『生きて、生きて、生きて』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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著者が16人の宣教者+曽野綾子とあるように、                     
賢人・曽野綾子さんが運営している
「海外邦人宣教者活動支援後援会」(略称JOMAS)の
活動を通じて知り合った
海外で宣教している神父やシスターたちを描く。
6月21日に紹介した
曽野綾子さんの「朝はアフリカの歓び」

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20130621/archive

と対になるような本で、
16人の宣教者たちの手記と
曽野綾子さんの著作からの関連箇所を重ねた構成。
宣教師たちの手記は、
おそらく聞き取りで、
その国の現状、問題点、
実際の活動の現場報告だ。

アフリカのシュラレオネ、コンゴ、
南アフリカ、チャド、カメルーン、
アルジェリア、マダガスカル、
中南米のボリビア、ペルー、
ハイチ、メキシコ
アジアのインド、ネパールなど
広範な地域に宣教者たちが派遣され、
その土地に根を下ろして生活している。
最近、「こんなところに日本人が」として、
辺境に住む日本人が紹介されているが、
テレビ番組顔負けの多彩さだ。

冒頭、「その人たち」のことと題して、
曽野綾子さんが、宣教師たちの生活を紹介する。
その一文。

現代でもまだ、
この地球の片隅で、
人に知られることもあまりなく、
この日本の快適な生活を捨てて、
ほとんど原始に近い暮らしの中に身を置き、
人の生命と精神の双方の救援のために働いている人たちがいる。
抽象的な意味ではない。
現実に放っておけば、
チフスやコレラや栄養失調や難産で死ぬ人たちを救おうと、
単純にして明快な人命救助のために働いている人たちである。

「日本の快適な生活を捨てて」というところが肝心なところ。
休暇で日本に帰って来ても、
一刻も早く任地に帰りたいと願うという。
人間にとって価値あるものとは何かを考えさせられる。

南アフリカのエイズのケア・センターのことを書いた記述。

患者は子供に会いたいと始終話しています。
でも、家族は頻繁に子供を連れて来られません。
子供に会えないまま死んでしまう患者も後を絶ちません。
「子供の顔を一度見て死にたい」
「死期を感じるから親に会いたい」
と懇願する患者を
家に連れて帰ったこともあります。
しかし、たいてい家族に歓迎されませんでした。
末期の患者は寝たきり、運がよくて車椅子生活ですから、
帰ってこられると
二日でも三日でも面倒をみなくてはいけません。
大半の人が、
白人の家のメイドや草むしりの仕事をしています。
働き口のない人は沢山いますから、
一日でも休むと簡単にクビにされます。
せっかく仕事につけたのに、
また仕事を探さなくてはいけなくなるのです。

それでも、
「お母さん、一日でもいいからそばに置いて」
と頼んだ子がいました。
私もお願いして、
どうにか置いてくれることになったのですが、
彼女はその日のうちに
ケア・センターへ一人で戻って来ました。
たぶん、親は冷たくあしらったのでしょう。
それもやむを得なかったのかもしれません。
その後、彼女は家族の話は一切口にしないまま、
施設で亡くなりました。

貧困ゆえに、
暖かく接することの出来なかった家族。
おそらく亡くなった後、
「どうしてもっとやさしくしてあげられなかったのか」
と悔やんだことだろう。

ペルーの貧民窟での記述。

昨年、マリアという三十二歳の黒人の母親が、
初聖体を受けた日の光景は忘れられません。
初聖体の前日に告解(懺悔)をするのですが、
教会に行くまでの道で、
「シスター、悪かったことは
何もかも言わなくてはいけないの?」
と聞くので、「そうよ」と答えたら、
「売春していたことも?」と言うのです。
彼女が告解している間、
私は後ろのほうで見守っていましたが、
告解場の中で
彼女はひざまずいて
三十分くらい泣き続けていました。
日本で援助交際をしている女の子たちは、
「自分の体をどう使おうが勝手でしょ。
何が悪いの?」
と言うけれど、
ペルーの女性は
売春が悪いことだとわかっている、
わかっているけれど、
生きていくためにしょうがないから体を売っているのです。


そして、こう書く。

キリスト教では売春は罪ですが、
神さまは彼女たちを赦してくださると私は思います。
一日も早くやめたいと思いながら、
食べるため、子供や家族を養うために
やらざるを得なくてやっているのですから。

ボリビアで働くシスターは、このように書く。

私は、通っていたラサール校の校長先生に、
こう教わりました。
私たちにはお金で買えるものと買えないものがある。
すばらしいベッド、羽布団はお金で買うことができる。
でも、心地よい眠りをお金で買うことはできない。
私たちは、すばらしい辞書と百科事典を買うことができる。
でも、知識を買うことはできない。
お金で快楽を買うことはできる。
でも、美しい思いやりの心は買えない、と。

本書には宣教師やシスターの顔写真が
小さく紹介されているのだが、
その顔には共通点がある。
決然と任地に赴く爽やかさである。
神が示した土地を
骨を埋める場所として疑わず、
背後に日本の豊かな生活を
惜しみなく捨てて来た潔さである。
見返りの少ない奉仕の生活。
しかし、それも神の御心と受け入れる心の広さである。

曽野さんは、チャドのシスターの生活をこのように書く。

シスターたちは貧しさの極限の暮らしの中で、
毎日陽気に冗談を言い、
時には村人の気まぐれに困らされることはあっても、
そのゆるぎない人間的なあらゆる属性を愛し、
その土地のあるがままの姿に惹かれていた。
チャドはシスター・永瀬をはじめとする
修道女たちの心を完全に捉えていた。
貧しい人々は時々狡さも見せたが、
それもシスターは
母親のように苛立たずに受け入れていた。

矛盾だらけで遅々として進歩の見えない
チャドとかかわることは、
どんなに疲れることだろう、
と私は思った。
しかしそれが神の望まれる道だと
疑わなかったから
シスターたちは誰も迷わなかった。
ただ時にはどんなに、
透明で瑞々しく緑したたる日本の山河を、
日本人の細やかな配慮を、
そして日本の食事を、
シスターたちは懐かしんだことだろう。
しかし、シスター・永瀬は
遺体としても日本に帰らなかった。

子供の時から私は、
自ら納得した使命に殉ずる人に
深い尊敬を抱いて来た。
私自身はそうした強い暮らしをできなかったから、
せめてその人々のために
少しでも働きたいと希って来た。
そうした人々は私の前方に輝く星であった。

実際、アフリカや中南米での奉仕は、
無益なことが多い。
どんなに援助しても、
為政者の無能と無作為で押し寄せる貧困が飲み込んでしまう。
だが、初期のアフリカ宣教師派遣の際、
こう言われたという。
「決して報いを求めてはならない」。

働いても働いても報われない。
これほど辛いことはないだろうが、
宣教師たちは、それを受け入れ、
任地に赴き、
時には殉教したのである。

次のような曽野さんの記述は胸を打つ。

私の周囲には、
私に苦い言葉を言い続ける友人たちが数人いた。
アフリカを援助しようと思うのは、むだだ、
と言い切る人もいた。
汚職、縁故採用などは極く当たり前の腐った社会に、
外国の援助が届けば、
無能で強欲な為政者が喜ぶばかりである。
だからアフリカはいっそのこと、
一度徹底して悲惨のどん底まで落ちなければだめだ。
あなたのような人が、
むしろアフリカ問題の徹底的解決を延ばして、
アフリカを不幸にしているのだ、
とまで言う人もいた。

私はそうした言葉に全く怒らなかった。
誰一人として正しい考えや予測をできる人はいない。
あちこちで間違えながら、
何とか生きて行く他はない。
アフリカの貧困の特徴は、
今日食べるものがない、ということだ。
人間の不幸の順位は付け難いが、
空腹に耐えるということは
その中でもかなり辛いことだ、
と私は素朴に考えた。

私は多分
アフリカの貧困の根本を解決するためには
逆の方向に足を引っ張るという悪事をしているだろう。
しかしすべてのことの解決は
そんなにすぐにはできない。
私たちの援助によって
僅かな数の人々が
どうやら今日から明日を生き延び、
その間に遅れながら
アフリカの貧困が解決の方向を辿る。
そう思うことにしよう。






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