ルーマニア・ブルガリアの旅・そのIリラの僧院 旅行関係
6日目は、
↓のような景色を見ながら、

リラの僧院まで300qを5時間半かけて走ります。

途中、2度ほどガソリンスタンドで休憩。

給油はセルフサービス。

これがルーマニア・ブルガリア通してのバス。

運転手さんの腕は確か。
休憩中も水を入れたり、いろいろ忙しそう。

町にコンビニはありませんが、
ガソリンスタンドの店がコンビニに相当。

2回寄った店は

お店の配置が全く同じでした。

WiFiが使えるので、
日本の台風情報をゲット。

時々、町を通ります。


民家は、こんな感じ。


バスは山に向かいます。

昼食は、ここで。

いつものスープに

マスが出ました。

レストランの裏手に清流が。

滝もあります。

バスは益々山奥へ。

標高1150mのところにあるのが

リラの僧院。

「リラの僧院」。素敵な響きですね。
リラ山脈リラ村の奥にあるので、
リラ修道院ともリラの聖ヨハネ修道院とも呼ばれています。

中にあるのが聖母誕生教会。

その隣にフレリョの塔があり、

僧房が回りを囲みます。

上から見ると、こんな感じ。
建物が敷地の割に高いことが分かります。

平面図。

真ん中にある聖母誕生教会は

外壁や天井が
フレスコ画で埋め尽くされています。

リラの僧院は、
ブルガリア正教の総本山的存在で、

その歴史は10世紀にまでさかのぼります。


イヴァン・リルスキという僧が

隠遁の地として
この場所を選び、


小さな寺院を建立。


それがやがて中世の宗教と文化の中心となりました。


現在の形になったのは、14世紀。
第2次ブルガリア帝国の時代には、
歴代の王の寄進を受けて
大いに繁栄しました。


その後、ブルガリアは約500年にわたって
オスマン朝の支配下に入り、


その間、キリスト教の信仰はもちろん、


ブルガリア語の書物を読むことにも制限がありましたが、

この僧院だけは、
それらが黙認されていたといいます。

僧院の建物は、
1833年の火事で大方燃えてしまいましたが、

その後、復旧され、
ユネスコの世界遺産に登録されました。


フレスコ画は、
36の聖書の物語や

この地方の生活の様子が

色彩豊かに描かれています。


これらは民族復興期最高のイコン画家といわれる
ザハリ・ソグラフを含む
当時を代表する画家たちが
無償で描いたそうです。


この教会は5つのドームを戴いています。

教会内部は撮影禁止。
そこで、絵はがきから転載。

壁と天井には無数のイコンが描かれ、
正面にあるのは、イコノスタス。
聖障と言われ、
東方正教会で至聖所の前に置かれているものです。

聖母誕生教会のイコノスタスは
幅が10mもある立派なもので、
精緻な彫刻に金箔がほどこされています。
ブルガリアの木彫芸術の最高傑作といわれ、
その制作には5年の歳月を要しました。

聖母誕生教会の隣にあるのがフレリョの塔。
14世紀に封建領主フレリョ・ドラゴヴォールによって築かれた物見櫓。
1833年の火災をのがれ、
14世紀に建てられた当時のままに残っています。

鐘楼としても使われています。

回りを取り囲むのは、僧房。

往時には、3600人もの修道僧が
寝食を共にしていたといいます。

4階建ての住居部分は300間、
4つの聖堂、大修道院長室、キッチン(めったにない巨大な器があることで有名)、

全250の手記と9000冊の古い印刷物を収容する図書館、
そして寄贈者室から成っています。

石製の高い壁と
僅かな窓で覆われた複合建築物の外観は、
修道院というよりむしろ要塞に似ています。

僧房の一室。

教会を後ろから見たところ。

山は次第に色づき、美しい。


歴代の僧たちは、

ここで何を思ったのでしょうか。

↓は、絵はがきから
雪のリラの僧院。


リラの僧院を後にして、
ブルガリアの首都、ソフィアへ。

夕食は

ここで、

サラダと

きのこシチュー。


デザートは本場のブルガリアヨーグルト。

ねっとりとした味わいで、
チーズのようでした。
最後のホテルはここ、

ケンビンスキー・ゾグラフスキー。

様々な賞を受賞した5つ☆ホテル。

31カ国にチェーン店75店を擁します。

トラピックスは最後に良いホテルに泊まります。


シュワちゃんも

スタローンも来たことがあります。

明日は最終日。
ボヤナ教会とソフィア市内観光。
↓のような景色を見ながら、

リラの僧院まで300qを5時間半かけて走ります。

途中、2度ほどガソリンスタンドで休憩。

給油はセルフサービス。

これがルーマニア・ブルガリア通してのバス。

運転手さんの腕は確か。
休憩中も水を入れたり、いろいろ忙しそう。

町にコンビニはありませんが、
ガソリンスタンドの店がコンビニに相当。

2回寄った店は

お店の配置が全く同じでした。

WiFiが使えるので、
日本の台風情報をゲット。

時々、町を通ります。


民家は、こんな感じ。


バスは山に向かいます。

昼食は、ここで。

いつものスープに

マスが出ました。

レストランの裏手に清流が。

滝もあります。

バスは益々山奥へ。

標高1150mのところにあるのが

リラの僧院。

「リラの僧院」。素敵な響きですね。
リラ山脈リラ村の奥にあるので、
リラ修道院ともリラの聖ヨハネ修道院とも呼ばれています。

中にあるのが聖母誕生教会。

その隣にフレリョの塔があり、

僧房が回りを囲みます。

上から見ると、こんな感じ。
建物が敷地の割に高いことが分かります。

平面図。

真ん中にある聖母誕生教会は

外壁や天井が
フレスコ画で埋め尽くされています。

リラの僧院は、
ブルガリア正教の総本山的存在で、

その歴史は10世紀にまでさかのぼります。


イヴァン・リルスキという僧が

隠遁の地として
この場所を選び、


小さな寺院を建立。


それがやがて中世の宗教と文化の中心となりました。


現在の形になったのは、14世紀。
第2次ブルガリア帝国の時代には、
歴代の王の寄進を受けて
大いに繁栄しました。


その後、ブルガリアは約500年にわたって
オスマン朝の支配下に入り、


その間、キリスト教の信仰はもちろん、


ブルガリア語の書物を読むことにも制限がありましたが、

この僧院だけは、
それらが黙認されていたといいます。

僧院の建物は、
1833年の火事で大方燃えてしまいましたが、

その後、復旧され、
ユネスコの世界遺産に登録されました。


フレスコ画は、
36の聖書の物語や

この地方の生活の様子が

色彩豊かに描かれています。


これらは民族復興期最高のイコン画家といわれる
ザハリ・ソグラフを含む
当時を代表する画家たちが
無償で描いたそうです。


この教会は5つのドームを戴いています。

教会内部は撮影禁止。
そこで、絵はがきから転載。

壁と天井には無数のイコンが描かれ、
正面にあるのは、イコノスタス。
聖障と言われ、
東方正教会で至聖所の前に置かれているものです。

聖母誕生教会のイコノスタスは
幅が10mもある立派なもので、
精緻な彫刻に金箔がほどこされています。
ブルガリアの木彫芸術の最高傑作といわれ、
その制作には5年の歳月を要しました。

聖母誕生教会の隣にあるのがフレリョの塔。
14世紀に封建領主フレリョ・ドラゴヴォールによって築かれた物見櫓。
1833年の火災をのがれ、
14世紀に建てられた当時のままに残っています。

鐘楼としても使われています。

回りを取り囲むのは、僧房。

往時には、3600人もの修道僧が
寝食を共にしていたといいます。

4階建ての住居部分は300間、
4つの聖堂、大修道院長室、キッチン(めったにない巨大な器があることで有名)、

全250の手記と9000冊の古い印刷物を収容する図書館、
そして寄贈者室から成っています。

石製の高い壁と
僅かな窓で覆われた複合建築物の外観は、
修道院というよりむしろ要塞に似ています。

僧房の一室。

教会を後ろから見たところ。

山は次第に色づき、美しい。


歴代の僧たちは、

ここで何を思ったのでしょうか。

↓は、絵はがきから
雪のリラの僧院。


リラの僧院を後にして、
ブルガリアの首都、ソフィアへ。

夕食は

ここで、

サラダと

きのこシチュー。


デザートは本場のブルガリアヨーグルト。

ねっとりとした味わいで、
チーズのようでした。
最後のホテルはここ、

ケンビンスキー・ゾグラフスキー。

様々な賞を受賞した5つ☆ホテル。

31カ国にチェーン店75店を擁します。

トラピックスは最後に良いホテルに泊まります。


シュワちゃんも

スタローンも来たことがあります。

明日は最終日。
ボヤナ教会とソフィア市内観光。
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ
→トラックバックのより詳しい説明へ