

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下の地面は散った桜の花びらの絨毯。

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仁王門への参道の左右には屋台が並びます。

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見慣れた風景。

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仁王門は元国宝でしたが、
1945年(昭和20年)空襲で焼失。
1977年(昭和52年)に再建されたものです。

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花まつりの宣伝。

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花まつりは、お釈迦様の誕生日を祝う行事。

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お釈迦様の誕生日、知ってましたか?
4月8日だそうです。

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↓はその写真。
誕生仏像は、
釈迦が生まれると7歩進み、
右手を上げて天を指し、
左手を垂下して地を指し
「天上天下唯我独尊」と唱えたと言われることから
その姿を表したものです。
その時に天から甘露(かんろ)の雨が降ったとされていることから、
誕生仏像に甘茶を注ぎます。

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そういえば、昨夜の「タモリ倶楽部」で、
キリストの誕生日であるクリスマスに比べ、
お釈迦様の誕生日が普及していないのは、おかしい、
と、花まつり普及のための方策を検討する、
というのをやっていました。

大堂

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本門寺の寺格は大本山、山号は長栄山。
日蓮聖人入滅の霊場として
日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、
七大本山のひとつにも挙げられています。

弘安5年(1282年)9月、
病身の日蓮は身延山を出て、
湯治のために常陸(茨城県)へ向かいます。
9月18日に武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の
池上宗仲の館に到着。
生涯最後の20数日間を過ごすこととなります。
その時、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を
日蓮が開堂供養し、
長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といわれます。

10月13日に日蓮が没すると、
池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて
六万九千三八四坪を寺領として寄進して寺院の基礎が築かれ、
以来「池上本門寺」と呼びならわされています。

大堂の脇で甘茶をふるまう若いお坊さん。

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味は、微妙でした。

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大堂は、
「祖師」すなわち日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいわれます。
旧大堂は、本門寺14世日詔の時代の1606年(慶長11年)、
加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立しましたが、
その後、幾度も焼失し、
本門寺79世伊藤日定が中心となり
全国檀信徒の寄進を受け、
1964年(昭和39年)現在の大堂を再建したもの。
鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。
高さ27メートル。

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大堂から仁王門をのぞむ。

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脇にあるのは、霊宝殿

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玉砂利には、外国人のファミリーが。

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外人さんは、どこでも地面に平気で横たわります。

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今日は五重塔まつり

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木遣りの声が境内に響きわたります。
鍛えあげられた、いい声。

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どのような序列があるのでしょうか。

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今日は五重塔を特別開帳。

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お坊さんの読経の声が響きます。

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ほどなくして、

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集まった衆生のための祈祷。
カスタネットのような楽器を鳴らします。

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塔の上から、何かばらまかれます。

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これ。何をかたどったものでしょうか。

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ご利益があるのか、
集まった人たちが拾い集めていました。

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ご開帳した仏様。

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重要文化財です。

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高さ31.8メートル。
空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の一つ。
江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、
1608年(慶長13年)に建立。

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全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、
屋根は初層と二重は本瓦葺き、
三重以上は銅板葺き。(当初はすべて本瓦葺き)。
建築様式は初層は和様、
二重から上は禅宗様。

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五重塔の後ろは墓所になっており、

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桜の下で眠る人たちは幸せです。

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こんな形のお墓も。

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カミさんが思わず「高いんでしょうね」。

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ここで最も有名なのが、
力道山のお墓

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ここが、それ。

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暴力団員とのトラブルで腹を刺されて死亡。

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懐かしいお姿。

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力道山(りきどうざん)は、
日本統治時代の朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里(現在の北朝鮮統治範囲)で
現地人の両親のもとに生まれました。
後に長崎県大村市の農家・百田家の養子となります。
旧名金信洛(きん・しんらく)、
日本名:百田光浩(ももた みつひろ)。

大相撲の力士出身のプロレスラーで、
第二次世界大戦終了後に日本のプロレス界の礎を築き、
日本プロレス界の父と呼ばれています。
当時本放送が始まったばかりのテレビ放送の力もあり、
絶大な人気を誇りました。
身長176cm(プロレス時代の公称身長は180cm)、体重116kg。

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1963年12月8日午後10時30分に、
遊興中の赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、
暴力団住吉一家傘下の大日本興業構成員であった村田勝志と、
足を踏んだ踏まない、で口論になり、
馬乗りになって殴打したところ、
村田に下から登山ナイフで腹部を刺され、
治療の措置が悪く、
12月15日に死亡。満39歳。
自重すればいいものを、
つまらないことで命を落としたものです。

戒名は大光院力道日源居士
墓所は池上本門寺の他に、
故郷・長崎県大村市の長安寺にある百田家の墓所にも分骨されています。

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奉献者の名前として、
梶原一騎北野武の名前もあります。

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映画にも出演しており、
デビュー「薔薇と拳銃」(1953年)をはじめ、
「力道山大いに怒る」「力道山逆襲す」など、28本も出ています。

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中には「力道山対キングコング」なんてのもあります。
田舎の映画館まで回って来なかったのか、
私は1本も観ていません。
2004年日韓共同製作の伝記映画「力道山」
(ソン・ヘソン監督、ソル・ギョング主演)は観ていますが。

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ここの墓所はかなり広く、

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見るからにお金持ちのお墓もあります。

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まあ、死んだらみんな同じですが。

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こんなのもあります。

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この塔は誰のものか。

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お地蔵さん、掃除をしています。

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花びらは誰が掃除するのでょうか。

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無縁仏の整理も行われているようです。

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大堂前では、
奉納茶席に、

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奉納太鼓も。

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大堂を横から見たところ。

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お寺は犬の散歩コースでもあるらしく、
飼い主のエチケット違反に
寺が難渋している様子が、
この看板でも伺えます。

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池上線は駅数15の短い路線
始発に乗って25分もすれば終点です。
それでも山手線五反田駅に接続する
大田区民にとっては重要な路線です。

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歌にも歌われており、
西島三重子の名曲「池上線」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=4Ik_t9y0ZL0&feature=player_embedded

せかくここまで来たので、
この駅で途中下車。

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言うまでもなく、
ここには、この商店街があります。

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場所は、ここ。

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駅を挟んで長さ1.3qで、
東京一の長さを誇ります。

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戸越銀座商栄会商店街、戸越銀座商店街、戸越銀座銀六商店街の
3つの振興組合で構成されています。

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約400件もの店舗が軒を連ね、
平日でも1万人以上が来客する非常に活気のある商店街です。

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実際に見て感心したのは、
シャッターを閉めた店がほとんどないこと。

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よく「シャッター通り」などと言われますが、
ここの商店街では無縁の話のようです。

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「戸越」という地名は、
江戸を越えた土地という意味の
「江戸越え」に由来すると言われています。
当時、この地に住む人々は「とごえ」 と呼んでいたそうです。

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大正12年の関東大震災で被害を受けた銀座から、
当時ガス灯用のガス発生炉用耐火レンガとして使用されていた
白レンガを戸越の人々が譲り受け、
当時水はけの悪かった戸越の大通り等に再利用しました。

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こうした経緯から、「戸越銀座」という地名が誕生。

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現在日本には数多くの「○○銀座」と名のつく商店街がありますが、
日本で1番はじめに銀座という名前を譲り受けたのが
ここ、戸越銀座なのです。

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ここの焼き小籠包は有名らしく、

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沢山のテレビ番組で紹介されたようです。

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商店街全体でコロッケ作りに励んでおり、

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こんなものもありました。

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中国人やフランス人、ドイツ人も訪れるそうで、
どこで情報を得て来るのでしょうか。

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カミさんは靴と服を購入。
他にいくつか食べ物を食べて、
商店街の発展に寄与しました。

本門寺、戸越銀座と
池上線沿線を回る、
土曜の午後でした。




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